つくられないと、衰退していくんです

1980年の旗揚げ以来、演劇にマンガと活劇とロックを持ち込み、独自のエンターテインメントを築き上げてきた劇団☆新感線。小劇場のにおいを残したまま商業演劇の一角を担う劇団へと成長した、稀有な存在だ。主宰のいのうえひでのりさんに、演劇的なルーツや先行世代への思い、日本の演劇をめぐる状況について話を聞いた。(聞き手/島﨑今日子、構成/長瀬千雅)

 

 

蜷川、つかからの影響と反発

 

――最初に見た芝居はなんでしたか。

 

正確には覚えていませんが、「こういうことをやっていきたいな」と思ったきっかけはやはりつか(こうへい)さんの芝居です。

 

 

――おいくつぐらいの時でした?

 

高校生ですね。

 

 

――福岡の劇場で?

 

いや、テレビです。「若い広場」という。

 

 

――NHKが60年代70年代にやっていた若者向け番組ですね。

 

テレビスタジオの中に簡易なステージを作って『戦争で死ねなかったお父さんのために』のダイジェスト版をやったんですよ。テレビでやるぐらい大ブームだったんでしょうね。

 

 

――小劇場ブーム、アングラブーム。

 

つかさんの前に唐(十郎)さんの状況劇場などのブームがありましたが、僕は世代的にギリギリで。

 

 

――状況劇場はご覧になっています?

 

『唐版・犬狼都市』(1979)を見ました。(中島)かずきさんは『蛇姫様 我が心の奈蛇』(1977)を見てるんです。田川のボタ山でやったのを。「それはすごかった!」と聞かされて、チキショー俺も見たかった、と。

 

 

いのうえひでのりさん

 

 

――伝説の舞台ですもんね。

 

その年の大河が(松本)白鸚さんが(市川)染五郎さんだったころの『黄金の日日』。それに根津甚八さんが出ていて、すごいブームになった。つかさんの芝居を偶然テレビで見たのはそのころですね。「すごい! 絶対見たい」と思って、大阪芸大に入ったあと『いつも心に太陽を』(1979)を見にいきました。

 

 

――あれは泣きますよね。

 

ゲラゲラ笑っているのにだんだん切ない気持ちになっていくという、かつて経験したことのない感情になって。ああ、すごいと思ってね。そこからかなりつかさんに傾倒しました。

 

 

――いのうえさんはもともとは俳優志望だったんですか。

 

人前で何かやったりするのは好きだったんですよね。でも具体的にこれになりたいというのはなかったと思います。テレビっ子でテレビが好きで、映画が好きで。

 

 

――どんな映画を?

 

怪獣映画ですよ、最初は。ゴジラだ、ガメラだ。小学校高学年になるとませた友達がいて、そいつと『ウエストサイド物語』と『真夜中のカーボーイ』を名画座のリバイバル上映で見て。小学生にはもう、「えーっなにこれ?!」でしたし、『ウエストサイド』に至っては「なんでケンカするのに踊ると?」っていう。

 

 

――あはははは!

 

そんな感じですよ(笑)。

 

 

――でも『真夜中のカーボーイ』には心打たれたんですね。

 

そうそうそう、最後にちょっと切なくなってね。

 

 

――私もいちばん好きな映画が『真夜中のカーボーイ』なんです。

 

『傷だらけの天使』(テレビドラマ、1974〜75)とか完全に同じ構造ですもんね。ああいうのをいつか(森田)剛ちゃんでやりたいなと思っていまして、それで昔からわりとずっと「バディものをやりたい」と。だから、自我みたいなものはそのころに、中学・高校・大学ぐらいにできあがったんだと思います。

 

 

――そのころ好きになったもので美意識や感性は決まっている。

 

そうだと思います。そのころに好きになったものが今の創作のベースになっていますし、そういうものからいずれ卒業するのかなと思ったら全然卒業しなかった(笑)。

 

 

――例えば、スティーブ・ジョブズは元祖コンピューターオタクと言われることがありますよね。そういう意味でいのうえさんは演劇のオタクじゃないかなと私は思っているんです。先行世代と少し違うんですね。

 

それはそうだと思います。僕はやっぱり蜷川(幸雄)さんや唐さんのようなインテリではないと思っているので。文学青年でもないし。

 

 

 

 

――あの時代は教養としての演劇というものがありましたよね。

 

先輩たちの話を聞いているとそういう側面はあったように思いますね。だからなのか、女優さんや俳優さんを褒める言葉が豊かなんです。僕なんか「バッとやってガシッとやるんだよ」としか言えない(笑)。

 

僕が演出した『今ひとたびの修羅』(2013)という作品に宮沢りえさんが出演していたんですが、蜷川さんが見にいらしたんですよ。彼女は蜷川組のマドンナでもありますから。蜷川さん、「りえ」と名前を呼びながら持ってきた花束を手渡して。「かっこいいなあ」と思う一方で、「花持ってくるんだ」と。『ガラスの仮面』みたいだなあ、と。

 

 

――はははは。

 

気障だなとは思ったんですが、それがまた絵になっていて。

 

 

劇団☆新感線は1980年11月、大阪芸術大学舞台芸術学科の4回生を中心にしたメンバーで旗揚げされた。最初の上演作品はつかこうへいの『熱海殺人事件』。劇団のHPによると、「劇団名は、当時のメンバーが実家に帰省する際、新幹線を使っていたというだけのいい加減な理由」だったという。劇団☆新感線はつかこうへいのコピー劇団として人気爆発、関西学生演劇ブームの中心的存在となった。

 

――劇団☆新感線はつかさんの作品を上演する劇団として活動を開始したということですが、つか芝居がいのうえさんを射貫いた理由はどこにあったんでしょう。

 

台詞と、あと音楽だったと思います。台詞をものすごい速さでダーッと言って、音楽がバンっ!と入ってくる。ほとんど何もない舞台なんだけど、すごく豊かだった。

 

 

――当時つかさんはタダ同然で自分の戯曲を使わせていたんですよね。

 

そうそう。上演許可をもらうんですが、使用料といっても数千円程度。「好きなのやれ」という感じでした。つかさんの作品はほとんど上演したと思います。

 

 

――いのうえさんはつかさんとの接点はあったんですか。

 

はじめてお会いしたのは90年代に入ってからです。僕らが東京で上演するようになったころに「なんか俺の芝居をやってるやつがいるらしいな」ということで会うことになった。つかさんが一度劇団を解散して、再び『熱海殺人事件』をやり出したあとですね。

 

その後、パルコプロデュースの『広島に原爆を落とす日』を僕が演出することになるんですが、あのときは大変だったんですよ。1997年に上演して翌年再演したんですが、ちょうど僕らの公演期間中にインドとパキスタンが核実験を行ったんです。1998年の5月。

 

戦争と原爆をテーマにした芝居の最中に核実験という世界的に緊張が高まる大ニュースですから、まさかの大事件が起きたみたいな感じで。しかも僕らは東京、大阪のあと広島でやることも決まっていた。ニュース番組から取材がきたりした。そうしたらもう、「お前らには任せておけん!」と、誰よりもつかさんが前に出て語るわけですよ(笑)。

 

 

――はははは。

 

「ニュース23」で筑紫哲也さんと対談してましたね。

 

 

――芝居については何かおっしゃいました?

 

緒川たまきさんがヒロインだったんですが、「おい、緒川たまきに白いレオタード着せろよ」というので、

 

 

――あはははは!

 

レオタードはちょっとねえ、と思いながら(笑)。聞かないふりをしてましたけど。あの人の美意識があるんですよね。最後はタキシードとか。それは心の中で「だせぇな」と思ってたので、右から左へ流しながら(笑)。

 

 

――一昨年、『熱海殺人事件』を演出されました。風間杜夫さん、平田満さんというかつてのキャストを迎えて。

 

何か不思議でしたね。学生のころ、一生懸命カセットテープを聞いて練習していたものを、本物の人たちがやってらっしゃるというのが。それだけで切ない気持ちになりました。「真似したなあ、冬のA棟(大阪芸大にあった実習棟)で」と。

 

 

――ははははは。

 

「そのトーンですよ平田さん!」みたいな(笑)。ダメ出しも何も、正解がここにあるわけですから。一生懸命コピーしてた人たちが目の前で演奏しているようなものです。

 

 

――それは、本望という感じですか。

 

本望でした。

 

 

 

 

――若いころのいのうえさんが最も傾倒したのがつかさんだとすれば、プロになられてから意識したのが蜷川さんということになりますか。

 

そうですね。1998年に『ロミオとジュリエット』をさいたま芸術劇場で見てから。それがすごく面白かったんです。「なんだ、『ロミオとジュリエット』面白いじゃないか」と思ったぐらい。それで、「そういえば俺、昔、NHKの舞台中継で『NINAGAWAマクベス』見てるな」と思って。「なんでマクベスなのに時代劇でやってるんだろうな」と子ども心に思ったんですけど。

 

蜷川さんが亡くなる前年にシアターコクーンで『NINAGAWAマクベス』が再演されたんですが、あれを見たときに、自分はすごく蜷川さんの影響を受けていると思ったんですよ。

 

 

――似てますよね。つかさんよりも蜷川さんに。

 

特に「絵」ですね。シンメトリーな絵づくりとか、色のざっくりとした使い方とか。蜷川さんにそれ、言ったんです。「先生、先生の芝居を見てめっちゃ影響を受けてるのを確認しましたよ」って。そうしたら「そうなんだ」と言ってニコニコしてて。すごいうれしそうだったんでね。

 

 

――喜んでいらっしゃったんですね。

 

ええ。「ざまあみろ」と思っていたかもしれないけど(笑)。でも、「その通りでございます」という気持ちでした。

 

 

――今年は蜷川さんの代表作だった『近松心中物語』も演出されました。オファーがきたとき、どんな気持ちでした?

 

やってみたいなと思いましたよ。問題は「どうやるか」ですが、すぐに新国(新国立劇場中劇場)だと言われたので、あそこなら奥行きを使う『近松』ができるなと思った。それで、「それはやってみてもいいですね」という話になりました。

 

 

『近松心中物語』は蜷川幸雄さんがアングラから商業演劇へと活動の場を移して間もない1979年に演出した作品。作家は秋元松代。クライマックス、吹雪の中で平幹二朗演じる忠兵衛が、太地喜和子演じる梅川の首を、真っ赤な帯で締め上げる。手を広げてのけぞる梅川。その一枚の絵のようなシーンが有名になった。

 

――公演パンフレットに「リスペクトして受け継ぐものと、自分ならではの部分と両方出していく」と書かれていましたが、それは具体的にはどういうところでしたか。

 

継承したところは2つあって、エンディングに雪をどっかんと使うことと、群衆ですね。梅川も忠兵衛も特別な人物ではない、一市民の話なんだというのが、秋元さんのホンから抽出した蜷川さんの解釈なんです。「群衆の中のひとりひとりの話である」ということ。それと、雪の大和路をスペクタクルな絵としてちゃんと見せる。その2つは蜷川さんから継承しているものです。

 

 

『近松心中物語』(2018)で忠兵衛を演じる堤真一さん(左)と梅川を演じる宮沢りえさん 撮影:宮川舞子

 

 

――では、オリジナリティーをお出しになった部分は。

 

エンディングで心中した梅川と忠兵衛は郭の群衆の中に戻っていくんですが、蜷川さんバージョンでは舞台の前方に向かって歩いてきたんですね。それを、奥に向かって歩かせる。観客からは雪越しに後ろ姿が小さくなっていき、群衆の中にまぎれて市井のひとりに戻る――というような奥行きを使った演出です。

 

もうひとつはセットですね。蜷川さんのときは朝倉摂さんの非常に作り込まれたセットがあった。今回は舞台美術家の松井るみさんが赤い風車を使った非常に美しいセットを作ってくれました。ワゴン(回り舞台)をぐるぐる動かしてセットのかたちを変えていくことで、郭に見立てたり、町並みが現れたりというふうに場面転換していく。そこはオリジナルだと思っています。

 

 

――抽象度が高くなっているということですね。

 

そうせざるを得ない部分もあって。「いのうえなりのスペクタクルを展開していた」と書いてくれた劇評もありましたが、朝倉摂さんのセットはガチンコで作ってありましたし、蜷川さんのときは、群衆があの3倍いましたからね。なおかつ雪は4倍ぐらい降っていた。今はもう(予算的に)あり得ないですね。

 

あれ、どうしてそんなに雪を降らせたかというと、あの話の主軸は、実は梅川と忠兵衛ではなく、もうひと組のカップルであるお亀と与兵衛なんです。

 

 

――そうなんですよね。私も初演を見ましたが、市原悦子さんのお亀と菅野忠彦(現菅野菜保之)さんの与兵衛、面白かった。

 

お客さん、ゲラゲラ笑っていたでしょう。今回初めて見たお客さんは「こんなに笑っていいの?!」と思ったかもしれませんが、あれは台本どおりなんです。一方で、梅川と忠兵衛の見せ場は心中に向かうまでの道行きで、絵的にはわりとシンプル。それをそのままやるとお亀×与兵衛に比べて弱くなってしまう。だからあそこに大量の雪と、森進一を投入した。

 

 

――そういうことなんですか!

 

死ぬまでものっすごい長いですからね。たっぷりありますから。

 

 

『近松心中物語』(2018)の一場面 撮影:宮川舞子

 

 

蜷川流スペクタクルを「今はあり得ない」と言ういのうえだが、今もっともスペクタクルな舞台を実現しているのが劇団☆新感線だ。昨年からロングラン公演を続けている『髑髏城の七人』シリーズは、アジア初の客席が360度回る円形劇場「IHIステージアラウンド東京」(東京・豊洲)で上演されている。その機構を生かし、豪華な舞台美術、映像表現と群衆のコラボレーションなど、意欲的な演出が試みられている。

 

―― 『髑髏城の七人』という同じ作品をキャストを変えて1年間通してやるという、この無謀な試みをやろうと思われたきっかけは。

 

追い詰められて(笑)。というのはけっこう本音で、僕らが東京でやれる劇場がいよいよなくなってきたんです。

 

 

――えっ?! そうなんですか。

 

ええ。青山劇場も閉鎖されて、いよいよ劇場がなくなって、さてどうするかと話していたときに、TBSさんから「こういう劇場を創る」とお話をいただいたんです。

 

 

――その準備にどれぐらいおかけになりました?

 

話があってから公演が始まるまで2〜3年ですね。

 

 

――じゃあもうそのころから小屋不足の問題は顕著だったわけですか。

 

そうです。慢性的な小屋不足だと思いますよ。東京に限らず、大阪も。

 

 

――大阪はもっとひどかったですものね。

 

特に橋下知事のときに文化への支援をスパスパと切っていきましたよね。

 

 

――渋谷にあるシアターオーブは? オープニングシリーズのひとつが新感線の『ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ』でしたよね。

 

今は方針が変わって、海外ミュージカル専門の劇場になっています。日本人キャストでやれるとしても翻案ものに限られます。しかもアジアのものはダメで、『メリーポピンズ』などの西洋の原作に限るということらしいです。

 

 

――でもこれだけの動員数を誇る新感線に貸さないというのは……。

 

やっぱり、行政のトップや大資本がどう振る舞うかに、国の文化度や民度を推し量る何かがあるような気がしますね。残念なことですが。

 

 

――そうですね。

 

小屋がないと僕らはできないですから。そういう状況のときにTBSさんから話があって、これは神様がやれと言っているのだろうと、腹をくくってやることになったんです。

 

360度回転劇場のことは聞いていたので面白そうだとは思いましたが、ロングランは僕らもやったことがないし、3カ月から4カ月のスパンでスタイルを変えていかなければいけない。すべてが未知数でしたが、『髑髏城』は過去に『アカドクロ』『アオドクロ』『ワカドクロ』とバージョン違いでやったこともあったので、『髑髏城』だったらそういう公演形態に対応できるんじゃないかということで『髑髏城』を提案して、結果的にそれをやることになったわけです。

 

 

 

 

『髑髏城の七人』の初演は1990年。織田信長が本能寺の変で死んでから8年後の時代を生きる若者たちの物語である。劇団の看板俳優古田新太が主人公の捨之介と天魔王の二役を演じた。新感線が得意とする時代活劇 “いのうえ歌舞伎”であり、1997年の再演の際に観劇した市川染五郎(現十代目松本幸四郎)が見て「これぞ現代の歌舞伎だ」と評したことが、のちに染五郎を主演に迎えての『アオドクロ』と古田主演の『アカドクロ』の競作(2004)へとつながっていく。初演は池袋西口公園のテント、近鉄劇場、シアターアプル、7年後の再演は道頓堀中座やサンシャイン劇場などで上演された。

 

――新感線が東京に進出されたころは、貸してくれる劇場はもっとありましたよね。

 

ええ、シアタートップスの佐々木高代さんや、サンシャイン劇場の支配人だった前田三郎さん、青山劇場の能祖さんとか。

 

 

――大阪でもオレンジルームとか。

 

中島陸郎さん。稽古場があった扇町ミュージアムスクエアは大阪ガスさんにお世話になりました。そういう大人に「君ら面白いな」と引っ張られてやってきたというのがいちばん大きいですから。

 

 

――そういう意味ではものすごく時代が変わりましたよね。

 

「(お客さんが)入らないとダメ」という風潮は強くなりました。お客さんも「分からない」と「つまらない」になってしまう。でも昔はお芝居って、分からなくても「なんか面白いよな」というところがあったと思うんです。今は違うんです。分かんないとダメなんです。幼稚化している感じはします。

 

 

――昔はその「場」や体験を共有する感じがありましたよね。

 

そうそう、「なんだこりゃ……!」みたいな。

 

 

――それだけでうれしかったりしましたよね。

 

そうなんですよ。「そういうふうにしたのはおまえらだろう」、というのは古田の意見なんですが(笑)。

 

 

――ははははは。

 

古田は「新感線と三谷さんがそうした」みたいな言い方をよくしてました。一理あるなと(笑)。僕らが始めた当時は、演劇は難しいもの、ちょっとハードルが高いものだったんですよ。それを「いやいや、楽しいものもあるよ」と言ってやり始めたら、いつのまにか周りを見るとそういう分かりやすい芝居ばっかりになってて、うーん、なんだかな……という。一方にちゃんと“演劇”があるからこそ、全力でバカなことができるという気持ちでやっていたので。

 

 

――古田さんの意見もありますけれど、私はやっぱりいのうえさんは演劇本来のまがまがしさを体内に持っていると思うんです。例えば唐さんの芝居にあるような。

 

昔の唐さんの影響はあるかもしれません。乱暴なスピード感とか。大阪の「南河内万歳一座」が唐さんの影響を強く受けていたんですが、それをずっと見てましたから。人がぐちゃぐちゃぐちゃーっと出てくる面白さみたいなのは、そこから影響を受けてると思います。(『髑髏城の七人』に登場する)荒武者隊みたいな、人がガチャガチャ出てくるやつはやっぱりどこかそういうにおいがあるんじゃないかと思います。アングラのね。昔は小劇場と言えばアングラでしたから。

 

 

 

 

―― そういう全部を吸収しながら、いのうえさんの演劇が今かたちづくられている。

 

そういうものだったり、蜷川さんだったり、商業演劇、歌舞伎、いろんなものを見るようになって、その中で自分の中に残っているものが自分の芝居のエキスになっている気がします。

 

 

――蜷川さんは「アンチ新劇」を標榜されていたところがありますが、いのうえさんは「アンチ」の意識は。

 

アンチがないんですよ。アンチがないのが僕らの世代だと思います。昔の人は敵をつくりながら進んでいったところがあると思うんですが、僕らは敵を作るというより「パクリながら」みたいな(笑)。そこに罪悪感もためらいもないです。いいものは盗め、使え。「これとこれは絶対一緒にならない」というタブーみたいなものもないんです。面白かったらくっつけてもいいんじゃないかと。

 

 

――でも、くっつけるためには、それを昇華させていくエネルギーが必要ですよね。

 

単純にくっつければいいというものじゃないですからね。

 

 

――それに対しての自負はありますでしょう?

 

自負ということはないですが、これまでやってきた分だけいつのまにか年はとっているので、手練手管みたいなものは覚えてきてはいるのかなと思います。

 

 

――かつてマンガみたいだとか、いろいろ言われた時代もあったと思いますが。

 

いやいや、まだマンガみたいって言われてますよ。それに新感線が基本マンガだというのはその通りなんです。むしろそこは大切にしたい。ただ『髑髏城』にしてもやっぱり若いころの作品なんです。いろいろ手を変え品を変えやってても、やっぱりどこかに無理があるし、「ああチャンバラ多いなあ」とか思いながらやっているわけです。

 

 

――肉体的な問題もありますし。

 

そういう意味では、天海祐希さん主演でやる『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』はちゃんと2018年における『髑髏城』になると思います。若干大人のにおいのする作品に。少年マンガだったのが青年劇画になったみたいな(笑)。

 

 

――青年劇画になったときに、いのうえさんの演出や立ち位置は変わってくるわけですか。

 

変わるところと、同じであろうとするところ、両方あると思います。俳優さんたちも、ちょっとした表現や、昔じゃできなかったお芝居の見せ方ができる人が出てきているので。年をとって体が動かなくなった分だけ、空気感とか色気とか、そういうものは出していきたいなと思います。

 

 

『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』の一場面 ©2018『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』/TBS・ヴィレッヂ・劇団☆新感線 撮影:田中亜紀

 

 

――時代とともにどう変わっていくかも、背負わされた宿命みたいなものがありますよね。

 

変わっていきますよ。良くも悪くも洗練される。

 

 

――洗練は避けられないですよね。

 

何回も繰り返していたら洗練はされていくし、無駄は省かれる。ウォー!という勢いで押し切るのではなくて、そこはもうちょっとうまくやろうよみたいなことにはなってくる。それがいいときもあるし、残念なときもあるかもしれない。でもそれは絶対、元には戻らないので。

 

 

――あらゆる芸術が抱える宿命ですよね。

 

何かを失い、何かを獲得している。

 

 

――まさにその過程があったと。

 

ええ。昔の新感線のファンからは「昔は良かった」と言われることもありますが、それはしょうがない。「君らが見たときは古田は30歳だけど、今はもう50歳過ぎだから」と(笑)。今はみんなDVDを見るもんですから、同じ平面で見るんですよ。だから「あれをやってください」と言われても「体が全然違うんで、同じことはできません」と。じゃあその若いキャラクターを今どうやるかと考えたときに、若い肉体、新しい役者さんで見せることを考える。優秀なホンは時代の変化に対して耐性があるので、役者を変えてやっていくことができる。

 

 

――客演を迎えるときは、どういう基準で俳優さんを選んでいらっしゃるんですか。

 

その人が新感線の舞台でやっているのが想像できるかどうかですね。生の舞台を見に行ったり映像を見たりして、「この人だったらこういう面白さが出るんじゃないか」ということはなんとなく想像します。

 

 

――有名無名は問わない?

 

メイン級のキャストを選ぶときは、「この人が新感線に出る、だったら見にいってみよう」という、なんか面白そうなコトが起こりそうだという予感を思わせてくれるかどうかを大事にしています。

 

 

――商業演劇である以上、お客さんのことは考えますよね。

 

もちろん「この人とやってみたい」と思うことが前提ではありますが、真ん中、2番手、3番手ぐらいまではある程度集客のことも考えながらキャスティングします。

 

 

――劇団は四分五裂するものです。でも、新感線はメインキャストにゲストを招くようになっても劇団として続いていますね。

 

もちろん劇団員には今でも脇で頑張ってもらっているんですが、2000年ぐらいまでで、劇団員がガチでメインをやる新感線はやり切ったような気がするんですね。そこからあとというのは、なんだろうな、「新感線」という芝居をつくるベースと言うか……。「エグザイルトライブ」ではないけれど、ファミリーみたいな感じですね。よそから(俳優を)呼んできてもちゃんとそれを機能させる。誰が来ても「ああ、新感線だ」と思わせる。そういうシステムみたいなものが今の劇団☆新感線だと思います。

 

 

『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』で天魔王を演じる古田新太さん(左)と極楽太夫を演じる天海祐希さん ©2018『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』/TBS・ヴィレッヂ・劇団☆新感線 撮影:田中亜紀

 

 

――それはかなり意識的につくって行かれた?

 

途中で、こういう形態で長く続けていくんだったらそういうことなんだろうなと思いました。最初は単純に喜んでいたんですよ。「染五郎さんが出てくれる」「おーっ」とか言って盛り上がって。でも、続けていくことによって、いろいろゲストを迎えても「これは確かに劇団だな」とわかってきた。他のプロデュース公演で演出をするときと明らかに違いますから。不思議だなあと思います。劇団は劇団だと。

 

 

――ところで私、去年の暮れぐらいにいのうえさんが映画館にいらっしゃるところを拝見したんです。『密偵』、ご覧になりましたよね。

 

見ました見ました。

 

 

――朝いちばんの回に。

 

朝いちでないと行けないです。稽古に行く前に行くので。

 

 

――ソン・ガンホを見たかった?

 

ソン・ガンホが大好きで。

 

 

――ちょっと古田さんに似ているなと思って。

 

ソン・ガンホは素晴らしいですね。韓国の宝だと思います。

 

 

――お好きな俳優のニュアンスって、ああいう感じですか。

 

うまいんですよ。芝居がうまい。昔はああいう俳優さんがいっぱいいましたよね。ファン・ジョンミンも素晴らしいです。見るたびに全部の役が違いますもん。ものすごく汚い弁護士をやったかと思うと、弟たちのために全人生を捧げるさわやかな青年をやったりする。

 

 

――それぞれ感情移入できるんですよね。

 

できる。ファン・ジョンミンは素晴らしい。今年の「映画秘宝」の作品アンケートのナンバー1にしましたから。

 

 

――演技について、型優先とか心優先とかよく言われるじゃないですか。気持ちを作って演技をするとか、型で動くことによって感情が引き出されるとか。あれはどう思いますか?

 

すぐれた俳優は両方できると思います。

 

 

――なるほど。最近よくご覧になるのは韓国映画ですか。

 

そうですね。韓国映画が今いちばん面白いと思いますね。

 

 

――その面白みはどこにありますか。

 

やっぱり、俳優が豊かだと思います。それはなぜかというと、国が映画をちゃんとバックアップしているからだと思います。最初に話した演劇の小屋不足問題と同じで、日本は国をあげて映画やエンターテインメントをバックアップしていこうという意識が薄い。だから俳優が育たないし、確保されない。

 

喫緊の問題は時代劇の存続です。着物が着れる役者がどんどんいなくなっています。昔は撮影所が俳優養成所になっていました。今はNHKだけですよね、大河があったり、時代劇があったりするのは。時代劇はお金がかかるというのでなかなかつくられない。お金にならないとなるとパッと手を引く。そうしたらいくらつくりたくても諦めざるを得ない。つくられないと衰退していくんです。

 

 

 

 

2017年からロングランされている『髑髏城の七人』は花・鳥・風・月の4つのSeasonと、内容を変えた『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』の5つの作品が制作された。それぞれ主演は小栗旬、阿部サダヲ、松山ケンイチ、福士蒼汰/宮野真守、天海祐希。他にも2.5次元ミュージカルの人気俳優や、ドラマや映画で頭角を現す若手俳優がキャスティングされた。チケットはけして安くはないが連日ソールドアウトで、動員数は55万人に届くとみられる。

 

――かつてマンガだと揶揄された新感線が今や日本で1、2を争う人気の劇団になっているわけですが、率直に言って「ざまあみろ」みたいな気持ちはありますか。

 

ないですないです。全然ないです。いまだに「読売演劇大賞には一度も対象作品として書かれない劇団」ですしね(笑)。別の賞の選考委員の方が「新感線はもういいでしょう。もう違うところに行ってるから」と言われたという話は聞きましたけど。

 

 

――でもそれはある意味誇りですよね。

 

演劇関係者が考える「演劇」の範疇に入ってないんだと思います。やっぱり何かひとつの「ジャンル」だと思われているんじゃないでしょうか。宝塚、ジャニーズ、新感線みたいな。だからお客さんも、2.5次元、宝塚、歌舞伎、そして新感線みたいな見方をする人がいっぱいいますよ。

 

 

――すごいじゃないですか。

 

僕がすごいんじゃなくて、ジャニーズを見る人が新感線を見にきたり、新感線を見た人が歌舞伎を見に行ったり、という経路が生まれているんです。新感線を見て舞台を見るようになって、今度は歌舞伎にはまって、みたいな。「歌舞伎大好きです、だけど松潤も好きです」みたいな。

 

 

――ああ、いいじゃないですか。ねえ。

 

いいですよね。フラットに並んでいるのがね。

 

 

公演情報

 

ONWARD presents劇団☆新感線

『修羅天魔~髑髏城の七人 Season極』Produced by TBS

作:中島かずき

演出:いのうえひでのり

出演:天海祐希 / 福士誠治 竜星涼 清水くるみ / 三宅弘城 山本亨 梶原善 / 古田新太 ほか

公演期間:2018年3月17日(土) 〜 5月31日(木)

会場:IHIステージアラウンド東京(豊洲)

 

ONWARD presents 新感線☆RS

『メタルマクベス』disc1 Produced by TBS

作:宮藤官九郎

演出:いのうえひでのり

音楽:岡崎司

振付&ステージング:川崎悦子

(原作:ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」松岡和子翻訳版より)

出演:橋本さとし 濱田めぐみ / 松下優也 山口馬木也 / 猫背椿 粟根まこと 植本純米 / 橋本じゅん / 西岡德馬 ほか

公演期間:2018年7月23日(月)~8月31日(金)

会場:IHIステージアラウンド東京(豊洲)

 

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