先日、日航機墜落事件に関するNHKのドキュメンタリー番組があった。

墜落後、なぜ16時間もの間、墜落地点を特定できなかったのか、当時の資料を情報公開請求などで入手しながら再検証した番組だ。番組自体は多少の見どころもあった。


当時はまだ子供だったが、衝撃的な事件であったことと、坂本九さんが亡くなり、週刊誌などもショッキングな写真を掲載したりと、断片的には記憶が残っている。


その時の記憶ではっきりと覚えているのは、墜落の後、NHKニュース速報にて、救助に向かった自衛隊員が銃撃を受けたというニュース。


なぜ? とんでもない大事件が起きているの?

ちょっと前に大韓航空機の撃墜事件もあり、子供ながらにテレビを凝視していたのを覚えている。


しばらくして誤報との訂正があったものの、今はその誤報すらなかったかのように、インターネットの世界でも封印されているようだ。一部2chなどの話題を見ると、誤報の話題を指摘する人もいるのだが、必死に否定し罵倒する工作員らしき人もいて、なぜそんなにむきになって否定するのだろうと、不思議に思う。


そして、NHKの番組でも、墜落地点の誤報については詳細に検討しているのに、銃撃の誤報に関しては一切スルーであった。やはりモヤモヤ感がどうしてもぬぐえない。


私がブログで繰り返し伝えているのは、真相を見抜くためには、


「何を報じたかではなく、何が報じられていないか?」  といった視点を変えて考えること。


当時、なぜそのような「銃撃」が速報で流れたのかわわからない。実際に銃撃があったとする説もネットに存在するが、証拠がそろっていないので、今の時点では真偽不明としかいいようがない。きっと真偽不明のままであろう。


しかし、ブログでの情報発信を始めて、伝える立場、情報を受け取った人がどう思うか、という視点でみると、いくつかの疑問がわいてくる。


銃撃が真実であったとする説はネットで検索するとすぐに見つかる。


しかし、もし最初から誤報(デマ)であったとしても意味があったのではないか?

それを聞いた現場の自衛官、警察、記者はどう思うであろうか?


・指示に従わないと殺されるかもしれない。

・事故でなく、大事件なら、勝手な行動はできないし、指示待ちでじっとしているしかない

・自分は危険な目にあいたくないから、先頭切って捜索など怖くてできない

・墜落地点や目撃情報で信ぴょう性の高い情報があったが、別行動は怖いからみんなの動きに従おう


私なら、こう考えると思う。


結果として、救助は夜が明けた16時間後であった。

その間に何があったのか、私にはわからない。


事故原因についても、いろいろな説が飛び交っていて真偽はわからない。ただ公式発表の理由だけでは、十分に説明しきれないし、あるはずの証拠が十分に開示されていない、との指摘はその通りだと思う。


真偽は不明だけど、情報の見方、伝え方、それを受け取った側の心理や行動、いろいろと考えさせられるテーマでした。

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