年金バイアウトという仕組みをお聞きになったことはありますでしょうか。
日本では年金受給者の長寿リスクは企業が負うことは少なくなってきていますが、欧米拠点を持つ場合等、年金バイアウトに関心のある企業は多いでしょう。
今回の記事では年金バイアウトについて考察することにします。
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年金バイアウトとは
年金バイアウトとはそもそもどのような仕組みでしょうか。
以下定義を記載します。
年金債務の全部又は一部を保険会社などの第三者に売却するスキーム。通常、保険会社は退職給付債務にプレミアムを加えた額で引き受ける。終身年金であり、インフレスライドも行う英国などで将来リスクを払拭するために利用されている。
出典 三菱UFJ信託銀行ホームページ
年金バイアウトとは、確定給付(DB)企業年金が負う年金受給者等への支払い義務を、積立金とともに保険会社へ引き渡すものです。
DB年金の運営主体は、年金バイアウト後には年金支給義務から免れ、年金の運用リスク・財政悪化リスク等を企業の外に切り離すことができます。
年金バイアウト事例
東芝は2018年3月にドイツ子会社で運用されている年金をバイアウトすることにより2018年3月期の連結業績に141億円の営業損失を計上すると発表しました。
https://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20180319_1.pdf
DB年金の給付義務と資産を保険会社へ譲渡し、将来の支払額が不確実な年金関連の費用を早期に確定させる狙いです。
会社のプレスリリース内容では年金の受給者は1,362人であり、譲渡先は未公表です。1,400名弱の受給者分で140億円強の費用が出るということになります(一人あたり10百万円程度)。
DB年金に発生している積立不足を補填するため、年金費用を一括で前倒し計上することによって損失が発生することになります。
このような年金バイアウトは英国を中心に欧州ではみられる手法です。
年金バイアウトが実施される背景
欧米の企業における企業年金は、「終身年金」であることが多いという現状があります。欧米では一概には言えない(かなり変わってきた)ものの、企業年金=終身年金というイメージなのです。
日本では終身年金は減少してきましたが、これは厚生年金基金の代行返上に伴い終身年金が減少してきたからです。
そのため、日本ではあまり問題にはなりませんが、欧米では企業年金における「受給者の長生きリスク」が問題となってきました。
特に年金バイアウトが実施されることが多い英国では「年金の給付水準が高いこと」「給付減額が基本的にできないこと」「給付額がインフレ率に直接連動すること」「基本的に終身」というDB年金の特徴があります。
そのため、企業側は企業年金の負担感が重いという問題を抱えており、DB年金の運営リスクを切り離す動きにつながってきたのです。
様々な年金は、自らが負う受給者の長生きリスク=長寿リスクを移転しようとしています。その手法としては大きく3つが存在します。
年金バイアウト、年金バイイン(buy-in)および長寿スワップ(longevity swap)です。
この3つの手法について以下で簡単にみておきましょう。
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長寿リスクの移転手法
年金バイアウトにおいては、年金基金の全ての資産・負債が、前払いのプレミアム(費用)と引き換えに保険会社に移転されます。
年金負債および資産は年金スポンサー(母体企業)のバランスシートから切り離され、保険会社が年金受給者への支払いについての責任を負うことになるのです。
年金スポンサーはカウンターパーティーリスク(保険会社の信用リスク)も負いません。保険会社に任せて終わりであり、保険会社の破たんリスクは負わないのです。
なお、年金バイアウトの対象となるのは、新規加入者の受け入れを停止しており、既存加入者の給付の積み増しも停止しているDB 年金です。
一方で、年金バイインは、スポンサーがプレミアムを支払って全加入者もしくは一部の加入者向けの年金保険を購入します。
保険会社は、当該保険契約に基づき、スポンサーが年金受給者に支払う金額に等しい金額を定期的にスポンサーに支払うことになります。
スポンサーが保険会社に支払う前払いプレミアムは、退職者が予定を超えて長生きしたとしても保証した給付金を支払うことを約した保険契約を保険会社から購入するコストであり、年金制度はこの保険契約を資産として保有することになります。
年金バイインの場合は、保険契約はあるものの資産および負債はあくまで年金制度が保有しているため、年金資産および負債はスポンサーのバランスシートに残ります。すなわちオフバランスにはなりません。
また、年金制度が保険を契約しているだけであるため、カウンターパーティーリスク(保険会社)が残ります。
長寿スワップの場合は、年金制度は、予想を上回る年金給付に対する保護
を得ることが出来ることになります。
年金制度のスポンサーは、スワップのプロバイダー(カウンターパーティー、投資銀行・保険会社・再保険会社等)に定額の「プレミアム」を定期的に支払います。
これと引き換えに、年金制度から年金受給者への給付額は固定され、長寿化による給付増分はカウンターパーティーであるプロバイダーが負担することになります。
長寿スワップを通じての長寿リスクのヘッジとは、リスクに応じたプレミアムをプロバイダーに支払うことで、年金基金の支払額を当初予定していた額に固定することを意味しています。
オフバランス効果はなく、カウンターパーティーリスクも依然として負っています。
以上が長寿リスクの外部への移転方法の代表例です。
企業はこれ以外に長寿リスクの軽減方策を取っています。
長寿リスクの軽減については、上述の長寿リスク移転のほかに、DB 年金の凍結(新規採用者の年金制度への加入を凍結、全従業員の将来期間にわたる年金額の積み増しを凍結)、DB 年金からDC 年金への移行などの対応策が各国の企業で採用されています。
しかし、こうした対応を行ったとしても、それは問題の拡大を抑制する効果しかなく、年金スポンサーは依然として、年金費用の発生に伴う費用負担義務を負い続けます。
そのため、しっかりと年金制度におけるリスクを排除したいと考えるならば年金バイアウトが選択されるのです。
日本における年金バイアウト
日本では年金リスクを低減するため、保険会社に年金債務を譲り渡すこと(いわゆるバイアウト)が現状できないとされています。
確定給付企業年金法の「第十二章 他の年金制度との間の移行等」等をみれば分かるように、日本では年金債務等を保険会社に移転することが想定されていません。
また、年金のバイアウトとは、年金受給者側から見れば「年金制度(設立母体は企業)との企業年金契約」が「保険会社との個人保険契約」に切り替わります。
これは年金受給者にとってみれば、年金制度から一時金を受け取り、それを保険会社に再拠出するようなイメージです。
英国等ではこのような年金バイアウトによって年金受給者に税務上の不利益(一時所得としての課税等)はありません。しかし、日本ではこのような税制上の仕組みもありません。すなわち受給者の課税リスクが大きいのです。
日本で年金バイアウトに類似するものとしては、受託保証型確定給付企業年金制度があります。
【受託保証型確定給付企業年金】
生命保険又は生命共済の契約に基づく確定給付企業年金で、毎事業年度の末日における契約者価額が数理債務の額を下回らないことが確実に見込まれるもの(確定給付企業年金法施行規則第4条第3項)。
積立不足が発生しない仕組みであることから、手続きの簡素化が図られている。閉鎖型適格退職年金の移行の受け皿として認められた「閉鎖型」と平成25年改正法による厚生年金基金の解散の受け皿として認められた「開放型」とが存する。
出典 企業年金連合会ホームページ
この年金制度は、新規の標準掛金を受け入れない閉鎖型の制度であり、生保の一般勘定(利回りが約束された商品)を利用しています。
中小企業にとっては非常に使い勝手が良かったのでしょうが、マイナス金利政策導入後は生命保険会社が運用に苦戦していることから、受け入れを中止しているところが多いようです。
年金バイアウトの費用
年金バイアウトは企業側にとっては非常に有効です。
しかし、年金を「買う側」の保険会社等にとってみれば、年金の運用リスク、年金受給者の長寿リスクを見誤ると損失が発生し、年金バイアウトを受ける意味が全くなくなってしまいます。
そのため、前述の通り前払い費用としてのプレミアムを徴収して年金の資産と負債を引き受けます。
このプレミアムの水準についてはマーサーが「グローバル年金バイアウト指標」を発表しています。
アイルランド、米国、カナダ、英国、ドイツの5か国における年金会計上の債務に対する年金バイアウトのコストをトラッキングしたものです。
企業会計上の債務を100%とすると年金バイアウトを行う際に必要となるキャッシュが何%となるかを指標化しています。
米国は追加コストが5%程度であるのに対して、英国は追加コストが15%程度となっています。これは両国の年金制度の設計が異なる(例:英国の「給付のインフレ連動義務付」「受給者死亡後の寡婦年金提供」)からです。
マーサー 「グローバル年金バイアウト指標」を発表 | マーサージャパン
なお、少々古いのですが野村資本市場研究所の2007年のレポートでは、年金バイアウトのプレミアムは30~40%がコンセンサスとなっているとされています。
野村資本市場研究所|英国における年金バイアウト・ビジネスの現状
いずれにしろ年金バイアウトにはかなりの費用が発生するということは間違いないでしょう。
年金バイアウトでは年金スポンサーである企業が実際の債務額を大幅に上回る資金を保険会社に払います。
債務を引き受ける保険会社は、引き継いだ資産を債券のような損失リスクの低い資産で運用し運用リターンに依存しないような水準のプレミアムを要求してくるのが通常だからです。
今後の動向
まず、英国特有の問題となりますが、今後はBrexitの影響が出てくるでしょう。
2020年までの経過措置問題や、北アイルランドでの国境問題など問題が山積しており、英国現法を持つ企業は英国の事業についてEU域内への移転等、様々な検討をしています。
その中で、DB制度を持つ企業にとっては、事業再編にあたっての年金バイアウトの検討は非常に重要となるのです。
また、投資家を意識して年金受給者の長寿リスクを切り離したいという企業は今後も出てくるでしょう。
日本企業も無関係ではいられません。
特に上場企業は、他国の企業とグローバルに比較されます。
他国の企業が年金債務につき何らかの対応をしたならば、自社でも同様の対応をした方が株主等の利益に適うのか検討すべきでしょう。
上記の通り、特に英国へ進出している日系企業は、年金バイアウトについて検討することにもなるかもしれません。
なお、マーサーの予想では、2017年の年金バイアウトの総額ディール額は世界全体で420億ドル弱であるのに対して、2018年には総額で700億ドル超えると予想しています。
世界での年金バイアウト「競争」はすでに始まっているのです。