先週サンフランシスコで行われたゲーム開発者向けの国際カンファレンスGDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス)で、『PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS』(PUBG)などで知られるブレンダン“PLAYERUNKNOWN”グリーン氏の講演が行われた。
ブラジル:ただのゲーマーだった頃
アイルランド出身のグリーン氏は、元々ブラジルで音楽系のフォトグラファー、DJ、フライヤー(クラブイベントやライブのチラシ)などのデザイナーをしながら暮らしていたという。
ゲーム業界とはほぼ関係のないナイトライフを生業に暮らしていた当時、同氏は一般のゲーマーでもあった。中でも好んでいたというのが『Delta Force: Black Hawk Down』や『America's Army 2』および『America's Army 3』といったミリタリーFPS。
リアル寄りでありつつ、大人数のマルチプレイ対戦があり、また『Delta Force: Black Hawk Down』ではMOD(ユーザー作成の拡張)が盛んであったのに惹かれたというのが、後の『PUBG』に繋がってくる。
『DayZ』MODとの出会いとMOD作者としてのデビュー
転機となるのは、ミリタリーFPS『ARMA 2』のMODとしてディーン“ロケット”ホール氏によって公開されたMOD版『DayZ』だ。
『ARMA 2』の豊富な3Dモデルや広大なマップを応用し、ゾンビがうようよいる中で生存者が互いに裏切りあいながらサバイバルするという『DayZ』は、後に『ARMA 3』にも対応し、スタンドアローンの単体作品へと発展する中で、オープンワールドサバイバルゲームというジャンルを確立する。
『DayZ』において、絶対的にカギとなるのはプレイヤーの行動だ。セットアップされたオープンワールドの舞台とルールはあるが、(一般的なFPS対戦はマップ構成によって交戦するポイントが大体決まっているのに対して)一回一回の衝突はユニークなものとなり、プレイヤーが裏切られたり、別のプレイヤーグループに襲撃されたり、そういったプレイヤーの行動によってこそゲームが形作られる。
この点に新たな“自由”を感じたグリーン氏は、『DayZ』MODから派生したPvPメインのカスタムMOD“DayZCherno+”を開発・運用するようになったそう。
もうひとつきっかけを与えているのが、Twitchで配信されていた『DayZ』のカスタムMODのイベント“Survivor GameZ”だ。人気小説/映画の『ハンガー・ゲーム』に影響を受けたこのイベントは、プレイヤーが一箇所に集められ、アイテムを掴んで散らばって殺し合いのサバイバルをしていくというもの。ここまで来ると、かなり『PUBG』に近付いてきているのがわかるだろう。
バトルロイヤルMODの誕生
こうした経緯で生まれたのが『ARMA 2』のMODである『DayZ』の派生MODとしての『DayZ Battle Royale』だ。当初は友人と遊んでみたいという程度の動機だったそうだが、Reddit(大手掲示板サービス)で告知をしたところ反応もよく、結構な人気に。当時はサーバーの再起動なども自分でやらなければならず、オープン後3日ほどはなかなか眠れなかったという。
なお『DayZ Battle Royale』は『ハンガー・ゲーム』や“Survivor GameZ”のように集合してからの同時スタート型だが、一方で映画版の『バトル・ロワイアル』の“禁止エリア”の概念にインスピレーションを受けて、段階的に縮小していくセーフゾーンのアイデアが盛り込まれている。
一方その頃、『DayZ』は単なるMODを超えて、『ARMA』シリーズの権利を持つBohemia Interactiveの元でスタンドアローン作品として発展することになる。このためグリーン氏はバトルロイヤルMODの軸足を『DayZ』から『ARMA 3』にシフト。同作のMODとしての『ARMA 3 Battle Royale』(『PLAYERUNKNOWN's Battle Royale』)に移る。
『PLAYERUNKNOWN's Battle Royale』は、『DayZ』ベースではなくなったことでゾンビ要素がなくなり、一斉降下でスタートという形に変更されて、より『PUBG』に近い形へ。熱心なファンベースを獲得して、コンテンツ開発が続けられ、『PUBG』にはないモードなども搭載されている。
『H1Z1』アドバイザー、そして『PUBG』クリエイティブディレクターへ
ここまでのグリーン氏の活動は、ほぼ一般のMOD作者としてのもの。バトルロイヤルゲームのアイデアをより拡大したかった同氏は『ARMA』シリーズの本家であるBohemia Interactiveに連絡してみたものの、そのころ同社はすでに『DayZ』スタンドアローン版で手一杯となっており、うまく進まず。
そのかわりに決まったのが、Daybreak Game Company(当時はソニーオンラインエンタテインメント)の『H1Z1』でのアドバイザーの仕事。これは同スタジオの関係者が『PLAYERUNKNOWN's Battle Royale』とバトルロイヤルモードへの興味を語っているのを見た同氏が連絡してみたところ、是非にということで招聘されることになったんだとか。
『H1Z1』は元々『DayZ』系のオンラインサバイバルシューターとしてスタートしたが、バトルロイヤルモードが好評を得たためにゲームが分割され、バトルロイヤルモードが『H1Z1: King of the Kill』という名を経て現在の『H1Z1』に、サバイバルゲームは『Just Survive』という別タイトルとなるという数奇な運命を辿っている。
ビジョンの相違で『H1Z1』チームから離れた後、すでに大きな盛り上がりを見せつつあったバトルロイヤルジャンルの立役者として、グリーン氏の元にはさまざまなメーカーからの問い合わせがあったようだ。
その中でグリーン氏の心を射止めたのが、韓国のMMORPGスタジオであったBlueholeのキム・チャンハン氏からのメールだった。「ここ10年、私はバトルロイヤル型のゲームが作れないかと考えてきました。そしてあなたの作ってきたものをずっと追ってきました」と語るそのメールから自分と近いビジョンを感じたグリーン氏は、渡韓して意気投合。40歳にして『PUBG』のクリエイティブディレクターとなり、フルにゲーム開発に関わることになる。
ひとつの部屋に収まる小規模チームからスタートした開発は次第に大きくなり、ローンチ前には40人ほどのチームに(ちなみに初期の開発リポート映像などもチーム内で作っていたらしい)。グリーン氏は過去の自作と比較されつつも、自分が夢見たゲームに向けたより良いものを作るよう専心してきたと語る。
その後のヒットはご存知の通り。PC/Xbox Oneで4000万本以上のリリースをあげ、Steamでは同時接続300万以上を記録。記者がGDCで取材した中では、Steamにおける中国語プレイヤーの爆発的な増加を中国での『PUBG』人気が遠因とする講演もあった。
講演のラストでは4キロメートル×4キロメートルの小規模マップの映像が公開されたほか、今後の展望も語られた。各種の修正・改善、eスポーツへの投資、新しいコンテンツといったあたりはもちろん、(セキュリティ上の理由でMODとはいかないまでも)プレイヤーがカスタムゲームを作れるようにしたいとのこと。もしかすると、『ARMA 2』が『DayZ』を、そして『DayZ』が『PUBG』を生んだように、そういった機能から次の新しい何かが生まれるのかもしれない。