天才人語

「シノラー」誕生に影響を与えた意外な人物とは……? 篠原ともえの生き方を変えた天才たち

  • 2018年4月6日

  

 90年代中盤、カラフルなファッションとハイテンションの超個性的なキャラクターで、ティーンの絶大な支持を集めた篠原ともえ。10代で「シノラー」ブームを巻き起こした彼女は、20代以降も歌手、タレント活動と並行して俳優、衣装デザイナーと才能を広く発揮。再び世間を驚かせた。

 彼女が多彩な活動へと踏み出した背景には、数々の大物たちとの出会いがあったという。人生で大きな影響を受けた天才について語ってもらった。

イラストに衝撃! 人生を変えた天体写真家との出会い

——本日は篠原さんが「天才」だと思う人についてお話を聞かせてください。

篠原ともえ(以下篠原) 私にとっての天才は色んな分野にたくさんいます。それこそ美空ひばりさんを始め、芸能界は天才の宝庫ですが、その方々の天才ぶりは私がお話しするまでもなく周知の事実ですから(笑)、じゃあ私にとっての天才はどういう方だろうと。

 いろいろ考えた中で行き着いたのは、独創的なアイデアや価値観をとんでもない行動力で形にしていく人。そういう圧倒的な才能を持ちながらも、周囲に壁を作らない人を心から尊敬しています。

——具体的に名前を挙げるとしたらどなたでしょう。

篠原 真っ先に思い浮かんだのは、天体写真家で、イラストレーターでもある藤井旭先生です。天文に関する本を50年近く出版し続けていて、77歳になった今も現役。天体の写真を撮るのも、優しい語り口で解説を書くのも、挿絵を描くのも、すべてお一人でやっているすごい方で、すでに500冊以上の著作があります。でも、星について伝えたいことがありすぎるのか、本を出す勢いが今も全く止まらない(笑)。

藤井旭(ふじい・あきら)

山口県出身。1941年生まれ。イラストレーターであり、天体写真の分野では国際的に知られる写真家。69年、星仲間とともに那須高原に白河天体観測所を、95年にはオーストラリアにチロ天文台南天ステーションを建設し、天体写真の撮影などを行う。天文関連を中心に著書は500点以上。おもな著書に、『天文学への招待』『ヴィジュアル版星座図鑑』『星になったチロ』『宇宙大全』『星座アルバム』など。

——素晴らしい実績ですが、他の天体系の本と何が違うんでしょうか。

篠原 一番は、絵ですね。絵のオリジナリティー。私が初めて先生の本を手にしたのは星に興味を持ち始めた小学生のときでしたが、一目で引きつけられました。こちらを見ていただけますか。

  

画像提供:誠文堂新光社

篠原 星座は神話の内容がおどろおどろしいからか、そのイメージに引っ張られた怖い挿絵が多いんですけど、先生のはビビッドな色使い。しかもユニークにデフォルメされていて、とってもチャーミング! こいぬ座なんて、自分の飼い犬がモデルなんです(笑)。

画像制作:朝日新聞社

——いずれもコミカルなビジュアルです。

篠原 それを天文という専門分野に持ち込んでみようだなんて、普通なら思いつかないですよね。まさに、型にはまらない星座の表現を生み出したパイオニア。さらに、天体写真を撮る腕と天文の知識、独創的なイラスト、どれもトップレベルなのに、3つを掛け合わせて誰にもまねできないオリジナリティーを確立して、自分が愛する天文という分野のファンを何十年も増やし続けている。これは天才というほかありません。

「シノラー」も天才の影響を受けていた!

——独創的な表現でファンを増やしたと言えば、篠原さんも10代の「シノラー」時代に他に類を見ないスタイルで多くのティーンの心をつかみました。

篠原 当時、シノラーから派生して“スポーツシノラー”とか“ロリータシノラー”が現れました。自分がまいた種をみんなで育てていく感じがして、とっても心地よかったのを覚えています。「自分が大好きなものを、みんなも好きになってくれたらうれしい」というスタンスは、まさに藤井先生の発想と一緒です。

——子どもの頃から知らず知らずのうちに、藤井さんのスタンスに影響を受けていた。

篠原 私が好きな天才って、「自分もこうなりたいなぁ、近づきたいなぁ」って素直に憧れさせてくれる人なんです。以前、私が出した星の本(「宙ガール☆篠原ともえの『星の教科書』」/講談社)の中で、藤井先生の星座図を使わせていただいたご縁で、お手紙をいただいたことがありました。

 その手紙も本と同じ語り口で、「ともえちゃん! あなたの星が好きな気持ちはずっとそのままですね。これからも星仲間でいましょう!」と、先生のお人柄を表したかのようなものすごい丸文字で書いてあって。うれしくて胸がいっぱいになりました。

  

篠原ともえ(しのはら・ともえ)

東京都出身。95年に歌手デビュー。カラフルなファッションと個性的なキャラクターで人気を博し、10代女子の間で「シノラー」ブームを巻き起こす。歌手活動と並行し、タレント、俳優、衣装デザインなど、マルチな才能を発揮。近年、天体番組のMCや宇宙開発利用大賞選考委員に抜擢(ばってき)されるなど天文の知識を生かして「宙ガール」としても活動する。書籍『御朱印をはじめよう』(エイ出版)、『ザ・ワンピースfor KIDS』(文化出版局)発売中。

——一般的に、天才には「飛び抜けた才能を持つ孤高の存在」という印象がある気がしますが、篠原さんはそういうタイプには憧れなかった?

篠原 たとえばフィギュアスケートの羽生結弦さんは、孤高の天才ですよね。美しく華麗で技術も優れていらして尊敬しています。ただ、スペシャル過ぎて、遠くで見つめる星のよう。シノラー時代、誰とでも「おともだちですぅ~!」「ぐふ~」とやっていた私でも、さすがにそういうノリでは近づけないイメージです(笑)。

 天才って人の行動を変えるエネルギーを持っていますよね。私の場合は、身近に感じる天才から強く影響を受けるタイプなので、“近づきやすさ”も憧れるポイントの一つなんです。

同じことが好きなら仲間! ピースフルな天才たち

——篠原さんが親しみを感じる天才は、ほかにどんな人が?

篠原 たとえば忌野清志郎さん! 誰にもできない生き方で、たくさんの楽曲を世に届けた大天才なのに、音楽一筋ではない私に対しても、気軽に「おい篠原!」と声をかけてくれました。表現のジャンルは関係ない、音楽が好きな者同士なら何の垣根もないという感じが、そのお人柄からにじみ出ていました。

 以前、楽屋にごあいさつに行った私を突然ステージに上げて一緒に歌った後に、ご自分が身に着けていた指輪をバーンと外して「今日はありがとう! コレあげるよっ!」ってくれたことも。ほんと、型破りですよね(笑)。純粋に「かっこいい!」と憧れさせてくれる天才の存在は、いつも気持ちを前向きにしてくれます。歌手としての夢に悩むことがあったときも、清志郎さんに会うとがんばろうって思えましたね。

——天才には人を前向きにする力がある。

篠原 あると思います。でも、それだけじゃなくて、他にもいろいろなものを与えてもらっている気がするな……。人生の節目で道しるべを示してくれるというか。

 二十歳の頃、歌もデザインもお芝居も全部好きだけれど、何か一つに絞らなければどれも中途半端になるのでは……と悩んでいたときに、オノ・ヨーコさんに出会いました。息子のショーンと友達だったご縁でニューヨークのダコタ・ハウスにお招きいただいたんです。

 ヨーコさんは「平和」というブレない軸を持っていて、それがすべての行動に貫かれている天才的な人。部屋の雰囲気も言動も、とっても穏やかでフレンドリーなのですが、どこまでも平和を愛しているからこそ、暴力に関わるものは、たとえ映画のワンシーンであっても絶対に認めない。それほど強い意志が彼女には宿っていた。

 その姿を見て、「私のブレない軸って何だろう」と考えさせられました。それと同時に、自分は興味関心がどこまでも広がっていくタイプなので、強固な軸を持ちながら、多様な価値観を取り入れる生き方を模索しなくてはならないと再認識したんです。

  

天才に影響されないのはもったいない!

——お話を聞いていると、篠原さんは天才の言動を素直に受け止め、自分の行動原理に取り入れていくタイプのように感じます。

篠原 天才に影響されないのは、とてももったいないと思うんですよ。自分を前向きに変えていくヒントを学べるわけですから。私の仕事は、歌にしてもデザインにしても、多くの方に幸せを届けること。ならば、天才たちの素晴らしい言動にどんどん影響を受けて、その思いをポジティブな形で多くの人に届けていけば、世の中はもっとハッピーになっていくと信じています。だから天才にはどんどん学びたいと思っています。

――篠原さんは多才ですが、天才とはちょっと違う?

篠原 多才というお言葉は大変ありがたいのですが、若い頃から、興味あることを思いのままに続けているだけ。いろいろとこなせているように見えて、実際は挫折もたくさん経験しています。俳優業では舞台でのどを痛めたこともありますし、歌手生活では体力が付いていかず悔しい思いもしています。デザイナー業にも上には上がいて、諦めようと思った時も幾度もありました。そうした経験の積み重ねから、“その道一本”を選べなかったわけですが、今はそれが正しかったと思っています。

――“正しかった”とは?

篠原 結果的に私の中には幾重の経験が蓄積されているので、そのすべてを組み合わせたらどんなものが生まれるのか、それがいい“答え”であると信じているんです。きっと他の誰にもまねできない、私にしかできないもの。まさにオリジナリティーになるだろうと思っています。

 だから今後も、あれこれ計算して動くより、その時にやりたいと思ったことにどんどんトライして、幅広い経験を積んでいけばいいのかなと。そこには当然、挫折もつきものですが、それも人生の力になると思って、さまざまなジャンルを味わいながら、新しいレシピを作っていく感覚ですね。

――頭であれこれ考えるより、まずは行動する。そのフットワークの軽さも、天才から受けた影響ですか?

篠原 もともと私は行動が先走るタイプでしたが、天才にも似たような性格の方がいるのを知って、自分を肯定できるようになったというか、うれしくなったことはあります。

 世界的な建築家の安藤忠雄さんはその昔、とある空き地を眺めながら「ここに自分が家を建てるなら?」という考えのもとに設計図を描いて、土地の持ち主に「こんな家建てませんか!」とプレゼンして、怒られたことがあったとか。なぜそんなことしたのか理由をおたずねしたら、「だって、思い浮かんじゃったんだからしょうがないよね」とさらっとおっしゃった。

——普通の人にそこまでの行動力はないですよね。

篠原 ほんと、まさに天才ならではのエピソードですよね。私はこのお話にすごく共感しました。実は私もオファーをいただいているわけでもないのに、思いつくたびデザイン画を描きためていて、完全に行動が先走っていたんです。自分でも「誰に見せるわけでもないのに何やっているんだろう」という思いはあったのですが、安藤さんのお話を聞いて「あっ、じゃあ私もこのままでいいんだ!」って安心できた。だって、天才もそうおっしゃっていたんですからね(笑)。

  

——天才の偉業を素直に受け入れられないというか、天才に対して「悔しい」という思いが湧くことはありませんか?

篠原 全くないことはないですよ。たとえば圧倒的なセンスを誇るデザイナーの作品を見て、「すごい! なんでこんな斬新なアイデアが生まれるの!?」といった気持ちになることはよくあります。けど、結局は「自分だったらどう表現するかな」という考えにシフトします。

 私が挙げた天才はみなさん、「技術や知識がどれだけあるかは関係ない! この分野が好きという気持ちを広げて共有していこう!」という包容力のあるタイプ。他と比べてどうこうじゃなく、「胸に芽生えた“好き”を大事に育てよう」と思わせてくれるところが共通しています。

 私も天才は“自分の仲間”と大きくとらえ、ポジティブな影響を受けながら、自分の好きなことを突き詰めていけばいいと思っています。天才は「心の応援」をしてくれるんです。私自身、そういう存在になれることを目標にしていますし、そのスタンスはシノラー時代から変わりません。

(文・渡部麻衣子、撮影・逢坂聡)

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