Point

みどころ

夫婦ともに猫好きだった猪熊家。たくさんの猫に囲まれた暮らしのなかで、猪熊は、画家の目で猫をとらえるようになりました。彼が描いた猫の姿は、写実的なスケッチ、シンプルな線描、デフォルメした油彩画と実にさまざまで、画家が猫の魅力を存分に享受し、創作に挑戦した様子がうかがえます。本展では、猪熊が描いた猫の絵を、作風や技法、他のモチーフとの組み合わせなど複数の視点からご紹介します。
モチーフとしての猫に対する客観的な視点と、友としての猫に対する敬愛の念が呼応した、猪熊ならではのユニークな「猫たち」をご堪能ください。

題名不明 1986年 インク・紙

《青い服》1949年 油彩・カンヴァス

今まで色々と沢山描かれている猫は、どうも自分には気に入らない。
それで猫の形と色を今までの人のやらないやり方で描いてみたいと思つた。

“美術の秋「赤い服と猫」”「報知新聞」1949年10月4日

題名不明 1954年頃 油彩・カンヴァス

題名不明 1950年代 版画・紙

《自転車と娘》1954年 水彩、クレパス・紙

愛しているものをよく絵にかくんです。
愛しているところに美があるからなんです。

“「歩く教室」写生会アルバム”「少年朝日」1950年12月号

題名不明 1986年 インク・紙

題名不明 制作年不明 パステル・紙

《猫と食卓》1952年 油彩・カンヴァス

猪熊弦一郎いのくまげんいちろう

画家。1902年香川県高松市生まれ。東京美術学校で藤島武二に師事。1938~1940年滞仏、アンリ・マティスに学ぶ。1955年再びパリへ向かう途中、立ち寄ったニューヨークに魅了され、そのまま同地に留まりアトリエを構える。およそ20年間ニューヨークを拠点に活動、渡米をきっかけに画風は具象から抽象へと大きく変化した。帰国後は東京とハワイを行き来し生涯現役で制作を続ける。1991年故郷に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館開館。1993年90歳で逝去。JR上野駅の大壁画《自由》や三越の包装紙デザインでも知られる。

撮影:高橋章

作品はすべて丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵 ©The MIMOCA Foundation
無断転載禁止

猪熊弦一郎と猫 画家として、愛猫家として

 詩人の谷川俊太郎の文章で猪熊弦一郎を子どもに紹介する画集的絵本『いのくまさん』(小学館、2006)。そのなかで谷川は、この画家に特徴的なモチーフの鳥と猫を、「いのくまさんはとりがすき」「いのくまさんはねこもすき」という言い方で列挙している。実際、猪熊は両者とも数多く描いていて、どちらも好きに違いないのだが、その好き方は違うように思う。
 絵本では、このあと、形、色、と猪熊の好きなものが続く。平易なことばでさらっと述べているが、ここで谷川は見事に猪熊表現の核心をついている。猪熊は絵を形と色のバランスに注視して構成していた。どんなモチーフを描こうとも、絵の中では一個の「形」であり、その形を様々な「色」で描き、バランスよく配置する。具象も抽象も関係なく、彼の表現にはこの姿勢が貫かれている。その上で、猫に限っては、その姿勢に多少の揺らぎがあるように思うのだ。
 1950年代前半、猪熊は、幾何学形を使ったり一筆書きのように単純な線で囲んだりして、猫を絵の一要素とすべく、あれこれ工夫した作品を精力的に描いている。それらも猪熊らしいユニークな猫ではあるが、一方で、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に残された同時期のデッサンの中には、ストレートに猫をスケッチしたものが案外多い。すでに十分な描写力を身につけた画家が、いまさら念入りにその姿をトレースしたわけでもないだろう。猫好きの猪熊夫妻は、多いときは一ダースの猫を一度に飼っていたそうだから、常に複数の猫がそばにいて、おそらくは、目に入る猫たちを片っ端から描いていたのではないか。すばやい筆致で正確に捉えているにもかかわらず、その表情やしぐさは世の猫好きをとろけさせるような愛らしさで、画家の「形」に対するこだわりというよりは、猫そのものへの愛情がその手をつたってあらわれているような気がしてならない。
 もちろん、鳥だって好きなのだ。こちらはまさに「形」への傾倒であろう。猪熊は晩年たくさんの鳥を描いた。抽象時代を経て、真っ先にカンヴァスに帰ってきた具象らしき形態も、幾何学的な鳥だった。一方、猫は後年、大きなカンヴァスにはほとんど現われない。けれども小さなメモ用紙には、「形」ではなく、「猫」として描いた愛らしい生き物の姿がいくつも残されている。

文・丸亀市猪熊弦一郎現代美術館/公益財団法人ミモカ美術振興財団 古野華奈子『ilove.cat』(リトルモア刊)より


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