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つづく公文書隠し 日報問題の焦点

防衛省が「日報」の存在を隠していたことが問題となっている。日報とは何か。なぜこれが深刻な事態なのか。

「日報」とは自衛隊の活動記録

時事通信

日報とは、イラクや南スーダンに派遣された自衛隊が、日々の活動報告をまとめていた書類だ、これは、南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加した陸上自衛隊の活動報告書の日報。地図上で「ジュバで戦闘」と記されている。

「日報隠し」はこれで二度目

防衛省(自衛隊)が、存在するはずの海外派遣部隊の日報を「なかった」としたのは、これで2回目だ。

最初に問題となったのは2016年のことだった。

その流れを見ていこう。

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第1ラウンド・南スーダン日報問題

2016年9月30日、ジャーナリストの布施祐仁さんが防衛省に対し、2016年7月当時、南スーダンに派遣されていた部隊の業務日誌(日報)の情報公開を請求した。

南スーダンでは自衛隊が国連の平和維持活動(PKO)として派遣されていた。しかし各地で情勢が悪化し、首都ジュバ市内でも政府軍と反体制派の間で戦闘が行われていた。情報公開請求は、PKO活動の実態と当時の現地の状況の知るためだった。

「日報はすでに廃棄した」(2016年12月)

今年7月に南スーダンのジュバで大規模戦闘が勃発した時の自衛隊の状況を知りたくて、当時の業務日誌を情報公開請求したら、すでに廃棄したから不存在だって…。まだ半年も経っていないのに。これ、公文書の扱い方あんまりだよ。検証できないじゃん。

防衛省はこの情報公開請求に対し12月、「すでに捨てたので存在しない。だから、開示できない」と回答した。請求のわずか2ヶ月前に作られた文書であるにもかかわらず、だ。

高まる疑問の声から日報「発見」(2017年2月)

河野太郎氏のホームページから / Via taro.org

「そんな短期間で記録を捨てるのはおかしい」という声が高まり、稲田朋美防衛相(当時)や自民党の河野太郎行革本部長(現外相)は、防衛省に記録を再度探すよう求めた。

そして2017年2月、防衛省は「電子データのかたちで残っていた」として、日報を公表した。

大臣への報告は発見の1ヶ月後

実際には、防衛省は2016年12月26日には、日報を見つけていた。しかし、防衛省の幹部から稲田防衛相に日報発見の報告が行われたのは2017年1月27日。1ヶ月にわたり、大臣にもこの情報が隠されていたことになる。

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稲田防衛相、引責辞任(2017年7月)

時事通信

この問題で、特別防衛監察(=内部調査)が行われ、7月28日にその結果が発表された。

監察結果は、陸上自衛隊内部で、日報の公表は好ましくないとして、「これは個人資料であり情報開示対象にならない」といった操作が行われ、組織的な隠蔽があったと結論づけた。

稲田防衛相はこの日、辞任した。安倍首相にも任命責任などを問う声が強まった。

第2ラウンド・イラク日報問題 「イラクの日報も不存在」(2017年2月)

自衛隊は2004〜2006年、イラク戦争直後のイラク南部サマワに派遣され、復興支援などの任務に当たった。

この当時のイラク派遣部隊の日報も、2017年2月、野党議員からの資料要求に対し、防衛省は「不存在」と回答。稲田防衛相(当時)も国会で「確認したが見つけることはできなかった」などと答弁していた。

実はありました(2018年4月2日)

時事通信

事態が急変したのは、2018年4月2日のことだった。

小野寺五典防衛相が、イラク派遣時の日報が見つかったと発表したのだ。その分量は、延べ376日分で計約1万4000ページにのぼる。

この日の小野寺氏の発表では、南スーダン日報問題を受けて防衛省内部で日報を集約したところ、陸自研究本部と陸幕衛生部で見つかったという。

陸自研究本部での発見日時は不明とされ、2018年1月12日に陸上幕僚監部総務課に報告された。

一方、陸幕衛生部で見つかったのは2018年1月26日。陸幕監部総務課には1月31日に報告された。

両部での発見はまとめて3月31日に小野寺氏に報告された。小野寺氏は安倍首相に4月2日に報告したという。

というか、1年隠してました

時事通信

その二日後の4日、小野寺防衛相が今度は「陸自研究本部で日報が見つかったのは2017年3月27日だった」と発表した。

つまり、防衛省は内部でイラクでの日報の存在を知りながら、稲田前防衛相らに報告しないまま、2018年3月31日に小野寺氏に報告するまで、1年にわたり隠していた、ということだ。

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揺らぎかねないシビリアンコントロール

この問題でまず問われるのは、こうしたルーズな情報管理を許すと、「文民統制(シビリアンコントロール)」の原則が揺らぎかねないという点だ。

自衛隊の行動を最終的に決定するのは、国民に選挙で選ばれた文民の政治家だ。制服を着た自衛官は政治家、ひいてはその背後にいる国民に対し、適切な情報と取り得る選択肢を開示し、判断を仰ぐ。それが民主社会における原則だ。

もし自衛官らが情報を意図的に隠すことを許せば、政治家は適切な判断を下すことができなくなり、その結果もゆがんだものになる。

もしも次第に文民統制が失われてゆくとすれば、その行き着く先がどうなるかは、軍人が決定権を独占して次々と戦線を拡大し、やがて国家存亡の危機に陥った1945年までの日本の歴史が、如実に示している。

自衛隊が情報を隠せば、日本国民を守るはずの自衛隊が、逆に国民の安全を脅かしかねない可能性すらあるといえる。

失われかねなかった「教訓」

時事通信(自衛隊提供)

米軍主導の多国籍軍がフセイン政権を倒したイラクでは、自衛隊は「イラク特措法」を根拠に復興支援のため派遣された。

この法律ではイラクを「戦闘地域」と「非戦闘地域」に分け、自衛隊は非戦闘地域で活動するとされていた。

ところが、南部サマワの自衛隊宿営地では砲弾が着弾(=写真)するなど、決して安定した情勢とはいえなかった。こうした状況を知られたくなかった可能性がある。

サマワに派遣された自衛隊は、市民に対する給水やインフラ整備支援など、さまざまな経験を積み、成功も失敗も経験した。日報は将来の活動にも役立つ教訓の宝庫のはずだが、その全てが「失われた」ことになっていたのだ。

「停戦合意」がPKOの前提

AFP=時事

南スーダンでは、自衛隊は国連PKOに協力するかたちで派遣された。

日本にはPKO参加に対する5つの原則がある。

・ 停戦合意が存在すること

・受入国などの同意が存在すること

・ 中立性が保たれていること

・ 要件が満たされなくなった場合には派遣を中断又は終了すること

・ 武器の使用は必要最小限度とすること

の5点だ。

国会答弁と異なる現実

BuzzFeed

一方、南スーダンではキール大統領派とマシャール副大統領派の対立が武力衝突、そして深刻な民族対立に発展。2016年7月には自衛隊宿営地周辺でも銃弾が飛び交う事態となった。

このままでは、PKO5原則の最初の項目である「紛争当事者の間での停戦合意」が存在しないとして、野党や国民から自衛隊の即時撤退を求められるということになりかねない。

このため、2016年秋の国会で稲田防衛相は「衝突であり戦闘行為とは言えない」と苦しい答弁を続けた。

しかし情報公開請求で隠蔽された日報には「戦闘」という言葉が現れ、周囲での交戦の状況が報告されていた。

これが公表されれば、南スーダンへの自衛隊派遣はPKO5原則に違反する疑いがある、と、防衛省や政権への批判が高まりかねない。だから隠したという推論も成り立つ。

相次ぐ公文書を巡る不祥事

安倍政権下では、公文書や情報を巡る問題が相次いでいる。

まず、森友問題はもともと、国有地の売却価格が非公表だったという不自然さを朝日新聞が2017年2月に報じたことで火が付いた。その後、公文書の改ざんが明らかになり、佐川宣寿国税庁長官が辞任し、国会で証人喚問された。

加計学園問題では、「総理のご意向」などと記された文部科学省の文書の存在が明らかになった。菅義偉官房長官は当初「怪文書みたいなもの」と切り捨てようとした。

2018年2月には、国会論戦で用いられた裁量労働に関するデータが「不適切」だったとして加藤勝信厚労相が謝罪。「なくなった」と国会で答弁した調査原票が厚労省の地下室から見つかり、ずさんな管理を批判された。

共通する「情報は国民のもの」という意識の欠如

そこに加わるのが、防衛省による南スーダンとイラクでの日報隠しの問題だ。

共通するのは「官庁が持つ情報は、国民の共有財産」という意識の欠如だ。

公文書管理法は、法の目的を「国の活動や歴史的事実の記録である公文書が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定める」としている。

Yoshihiro Kandoに連絡する メールアドレス:yoshihiro.kando@buzzfeed.com.

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