かの『ハルヒ』12話「ライブアライブ」は、僕が脚本から絵コンテ・演出を全部やった話数だ。
谷川先生に「原作者の僕が言うてもダメですか?」「ダメです!」と、押し切った仕事だ。
そこまで入れ込んだ理由は、単に馴染み深いバンド描写をしたかっただけではない。
ハルヒが、ここで「変化」する瞬間を、どうしても見せたかったのだ
この話数は「奇人」ハルヒが初めて世間に「承認」された瞬間だ。
それまで「ただの人間に興味ありません!」と世間に「宣戦布告」し、クラスで浮いて、自ら作ったSOS団というコミュニティに立てこもり、自分の王国で安穏としてた彼女が、ひょんなことから「外」に呼び出され、その空気に触れる。
あまつさえ、そこで喝采を浴び、「承認」される。
彼女の胸中やいかに?
この出来事が彼女の歪んだ承認欲求を大きく揺さぶり、その後のハルヒは「リア充」と「オタク」との境を戸惑いながら逍遥する・・・。
はずだった。
結局無理だった。
これは確かにある意味原作無視、谷川先生の意図をも超えてしまったのだろう。
しかし、そうしなければいけない使命感のようなものがあった。
僕は高校・大学の時、バンドでドラムを叩いていた。
正直そんなに上手くはなかった。テンポすら安定しなかった。
でも、仲間がずっと誘ってくれていた。
彼らはオタクではない。
僕はこういう「頼りにされる」というのに弱い。
吹奏楽部にもそれでズブズブとハマったようなものだ。
僕もハルヒのように、高校入学時はアニメの世界以外は何にも触れない!誰とも口利かない!と決め込んでいたのだが、気が付けば友人・仲間がわんさかと増えていた。
その数は今になって居心地悪いものになってしまったのだが。
とは言え、この体験は僕にとって、社会や人間と触れ合ういい機会になったのは間違いない。
そこで世間や常識を学び、人間のバリエーションを知った。
まぁ業界に入ったらここはまたキチガイだらけのキモオタポタクの掃き溜めで、元の木阿弥になってしまった気がするのだが・・・。
僕は『ハルヒ』を通じて、オタクが群れることの楽しさを訴える以前に、「外」へ出ることの刺激や充実感を描こうと思っていた。
「書を捨てよ町へ出よう」ではないが、そうしたオタクの偏屈さを改善すれば、オタクも、そしてアニメも変われる、と本気で信じていたのだ。
まぁ、ダメでした。
オタクは群れ、閉塞的なコミュニティ(2chなど)で安穏とし、「外」との接触はより途絶え、やがて「ポタク」となりましたとさ。
そしてこのフォーマットは換骨奪胎され、、オタクのニーズによりカスタマイズされた、箱庭的世界で延々とティータイムを楽しむ『けいおん!』へと受け継がれるのであった。
やんぬるかな。
谷川先生に「原作者の僕が言うてもダメですか?」「ダメです!」と、押し切った仕事だ。
そこまで入れ込んだ理由は、単に馴染み深いバンド描写をしたかっただけではない。
ハルヒが、ここで「変化」する瞬間を、どうしても見せたかったのだ
この話数は「奇人」ハルヒが初めて世間に「承認」された瞬間だ。
それまで「ただの人間に興味ありません!」と世間に「宣戦布告」し、クラスで浮いて、自ら作ったSOS団というコミュニティに立てこもり、自分の王国で安穏としてた彼女が、ひょんなことから「外」に呼び出され、その空気に触れる。
あまつさえ、そこで喝采を浴び、「承認」される。
彼女の胸中やいかに?
この出来事が彼女の歪んだ承認欲求を大きく揺さぶり、その後のハルヒは「リア充」と「オタク」との境を戸惑いながら逍遥する・・・。
はずだった。
結局無理だった。
これは確かにある意味原作無視、谷川先生の意図をも超えてしまったのだろう。
しかし、そうしなければいけない使命感のようなものがあった。
僕は高校・大学の時、バンドでドラムを叩いていた。
正直そんなに上手くはなかった。テンポすら安定しなかった。
でも、仲間がずっと誘ってくれていた。
彼らはオタクではない。
僕はこういう「頼りにされる」というのに弱い。
吹奏楽部にもそれでズブズブとハマったようなものだ。
僕もハルヒのように、高校入学時はアニメの世界以外は何にも触れない!誰とも口利かない!と決め込んでいたのだが、気が付けば友人・仲間がわんさかと増えていた。
その数は今になって居心地悪いものになってしまったのだが。
とは言え、この体験は僕にとって、社会や人間と触れ合ういい機会になったのは間違いない。
そこで世間や常識を学び、人間のバリエーションを知った。
まぁ業界に入ったらここはまたキチガイだらけのキモオタポタクの掃き溜めで、元の木阿弥になってしまった気がするのだが・・・。
僕は『ハルヒ』を通じて、オタクが群れることの楽しさを訴える以前に、「外」へ出ることの刺激や充実感を描こうと思っていた。
「書を捨てよ町へ出よう」ではないが、そうしたオタクの偏屈さを改善すれば、オタクも、そしてアニメも変われる、と本気で信じていたのだ。
まぁ、ダメでした。
オタクは群れ、閉塞的なコミュニティ(2chなど)で安穏とし、「外」との接触はより途絶え、やがて「ポタク」となりましたとさ。
そしてこのフォーマットは換骨奪胎され、、オタクのニーズによりカスタマイズされた、箱庭的世界で延々とティータイムを楽しむ『けいおん!』へと受け継がれるのであった。
やんぬるかな。