小学生のころ、埼玉県出身の偉人として、塙保己一と渋沢栄一を学校で習った。

塙保己一と渋沢栄一が大変な偉人であることにはいうまでもない。しかし、その"偉さ"は小学生には少々理解するのが難しい。塙保己一の編んだ群書類従は身近ではないし、渋沢栄一は渋沢財閥を作らなかったので、社名に名を残していない。そのころは、何をした人かよく理解できなかったが、名前だけは覚えた。

二松学舎大学の国文学科に入って、塙保己一の編んだ群書類従を使うようになった。渋沢栄一は、かつて二松学舎の舎長だった。意外な所で、縁ができた。

さて、前置きが長くなったが、先日、久しぶりに群馬県在住の師匠と会って、僕を含めた弟子二人とともに、本庄市の塙保己一記念館と、塙保己一生誕の家、墓に行ってきた。

こちらが記念館。入場無料である。
塙保己一記念館
やけに新しいが、それもそのはず、平成27年7月オープンである。場所や開いている日時はこちらをどうぞ。
塙保己一記念館:本庄市
展示物はそれほど多くないが、なかなか興味深いものもある。燭台一点を除いてすべて撮影可。

群書類従の版木。なお、版木のほとんどは温故学会に保存されている。
群書類従版木
和学講談所の印。
和学講談所印

ここから自動車で5分ぐらい行った所に、塙保己一の生家がある。現在も保己一の弟、荻野卯衛門の子孫が暮らしているので、通常は中に入って見ることはできないのだが・・・。
塙保己一生家
塙保己一生家(裏手)

ここで偶然散歩帰りの子孫の方登場。保己一の弟から7代目の子孫に当たる。系図はこちらをどうぞ。

荻野氏・塙氏系図:温故学会

たいへん気さくな方で、いろいろ説明していただき、普段見られない家の中まで見せてもらった。さすがに生活感のある家の中を写すのは憚られたので、写真はナシ。この家、もともと建っていたところから、少し(二メートルぐらい)後方に移動したそうだ。

なにしろ、今時めずらしい茅葺きの日本家屋である。維持するだけでも相当なお金がかかる。ちょっとした改修でも億単位のお金がかかるそうだ。文化財なのでお金は自治体から出るが、反面、勝手な改築やリフォームはできない。

庭には生誕の地の石碑がある。
塙保己一生誕の地石碑
生家の裏手に、塙保己一公園なる小さな公園がある。
塙保己一公園
ここに、塙保己一の墓がある。塙保己一の墓は東京都新宿区の愛染院にもあって、分骨されたようだ。
塙保己一墓
塙保己一墓(碑文)
碑文は次のとおり。
和学院殿心眼智光大居士
うき島か原にて
言の葉のおよはぬ身には目に見ぬも
なかなかよしや雪のふしの嶺 保己一