東京メトロ「幻の駅」は万世橋や新橋だけじゃない! 銀座駅4号線ホームと槇町駅
日本初の地下鉄として知られる東京メトロ銀座線には、将来の開設を想定して整備されたものの、結局使われることがなかった「幻の槇町駅」のスペースがあります。なぜ幻に終わってしまったのでしょうか。
「手戻り」難しい地下鉄建設の準備工事とは
東京メトロ銀座線の「幻の駅」といえば、仮駅として設置された万世橋駅や、東京高速鉄道新橋駅のいわゆる幻のホーム、あるいは表参道駅旧ホーム(旧神宮前駅)などが有名です。しかし、一度は営業に使われたこれらの駅とは異なり、銀座線建設時に「準備工事」がされていたものの、予定通りには使われなかった幻の施設があります。
今回はそのなかから、戦後日比谷線に転用された「4号線銀座駅」と、5号線との乗換駅として後から追加設置される予定だった「槇町駅」の準備工事についてご紹介いたします。
地下に駅やトンネルを建設するということは私たちが想像する以上に大掛かりな作業で、長い時間と多額の費用を要します。そして作るよりも難しいのが改良で、列車を運行しながら構造物の撤去と新設をしなければならないため、工事の規模によっては新線建設よりも長い時間がかかることも珍しくありません。
あとから作り直すのは大きな手戻りになるので、今は使わなくてもあとで必要になるとことが分かっている設備はあらかじめ作っておくことがあります。これを準備工事といいます。
たとえば、有楽町線豊洲駅には長らく使われていないホームがありました。最近になって折り返し線として整備されましたが、元々は豊洲から分岐する支線用に用意されていた空間です。
この支線は豊洲から北上して東陽町付近を通過し、半蔵門線の住吉駅に接続します。住吉駅は上下二段式のホームになっていますが、片側は柵で閉じられています。現在は電車の留置スペースとして使われているこの空間は、豊洲から分岐してきた線路が合流するための準備工事なのです。
この支線はまだ構想段階にあって着工の目途は立っていませんが、どちらも後から作り直すのは困難であることから建設時に一緒に作っておいたというわけです。
準備工事が活用された最近の事例としては、副都心線の小竹向原~池袋間が挙げられます。有楽町線と副都心線が並走するこの区間は上下2段構造のトンネルになっており、1983(昭和58)年に開業した有楽町線池袋~営団成増間と一体的に整備されました。
下段のトンネルはしばらく使われていませんでしたが、1994(平成6)年に有楽町線の複々線部として供用開始され、2008(平成20)年に副都心線に組み込まれました。この時にあわせて千川駅と要町駅にホームを追加設置しました。これもすぐに駅が設置できるように準備工事されていたものを活用しています。
それでは、銀座線にはどのような準備工事がなされていたのでしょうか。
「将来の乗換駅」想定して空間を確保
まずは銀座線の建設までの経緯を簡単におさらいしましょう。現在の銀座線浅草・新橋間は“地下鉄の父“と呼ばれる早川徳次が1917(大正6)年に出願し、1919(大正8)年に免許された路線をルーツとしています。
1920(大正9)年に東京地下鉄道株式会社を設立すると、関東大震災など幾多の困難を乗り越えて1925(大正14)年に着工、1927(昭和2)年12月30日に浅草~上野間を開業させました。その後も小刻みに延伸を繰り返し、1934(昭和9)年6月に浅草~新橋間の第一期工事を完成させています。
早川の計画に刺激されて、国と東京市も地下鉄整備の研究・検討を本格化させることになり、1925(大正14)年に初めての地下鉄整備計画が策定され、5路線82.4㎞の建設方針を決定しました。この計画では東京地下鉄道が建設する1路線以外は、全て東京市の手によって市営地下鉄として建設される予定でした。