マーティン・ルーサー・キング牧師、没後50年 追悼の鐘
米公民権運動の代表的な存在だったマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された1968年4月4日から、50周年を迎えた4日夕方、米国各地で追悼の鐘を鳴らす式典が開かれた。
享年39年で白人至上主義者に射殺されたキング牧師をしのび、暗殺現場となったテネシー州メンフィスのモーテルをはじめ各地で、鐘が39回鳴らされた。
事件に居合わせたアフリカ系米国人指導者のジェシー・ジャクソン師は、メンフィスに集まった人たちに、キング牧師を失った痛みはまだ生々しいままだと話した。
キング牧師の息子の、マーティン・ルーサー・キング3世氏(60)は集会で、米国の人種関係は劇的に前進したものの、あるべき形にはまだ程遠いと述べた。
米政府は1983年、キング牧師の誕生日(1929年1月15日)を記念して、1月の第3月曜を国民の祝日に指定した。
その頭文字から「MLK」として親しまれ、国民的英雄として多くの米国人から敬愛されているキング牧師は、清掃作業員の低賃金に対する抗議デモに参加するためテネシー州を訪問中、泊まったモーテルのバルコニーに立っていたところを狙撃された。
4日夜には、故郷アトランタでも、墓所に花輪が置かれた。
暗殺を受けて大規模な暴動が続いたシカゴでも、花輪をささげる追悼式が開かれた。
ワシントンでは、2011年に建立された「MLK記念碑」から市内中心部の国立公園「ナショナル・モール」まで、数百人が黙とうしながら行進した。
バラク・オバマ前米大統領は、「自分たちが努力し続ける限り、キング牧師の魂は喜び続けている」とビデオ・メッセージを公表した。
ドナルド・トランプ米大統領は、1月の記念誕生日にキング牧師を称えた自分のビデオをツイートした。
ホワイトハウスはさらに、4日は「キング牧師の業績を称える日」だと宣言。その中で大統領は、「キング牧師の理想を実現するのは政府ではなく」市民で、「共通の目標を抱くひとつの国民として共に生きる夢の実現を、積極的に希求しなくてはならない」と述べた。
亡くなる前夜にキング牧師が説教をしたメンフィスの教会で、末娘のバーニース・キング牧師(55)は、自分の父親を世間と共に追悼するのは大変だと認めた。
兄のマーティン氏と説教壇に立ったバーニース師は、「皆さんの前にいるのは、父親を失った子供2人です」、「暗殺者の銃弾でパパを50年前に失った子供たちのうち、2人です。その姿を見るのは、大切なことです」と語った。
「それでも私たちは、がんばって生きてきました。まだ、過去のものにできない親の死を、私たちは悼み続けています。そんな私たちのため、これからも祈ってください」
バーニース師は父親の有名な演説を引用し、「いつの日か私たちはマーティン・キングと一緒になって、『ついに自由、ついに自由だ。偉大なる神様ありがとう。みんなついに自由だ』と言えるでしょう」と述べた。
さらにバーニース師は後にツイッターで、アフリカ系米国人の詩人、故マヤ・アンジェロウ氏(2014年没)が生前、自分の父親について語った言葉を引用し、「あなたが存在したから(私は)より良い人間になれるし、そうなる」と書いた。大統領自由勲章を受章した国民的詩人だったアンジェロウ氏は、4月4日が誕生日で、存命ならばこの日90歳になるはずだった。
(英語記事 Martin Luther King Jr: US marks civil rights leader's death)