高畑勲監督の印象深いエピソード10選 

高畑勲監督が亡くなられた。そこで高畑監督の印象深いエピソードを10挙げてみたい。


①アニメージュの編集だった鈴木敏夫氏が「太陽の王子ホルスの大冒険」に感動して、始めて高畑勲にインタビューを電話で申し込んだところ「会いたくない」と拒絶。その会いたくない理由を鈴木氏に1時間とうとうと語り、その後宮崎駿氏に話を振る。(これがアニメージュのホルス特集になり、ジブリ始まりのポイントになる)


②富野監督と対談した時に「1stガンダム」に対して地球連邦という統一組織ができた世界なのに黒人が出てこないと突っ込む。富野監督「放送コードの問題で・・・」とかわそうとするが、高畑監督には納得せず。(富野監督もタジタジ)


③押井守監督との対談の中で、押井監督が赤毛のアンについて語る時に日常という言葉を使った途端「あなたの使っているその日常というのはどういう意味なんですか」とツッコミ、押井監督を黙らせる。この話を聞いた庵野監督は「押井さんを黙らせるのはすごい」と語る。(言葉に厳密さを求める高畑監督)


④宮崎駿監督から「風の谷のナウシカ」のプロデューサーになって欲しいと鈴木敏夫氏を通して依頼されるも首を縦にふらず、大学ノート一冊分に自分がプロデューサーに向いていない理由をまとめて書く。その話を聞き、宮崎監督は鈴木氏を飲み屋に誘う(滅多にないこと)。日本酒をがぶ飲みして「おれは…高畑勲に自分の全青春を捧げた。何も返してもらっていない」と大泣きする。結局「友人を困っているのに助けないのか」という鈴木氏の説得により高畑監督は引き受ける。


⑤そんな「風の谷のナウシカ」のプロデューサーの高畑氏の仕事・仕事方法は鈴木敏夫氏に多大な影響を与え、鈴木氏曰く「スタジオジブリの基礎を築いた」とまで評される。(監督だけでなくプロデューサーとしても才能発揮)


⑥ドキュメンタリー映画「柳川堀割物語」の制作時、ナウシカで得た製作資金が制作スケジュールの超過で底を尽きたため宮崎駿監督の自宅を抵当に入れることに。(プロデューサーの時は予算やスケジュールを守らせようとするが、監督になると湯水のように資金と時間を使ってしまうとのこと)


⑦「ホーホケキョとなりの山田くん」の完成打ち上げパーティで「この映画が当たろうが当たるまいが、例え観客が一人も来なくたって、アニメーションの表現上は成功したと思います」と語る。(この言葉通りなのか興行的には苦戦)


初音ミクの「ピロリ菌の唄」を西村義明氏に聞かせて「良い歌」と語る。後年「かぐや姫の物語」で劇中歌「わらべ唄」「天女の歌」の作曲し、デモ曲を初音ミクで自ら制作する。(音楽家としての高畑勲)


⑨かぐや姫の制作時に原作の「もと光る竹なむ一筋ありける」という部分に対し「竹の光源ってどこにあるんですか」「いや、貫通しません。この竹はまず孟宗竹じゃありません。真竹です。真竹であっても、皮がこんなに分厚いんですよ。だから、姫が光源だったら光は貫通しません。つまり竹は光りません。」と指摘。そして2ヶ月間コンテが止まる。(疑問を解決せずに作品を作り終えることはできない)

⑩アイカツの監督の木村隆一氏がアイカツのDVDを送ったところ、ちゃんと観ていた。(関係ないけどエヴァも見ていたらしい)


高畑勲監督の死が惜しまれるのは、高畑さんにしか作ることができないアニメーションの世界があり、その世界の可能性が閉ざされたことに尽きる。高畑さんが作品を作る姿をもう少しだけでも見たかった。ありがとうございました。
 
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[ 2018/04/06 21:13 ] ニュース | TB(0) | CM(0)
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