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「相撲は神事であるから伝統的に女人禁制」論に違和感を感じる理由を考察


土俵

土俵上の人命救助での「女性は降りて」ニュースが話題だ。

相撲で女人禁制の話が出るたび「相撲は神事であるがために、土俵は女人禁制の神聖なる場である」という話を聞く。

本当にそうなのか?少し考えてみた。

しかし、このニュースはひどすぎる。

土俵で心臓マッサージしていた女性に「降りて」 京都:朝日新聞デジタル

土俵に大量の塩まく 女性らが倒れた市長救命後 舞鶴:朝日新聞デジタル

目次

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相撲の始まりを考える

そもそも、「相撲」という言葉が、確実に文献に出てくるのは雄略天皇の采女(身の回りの世話をする女性達のこと)の取り組みが最初で女相撲。

(一応、起源とされているのは、人間同士の蹴り合いだったり、神様同士で「投げようとしたけど、剣の形になったため、触れなかった」というものを起源とした)

大相撲は「神事」でない理由

公家がやっていた年中行事としての相撲がなくなり、時を経て江戸時代ぐらいに民間の興行として「勧進相撲」が発展する。これが今の大相撲。

営利目的で行う、いわゆる「スポーツ」で、神社に奉納する神事としての相撲とは区別されている。

「女相撲」の歴史も江戸時代から

当然、女相撲も江戸時代から興行化されている。当時は女性同士の取り組みは人気がなかったせいか、男女での取り組みが行われ、しばしば禁止されていたりした模様

土俵の歴史も江戸時代から

相撲に土俵ができたのは、江戸中期ぐらいから。つまり、当時は女性が土俵に立つことに全く問題がなかった。

両国の回向院での女相撲の記録

旧両国国技館ができる前、今の大相撲の起源となる勧進相撲を行った大相撲の聖地回向院でも、女相撲の記録がある。しかも、当時の扱いは男の相撲、歌舞伎と同じぐらいの扱いだったらしい。

特に明治23 年(1890)11 月
に東京両国回向院境内で行われた興行は当時新聞で大きく取り上げられた。この時には男性の大相撲や歌舞伎と同列の扱いがなされ、相撲や力技の技量、取り組みの内容などに注目し、女力士を力と技を兼ね備えた存在として好意的に評価する言説がみられる。

https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=23993&item_no=1&attribute_id=162&file_no=1

論文PDF「日本における女相撲に関する言説とその変遷」

 また、この資料は女相撲の言説の分析に焦点を当てており、非常に参考になります。

女人禁制になった時期は大正時代から?理由不明

上記からおそらく、女人禁制は古くても明治の終わりか大正以降に両国国技館が登場してから定着したものと思われるが、なぜ女人禁制になったのかは不明。

神事としての「奉納相撲」も女人禁制は関係がない

参考ニュース

潮止めの成功を記念 女相撲奉納 / まちのわだいTOP / 八代市

神事としての奉納相撲も女相撲である場合がある。

これにより「相撲は神事だから女人禁制である」というのは誤りであることが分かる。

つまり、時期として「明治の終わりか大正以降に両国国技館が登場してから」誰かが言って広めた。時代も新しく、何か理由があったと思われる。

誰かが本腰入れて研究すれば、解き明かされそうな気もするが。

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まとめ

大相撲は神事ではなく歓進相撲。

神事であっても女人禁制は無関係。

大正時代以降に誰かが、何らかの理由で広めた。

よって、「相撲は神事であるから伝統的に女人禁制」論は誤り。

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