南太平洋の日食クルーズ
船上からシドニーの港を見る |
日食クルーズへの期待
シドニーは世界三大美港の一つといわれている。複雑な湾と近代建築が絶妙に調和しているからだろう。11月7日の夕方、ホーランド・アメリカライン社のオステルダム号は、サーキュラーキーの埠頭を離れ、夕日に輝くオペラハウスやハーバーブリッジに見送られ、南太平洋へと乗り出した。幸いにも、私達の食卓はレストランの最後部に割り当ていたので、夕食をとりながら、大きな窓越しに、シドニータワーを中心とした摩天楼が遠ざかって行く姿がいつまでも望めた。
このクルーズは、グレートバリアリーフとニューカレドニアの島々を2週間かけてめぐるものだが、最大のイベントはちょうど中日の14日に見られる日食である。皆既日食は数年に一度、地球上のどこかで起こるが、見られる地域は極めて狭い。おまけに曇ってしまえばただ暗くなるだけ、ダイヤモンドリングもコロナも見えない。三年前、日本の近くで見られた皆既も、奄美、トカラでは雨雲に期待を奪われた。私達はその前夜上海に飛んだが空港は雨。翌日の予報も芳しくなかったので、たまたまホテルの迎えの車に乗った見知らぬ4組8人で話し合い、その車を約千キロ離れた武漢近くまで走らせ、何とかその神秘を体験できた。
その時の経験から日食観察は船でと考えていた。どんな悪天候でも雲の切れ目はどこかにあるし、船にはレーダーも備えられている。だから日食クルーズが発売された時、家内と二人、迷わず申し込んだ。
ブリスベーンからグレートバリアリーフへ
ブリスベーンの街
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白砂のプール |
ハミルトン島とオステルダム号 |
キャッツアイビーチで |
最初の寄港地はブリスベーン。シドニーから航空機なら1~2時間で行ける距離に二晩を費やしたことになる。この街は小さな地図では海岸に面しているように描かれているが、実際には2~30キロ内陸にある。街までどのように行くか、知り合ったばかりのKさん親子とタクシーの相乗りを約束していたが、港からは無料のシャトルバスがあるという。今回のクルーズでは全ての寄港地で無料バスがあった。大変、有り難い配慮だが、前もって知らせていただけると、もっと嬉しかった。オプショナルツアーの売れ行きが減るのかも知れないが、逆にこういうサービスを知らせた方が客が増えたのではないか。
この街はオーストラリア第三の都市だが、蛇行するブリスベーン川に囲まれ、碁盤目状になった街路には、東西方向には女性の名が、南北方向には男性の名がつけられて分かりやすい。街中にジャカランタの樹の青紫の花が咲いている。南岸には万博の跡地を利用した公園や文化施設が整備されている。美術館、博物館等は全て無料だから、この街に暮らす人が羨ましい。近代美術館には草間弥生さんの作品が目玉のようになっていた。公園のプールは片側が白砂の砂浜になっており、傍らにはブーゲンビリアの花のトンネルもある。半日、街をぶらついて船に戻ったが、この街がこのクルーズで唯一の買い物のチャンスだったことに後で気づいた。小さな離島には産物はなかったし、あてにしていた首都のヌーメアに寄港したのは日曜日で、ほとんどの商店が閉店していたからだ。
次の寄港地はまた二晩かけてハミルトン島。船は隣の島との海峡に停まり、テンダーボートでの上陸になる。この島は居住して毎週観光情報をアップすれば約1千万円の報酬を得られるという「世界一素晴らしい」求人をして、そのことで名を挙げたところだ。グレートバリアリーフの中心だが、その全容を楽しむためには、小型飛行機で空から見下ろしたり、高速船で隣の島のホワイトヘーブンビーチ等を訪ねる必要がある。初めてなので贅沢はあきらめ島内を楽しむことにする。気温は24,5度でさして高くない。ニューカレドニアも同様で、緯度は台湾程度だからと夏物の衣料を多めに持参したのは失敗だった。
島内には三方向のシャトルバスが出ているので、その一つに乗り、まず北端の展望台から海峡の展望を楽しんだ。エメラルド色の海には遠くわがオステルダム号も浮かんでいる。ビーチでバスを降り山稜を目指した。最高地点のパッサージピークまで行きたかったが、泳ぐ時間が無くなるので断念。島の展望を楽しんでキャッツアイビーチに戻った。レストランで食事。イカのソティーが美味しかった。すぐそばの木でカケスのような鳥が大きな声で鳴いている。
ビーチは遠浅で、引き潮とも重なってどこまでも歩いて行ける。リーフの切れ目に泳げる個所が見つかったが海中にはそれほどの魅力はない。しばらく浜辺で遊んで、もう一度シャトルバスで島内を半周、ボートで本船に戻った。
一晩かけて本土のマッケイに戻ったが、上陸時間の前に船長から緊急のアナウンスがあった。耳を澄ますと、「本日は波が荒く、テンダーボートによる接岸は危険なので当局の許可が下りない。やむを得ず停泊は中止になった」由。マッケイは小さな街だが、かつてサトウキビや石炭で栄えたところで、アールヌーボー風の建物もあると楽しみにしていたので残念だ。海には白波が立ち騒いでいるので、やむを得ない。
ラウンジでの演奏会 |
洋上航海日の楽しみ
当初の予定ではニューカレドニアまで3日間だったが、マッケイの抜港で、4日間になったので、かなり余裕ができた。船旅の話をすると、海の上は退屈でしょうという人が多いが、これほどの誤解はない。クルーズ船は動くホテルというだけでなく、動くアミューズメント・カルチャー・スポーツセンターでもあるからだ。集うのは同じ船の乗客という安心感もある。毎晩、配られる新聞を見て明日のプログラムをチェックするのだが、同時にいくつもの催しがあるのでほんの一部しか参加できない。
メインイベントは大劇場で催される夜のショー。内容は日替わりだが、専属のダンサーやシンガーもいる。ブロードウエイの舞台に立つことを夢見ていたかも知れない彼達が華やかな演出で踊り歌う姿に接するのは楽しみだ。この劇場で昼間は寄港地に関する説明会や講演も催される。講師陣も充実しており、スクリーンを使って、難しい話を分かりやすく解説してくれる。今回は日食クルーズということもあって宇宙の話、星座の話等が中心だが、客側も興味津々、話が終われば質問がいつまでも続き、日本の大学より活気がある。
演奏会は他のホールやラウンジでも開催される。賑やかなディスコやカントリーミュージックなどに馴染めない私達は、寝る前の小一時間をヴァイオリンとピアノの二重奏でクラシックやシャンソンを聞くのが日課になっていた。一日に数回、映画も上映される。古いものではなく、「砂漠でサーモンフィッシング」といった封切前のものもあった。
毎日二回ブリッジの時間もある。乗客は二人連れが多くいから、集まってパートナーを探すわけだ。私達が対戦したのはシドニーやブリスベーン、アデレードなどから来たご婦人が多かったが、オーストラリアでは盛んで、毎週のように遊んでいるという。日本ではあまり流行っていないというと、麻雀ばかりですかと笑っていた。公海上だからギャンブルもできる。出港してしばらくするとカジノがオープンするしビンゴ大会も催される。
ダンスにも出かけたが、老化の影響か足がもつれる。普段からやっていなければという家内のお説教が耳に痛い。身体を動かすならジムや太極拳、ヨガ、ストレッチ、エアロビクスなどの教室もあるが、手っ取り早いのはウオーキング。3階には船を一周する約550メートルのデッキがある。
パソコン、カメラ、手芸などの教室もあるが、今回のクルーズの特色は星空の観察会だ。通称スターレディーのボナ女史が乗っており、講演会でもオーストラリアのアボリジニ達が星空をどのように見ていたかを、ギリシャ神話と対比させながら解説してくれた。夜空に巨大なエミューが見えるという話に期待したが、星座ではなく天の川の明暗がかたどるものだから都会や海上では見えない。見たかったらアボリジニの聖地ウルルに行けと勧められた。
この季節、サザンクロス(南十字星)は夜明けにならないと上がってこないので、観察会の集合時間は明け方の3時半。南半球の星座には馴染みが薄いが、天頂に見えるオリオン座を頼りに南にシリウス、カノープスと辿って、ケンタウルス座のα星、β星に行き着けば、その隣がサザンクロスだ。獅子座の流星群の観測会も行われたが、今年はピークの年ではないようで、収穫は少なかった。
食事は指定席制のメインダイニングのほか、早朝から深夜まで何かがあるビュッフェスタイルのものがある。メインではOさんとHさんご夫妻と御一緒だった。両夫妻ともクルーズ経験が豊富で、7つの海どころか南極から北極まで行かれているベテランで、多くの情報をいただいた。
私達は3食ともメインダイニングでコース料理をとったが、ビュッフェではたまにはシーフードなども出る。大きなカニやエビをボイルしたものを山盛りにして食欲をそそるが、メインダイニングや別途席料がいる二つのレストランでは手の込んだフランス、イタリア料理が中心で、こういうシンプルだが美味しいものは出ない。
朝と昼は自由席で受付で席を決めてくれる。日本人同士を相席にしてくれることが多く様々な人達と知り合った。乗客約1800人のうち日本人は156人で、オーストラリア人、アメリカ人に次いで第三位だそうだ。だからメニューも日本語のものが用意されている。人数はコーディネーターのTさんが調べてくれたものだが、彼女は仕事熱心の上、サービス精神も旺盛で、どんな質問にも対応してくれる素晴らしい方だった。
ボーイさん達はインドネシア人が多く、片言の日本語が達者で、「コンニチハ」「オ元気でデスカ」などと声をかけてくれる。こちらも片言のインドネシア語で、「スマラット、バギ(おはよう)」「テレマカシ(有難う)」などといって見る。「サマサマ」と返って来るところを見ると通じているのだろう。
甲板で潮風に吹かれていても心が浮き立つ。海の色も日替わりだ。太陽の光線、海の浅深、清濁などによって微妙に色を変えるのだろうが、見ていて飽きない。
船上での日食観測1 |
船上での日食観測2 |
いよいよ日食
日食を迎えたのはatseaつまり終日航海日の3日目の朝だ。第一接触つまり月が太陽に接するのが日の出の約1時間後の6時49分、第二接触つまり太陽が完全に月の影に入るのはそれから約1時間後の7時48分、皆既の時間は約2分間という。その頃の太陽の位置は水平線から約30度の高さというから、甲板からならどこからでも見えそうだ。問題は天気だけだ。
当日朝、夜明け前に目が覚める。5時から特別にBowといわれる船首部分が開放されるというので行って見ると、まだ15分前だというのに長蛇の列だ。そこで最上部の甲板に陣取る。やがて夜明けを迎えたが、太陽の形は定かでなく、雲の間から漏れる幾筋かの光で日の出を知る有様だ。これで晴れるのかと心配になるが、船はゆっくり進んでいる。もはや船長を信頼するほかはない。
やがて薄雲の向こうの太陽の端に影が生じる。第一接触だ。ここからは影の部分がだんだん大きくなるだけだから、この間を利用して朝食をとる。約20分後、再び甲板に上がる。この頃になると、皆さん日食はどこからでも見えると納得したのか、方々に散らばっており、混雑はなかった。天候は薄曇り。太陽は半月から三日月型に細って行く。望遠レンズを一杯に延ばして写真を撮り続ける。やがて第二接触。待ち焦がれた皆既の始まりだ。ダイヤモンドリングが見える。この世紀の瞬間を的確にカメラに収めるべきか、それとも雰囲気を味わうべきかで迷う。しかし、陸上の時と異なり、水面に魚が飛び跳ねることもないし、鳥が騒ぐわけでもない。水平線の近くは夕焼けに染まっているが、これも陸上で見た時よりは色が薄い。どうやら日食は海上の方が観測のチャンスは多いが、陸上の方が神秘感溢れているようだ。
瞬く間の2分が過ぎようとした頃、また厚い雲がかかって第三接触時のダイヤモンドリングは見えなかった。すぐに逆方向の三日月形をした太陽が顔を出し、だんだん太って行く。天体ショーはほぼ終わりだ。この間にも船は東方に進み、空はどんどん晴れて行く。初めから晴天域に入っていて欲しかったと思うが、日食時には大気の温度の急激な低下のために日食雲ができるという説もあるので、船長を責めるわけにも行かないだろう。カメラを見ると第二接触時にはダイヤモンドリングだけでなく、紅いプロミネンスまで鮮明に映っていたし、コロナも良く写っていた。ここまで皆既を楽しめたのだから、まずはこのクルーズは大成功といえるだろう。
リフー島でシュノーケリング |
ピシーヌ・ナチュレ―ル |
天国にいちばん近い島
クルーズ後半の楽しみはニューカレドニア。「天国にいちばん近い島」として知られているが、著者の森村桂さんは、亡き父親がそんな島があるといったのは作り話だったかも知れないとか、たまたま聞いたニューカレドニアを勝手にその島と決めつけたとも書いている。それにニッケルの生産を主産業としていたこの島は、赤茶けた土と平凡な緑に覆われていたそうで、彼女の第一印象はひどく悪かった。その上そんな島に憧れてやって来た目的が誤解され、様々な辛酸を舐めた。期待通りの別天地だと確認できたのは、現地の様々な人達の世話になり、原住民と仲良くなってからの話だが、今日ではこのキャッチフレーズは一人歩きして、船内新聞にも‘the closest island to Paradise’などと英語でも紹介されている。ニューカレドニアの観光に多大な貢献をしていることは間違いない。
船は三つの島に一日ずつ寄港する。最初はリフー島で、停泊したのは西北端のエアゾ。島のはずれで、ノートルダム・ド・ルルドという教会の他には何もないという。しかしこのいい方はおかしい。テンダーボートから上陸するとすぐに豊かな自然が迎えてくれるからだ。左手の断崖の上に見えるルルドに近道しようとして道を間違えたのも幸いで、踏み跡のような道の両側には、見たこともない花、日本では花屋で売っているような花々が咲き乱れ、いわば巧まざる植物園になっていた。そもそもニューカレドニアは他の太平洋の島々と異なり、ゴンドワナ大陸の切れ端だから生物相も異なっているそうだ。近くの海に入って見ると、岸の近くまで発達したサンゴ礁の中には色とりどりの熱帯魚が群れていた。他の島でも何か所か潜って見たが、ここほど魚の種類が多いところはなかった。競泳用の眼鏡だけでシュノーケリングの三点セットをもってこなかったことを後悔した。もっとも浜辺では、1時間15ドルほどで貸してもらえる。
近くを散歩する。道の両側にはところどころに別荘風の建物があり、旅人用のロッジもある。垣根や庭には赤や黄色の花が植えられている。その向こうの海にはオステルダム号が浮かんでいる。どこを切り取っても一幅の絵になる風景だ。原住民の住宅のレプリカもあって、伝統的な家にお立ち寄りくださいと看板が出ている。ヤシの葉を円錐形に組み合わせ入り口を設けただけの簡素なものだが、気候が穏やかなこの辺りでは雨露を凌ぐには十分なのかも知れない。
次の寄港地はイル・デ・パンのクト。直訳すれば松の島ということになるが、実際に生えているのは南洋杉。この辺りでは小さな島にもこの大木が林立している。
海に入るのは後にしてまずは島内観光。近くのホテルでツアーを頼めば良かったのだろうが、途中で客引きにつかまった。一人25ドルで島内観光をするという甘言に釣られて、Mさん達と白人3人の計7人でワゴン車に乗り込んだ。ところが運転手は途中にあるフランス人の流刑地の遺跡などには車窓からの説明もなく、ひたすら先を急ぐ。着いたところはオロ湾で、「1時間半後の11時に出発」などと一方的に通告する。元々私達もMさん達もここから島一番の名所であるピシーヌ・ナチュレールで遊ぶつもりだったので、あまり異議はなかったが、白人達にはそんな予定はなかったようで、猛烈に抗議していた。
ピシーヌ・ナチュレール(直訳すれば自然のプールか)は長さ1キロもありそうな入江だが、遠浅で水晶のように透明度が高い。今は満ち潮だそうだが、それでも水の中を歩ける。途中から左手の森の中を歩き、また入江に出ると行く手の巨大な岩に外洋の波が当たり、高いしぶきが上がっているが、入江の水はあくまで静かだ。潮の流れの変わり目か、熱帯魚が気忙しげに泳いでいる。
あまり先まで行くとバスに間に合わなくなるので引き返すとMさん達が待っていた。白人の3人組は怒って別の車を呼んで帰ってしまったという。車に乗り込み、オルタンス女王の洞窟に案内させた。運転手はこの後は港に帰るというし、洞窟への入場はMさん達が気乗りしなそうなので、洞窟見学は諦めるからもう一つの村のヴァオを回って港へ帰れというと、運転手は傍らからボードを取り出した。港とオロの往復で25ドルと書いてある。あんたはそんなものは見せずに島内観光といったじゃないか、騙したのかとMさんと口々に抗議したが、ハンドルを握っている強みで方向を変えない。これ以上もめると旅行が不愉快になるからやめましょうと、結局ヴァオの見物はあきらめた。
ホテルで昼食後、近くの海で泳ぐ。ここは江の島を小さくしたようなところで、砂州が伸びて陸繋島になっており、その両側が海水浴場になっている。西のクト湾側は遠浅の砂浜が美しかったが、海底に茶色く見えたのはサンゴ礁でなく海藻で、生物相は貧困だった。一方、東のカヌメラ湾は浜の近くに大きな岩場もあり、魚も沢山いたのでこちらで遊んだ。
光るサンゴ |
首都ヌーメアの風光
最後の寄港地は首都ヌーメアで、コンテナ港に接岸した。都心までは歩いても10分程度だが、シャトルバスが出ている。小さな街で背後に丘があり、街路は碁盤目になっている。見どころが沢山あるので、まず観光案内所で情報を集める。市内一周の乗り降り自由のバスが色々あるが、てんでに勧誘されるので違いが良く分からない。とりあえず水族館のあるアンスバタを回るバスを選ぶ。街を外れると渋滞がひどかった。海岸が全てリゾートになっているからだ。入江にはクルーザーやヨットが所狭しと並び、浜辺やレストラン等はリゾート客で賑わっている。その大部分は白人で、沖合に平たいサンゴ礁の島さえ見えなければ、コートダジュールの一部と錯覚しそうだ。
水族館ではお金で困った。ニューカレドニアではパシフィックフランという現地通貨を用いているが、これまではどこでも豪ドルまたは米ドルが通用した。小さな買い物の時は現地フランも必要とは思っていたが、両替所では最低両替額は50ドルだという。日曜日でお店が閉まっているので、そんなに替えても使うところがない。いざとなったらカードを使えばいいと思ったが、水族館では豪ドルもカードもダメだという。売店のおばさんに両替を頼んだが、カードは2千フランから使える。シニア割引ではなく普通の大人として買えばいいとのこと。1件は落着したが、不便なことだ。
水族館の規模はまずまずで、ニューカレドニア近海の熱帯魚や回遊性の大型魚も人気だが、他ではめったにお目にかかれないものもいる。その一つは夜光性のサンゴで、照明が落とされた暗闇の中で、赤、青、緑と、あでやかに光っている。もう一つは生きている化石といわれるオウムガイ。自在に浮き沈みすることからノーチラスと呼ばれているが、円柱状の水槽の中に何十匹もたむろしていた。
外に出るとちょうどバスがやって来た。チケットを見せるとOKという。しかし私達のチケットはホワイトバスなのに、このバスはイエローバス、大雑把だが好都合と喜んでいると、バスはすぐにUターンして市内に帰る。しまったと思ったが目的地の一つの博物館前で降りる。昼休みだったので、時間を潰すためワンブロック先に見える市場を訪れる。市場本体は既にクローズしていたが、そばの露店は店じまいの最中だった。2,3軒の露店で家内が洒落たネックレスを買う。こちらは価格の表示自体豪ドルだから問題はない。ついでに10ドル現地フランに両替してもらう。
博物館は民俗を中心にかなり充実していた。1階にはニューカレドニアの酋長の家の木彫りの装飾、民具、農具、船など、2階には南太平洋の島々の民俗。隣に当たるバヌアツはフィジーやサモアに比べて知られていないが、民俗的には面白いところのようだ。
街を歩く。家内が疲れて坂を上がるのは嫌だというので、セントジョセフ教会は止めて、街の中心のココティエ広場に行く。普段は賑わっているそうだが、日曜なので誰もいない。たまに行き会うのは船の乗客だけ。火炎樹の花もまだ咲いていないし、噴水も止まっている。仕方ないのでそばの観光案内所に戻ると、出港までには2時間以上ある。そこで一周一時間のバスにもう一度乗ることにする。今度は逆回りで、すぐに街を見下ろす丘に登って行く。北側にあるニッケルの原料の赤い土で一杯の工場が見下ろせる。外人墓地には昔出稼ぎに来た日本人の墓もあるという。ゴルフ場の傍を過ぎるとガイドの若い男が、日本ではゴルフは高いんでしょうと話しかけて来る。風変わりな鉄骨が聳えるチバウ文化センターを遠望する。動植物園とともに、時間があったら寄りたいところだった。空港にはプロペラ機が多かったが、離島行きの便なのだろう。静かな内海沿いにしばらく走り、小さな岬を回ると賑やかなアンスバタだった。結局両替したフランは博物館の入場のほか使い道がなかった。
ヌーメアを発った船は2泊3日の航海を経てシドニーに戻った。この季節、この海域では東風が吹いているようで、行きに比べ船足が速い。シドニーの近海のタスマニア海は荒波で名高いようだが、往路同様海は荒れていた。同じテーブルのOさんやHさんの奥さん、そして私の家内までも船酔いで、最後はHさんと二人きりの食卓になったのが淋しかった。
このクルーズは日食が中心だったが、at seaの日が多くイベントが多彩でとても楽しい日々が過ごせた。日食はそうそうないが、また、at seaの日が多いクルーズを楽しみたいと思っている。
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