「日報」とは自衛隊の活動記録
新聞各紙は日報を巡る問題を大きく報じている。
「日報隠し」はこれで二度目
防衛省(自衛隊)が、存在するはずの海外派遣部隊の日報を「なかった」としたのは、これで2回目だ。
最初に問題となったのは2016年のことだった。
その流れを見ていこう。
第1ラウンド・南スーダン日報問題
2016年9月30日、ジャーナリストの布施祐仁さんが防衛省に対し、2016年7月当時、南スーダンに派遣されていた部隊の業務日誌(日報)の情報公開を請求した。
南スーダンでは自衛隊が国連の平和維持活動(PKO)として派遣されていた。しかし各地で情勢が悪化し、首都ジュバ市内でも政府軍と反体制派の間で戦闘が行われていた。情報公開請求は、PKO活動の実態と当時の現地の状況の知るためだった。
「日報はすでに廃棄した」(2016年12月)
高まる疑問の声から日報「発見」(2017年2月)
大臣への報告は発見の1ヶ月後
実際には、防衛省は2016年12月26日には、日報を見つけていた。しかし、防衛省の幹部から稲田防衛相に日報発見の報告が行われたのは2017年1月27日。1ヶ月にわたり、大臣にもこの情報が隠されていたことになる。
稲田防衛相、引責辞任(2017年7月)
第2ラウンド・イラク日報問題 「イラクの日報も不存在」(2017年2月)
自衛隊は2004〜2006年、イラク戦争直後のイラク南部サマワに派遣され、復興支援などの任務に当たった。
この当時のイラク派遣部隊の日報も、2017年2月、野党議員からの資料要求に対し、防衛省は「不存在」と回答。稲田防衛相(当時)も国会で「確認したが見つけることはできなかった」などと答弁していた。
実はありました(2018年4月2日)
というか、1年隠してました
揺らぎかねないシビリアンコントロール
この問題でまず問われるのは、こうしたルーズな情報管理を許すと、「文民統制(シビリアンコントロール)」の原則が揺らぎかねないという点だ。
自衛隊の行動を最終的に決定するのは、国民に選挙で選ばれた文民の政治家だ。制服を着た自衛官は政治家、ひいてはその背後にいる国民に対し、適切な情報と取り得る選択肢を開示し、判断を仰ぐ。それが民主社会における原則だ。
もし自衛官らが情報を意図的に隠すことを許せば、政治家は適切な判断を下すことができなくなり、その結果もゆがんだものになる。
もしも次第に文民統制が失われてゆくとすれば、その行き着く先がどうなるかは、軍人が決定権を独占して次々と戦線を拡大し、やがて国家存亡の危機に陥った1945年までの日本の歴史が、如実に示している。
自衛隊が情報を隠せば、日本国民を守るはずの自衛隊が、逆に国民の安全を脅かしかねない可能性すらあるといえる。
失われかねなかった「教訓」
「停戦合意」がPKOの前提
国会答弁と異なる現実
相次ぐ公文書を巡る不祥事
安倍政権下では、公文書や情報を巡る問題が相次いでいる。
まず、森友問題はもともと、国有地の売却価格が非公表だったという不自然さを朝日新聞が2017年2月に報じたことで火が付いた。その後、公文書の改ざんが明らかになり、佐川宣寿国税庁長官が辞任し、国会で証人喚問された。
加計学園問題では、「総理のご意向」などと記された文部科学省の文書の存在が明らかになった。菅義偉官房長官は当初「怪文書みたいなもの」と切り捨てようとした。
2018年2月には、国会論戦で用いられた裁量労働に関するデータが「不適切」だったとして加藤勝信厚労相が謝罪。「なくなった」と国会で答弁した調査原票が厚労省の地下室から見つかり、ずさんな管理を批判された。
共通する「情報は国民のもの」という意識の欠如
そこに加わるのが、防衛省による南スーダンとイラクでの日報隠しの問題だ。
共通するのは「官庁が持つ情報は、国民の共有財産」という意識の欠如だ。
公文書管理法は、法の目的を「国の活動や歴史的事実の記録である公文書が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定める」としている。
Yoshihiro Kandoに連絡する メールアドレス:yoshihiro.kando@buzzfeed.com.
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