1.はじめに
「liber studiorum」というブログがある。更新を停止したようだが、以前は福岡伸一『生物と無生物のあいだ』や茂木健一郎の脳科学本などのニセ科学系トンデモ本や佐藤優のおべんちゃらを精力的に批判していた。このブログを読むと、福岡や茂木、佐藤がいかにテキトウかつ悪質な人間たちであるかも去ることながら、こうした人々の跋扈を許す日本社会の体質がよくわかる。自らが当該分野の「プロ」であることを前面に押し出してマスコミや出版関係者を籠絡する業界遊泳「学者」は、自然科学に限ったものではなく、どこの業界でも見られるものだ。 例えば、昨年『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)を出版した與那覇潤などはその歴史学版といえるだろう。 私は端的にいってこの本はトンデモ本にすらなりきれていない中途半端な製品だと思うが、マスコミ・出版業界は與那覇をたいそう持て囃している。これは福岡や茂木の流通と似た問題があると思う。この本でしばしば與那覇は、通俗的な認識を「近年の歴史学の成果に基づいた」歴史理解で斬る「プロ」として振舞う。そこでは巷の「歴史好き」や「右」「左」、あるいは「高校の歴史教育」の誤った見解が槍玉に挙げられるが、後でみるようにその見解なるものはいずれも極めて単純化されたものであるため、読み手は與那覇に直接批判されていると感じることはなく、むしろお馬鹿さんが批判されている様を外野席から眺めることができる作りになっている。これが、架空の「ネトウヨ/サヨク」を蔑みながらも、かつ、自分は単なる大河ドラマ好きではなく「教養」があるんだ、しかも大学受験のために歴史を暗記しただけの受験秀才でもないんだ、と自認したい人々の心を大いにくすぐるのであろう。 ただ私は、與那覇が持て囃される理由はこれだけではないと思う。上に挙げたようなある種の狡猾さだけではなく、むしろ真逆の側面、つまり與那覇の文章から染み出すいかにも御しやすそうな感じ――簡単にいうと馬鹿っぽさ――が、「人気」の秘密なのだと思う。それは「中国化」「江戸時代化」という概念を平気で使ってしまうところに端的に現れているが、細かいところでも「専門家のあいだではもう常識」「プロレベルの解答」「斯界のプロのあいだでは新たな定説」といったハッタリを乱発するところなどは、「利用しやすそうなのが出てきたな」という感想を抱かせるのに十分である。與那覇の特徴はこのように自らが権威に弱いことを隠さないところにある。例えば自らへの批判に対してツイッターで次のように揶揄している。 「「アカデミズム」に命令ですか、随分お偉いんですね。 RT @yunishio 與那覇先生に怨みでもあるんか、みたいに思われそう。苛立つのは與那覇先生のことじゃなく、あんな若手研究者の粗雑な立論をアカデミズムが無邪気に称揚しちゃってていいのか?いやもうちょい距離置こうよwwって感覚」もちろん、こうした態度自体も醜悪なのだが、狡猾な人間ならば仮にそう思っていたとしても、ここまであからさまに自らの属する業界の権威性を肯定しない。こうした不用意で幼稚な態度、あからさまに御しやすそうな感じ、が與那覇が引っ張りだこになっている理由の一つだと思う。半ば失笑されながら消費されるというのは茂木や福岡の受容とも共通するものと思う。 ただ、だから與那覇が邪悪な業界人に利用されている被害者なのだ、と言いたいわけではない。この本は現代の歴史系「論壇」の知的頽廃を、最も陳腐な形で表しているという意味で、象徴的な製品だと思う。もちろん、與那覇の「本書で書かれている歴史像は私の独創というには程遠くて、むしろ斯界のプロのあいだでは新たな定説になりつつある研究視角や学問的成果を、メドレー形式にリミックスしただけといってもいい」(p.17)との表明とは全く異なり、この本で與那覇の言っていることの多くは定説でも何でもない「独創」が多いのであるが、現代日本の抱える知的頽廃というヘドロの中から出現した人物であるという側面は否定できない。このため、取り上げて以下に検討したい。 2.「中国化」というニセ概念について さて、検討にあたっては本書のキー概念である「中国化」について検証から始めるのが筋だと思うが、時間の無駄なのでやめる。そもそもこの本は「中国化」を定義しておらず、「中国化」とは「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」(p.13)「そこでいう「中国」のフォーカスは〔中略〕「近世(初期近代)」の中国に置かれています」(p.14)と記して、あとは「宋で導入された社会のしくみ」をズルズルと説明しているだけである。これは定義ではない。 しかも、著者自身がこの「中国化」というキーワードをうまく捌けていない。例えば、與那覇は次のように書く。 「唐までは中国を意識的に模倣していたはずの日本は、なぜかこの宋朝以降の中国の「近世」については受け入れず、鎌倉から戦国に至る中世の動乱のあいだ延々とすったもんだした挙句に、江戸時代という中国とはまったく別の「近世」を迎えることになる。そして、近代というのは「近世の後半期」ですから、中国では宋朝で作られた社会のしくみが今日まで続いているように、日本でも江戸時代のそれが現在まで続いてきた(いわば、長い江戸時代)。他方で與那覇は後にみるように明治維新は「中国化」であるという。「長い江戸時代」が続いていたはずなのに、なぜ明治維新は「中国化」なのか、これを読むだけでは理解できない。そこで裏の「関連年表」をみると、中国史/東アジア史、日本史、ヨーロッパ史/世界史にそれぞれ「「中国化」的要素」、「「江戸時代化」的要素」が割り振られている。つまり、日本史を「「中国化」的要素」「「江戸時代化」的要素」の交代(対抗?)の歴史として整理している。この時代にはこっちが強くて、あの時代にはこっちが強くて、という風に。また、與那覇は時には政治的には「中国化」、経済的には「江戸時代化」などというようにも使い分けるため、その度ごとに読み手はこれらの言葉で示されているものが具体的に何を指すのかを探し出し、置き換えなければならない。本来そうした作業は著者がなすべき最低限の義務なのだが、與那覇はそれを読者に丸投げしているのである。 この本で與那覇は比較史風の手法を採っているが、「中国化」自体が定義されておらず、その意味するところは極めて漠然としたものである上、それぞれの歴史の中に「的要素」が見出せるとされ、しかも政治・経済・社会の各分野でこうした「要素」が並存しうるということになると、もはや何でもありである。そもそも「関連年表」によれば、「中国化」のモデルである宋代以降の中国にさえ「江戸時代化」的要素があるようなのだが、こうした認識と、「中国化」とは「日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること」という説明とが、何の注釈もなく並存していることは、読者を大いに混乱させる。これは著者自身の混乱を示しているともいえる。おそらく與那覇は主観的にはあらゆる歴史的事象を「「中国化/江戸時代化」的要素」に振り分けることができると自認していると思うが、それはこの概念自体に意味がないからである。 よって、以下は「中国化」云々の話に付き合うのはやめて、與那覇が執拗に「歴史学の常識」であるとする見解が、本当に「常識」なのかを検討したい。與那覇は「「にわかに信じられない」という方のためにも、一般書としてはかなり丁寧に記述内容の出典表記をつけて、興味を惹かれたテーマについてはどんどんオリジナルの研究に当たってもらえるよう、工夫しました」(p.21)と書いている。この本は私にとっては「にわかに信じられない」ことしか書いていないので、與那覇の指示通り、私が「興味を惹かれたテーマ」である近代史と植民地期の記述について、「どんどんオリジナルの研究に当たって」検証してみたい。 (続)
by kscykscy
| 2012-05-05 00:00
| 歴史と人民の屑箱
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