中国人も韓国人も「日本の桜」が気になって仕方がない理由

04.02 15:43 現代ビジネス

(文・青山 潤三)

日本人と会ったら、桜の話から…

春です。今年も桜の季節がやってきました。首都圏以南の桜の名所では、今日がお花見の「最後のチャンス」というところも多いかもしれません。

ところで近年、中国人の間で日本の桜が大人気になっていることをご存知でしょうか。

近年は、「桜を見る」ことを日本観光の大きな目的にしている中国人も増えています。春節が終わる3月上旬になると、中国メディアでは必ず日本の桜の話題が報じられるほどです。最近の中国人は、もしかすると日本人よりも桜に詳しいかも知れません。開花時期の予想さえ頻繁に行われています。

筆者は長年、日本と中国を行き来する生活をしていますが、最近の中国人は筆者が日本人だと分かると、ほとんど挨拶代わりに桜の話題を投げかけてきます。

「ルーベン(日本)・インファー(櫻花)・ヘン(とても)・ピャオリャン!(美しい)」

日本の政治・外交についてはネガティブな報道や批判が多い中国世論ですが、こと桜に関しては「全面支持」の状態です。

不思議なのは、海外のものを何でも模倣する中国が、なぜ桜だけはマネしないのだろうか、ということ。その気になれば、中国にだっていくらでも植えることは出来るのですが。

彼らがあえてそれをしないのは、「日本」と「桜」がセットになってこそ意味がある、と考えているからかもしれません。

先ほど「櫻花」と書きましたが、中国語では「日本櫻花」と表記するのが普通です。単に「櫻花」と書く場合は、中国では食用のために栽培する「桜桃」(サクランボ)の花のことかもしれませんし、あるいは、実は日本よりはるかに(日本産の5倍以上)種数の多い中国産の「野生のサクラ」を指すこともあるでしょう。

筆者は去年、たまたま桜の季節に中国から日本に帰ってきて、真夜中に羽田空港に着きました。他の乗客はほぼ全員が中国人でした。

到着ゲートを出たところで、驚愕しました。ベンチや飲食店の周りが桜のデコレーションで埋め尽くされているのです。本物の桜の木を、水を湛えた大きな甕(かめ)に差して、見事な景観を作っています。多くの中国人が足を止めて、スマホで写真を撮っていました。

日本人にとっては、それほどありがたみのある光景とも言えないでしょうから、これは明らかに訪日外国人、特に中国人向けのサービスなのでしょう。

そんなわけで、少なからぬ中国人が「日本に行って桜を見る」ことを夢にしていると言っても、決して大袈裟ではないように思われます。

中国だけでなく世界の人々が、私たち日本人が考える以上に「日本=桜」というイメージを持っているのです。「ソメイヨシノのルーツはわが国だ」との世論もあるという、韓国は別かもしれませんが…。

「桜の花見」自体が珍しい

桜は日本でも、江戸時代末期までは現在のように華やかな存在ではありませんでした。私たちが愛でているソメイヨシノは、「野生」のサクラではないのです。

まず「そもそもサクラとは何か?」を説明しておきましょう。読者の方々にとっては、生物学的な話題は読みづらいかも知れませんが、少しだけお付き合いください。

サクラ属には、モモやウメなども含まれます。さらに属を細かく分け、スモモ属(スモモ、プルーンなど)、ウメ属(アンズ、ウメなど)、モモ属(モモ、アーモンドなど)などに分類する見解もあります。その場合、狭義のサクラ属にはサクラのほかサクランボなどが含まれます。

中国では、サクラよりもスモモ(李子)、アンズ(杏子)、モモ(桃子)のほうが圧倒的にポピュラーです。中国人に桜の花を愛でる習慣がないのは、「サクラはサクランボ(桜桃)の花に過ぎない」との認識からでしょう。世界的にも、サクラ属の植物は果実を食べるために栽培するのが主流ですから、花に重点を置く日本の文化はかなり特殊といえます。

それでは、いわゆるサクラ(狭義のサクラ属の植物)は、日本に何種あるのでしょうか? これも研究者ごとに意見が異なりますが、最も広く捉えると、ヤマザクラ、エドヒガン、チョウジザクラ、マメザクラ、ミヤマザクラの5種です(9種とする見解もあります)。

しかしあるサイトでは「覚えておきたい代表的なサクラの4つの種類」をソメイヨシノ、シダレザクラ、ヤエザクラ、カンザクラとしていました。上記の5種とは全然違いますね。

どういうことかというと、上記の5種は学術的な「種」である一方、下記の4つは人目を惹く(しかし生物学的にはあまり意味のない)特徴に対して名付けられた「品種」なのです。

とはいえ、一般的には「桜」といえばソメイヨシノを思い浮かべるでしょう。中国人が言う「日本櫻花」ももちろんソメイヨシノのこと。漢字で書くと「染井吉野」、東京·駒込の染井で作出された吉野桜(奈良県吉野山産のヤマザクラ)という意味です。

後ほど詳しく触れますが、日本人は、野生種から新たに有用な動植物を作り出すことがあまり得意ではありません。そんな中、ソメイヨシノは数少ない「純日本製」の植物といえます。

本州から朝鮮半島にかけて分布するエドヒガンというサクラと、日本のほぼ全土にみられるヤマザクラの仲間(ヤマザクラ、カスミザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラ)のうち、伊豆諸島周辺産のオオシマザクラとの交雑により、ソメイヨシノは生まれたのです(このことはDNA解析により確定しています)。

どのように交雑したかは、植木市場で両者を栽培していたところ、いつの間にか自然交配した、あるいは植木職人が意図的に交配させたなど、諸説あります。

葉が出る前に花が咲くエドヒガンと、大きな花を咲かせるオオシマザクラの特徴を併せ持ち、ひたすら明るく豪華絢爛なソメイヨシノは、爆発的な人気で全国いたるところに広がりました。これがわずか150年ほど前、江戸時代末期のことと考えられているのです。

「韓国起源」ではない根拠

ちなみに、ソメイヨシノの一方の親であるオオシマザクラは、日本の伊豆諸島に固有分布するサクラなので、前述した「ソメイヨシノ韓国起源説」は成り立ちません。

しかしオオシマザクラは、種の定義を広くとると、ヤマザクラの一種ということになります。そして、ヤマザクラは4つの変種(通常それぞれを独立種とすることが多い)からなり、そのうちのカスミザクラは朝鮮半島にも普遍的に分布しています。

オオシマザクラとカスミザクラは非常に近縁で、同一種とみなされることもあります。従って、韓国でエドヒガンとカスミザクラを交配した品種が作られたなら、それは「ソメイヨシノそっくり」ということも大いにありえるでしょう。

ただいずれにせよ、仮にオオシマザクラとカスミザクラを「同じ種」であると考えても、DNA解析によって、現在普及しているソメイヨシノは伊豆諸島産の集団が親であるという結果が出ています。ですから、仮に韓国で独自に作られたソメイヨシノ(のそっくりさん)があるとしても、それはソメイヨシノそのものではありません。

ソメイヨシノとほとんど同じ品種が、日本でソメイヨシノが作出されるより前から韓国に存在していた、という可能性はあるかもしれません。しかし、それは普及しませんでした。

意外と中国生まれの「日本の国花」

さて、読者の中には漠然と「日本の国花は桜」と思われている方もいるかもしれません。実際は、日本の国花は「菊」です。

サクラとキクは、春の花と秋の花、樹木と草本、すぐに散る花と長持ちする花、と何かにつけて対照的ですが、ともに「日本文化の象徴」ではあれど、来歴はずいぶんと異なります。

実は、菊(家菊)は「日本生まれ」ではありません。主に中国の北部や朝鮮半島に自生するチョウセンノギクと、中国東部などに自生するハイシマカンギクが、中国のどこかで(自然にか人為的にかはわかりませんが)交配して作出された、「中国生まれ」の植物です。

チョウセンノギクとハイシマカンギクの別変種は、日本にも在来分布しています。ということは、日本でも自前で「菊」を作出しようと思えばできたはずです。でも日本人は中国で作られた菊を導入し、いつしか「国の花」にまで戴くようになりました。

ゼロから何かを生み出すのは苦手でも、すでにあるものを発展させるのは大得意な日本人らしいといえるかもしれません。

キクに限らず、日本人は身近な有用植物(野菜や果物や園芸植物)も、おおむね最初は国外から導入しています。興味深いのはキク同様に、その多くは日本にも同じ種やごく近縁な種が在来分布しているにもかかわらず、素材として利用しなかったということです。

わずかながら例外、つまり日本に在来分布する植物をもとに作り出された有用植物もあります。そのひとつがアジサイです。園芸植物として親しまれているアジサイの野生の母集団は、伊豆諸島に分布しています。

もっともアジサイの場合、素材は日本産であっても、現在のような姿になったのはやはり国外。古い時代に中国に渡ったあと、近年になってヨーロッパに伝えられ、そこで園芸植物として改良が施されました。そしてようやく日本に「里帰り」し、親しまれるようになったというわけです。

野生の桜も美しい

このような事例を考えると、正真正銘日本に在来分布する植物をもとに、日本で作り出され、愛されるようになったソメイヨシノは、非常に稀有な植物といえるでしょう。

現在、日本中で見られるソメイヨシノは、全て最初に染井の植木屋さんで見つかった個体のクローンなので、全国どこでも変わらぬ姿を保ち続けています。

ソメイヨシノは確かに豪華絢爛で、見ていると気分が明るくなる花ですから、中国人が好むのもわかる気がします。ただ筆者の個人的な好みで言えば、樹々の新葉が芽吹き始めたばかりの薄墨色の山肌に、ともしびのように仄かに萌えあがる、ヤマザクラやカスミザクラやマメザクラといった「野生のサクラ」のほうが好きです。

いま筆者は、ソメイヨシノを見に日本を訪れる大量の中国人観光客と入れ替わりに、一人で中国の山野に野生の桜を見に行くため、複雑な気持ちで空港に佇んでいるところです。

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日本社会に残る、男女で推奨される「ふるまい」の違い

03.29 16:41 現代ビジネス

(文・堀井 憲一郎)

男女で違う現金の渡し方

先だって、学生たちとスキー旅行に行くので、個々に金を受け取った。

1人ずつ会ってお金を受け取る。

そのとき、お金の渡し方に男子と女子で大きな違いがあった。

女子は基本、封筒に入れてお金を渡してくれる。ときに、現金そのままで渡してくれる場合でも「ナマのままですみません」とひとこと断る。つまり「現金は封筒に入れて渡すもの」とおもっているわけである。

男子は、べつだん、かまわず現金をそのまま手渡してくる。目の前で財布から出して、そのまま渡してくれる。ナマですいません、という断りを入れる子もいない。

男子13人、女子15人、ほぼ例外なく、そうだった。

女子は必ず封筒に入れて渡そうとするし、男子は何も気にせずナマで渡してくる。

きれいに分かれたので、ちょっと驚いた。

さすがにこれは何だろう、と考えてしまう。

男と女の差である。しかも誰もさほど意識していない差である。一挙に30人ほどの人間から個々に現金を受け取るということをしないかぎり、気がつきにくい。

それぞれ別の家庭で育てられている(いい大学の子たちだから、そこそこいい家庭育ちだとおもう)はずなのに、「性差」によって行動がそろっている。不思議といえば不思議だし、まあ当たり前といえば当たり前かもしれない。

とりあえず、「女子には日本的マナーを教えるが、男子にはとりたてて教えない」という教育方針が、取られているようだ。

だがこれはもう、教育の問題ではないだろう。

彼、彼女たちの親の世代が抱いている意識の差である。それはたぶん日本社会の意識の問題である。

男と女では、敢然と教える内容を変える。

明らかに男と女を区別している。

フルーツをめぐる男女差

28人を引率して、スキーに行って、2日目の昼に食堂で昼食を摂っていると、食堂のおばちゃんがサービスでリンゴをくれた。お盆にリンゴをたくさん盛って出してくれたのだ。

フルーツに関しても、何となく男女の差がある。

個人的に私は「女性はとても喜んでフルーツを食べるけれど、男性は女性ほど積極的にフルーツを食べない」とおもっている。

このときもそうだった。女性側に置かれたリンゴはあっと言う間にきれいになくなったが、男性側のリンゴは、もちろんある程度はなくなるのだが、そこそこ残っていた。食べてない男性がいる。

男と女の行き違いについて話すとき、ときどきこのエピソードを用いる。

特に女性に向かって、「女性は無条件にフルーツがみんな大好きなものとして提供するが、男性はみながすべて受け入れているわけではない」と伝える(若い女性はだいたい驚く)。女性とまったく違う男性の心情も想像したほうがいい、というポイントで話している。

男性は(すべての男性ではないが、高校生くらいから働き盛りの男性の多くは)フルーツは嫌いではないが、でも進んでは食べない。と私はおもっている(以下、自分とその周辺から想像した私見である)。

男性もフルーツは嫌いではない。ただ面倒なのだ。だから積極的には食べない。

いやもちろん、しきりにフルーツを食べる男性がいるのも知ってる。私みたいな面倒がりは、おそらく男性の6割くらいではないだろうか(無根拠で直観的な推定)。

「多くの」男性は、面倒がる。母に、姉に、妻に、強く勧められたら断る理由がないので、のそのそ食べる。食べたら、まあ、旨いとおもう。しかし、何となく食卓に出ているだけでは、積極的に手は出さない。肉料理における添え物野菜みたいにとらえている(パセリとかクレソンあたり)。

食べてもいいが、べつだん食べなくてもいいだろう、とおもっている。

これはこれでどうしようもない。

決定的な男女差だと私はおもっている。

フルーツに関しては、動物的な部分と、文化的な部分が混じっているような気がする(海外でどうなのかを知らないし、フルーツが盛んにとれるエリアではまた違う気もするので、断定しにくい)。

ただこれは「教えられて守っている」という男女差ではない。

封筒の話は、文化の話である。これは教えられたものだ(だからフルーツの話は本論とは直接は関係ない。ちょっと入れてみたエピソードです。ややこしくてすいません)。

男性は「やや乱暴」でいい

「現金は封筒に入れて渡す文化」は若い世代では女性しか守っていないのは、親の意識によるものだろう。それもおそらく母親の意識だ。女子にしか伝わってない文化であれば、女性親にその連鎖のもとはある。

簡単にいえば女性は「丁寧」であり、男性は「乱暴」であって(「やや乱暴」というレベルだが)それでいい、という意識だ。

男性の「やや乱暴である」ことは、女性の丁寧さと同じくらいに求められている。昔の話ではなく、21世紀現在、2018年春先の大学生を眺めていての感想である。

たしかに20歳前後の学生を集めたとき、事務的な諸作業は女性にまかせたほうが確実である。

これはもう何十年も大学生に作業を頼んでいると、わかってくる。

昭和のころからそうで、平成からその次になろうとしていても同じである。たぶん天明寛政のころから変わってないのだろう。

むかし、学生を集めて「宛て名」を書く作業をやっていてもらったとき、女性はふつうに丁寧に書いてくれたが、男子は、途中からゲーム化してしまった。どう早く書くかを競い出す。

複数の男子がいれば当然そうなるし、一人でやらせても遊び出す。5分以内に20通書く、というようなスピード遊びを始める。とても乱雑な文字で書いたあげく、「できました! 早いでしょう」と褒めてもらおうとする。小学生を育てている母親みたいな気持ちになる。

きれいな字でなくていい、丁寧な字で書け、と言っても早く書く。「丁寧」を自分勝手に解釈してしまうのだ。

あるときから「丁寧に書け」とは言わなくなった。「筆記具(ペン)の先と紙が接地している時間を、とにかく、できるだけ長く取れ」と指示するようにした。

それでもすぐに次の線に飛ぼうとするので、「待て! 待て! まだ早い! もっとゆっくりだ」と説明をした。そこまでやってやっと、丁寧ってゆっくり書くことですか、と納得し始める始末である(男性みながみなそうではないが、でも必ず一定数、そういうタイプが含まれている)。

それが男子の特徴である。女子にはあまりそういう傾向がない。

昔に比べて、男女はより同等に育てられているのかとぼんやりと想像していたが、そうでもないらしい。ぼんやり想像するというのは、つまり何も考えてないだけである。「昔よりは女性が社会で認められているような感じだから、ちょっとは変わってるんじゃないの」というのは、「新宿駅を出たから次は新大久保駅か」とおもってるようなもので、何も考えてやしない。

おそらく、時間が進むと世の中は良くなってるんじゃないかと、どこかでのんきに信じているからだろう。どうやら勘違いのようだ。

うちの社会は、男の子と女の子の育て方を、きちんと分けている。

世界の男女平等ランキングというのが発表されると、日本はたしかすごく下位にランキングされていて、そのニュースを見たときには、ぼんやりとそうなのか、と眺めるだけなのだが(もうすこし上でもいいんじゃないの、とぼんやりとおもわなくもないが)、男子と女子がまったく違う文脈で「教育」されているのを見ると、男女平等ランキングなど気にしないで、男と女を別の仕草をする人に育てているのだ、とおもいいたる。

言葉にされない「社会の芯」

「日本」の特性について考えていくと、どうしても最後の部分、この社会の芯の部分はいっさい言語化されていない、という事実にたどりついてしまう。

言葉にしない。言葉にしないけどわかりあえている。だからそのまま進む。

面倒な社会である。グローバル化に必死で抵抗している部分である。でも慣れればかなり便利な社会でもある。排他的であるには違いないのだが。

そういう風潮と、この文化はどっかでつながっている気がする。

男と女と違う所作を教える(ないしは、女だけに教えて男には教えない)ということをしていながら、それを説明をしない。説明しないところまでも含めての文化である。

「現金をナマで渡さない」というのは些細な一例でしかない。

「ノートを破って手紙の代わりとする」というのも、多く男子学生ばかりに見られる特徴である。私信を(いちおう目上である私に宛てた場合でも)引きちぎったノート1枚(だから片側はギザギザしている)に書いて渡してくることがある。少しましな場合でもレポート用紙である。

女子学生は、きちんと便箋を使う(すべてではないが、そういう傾向が強い)。女性はどこかで学び、守っている。

「たしなみ」というものだろう。「嗜み」。

日本文化の細やかな伝統を、男子に教えたところで、どうせ受け継いでいかないんだから、女子に受け継がせていく、というような民族的な知恵にも見える。女子が受け継ぐなら、母は女子にも男子にも教えそうだから、そのほうが有効だということかもしれない。

ゆるやかに、しっかりと、男の文化と女の文化が分けられている。

「意識されてない文化」だからこそ、より強い文化のようにおもう。

男の文化と女の文化が、気付かれないけれども、しっかり分けられている源流には、ひょっとして、「我が国統一の象徴存在」が「男子系統」のみ継がれていることとつながっている気はする。

が、その周辺こそが文化の源流として言語化を強く拒否するエリアなので、こういうことを言葉にしたとたん、あっという間に説得力がなくなってしまう。しかたがない。

封筒を持ってないときは、ATMの脇には、そういうときのためにか、銀行の封筒があるから、それを使えばいいのだよ。男子諸君。

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塾なしでハーバード合格させた「最強の母」が説く教育

03.29 16:38 現代ビジネス

(文・廣津留 真理)

学校でも塾でもなく家庭教育?

これからのグローバル時代を力強く生き抜く子どもを育てられるのは、学校でも塾でもなく、お母さんとお父さんが主役となる家庭教育です。

そう語るのは、大分在住の廣津留真理さん。翻訳業を経て、現在は独自の「ひろつるメソッド」による英語教室を経営している。廣津留さんをして「最強の母」と言えるのは、「ひろつるメソッド」が一人娘のすみれさんへの家庭内での徹底した教育経験をふまえて編み出した独自のものゆえ。

このメソッドをベースにし、大分にて開催して6年目を迎えるサマースクール「Summer in JAPAN(SIJ)」には全世界十数ヵ国から子どもたちが集い、2014年には経済産業省の「キャリア教育アワード奨励賞」まで受賞している。どの家庭でも取り入れることができ、グローバル時代に必要な5つの力について、最新著書『成功する家庭教育 最強の教科書』からご紹介する。

公立校&塾なしでハーバード

家庭教育の大切さについて明確に言い切れるのは、次のような私の経験があるからです。私は一人娘のすみれに、できるだけ“外注”に頼らない家庭学習中心の教育を授けました。娘を妊娠している間に育児書を200冊ほど読んでいるうちに、家庭教育の重要性に改めて気がついたからです。

とくに史上最年少の20歳でアメリカの名門マサチューセッツ工科大学(MIT)の准教授になったエリック・ディメインさんを、学校に一切通わせない徹底した家庭学習で育てた父マーティンさんの本は印象的でした。

マーティンさんはけっしてスパルタではなく、折り紙で数学を教えたり、散歩中に草花を観察して生物学を教えたりしていました。私もマーティンさんのように、生まれてくる子どもと楽しみながら勉強をしたいと思ったのが、家庭学習に注力するようになったきっかけの一つです。

家庭学習中心に育てた娘は、幼稚園には年長の1年のみ通い、あとは小中高と地元大分市の公立学校にずっと通いました。学習塾にも行かず、海外留学を一度も経験しないまま、2011年12月にアメリカのハーバード大学に現役合格。大学卒業後は、ニューヨークのジュリアード音楽院で学びながら、バイオリニストとして活動しています。

私が家庭学習を重視しないで、娘の教育をどこかの“外注”先にアウトソーシングしてほったらかしにしていたら、ハーバード合格はおろか、世界大学ランキング・パフォーミングアーツ部門で1位(2017年)のジュリアード音楽院で学ぶこともおそらくなかったでしょう。

娘を介して交流するようになったハーバード生たちに話を聞いてみても、口々に「家庭で両親との会話が多く、読書や学ぶことの素晴らしさを教えてくれたから、いまの自分がある」と早くから家庭学習の機会を与えてくれた両親への感謝の言葉を述べています。

社会で生き抜くための「5つの力」

なぜ、学校や塾ではなく、家庭教育なのでしょうか。それは、これからのグローバル時代を子どもたちが生き抜いていくために欠かせない条件があり、それらを学校や塾ではけっして教えてくれないからです。

その条件とは5つ。自己肯定感、英語力、グリット、コミュニケーション力、マルチタスク力です。順番に説明しましょう。

「家庭教育」とは「=勉強」ではない

① 自己肯定感
  
家庭でしか伸ばすことのできない第一の条件、それは子どものポジティブな自己肯定感です。

自己肯定感とはその名の通り、自らを肯定的に評価する感情。なぜそれが何より重要な条件なのでしょうか。それは、自己肯定感が高いとあらゆる物事に積極的に関わろうという姿勢が生まれ、失敗を恐れずに新たなチャレンジができるから。チャレンジに失敗しても、「次はできるはずだ」という強い思いで再び前を向いて努力が続けられますから、試行錯誤を繰り返し失敗を乗り越えて、何事にも成功する確率が高まります。

こうした自己肯定感を養うのは、テストの点数のみを評価する学校や学習塾の減点主義的な発想ではありません。つねに子どものいちばん近くに寄り添い安心感を与えて、愛情を込めて褒めてあげる親以外いないのです。

それは、「○○ができたからお利口ね」と褒める条件付きの愛情ではなく、「あなたがいてくれるだけで幸せ」という無条件の愛情である必要があります。そう、自己肯定感を養うのに必要なのは「アンコンディショナル・ラブ(どんなときも何があってもあなたの味方です)」と「フル・アテンション(いつもあなたを見守っています)」。これらをお子さんに与えられるのは家庭教育だけです。

また、「こんなこと、うちの子にできるはずがない」と親自身が決めつけていると、子どもの自己肯定感が育つ邪魔をしてしまいます。親である自分が子どもの頃にできなかったからといって、我が子にできるはずがないと決めつけるのはかわいそう。お子さんには無限大の可能性があるのだと、まずお母さん、お父さんが信じてあげてください。

英語教室で学べない英語力とは

② 英語力
  
言うまでもなく英語は、世界のチャンスとつながるためにもっとも重要なスキルの一つ。多くのお母さん、お父さんはグローバル社会の標準語になっている英語力だけは、我が子に身につけさせたいと考えています。

そのため小さいうちから英語教室に通わせなければ、と思っていますが、そういった児童向けスクールで教えている内容といえば、英語の歌を歌ったりゲームをしたり、ABCを書かせたり。これではいつまでたっても世界で通用する英語力は身につきません。英語力を効率よく伸ばす唯一の方法は、英語4技能(読む・聞く・話す・書く)のベースとなる英単語を子どものうちから多く暗記しておくことです。

グローバル社会で通用する英文を読み書きし、ディスカッションやプレゼンテーションをできるようになるには、できれば1万5000語ほどの英単語を覚えている必要があります。ところが、2020年度からの新学習指導要領でも、高校卒業までに覚えるべきとされている英単語は4000~5000語にすぎません。足りない分は、家庭での暗記で自学するしかありません。

そして、暗記を軽視しないで、飽きずに暗記を続ける“暗記脳”を育てるのは、家庭学習以外にありません。暗記脳で多くの英単語をインプットできたら、英語でどんどんアウトプットできる子どもに成長していくのです。

私が運営している英語教室に通う生徒さんたちは、この暗記脳を育てる方法を家庭学習でも実践しています。そのおかげで、幼稚園児が英検準2級(高校中級レベル)に合格したり、留学経験のない高校生が1級に合格したり、という例が続出しています。

やりぬく力を家で育てる

③ グリット
  
グリットとは「やり抜く力」。アメリカの心理学者アンジェラ・リー・ダックワースさんの研究がきっかけとなり、注目されるようになりました。

自らの個性を活かせる得意分野を作って伸ばすには、1日3~4時間の地味すぎる練習やトレーニングをコツコツと積み重ねることが求められます。何事も「継続は力なり」ですが、グリットがないと自分の得意を伸ばす試みを途中で諦める恐れもあります。才能とは「何かを続けること」だとされますが、その原動力となっているのはグリット。グリットも家庭教育で伸ばせる能力の一つです。

音楽を突き詰めたとしても、全員が音楽家として活動できるわけではありません。でも、仕事は専門領域の周辺にあるとされています。一つの得意分野や専門分野にこだわらず、そこからアウトグロウ(outglow 殻を打ち破って成長)するのが理想。何かを突き詰めるだけのグリットが養われていればアウトグロウも容易でしょう。

力になる「かわいげ」を身につけるには

④ コミュニケーション力
  
社会に出るまでに身につけたいものとして、コミュニケーション力の必要性は広く語られていますが、文化や社会的な背景の異なる人たちとの交流が広がるグローバル時代、それは必須条件になります。

コミュニケーション力の前提となるのは、誰に対しても親切に笑顔で接するフレンドリーさであり、偏見なく柔軟に考えるオープンマインドな姿勢。私はそれを「かわいげ」と呼んでいます。これは巷で言われる「女子力」「愛され力」といったものとはまったく異なり、性差を超えたユニバーサルなサバイバル能力です。

「かわいげ」の本質とは、自分に足りないものを素直に認め、その不足を補ってくれる他人に自分を委ねられる能力。この「かわいげ」を獲得できているか否かで、社会に出て成功できるかは決まります。

なぜなら、社会には自分一人だけで完成する仕事は一つもないからです。一人だけいい点数を取って満足していても、そこからの発展はないのです。娘も「ハーバード大学のコミュニティは、お互いを尊敬するのが当たり前という前提で成り立っていた」と語っています。社会で多くの人脈やサポートを得て成功している人たちは、間違いなくこの「かわいげ」を備えています。

ただ、基本的に点数や偏差値で人の能力や上下を判断する学校教育の現場では、この「かわいげ」を獲得する機会はありません。フレンドリーさとオープンマインドな人格を養い、コミュニケーション力を磨くためには、家庭で子どもと親の一方的ではなく笑顔とユーモアに溢れた会話や関わりを増やし、その質を高めるほかないのです。

5教科だけでいい、は間違い

⑤ マルチタスク力
  
誤解があってはいけないのですが、「マルチタスク」といっても、聖徳太子が持っていたといわれる同時に複数の人の話に耳を傾ける、というような能力をいっているわけではありません。

私が知っているハーバード生たちは、みんな時間管理が上手です。ハーバード大学への入学が許されるような学生になるためには、小さいときから5教科以外に音楽やスポーツなどの分野で自分の得意を伸ばしたり、ボランティアやインターンシップといった課外活動を積極的に行ったりすることが必要となります。やるべきタスクは膨大ですから、時間管理が上手でなかったら、とてもハーバード大学には合格できないのです。

5教科だけをやっていればいい、という時代ではないのは、日本の子どもたちにとっても同じです。これは何もハーバード大学に入るためではなく、国境を越えてすべてが一瞬でつながるグローバル社会にコミットするためのキーとなるスキル。限られた時間を管理し、瞬時に優先順位をつけてタスクをこなす能力は、「脳内整理力」といってもいいでしょう。あるいは自らを客観的に俯瞰して観察できる「メタ認知能力」ということもできます。

家庭教育は準備が10割

義務教育の基礎となる5教科は学校に任せておけばOK。家庭教育の目標は、自己肯定感、グローバルスタンダードの英語力、グリット、コミュニケーション力、マルチタスク力の5条件を養うこと。そこに、家庭が持っている時間、お金、場所といった資源(アセット)を集中投下してください。

5教科には教科書という頼れるテキストがありますが、家庭教育には「こうやっておけば安心」という教科書はありません。けれど家庭教育は「準備が10割」。環境作りの準備さえしておけば、親は、子どもの横でニコニコ見守っているだけでいいのです。あとは子どもが自らやるようになっていきます。

新しい家庭教育に取り組む前に、まずはお母さん、お父さんにしていただきたい準備があります。それは“我が家のミッション”を書き出すこと。どんな企業もホームページを見てみると「MISSION」「企業理念」が掲げてありますね。その家庭版です。

家庭=一企業と考えると、そのメンバーである家族一丸となって取り組むミッションは、目先のことではなく、未来を見据えた大きなものになるはずです。たとえば我が家=廣津留家のミッションは「グローバル時代に貢献できる子どもを育てる」。みなさんもぜひ考えてみてください。

失敗は笑い飛ばすことが大切

「どうしてこんなこともできないの?」「どうして机に向かってくれないの?」「どうしてこんな成績なの?」と問い詰めてしまう親御さんがいらっしゃいます。お母さん、お父さんがイライラして心に余裕をなくしてしまっていたら、お子さんは萎縮して学ぶどころではなくなります。

家庭教育の前提は、「何でも発言できる」というリラックスした雰囲気。お母さん、お父さんがキリキリしてしかめっ面になっていたら、このミッションに立ち戻ってみてください。この大きなミッションに比べたら、たとえばテストの点数が悪かったことなんて小さなことと笑い飛ばせるはずです。

繰り返しになりますが、すべてのベースとなるのは、子どもへの100%の「アンコンディショナル・ラブ」と「フル・アテンション」。我が子の可能性を信じる気持ち、そして、失敗を笑い飛ばせるユーモア感覚です。さあ、眉間にシワを寄せず、家で一緒に楽しく学ぶことを考え始めましょう。

次の記事では、これらの5つの力を伸ばすための家庭教育について、具体的にお伝えしていきたいと思います。

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裁判中に居眠りし「帰りたい」とゴネる車椅子アウト老

03.29 16:34 現代ビジネス

(文・高橋 ユキ)

車椅子の被告人の裁判は「何かある」

この日の静岡県伊豆の国市は雨が降ったり止んだりを繰り返し、スッキリしない天気が夜まで続いていた。伊豆箱根鉄道沿線脇の住宅街に住む女性は仕事上がり、近所のスーパーで弁当を買い帰宅したところ、隣の家の前に、白い軽トラックが停められているのを見つける。

隣家が炎に包まれたのはそれから数時間後のことだった。

古い木造の一軒家が全焼するのに時間はかからなかった。消防活動も追いつかない中、火の粉を上げ轟々と燃える家からパジャマ姿で逃げ出して来たのは、ここに住む会社経営者・吉田浩(仮名・当時75)と、同居していた元妻。二階に寝ていた46歳の長男が逃げ遅れて死亡した。

『伊豆の国市放火殺人事件』と呼ばれる事件を起こした“白い軽トラックの男”は、2015年6月21日の夕食どき、ガソリン入りのペットボトルや段ボールなどで自作した『時限発火装置』をこの家の風呂場脇に置いた。時間差で火が上るようにし、自身のアリバイを証明しようと企んだのである。だがそんな偽装工作も虚しく、3ヵ月後に逮捕されてしまう。兼子満義、当時72歳だった。

一般的に「高齢者による犯罪」と聞いて思い浮かべるのは、経済的に追い詰められた末の万引き、長年の介護による疲れからの殺人など、〝やむにやまれぬ〟事情から起こした犯罪だろう。だが、それは高齢者犯罪の一側面でしかない。

驚くほどに身勝手な理由や思い込みから、凶悪犯罪に手を染める高齢者や、自身の不遇を憂いて他者を巻き込み暴発する高齢者たちがいるのだ。私はそんな高齢の凶悪犯罪者たちを『アウト老(ロー)』と勝手に命名し、彼らの裁判を傍聴してきた。

兼子の裁判員裁判は2017年6月、静岡地裁沼津支部で開かれた。初公判の日、法廷奥のドアから現れた兼子はなんと車椅子。

車椅子の被告人の裁判は『何かある』。これは長年の傍聴経験から感覚的に得た、私の持論だ。

車椅子にも驚いたが、それに乗っている兼子を見てまた驚いた。体はまるで即身仏のように骨と皮状態で青いジャージはぶかぶか、膝にパステルカラーの毛布をかけている。口は半開きで肌は真っ白。白髪頭もほとんど禿げ上がり、すでに半分あの世に足を突っ込んでいるかのような風情なのである。

ちゃんとした受け答えができるのか、被告人質問で話ができるのだろうかという心配がよぎる。案の定、名や居住地などを問われる『人定質問』の時からすでに何を言っているのか聞き取れなかった。

裁判長「お名前は?」

兼子「兼子……(名前が聞こえない)」

裁判長「生年月日は?」

兼子「昭和18年……(そのあとが聞こえない)」

傍聴席の最前列で聞いていてもこの有様。ますます被告人質問で話ができるのかと心配になった。

法外な利息を上乗せされ

事件は兼子の逮捕時、吉田さんとの「なんらかのトラブル」があったと報じられていたのだが、次に驚いたのは、その真相だ。単に借金を返さないなどといった単純な話ではなかったのである。

もともと印刷会社を経営していた兼子は、並行して発明品の制作に取り組んでいた。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の直後、自身の発明品であり、家具の転倒を防止するための安定板『ふんばる君』がテレビで取り上げられ、バカ売れした。ところがこの年の3月に地下鉄サリン事件が発生したことで、全国ネットのテレビ放送はオウム真理教(当時)一色となり、『ふんばる君』特需はわずか2ヵ月で終わった。

会社立ち上げにあたり銀行から融資を受けていたが、経営状態は思わしくなく、数年で利息の支払いに苦しむようになっていた。『ふんばる君』特需の儲けがあろうと焼け石に水。2006年には自宅件仕事場が差し押さえられ、翌年にはこれを売却。

兼子は妻とともに、長男の住むアパートに居候し、パン屋でアルバイトをする身となった。最終的に、事件1年前に会社を畳み、自己破産した。これを決意したきっかけは、自身の胃ガンである。診断時、すでに7箇所に転移しており、医師からは「余命3ヵ月」とまで言われたのである。胃の切除手術を受けたのち、銀行から自己破産を勧められた。

これで一件落着とはいかなかった。兼子は『ふんばる君』特需前から銀行以外にも方々から金を借りており、地元の幼馴染、栗山(仮名)からも600万円を借りていた。この栗山が、友人であり今回家を燃やされた吉田に「貸した金が戻ってこない」と相談。ふたりで兼子のもとへ行き、借用書を書かせることにした。なんとそこに記した金額は1300万円。法外な利息を上乗せしたのである。

銀行への負債に加えて、倍以上もの借金を背負わされた兼子は、吉田から「これから始める採石事業を手伝って金を返せ」と言われ、吉田の会社に住み込みで働くようになった。だが採石事業はいつまでたっても始まらない。

「人生の中でここの生活が一番最低だった。時給は採石の仕事が始まらないので正月にもらった1万円だけ。家賃を請求されることがないので文句も言えなかった。夫も、浩や栗山から『採石を手伝え』と言われていたので他に仕事ができず、風呂も月に一度で、生活は母親の年金頼みだった。このままでは死んでしまう、他で働いてくれるよう夫に頼み、別の会社で働くようになった……」

この当時のことを振り返った兼子の妻の調書である。兼子夫妻は、吉田の会社を逃げ出したのちに自己破産手続きに踏み切った。そこへ現れたのが、債権者として通知を受け取った栗山だ。

「栗山は病院に通院した帰りにうちに寄り『なんで破産手続きしたんだ、年金から1〜2万円でも払え。払えないと家を燃やす』と言いました。栗山は採石事業にからみ吉田に多額の出資をしており困っている様子だった」(兼子の調書)

兼子はこの栗山の訪問をきっかけにして、吉田の事務所での苦しい生活を思い出し、犯行を決意したという。歳をとったとはいえ、かつて発明品制作でならした男が、時限発火装置を作るのは造作もないことだった。当初は吉田と栗山の家を燃やすつもりだったというが、吉田の家に火をつけたのちに、当初の目的を忘れたのか、調達したガソリンの残りは、隣家の倉庫を燃やすために使ってしまった。

「分からない」を連発

運が良いのか悪いのか、ガンが7箇所に転移し『余命3ヵ月』とまで言われた兼子であったが、胃の切除手術後は回復し、公判時も生きていた。さらには「15年7月、運転中にタバコを車の床に落とし、拾おうとして12メートルの崖から転落したが、幸い怪我もなく無事だった」(妻の調書)という驚愕エピソードも飛び出す。見た目は抜け殻のような男だがその生命力と悪運の強さには感服してしまう。

さてその兼子、やはり『車椅子の被告人』らしく、番狂わせを起こしまくった。まず体調不良のため、公判期日が1日、延期になってしまったのだ。さらに翌日、行われた被告人質問で兼子は小さな声で「分からない」を連発。返答の際は、声を出すのではなく首を縦か横に振るだけ、という横着な様子も多々見られた。

それどころか質問の途中にあわや〝死んだのか!?〟と皆がびっくりするような出来事も起きた。兼子は放火殺人のほかにも「隣の猫がウチの金魚を食べた」と揉めていた隣家の郵便ポストに脅迫状を入れ、ガソリン入りペットボトルを投げ入れ、隣家倉庫を燃やしたという脅迫などでも起訴されている。これについて聞かれたときのことだ。

弁護人「隣の家とのトラブルは、金魚を猫が食べたかもしれないというものでしたね?」

兼子「………」

弁護人「質問、辛いかな?」

兼子「………」

証言台の前に車椅子で座る兼子の表情を傍聴席からうかがい知ることはできないが、体も心なしか右斜めに倒れ始めている。

「兼子さん!」

そう弁護人に強く言われ、ようやく「ハッ!」とした様子で姿勢をただしていた。寝ていたのだろうか……?

兼子の番狂わせはまだ終わらない。次は、朝早くからの被告人質問で疲れ果てたのか、昼休憩に入るために休廷になった際、駄々をこね始めた。

「帰りたい、帰りたい、帰りたい〜〜〜〜」

午後、車椅子で連れてこられた兼子は、なんと調書読み上げが続く時間帯に眠り始めた。口をさらに開け、少し上を向いた状態で目を瞑っている。膝にかけられた毛布はずれまくり、今にも落ちそうになっていた。

そんな投げやりな兼子だったが、これだけは何度もはっきりと繰り返していた。

「恨みつらみがあった」

自分と妻をタダ働きさせた吉田さんへの恨みつらみである。のちに兼子には懲役17年の判決が下された(求刑懲役18年)。未決勾留日数は380日参入。出所するのは90歳前後だろう。その時妻は生きているのか。それより兼子は生きて出られるのか。いや、そんなことは兼子にとってもはやどうでも良いことなのか。積年の恨みを晴らし、晴れ晴れとした気持ちなのだろうか。

「恨みつらみがあった」というが、当の吉田は難を逃れ、その長男が巻き込まれた。しかも最初は「栗山の家にも火をつけようと思っていた」というのに、うやむやになっている。それももう、兼子にとっては、どうでも良いことなのか、それとも、出たらまたやってやる、と思っているのだろうか。吉田の採石事業は今も始まっていない。

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郊外にこだわった「しまむら」がネットと東京になぜ進出?

03.29 16:27 現代ビジネス

(文・加谷 珪一)

ネット通販への参入や、都心型店舗の検討など「しまむら」の動きが活発になっている。郊外型店舗を軸に展開するしまむらは、同じカジュアルファッションでもユニクロとは明確に棲み分けてきた。

ユニクロは、事実上、国内市場を「捨てた」状況にあり、海外に活路を見いだそうとしている。一方、しまむらがターゲットにしているのはあくまで国内である。ネット通販への参入は、都市部の顧客を獲得するための施策と考えられるが、郊外型店舗を中心とした基本戦略は変わらない可能性が高い。

一体なぜだ!

衣料品大手「しまむら」のネット通販参入が明らかとなった。開始時期は未定だが、アマゾンや楽天などと具体的な交渉を進めているという。

同社はこれまで、ネット通販に対して慎重な姿勢を取り続けてきた。ネット通販市場がここまで拡大してからの参入ではタイミングが遅すぎるとの指摘もある。この分野は先行者メリットが大きいので、同社がネット通販の分野で大きなポジションを占めるのは、確かに容易なことではないだろう。

しかしながら、従来事業の補完という形にフォーカスするのであれば、同社のネット通販への進出はそれなりに効果があると筆者は考えている。

しまむらは、郊外を中心に出店を行うという基本戦略を実直に続けてきた企業である。2017年2月時点におけるしまむらの店舗数は2013店舗だったが、このうち東京都内にあるのは76店舗しかない。しかも、都内といっても、あきるの市や足立区など典型的な郊外となっており、いわゆる都心の繁華街にはほとんど出店していない。

売上高ベースでも東京都は全体の4.7%程度しかなく、北海道(5.1%)を下回り、愛知(4.6%)と同レベルである。ユニクロも全国にまんべんなく出店しているが、東京への依存度は高い。

全790店舗のうち96店舗が東京都内にあり、売上高ベースでは全体の17%を占めている。ユニクロはイメージ通り、都会のお店ということになる(ユニクロの数字は2017年8月時点)。

郊外型店舗は地味ではあるが、ひとたび顧客を獲得すると、継続して来店が見込めるので経営効率がよい。

ユニクロの国内店舗における単位面積あたりの売上高はしまむらの3倍以上もあるが、従業員1人あたりの売上高はしまむらの方が多い(両社資料から筆者推定)。

都市型店舗は賃料も高く、多くの店員を配置することで、積極的に商品を売り込む必要がある。一方、郊外型店舗は、顧客が自然に買ってくれるのを待つスタイルなので、都市型店舗ほど手間はかからない。

しまむらは、郊外型店舗の効率の良さを極限まで追求してきた企業であり、これが同社の強みになっている。

ユニクロはもはや海外企業

しかしながら、国内の衣料品市場には人口減少という逆風が吹いている。ユニクロは、縮小が予想される国内市場に見切りを付け、海外シフトを積極的に進めてきた。

ユニクロの国内店舗は過去5年間で824店舗から790店舗と大幅に減少している。同じ期間でしまむらが1707店舗から2013店舗に拡大したのとは対照的である。先ほど、ユニクロは都会で稼いでいると説明したが、店舗閉鎖は都市部も例外ではなく、ユニクロは東京都内だけで17店店舗を閉鎖している。

大きな稼ぎが見込める大型店に資源を集中する戦略だが、見方を変えれば、国内市場にはすでに見切りを付けたともいえる。5年前は国内店舗の売上高は約5900億円、海外店舗は1500億円だったが、昨年は国内が7400億円、海外は7000億円を突破した。ユニクロの業績拡大の原動力は海外にある。

しまむらは、一部で海外出店を行っているものの、ユニクロのような本格的な展開は考えていないだろう。そうなってくると、業績を拡大するためには国内市場を深掘りするしかない。縮小する国内市場で顧客を増やすための方策が、ネット通販と都市型店舗の組み合わせということになる。

しかしながら、同社のネット通販は、単体ではそれほど大きな効果を発揮しない可能性が高い。同社は自社サイトの構築も検討しているようだが、当面はアマゾンや楽天など、既存のネット通販サイトへの出店という形を取るという。

しまむらはユニクロとは異なり、メーカーとしての機能は持っておらず、あくまでメーカーから商品を仕入れて販売を行う純粋な小売店である。

その意味では、アマゾンと同じ業態ということになり、アマゾンへの出店は、小売店が小売店に出店する形態となる。販売の主導権は当然、アマゾン側にあり、しまむらにとっては不利な状況にならざるを得ない。

専門店を展開できるか

それでもアマゾンや楽天への出店を検討するのは、ネット通販を早期に軌道の乗せ、既存店舗網の販売力を強化したいからだろう。ネット通販によるリアル店舗強化策のヒントは米国にある。

米国ではスーパー大手のウォルマートがアマゾンと激しい争いを演じているが、両社の戦いは「ネット対リアル」という単純なものではない。

ウォルマートは、全国津々浦々に展開した店舗網を利用して、ネット通販の商品受け取り場所として店舗を活用している。必ずしもネット通販と店舗で顧客を奪い合う形にはなっていないのだ。店舗で見た商品を、後日ネットで買うという顧客も多い。

しまむらも、やり方を間違わなければ、ウォルマートのようにネットと店舗が相互補完するような体制を構築することができるだろう。具体的な手法はまだ分からないが、専門店の強化というのはひとつの方向性を示している。

しまむらは4月から寝具専門店に参入することを明らかにしている。同社はすでに靴や子供用品、雑貨などの専門店を600店舗以上出店している。

衣類を軸に、生活をまるごとカバーする戦略と考えられるが、この手法は、家電を軸に、リフォームや家具、ホームファッションなど住関連全般に対象分野を広げたヤマダ電機に似ている。ヤマダも典型的な郊外のロードサイド店舗を得意とする企業であり、しまむらとの共通項は多い。

従来の郊外型店舗のリソースはそのまま生かし、ネット通販では専門店を中心に商品を展開するというシナリオが見えてくる。郊外にはすでに店舗があるので、そのままショールームになるが、都心にはその場所がなかった。都心部への出店は、これまでリーチできていなかった客層を呼び込むための仕掛けと考えれば辻褄は合う。

百貨店とスーパーが駆逐される

しかしながら、縮小する国内市場にこだわり、その中で業績を拡大していくというのは並大抵のことではない。分野は異なるが、ニトリも都心部への出店を加速させるなど、同じ戦略を描く企業は多い。

4月に出店する寝具専門店は、ベッド用品や布団などが主力商品となるので、これはニトリが得意とするホームファッションの分野と重複してくる。今のところは異なる業態でも、相互に商品を拡充していけば、異なる業態間で顧客を奪い合う状況になってくるだろう。

まさに弱肉強食の世界ということになるが、しまむらやニトリは、当分の間、パイの奪い合いで苦しむことはないだろう。その理由は、同じパイの奪い合いでも、奪う相手が別に存在しているからである。

その相手とは、現在、もっとも勢いのない業態ということになる。具体的に言えば、郊外では大型スーパー、都市部では百貨店である。

誤解を恐れずに言えば、しまむらの路線転換やニトリの都市部への展開は、スーパーと百貨店が抱える顧客の争奪戦ということになる。

こうした状況で百貨店やスーパーが生き残るためには、テナントに場所貸しをする不動産業への転換をさらに進めていくしかない。数年後、都市部の百貨店に行くと、ニトリやしまむらといったブランドが並んでいるという状況になっていてもまったく不思議ではない。

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女子は30代以降と結婚後「男ウケ」よりも「女ウケ」が大事

03.29 16:22 現代ビジネス

(文・鈴木 涼美)

元日本経済新聞記者にして元AV女優の作家・鈴木涼美さんが、現代社会を生きる女性たちのありとあらゆる対立構造を、「Aサイド」「Bサイド」の前後編で浮き彫りにしていく本連載。今回は、第14試合「男ウケVS女ウケ」対決のAサイド。

今回のヒロインは、生まれついての男ウケ体質女子。若い頃は美味しい目に合っていたけど、結婚後風向きが変わり……。

男ウケと女ウケのあいだ

いかにも男ウケを狙ったファッションやキャラ作りというのは得てして他の女からの評判を落とすが、男に全くモテない人生というのはそれはそれで他の女からバカにされるので、私たち、男ウケをそんなに狙っていないふりをして、男ウケを狙う、というものすごく手の込んだことをしながら生きていかなくてはいけない。そうです、女は面倒臭いんです。

AV嬢時代の一番の悩みは、なんでこんなにダサさを詰め込んでダサさを叫ぶようなダサい衣装を着なくてはいけないのか、ということだったが、男がムラっとくる格好、あるいは男が「お嫁さんにしたい♡」と思う格好というのは、申し合わせたように女ウケが悪い。

つまり私たちはニット1枚、パンプス1足買うたびに、自分は今回男ウケをとって女としての尊厳を失うか、女ウケをとって殿方とのご縁を失うか、ものすごくヒリヒリした選択を迫られている、ということになる。

少なくとも私のように、安めぐみほど男ウケがいいわけでも、渡辺直美ほど女ウケがいいわけでもない、ごく普通のパンピーはそうだ。男にモテなきゃ人生始まらない、と開き直って白いニットなんか身につけた次の日、男ウケを気にするあまり女なのに変声期を経たみたいな声になっている友人を心底バカにする。そうやってモテと尊厳の狭間で揺れてブレて人生は進んでいく。

そしてなんだかんだどっちにブレすぎることもなく、どちらも多少は妥協して、或いは時々プチギレして、自分なりの折衷案を持ちつつ、なるべくどちらも失いすぎないように、うまいこと泳ぐすべを学んでいく。

それは、男並みに受験勉強とかしながら、化粧や女子トークやお料理や脱毛も放棄しなかった私たち現代女の宿命のようなものである。そしてマリリン・モンローよりブスで、土井たか子ほど志高くもなかった私たちパンピーの引き受けるべき運命でもある。男に愛されなかったら生きていくのすら面倒だし、かといって女友達に見放されたら生きていても退屈だ。

ただ、当然、どちらにより重きを置くか、というのは人によって違うし、限りなく左寄りの中間、という人もいれば知らず知らずのうちに右のウエイトが大きくなっていた、という人もいる。そして彼女は、限りなく左寄りの中間として生きてきた半生を、最近やや懐疑的に振り返る。

男ウケを体現したような女

彼女が、男に選ばれるためなら女に多少嫌われてもやむなし、という生き方を選んだのにはそれなりの理屈が通っている。そもそも、下がり目で背が低く、上半身だけ肉付きがよいため全体的に柔らかい雰囲気の色白な見た目は、どう考えても女ウケより男ウケをするべくして天に与えられたものだった。

鹿児島県から有名女子大入学を機に上京した彼女が、生きていくために選んだアルバイトはキャバクラだった。別に追い詰められていたわけでも、苦渋の決断をしたわけでもないが、コンビニや喫茶店よるは楽しく効率よく稼ぎたかった。キャバ嬢が、一部の女の子が憧れるような華やかなイメージを持つ前、純粋に男のための仕事だった頃の話である。

「別に水商売がどうしてもやりたい、とかではない。水商売でもいいかなっていうくらい。最初は。で、やればそれなりにできるのは私もわかってた。ブスもいればデブもいるし、ちゃんとしたドレス着てない子とか、男ウケ悪そうな喋り方のことか、いくらでもいるじゃん。レギュラー出勤だったからって、バイトで週4の私でも、そんなのに負けるわけない、と思ってた。バカも多いし」

キャバクラ嬢にも色々いて、売り上げや指名の取り合いにそれほど熱心ではなく、和気藹々とした雰囲気を好み、店の女の子たちと仲良くして、直接的な成績に繋がらないアフターなどにはいくが、営業や同伴はめんどくさがるようなタイプを、大まかに分けて「楽しいのが一番」派だとしたら、彼女はその対極にいた。売り上げの序列や指名本数にシビアで、同伴や営業電話はとても熱心、プロ意識が高く、馴れ合いを嫌い、やる気のないホステスを嫌い、仕事のできないスタッフを嫌う。「稼げなければ意味がない」派とでも言おうか。

大学にはそれなりに真面目に通い、卒論も書いたが、キャバクラが思いの外向いていたのか、収入は当初希望していたよりずっと高く、レギュラー出勤ではないにもかかわらず、多い月では100万円に少し欠けるほどになった。そうなってくると、月収を半分近くまで下げるために昼職の入社面接に向かう気にはなれなかった。

女子大で、当然同級生は全て女の子だったが、頑固な彼女に就活をするよう説得するような気概のある友人はいなかった。お茶したり、ご飯を食べたりするくらいのことがあっても、女友達と旅行に行ったことは人生で一度しかない。

「その頃は、女の子と遊ぶと割り勘だし、気も使うし、男の人と旅行とか行ったら無料だし、わがまま聞いてくれるし、その方がよくね?って思ってたんだと思う。女友達が全くいないタイプだっていう自己認識はなかったよ。今考えれば全然いないし、私のこと嫌いなことかいっぱいいたけど。それはもちろん、うち田舎だから、帰るだけでお金かかるし、親に迷惑かけられないし、東京にいるためにはそれだけお金かかるってこともあるけど」

リア充=同性とのコミュ力が高い

キャバクラ嬢がモデルのファッション誌が流行ったせいか、今や歌舞伎町の有名キャバ嬢のところには女の子のファンが客として訪れるような時代だが、彼女は時代がそういった方向に向かって流れていく前に、キャバクラを卒業した。店で知り合った不動産関係の経営者と結婚したからだ。25歳の終わり頃だった。

彼女に比べてやる気のない、楽しさやみんなの和を優先する同僚たちは、風紀と言われて禁止されている店のマネージャーやボーイと付き合ったり、あるいは近くのホストクラブのホストと同棲したりしていたが、彼女は将来を見据えないその場限りの恋愛には一切興味がなかった。まして、自分が酒の席で男相手に働いているのに、男にお金を使うなど考えられないことだった。

「実家都内だし、親も元々経営者で、旦那も大学まともで起業って言ってもITとかじゃないし、地に足ついてるかなって。出会ったのが店っていうだけで私の客として通ってきたわけじゃない。知り合って、割とすぐ付き合ったし、すぐ結婚した。7歳年上だから向こうがギリギリ40で子供の入学式出たがってて。キャバクラ通ってくるようなヤツだったら結婚しなかった。付き合いで行くことはあっても通うタイプじゃなかった」

26歳のうちに第一子、1年半後に第二子を出産し、最近になってようやく子供が少し手離れして時間ができたが、ママ友の微妙な関係も、学生時代の友人とのマウンティングも苦手で、たまにグループラインで近況報告をする友人たちはいるものの、優先してこなかった女友達との付き合いは、付け焼き刃で攻略できるほど甘いものではないらしい。

「リア充って言葉あるじゃない? あれって基本的には、同性とのコミュニケーション能力が高いって意味な気がするんだよね。インスタとか、一応登録はしてるけど、イマイチ投稿するのがよくわかんない。というか、今の人気のキャバ嬢とかのアカウント見てみると、女の子うけ狙ってるやつがほとんどで不思議。キャバ嬢まで女の子向けなんだったら、男友達しかいない女って今流行ってない感じするよね」

結婚してみると、男友達は格段にできにくくなる。既存の友人とも若干会いづらくなり、それまでよく遊んでいた男の子たちが離れて行くのがわかった。向こうが結婚すればさらに距離は広がり、連絡先の変更のお知らせすらこなくなるらしい。

この世の中、若い女の子は得することがたくさんある。それは可愛ければ可愛いほど、男にモテればモテるほど、おじさんウケすればするほど顕著に増えるので、男に好かれる女の20代は明るい。ただ、どっちにしろ男ウケしなくなってくる30代、あるいは必然的に男と縁が少なくなる結婚後を彩るのは、同性同士の繋がりなのかも、とちょっと思う。

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佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」

03.29 16:19 現代ビジネス

(文・原田 隆之)

「俺の人生は、一体何だったのだろう」

3月27日、国会での証人喚問を受けた佐川宣寿・前国税長長官は、このように自問する日々を送っているのではないだろうか。

東大を卒業し、官庁の中の官庁である財務省に入り、大臣秘書官、関税局長、理財局長、そして国税庁長官など、華々しい経歴を歩んで来た佐川氏であったが、まさにそのキャリアの最後で疑惑にまみれ,その地位も名誉も地に堕ちた。

今年の確定申告のさなかに自ら財務省を辞職した後、証人喚問の場に引きずり出され、今後は大阪地検特捜部の捜査の手も及ぶことが予想されている。

大きな不満と不信が残った

さて、衆参両院の予算委員会で佐川氏の証人喚問が行われたが、その証言を巡っては厳しい批判が相次いでいる。

特に、文書改ざんの経緯や自身の関与については、証言拒否を繰り返し、その数は50回近くにも及んだ。

その一方で、改ざんに対して官邸側からの指示があったかどうかという点に関しては、明確に否定した。

まさに自己保身に汲々とし、上におもねる姿は、理財局長時代の国会答弁と何ら変わらず、その小役人ぶりは徹底していた。辞めてまで政権の顔色をうかがうその姿は、哀れですらあった。

とはいえ、きちんととらえておかねばならないことは、刑事訴追を受けるおそれのある場合など、正当な理由があるときは証言を拒むことができるという証人に保障された正当な権利についてである。多分に乱用したきらいはあるが、彼はその権利を行使したにすぎないとも言える。

また、偽証したときは、刑事罰が科される可能性があることから、彼が官邸からの指示を明確に否定したということは、官邸側からの「明確な指示」はなかったのだろう。

これらを割り引いても、やはり佐川氏の証言とその態度には大きな不満と不信が残る。

特に、問題になっているのは「明確な指示」の有無よりも、財務官僚による忖度の有無であり、文書の改ざんはもとより、国有地の不当な値引きはあったのかどうかについて、忖度がはたらいて行政がゆがめられたのかどうかということである。

それは当然彼もわかっているはずだ、しかし、それについては、「内心のことはわからない」と逃げの証言に終始した。

自己保身と上にへつらうのが、佐川氏の生き方なのであれば、その良し悪しは別として、それを今から急に変えることはできなかったのかもしれない。

そういう点では、トップで質問に立った自民党の丸川珠代議員も同じだ。

「首相からの指示はありませんでしたね」「昭恵夫人からの指示はございませんでしたね」と畳みかけるように問いかけ、それは質問というよりは、誘導尋問であった。さらに、議員の権力を背景にした「ダメ押し」のようにも聞こえた。

質問をする側、証言をする側、その立場は違っても、国民よりも官邸のほうばかり向いて、こんな茶番のような質問をする丸川議員もまた、佐川氏と同じ種族の人間なのだと強く印象づけられた。

道徳性の発達「6段階」

国権の最高機関である国会で、このような情けない姿を見るにつけ、つくづく知性と道徳性は比例するものではないことがはっきりわかる。

トップ官僚も国会議員も、知性という面では、相当に秀でた人々なのだろう(と信じたい)。

その一方で、彼らの道徳性はどうだろう。

アメリカの心理学者のコールバーグは、道徳性の発達について、6つの段階に分けて説明している。それは、以下のような6段階である。

(1)罰の回避と服従の段階
(2)相対主義的な利益を志向する段階
(3)同調し「よい子」を志向する段階
(4)既存の法と秩序そのものを尊重する段階
(5)合意や契約によって変更可能なものとして法や秩序を遵守する段階
(6)一人ひとりの人間の尊厳の尊重といった普遍的倫理原則を志向する段階

小さな子どもは誰しも、親や大人に叱られたり、罰を受けたりすることがないように行動する。それが、子どもの道徳性である(第1段階)。

しかし、成長に伴って、より打算的になる。「相手が自分にとってよいことをしてくれれば、自分もよいことをしてあげる」という相互主義的なルールに従って行動する。一見、公正であるように見えても、自己中心的な道徳性である(第2段階)。

その後、仲間集団など、自分が準拠する集団のルールに同調し、「よい子」「よいメンバー」として振る舞うことが道徳的だと思うようになる。これも一見、「よい子」には見えても、拡大された自己中心性にすぎず、より大きな社会のルールや規範を無視してしまうこともある(第3段階)。

もっと成長すれば、自分や自分の属する小さな集団の利益ばかりを追求することが「よいこと」なのではなく、社会の法や規範を守ることが道徳的なのだと言うことを理解し、そのように振る舞うことができるようになる(第4段階)。

さらに進んだ段階として、権威から押し付けられた法や社会規範が絶対なのではなく、社会にはさまざまな価値があり、それを守るために合意によってルールを変更すべきだという柔軟な道徳性を持つに至る。われわれがルールに仕えるのではなく、自分たちのためにルールはあるということを理解できる段階である(第5段階)。

そして、最もレベルの高い道徳性は、普遍的価値、倫理的原理に従った行為が正しい行為だととらえる段階であり、法を超えてでも「正しい行い」をすることができる。ときには、その社会や時代には理解されず、後世になってその偉業が称えられることもある(第6段階)。

ここで、注意すべき点は、誰もが最高のレベルまで到達することができるわけではないという事実である。ほとんど人は、第4段階あたりで足踏みし、第5段階ですら到達するのは難しいと言われている。

このように見たとき、佐川氏のこれまでの言動は、(2)や(3)のレベルであると言わざるを得ない。いわば小学生レベルの道徳性だ。

これまでの答弁や態度、そして今回の証言を見ると、自らの利益を守り、政権にとって「よい子」であるように振る舞うことが、彼の道徳であったとしか思えない。

自身の関与は明確にしなかったが、理財局ぐるみでの公文書の改ざんは認めており、公務員でありながら、法も秩序も軽視する傾向があったことはもはや否定しがたい。

さらに、自らの立場を危うくしても、高い倫理観をもって、職責を果たすことや、証言をすることは到底できなかった。

国会がこれだけ大混乱をきたし、膨大な時間を浪費し、大きな国益を損ねていることを、彼はどう感じているのだろうか。

おそらく、このように「小さい道徳」しか持たぬ者には、それが見えないのだろう。

あるいは、頭ではわかっていても、そのように振る舞うことができないのだろう。

これでは、組の掟には従うが、国の掟には従わないヤクザと、道徳性という意味では何ら変わらない。

チャンスは残されているが…

人間はもとより弱くて小さな存在であるし、誰かが自己保身を図ったからといって、それを非難できるほど私自身も高い道徳性を有しているわけではない。

自己を犠牲にして、大きなものを守ることができるほどの高い道徳性を有している人々は、英雄や偉人として名を残している人々である。そのような人は少なくて貴重だから、尊敬を集め、歴史に名が刻まれるのだ。

とはいえ、佐川氏もひたすら自己保身と証言拒否をしていただけはない。彼は「書き換えはあった。担当局長としてひとえに私に責任がある」とも証言している。

ならば、今後その責任をどう果たしていくというのか。本当にそう感じているのなら、単なる口先だけでなく、行動で示してほしい。

彼は地位も名誉も地に堕ちてしまったが、それを挽回できるチャンスはあった。

それが証人喚問の場だった。

国会を混乱させ、文書改ざんという大それたことに関与して、国民と国会を冒涜した責任の自覚があるならば、率直に非を認めたうえで、誠実に証言することもできたはずだ。

もし、彼が自己の立場が危うくなることを承知のうえで、そのように真摯に証言したならば、少なくともその態度に多くの人は感銘を受け、名誉の回復につながったかもしれない。

しかし、残されたその貴重なチャンスも彼は自ら放棄してしまった。

でもまだチャンスはある。それは、今後予想される検察による取り調べに対してである。

ここで彼が何を語るのか。

これまで雁字搦めになっていた「小さい道徳」から自由になり、1つも2つも上の段階へと成長して、自らの責任を果たすことができるチャンスはまだ残されている。

ピンチのときこそ、成長のチャンスである。

窮地に陥ったときに、思ってもいなかった力を発揮できるのが人間のすごいところだ。名誉挽回のチャンスも、道徳性の発達の可能性もまだ十分ある。

そして、それを成し遂げることができれば、「俺の人生は、一体何だったのだろう」という問いも、もう虚しく響くことはないだろう。

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私たちが意外と知らない「交番とは何か」

03.29 16:16 現代ビジネス

(文・武岡 暢)

歌舞伎町における高額ぼったくりの興隆と衰退を読み解く、『歌舞伎町はなぜ<ぼったくり>がなくならないのか』の著者、武岡暢・東京大学大学院助教の論考。高額ぼったくりが流行したのは、交番警察官の怠慢だったのか?

前編」はこちらからどうぞ。

高額ぼったくり収束「2つの理由」

高額ぼったくりがこうした短期的なイタチごっこと同じプロセスをたどらず、むしろ2年以上の長期にわたって収束したままである(2018年3月現在)ことの理由は2つ考えられる。

1つは営業者側の理由、もう1つは取り締まる側の理由だ。

何らかの事情で店名や名義上の経営者を短期的に変えながら営業することが難しい場合は、イタチごっこは成立しない。しかし、ぼったくりという手口に関して特別にこうした困難が存在すると考える合理的な根拠は差し当たって思い当たらない。

もう1つの取り締まる側の理由は容易に想像がつくものである。そもそも歓楽街の摘発や取締りの事例として、被害者が営業者と連れ立って交番前までやってくることは異例である。

こうした異例の事態において、「引き剥がし」の戦略が端的に功を奏したこと、このことが高額ぼったくりを中期的に収束させることに与って力があったのではないか。

このことを直接論証しようとするならば高額ぼったくりの当事者たちにインタビューをするのがストレートだが、筆者にはそうしたインフォーマント(情報提供者)の心当たりはない。

ここでは<警察の方針転換>と<高額ぼったくりの収束>とのあいだの因果関係は仮説として提示するに留めておき、そこからさらに一歩踏み込んで、これらの現象のより一般的な意義について考えることで、将来行われる(かも知れない)調査研究の下準備を行うこととしたい。

そもそも「交番」とは何か?

警察の方針転換に対して、一定の理性を備えたぼったくり店(だからこそ規則的にぼったくりを行うことができた)が一斉に高額ぼったくりから手を引いていったのだとすれば、高額ぼったくりを1年もの間のさばらせてきたのは交番の怠慢だった、と言えるだろうか?

交番で警察官がぼったくり店員を被害者から「引き剥がす」ようになったことはひとつの「方針転換」であった。一定の新しい「方針」ということは、場当たり的な対処ではないことを意味する。

その意味では、ぼったくり被害者が泣きついてきても一切の対応をしなかったことも、交番にとってはひとつの「方針」であったわけだ。

しかしこの「方針」とは何だろうか?

拙著『歌舞伎町はなぜ<ぼったくり>がなくならないのか』(イーストプレス、2016)で論じたように、警察の「方針」を形づくるもののひとつに「通達」がある。

通達とは上位の行政機関が下位の行政機関に対して、法の具体的な運用、執行に際して障害となるような曖昧さを取り除くため、統一的な見解を示したものである。

「客引きやスカウト行為、客引き等を受けて入店した客からの不当な料金の取立て等の迷惑行為に対し、法令を多角的に適用した積極的な取締りを実施する」という通達が2015年7月付けで示されていたことは前回述べた。

「通達」という存在が物語っているのは、法文が必ずしも完全に厳密なものとは限らない、ということである。

そして、「完全に厳密な」状態というのは実は通達によっても確保されることは困難であり、法を実際に解釈し、適用する対象となる現実の状態は原理的には無限の多様性をそなえている。

つまり、現場では一定の裁量の生じる余地があることが通例である。

こうした問題に焦点を当てた一群の研究は「ストリート・レベルの官僚制」論と呼ばれる。

官僚制を理念として捉えると、規則の支配や文書に基づいた上意下達など、感情や属人的判断を排除する側面が強調される。

こうした理念的な見方においては官僚制組織の方針あるいは政策はトップが決定し、下位の成員はそれを滞りなく、ルールに則って実行していく。

しかし「ストリート・レベルの官僚制」論が着目したのは、現場=ストリート・レベルにおいては官僚制の理念たる合理性は必ずしも一貫したかたちで実現しておらず、むしろ第一線で働く職員=ストリート・レベル官僚の裁量が大きなウェイトを占める現象であった。

古典的な事例としては社会学者のピーター・ブラウが『The Dynamics of Bureaucracy』(1955)で挙げた職業安定所の職員の例がわかりやすい。

職安職員は月ごとに処理するケース数にノルマが課されていたため、時間のかかるケースが後回しにされたり、逆にノルマを達成したあとは時間のかからないケースを翌月のために取っておいたりしていた。

本来であれば考慮されるべき求職者の緊急性などの事情はここでは無視されてしまう。縁故等によらず平等に職業紹介を行うポテンシャル(≒官僚制のポジティブな面)を持っているはずの職業安定所が、現場レベルで問題を抱え込んでしまうのだ。

この場合の問題は第一線の職員が「ケースを処理する順番」について裁量を持っていたことに起因していた。

こうした裁量の問題に「権限のあるdelegated裁量」と「権限のないunauthorized裁量」という区別を持ち込んだのが警察研究の泰斗J.H.スコールニックだ。

著書『警察官の意識と行動』(1966=1971)において、警察官には明確に認められている裁量と、実は権限を持っていないかも知れないのに行使している裁量がある、と彼は論じる。

もっともスコールニックは権限のある裁量をまったく問題がないものとみなしているわけではない。権限があっても、判断のための基準はしばしば測定が難しく、また複数の基準を組み合わせる必要があるかも知れない。

そうした場合、正当に委任された裁量であっても、それが不正に行使されることは大いにあり得る。ましてや権限のない裁量の場合は、問題はよりあからさまで重大である。

「ストリート・レベルの官僚制」の語を一挙に普及させたのは政治学者のマイケル・リプスキーである。

彼は著書『行政サービスのディレンマ』(1980=1986)のなかで「ストリート・レベルの官僚」を「仕事を通して市民と直接相互作用し、職務の遂行について実質上裁量を任されている行政サービス従事者」と明確に定義し、そこにおいて裁量が生まれる構造と、その問題への傾きを明らかにした。

裁量は職員に権力をもたらし、職安の例のようにそれが不当に行使される場合がある。しかしながら現場職員は単純な悪者ではない。

リプスキーが強調したように、職員たちは置かれた状況ゆえに原則と現実とのジレンマに苦しんでいるのだ。問題ある裁量も、ジレンマに対する一種の「戦略」として理解することができる。

交番における不作為とは何だったのか

歌舞伎町交番の「不作為」は、こうした一連の研究蓄積に照らし合わせるとどのように理解することができるだろうか。

残念ながら、ぼったくり被害の訴えに対する不作為にかんする研究は管見の限り存在しないが、警察研究においては警察官が法を執行しないかたちで裁量を行使するケースは一定の関心を集めている。

たとえば日本の警察にかんする調査研究を精力的に行っている吉田如子(京都産業大学・社会安全警察学研究所)によれば、吉田が調査を実施した2002〜3年頃、日本の交番警察官は外国人への職務質問を避ける傾向があったという。
当時不法滞在単体を処分することに警察は非常に消極的であったため、交番警察官としては外国人に職務質問し不法滞在以外の違法性が認められなかった場合その後の処置に苦しむことになる。そこで交番警察官は明白な不法行為の現認などがない限り外国人に対する職務質問を避けており、かえって外国人に対して特別な思いを抱いている様子であった。(吉田 2006: 158)

証拠採集のための費用、留置場の定員、取り調べのための十分な警察側の人員確保、時には検察の状況まで、法の執行は、様々な事情によって左右される。筆者が交番で調査を行っていた時期は、入管関係の収容施設の定員や制度、手続がやや非現実的であったため(その後実際に定員・手続その他は変更されている)、警察官たちは不法滞在単体を認知してしまわないよう、外国人に職務質問することを避け、関連法制度に対して非常に冷笑的であった。(吉田 2010: 265)

交番警察の不作為は外国人を対象としたものに限定されない。むしろ交番警察の活動は全般的に従属的で、「裁量」に関しては微妙な立ち位置にある。

日本の交番警察は一般に警察全体に対する疎外感を抱いており、「交番警察官と専務警察官の上下関係は階級の如何に関わらずほぼ絶対であった」(吉田 2006: 159)。

吉田によれば虚偽の110番通報を繰り返してきた泥酔者に公務執行妨害が適用できるかについて交番から本署に対して問い合わせをしたところ、本署の回答は「受忍限度内」であったため交番警察官はこの人物を宥めたりおだてたりして2時間以上にわたって対応しなければならなかったという(吉田 2006: 162)。

つまり、法令の観点から見れば現場での裁量と見える不作為は、直上の警察組織との関係においてむしろ健全な裁量が制限されている状態である可能性がある(ほかに例えばアメリカにおける逮捕の少なさとその要因分析についてはTerrill & Paoline (2007) などがある)。

歓楽街におけるぼったくり店への対応は、吉田が不法滞在について指摘したのとは逆の意味で、交番警察官に二の足を踏ませるものであると言えるかも知れない。

歓楽街の、とりわけ風俗営業店の営業実態はしばしば法的にグレーで、ひとたび立ち入りを行えばさまざまな問題が発見される可能性がある。

しかし歓楽街全体としてそうしたグレーな状態は一般にグレーなままに留め置かれており、立入りによって白日の下にさらされてしまうことは法の執行者にとって不都合をもたらすかも知れない。

以上の推論から示唆されるように、交番はある一定の「地域」のなかに埋め込まれるかたちで機能する。

警視庁においては端的に「地域部」とか「地域課」とかの部署名が採用されているが、おそらくはこれらの名称が意図しているであろうように「地域」は警察活動の対象であるのみに留まらない。

ある一定の社会的な諸力を成り立たせる「場」としての「地域」において警察は活動し、警察を含む多様な主体はそうした地域において成立する「地域社会」と相互作用を展開する。

警察のそうした側面を、特に日米の比較から強調したのがデービッド・ベイリーの『ニッポンの警察』(1976=1977)である。

ベイリーは日本の警察、とりわけ交番活動に注目し、人びとと警察とがアメリカのように敵対的ではなく、むしろ交番に代表されるように「コミュニティ」の一員であることを指摘する。

そこにおける警察活動は必ずしもハード(フォーマル)な法執行に限らない、ソフト(インフォーマル)な秩序維持活動としての日常的なコミュニケーションを含んでいる。

そうしたコミュニケーションや市民からの信頼感が、地域の治安を良好に保つことに役立っている、というのがベイリーの分析だ。

折しもアメリカではコミュニティ・ポリシング(地域住民との連携も含めてソフトな警察活動のレパートリーを重視する政策)が注目を集め始めた時期でもあり、日本の警察に関するベイリーの分析にはそうした関心が透けて見える。

交番の警察活動が地域という文脈に大きく左右され、地域社会の性質から自由でないとすれば、歌舞伎町交番が置かれている状況はそもそもシビアなものであると言える。

歌舞伎町には普通「地域コミュニティ」の担い手として前提される「住民」がほとんどおらず、営業者も流動的で、歌舞伎町で働く人びとも入れ替わりが早い。

地域警察が頼りに出来る「地域コミュニティ」はその意味でほとんど存在しないか、存在してもきわめて頼りないものである。

高額ぼったくりの興隆は防ぐことができたか?

最後に、本稿のこれまでの内容を簡単に要約しよう。

2014年後半から2015年前半にかけて見られた「ぼったくり報道」のブームは、「高額ぼったくり」のブームを反映したものであったことが青島弁護士へのインタビューで明らかとなった。

1年ほどの流行を経て急速に「ぼったくり報道」が収束したのは「高額ぼったくり」そのものが収束した時期と一致しており、この収束のきっかけとしては警視庁の方針転換、つまり被害者とぼったくり店とを引き剥がす方針への転換があったと考えられる。

ぼったくり店はランダムにぼったくりを行っているわけではなく、ある程度の規則性をもって活動していた。高額ぼったくりの急速な収束もまた、警視庁の方針転換などの何らかの変化に対して一斉に起こった反応であろう。

では、歌舞伎町で1年ものあいだ高額ぼったくりが持続的に流行したのは、交番の不作為の責任なのだろうか? 交番はすぐさま引き剥がしのような対応を取ることができたはずで、そうした対応を取らなかったのは交番警察官の怠慢だったのだろうか?

本稿では「ストリート・レベルの官僚制」論を簡単に紹介し、一般に第一線機関においては作為にせよ不作為にせよ何らかの裁量が発生し得ることを確認した。

さらに国内外の警察研究によれば、地域警察はどちらかといえば不作為への傾向性を持つ。日本の地域警察はハードな法執行よりはむしろソフトな秩序維持活動を担うことが期待されてきた。

そしてこのソフトな秩序維持活動は「地域コミュニティ」に下支えされることで成り立つのであって、警察組織は「地域」という場における相互作用に参加するひとつの要素にすぎない。

以上が本稿の議論の大まかな内容であるが、そこでは「地域」の文脈をいささか強調しすぎたきらいがある。

言うまでもなくローカルな特質はそれを含み込むより広い範囲の社会から自由なわけではない——こうした一般論のレベルからもう一歩踏み込むためには、以下のような論点を経験的に調査していくことが重要である。

実際に個々の交番において地域警察官たちがどのように職務に取り組み、法令や通達、現場の小集団の力関係や本署とのかね合い、そして歌舞伎町という地域の文脈の認識や理解がどのように彼らの働き方に影響を与えているのか。また彼ら自身がどのようにそれらに働きかけようとしているのか。

交番警察官は既に十分に疎外感を抱えており、それゆえにかなりの程度シニシズムと親和的な認識枠組みを身につけている(吉田 2006)。そうした状況に対して必要なのは、性急な糾弾でも盲目の賞賛でもなく、何が起こっているのかを知ろうとすることであろう。

1年ものあいだ流行した高額ぼったくりが被害者たちに与えた苦痛を重く受け止めればこそ、応急処置での問題の「解決」に安んじることなく、問題が発生したり収束したりする社会構造を全体として理解することを目指さなければならない。

高額ぼったくりの興隆が防ぎ得た歴史であったのかどうかについて答えられるようになるのは、そうした理解を得てからである。

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須藤凜々花と学者が本気で語る「人はなぜ結婚するのか」

03.29 16:06 現代ビジネス

(文・須藤 凜々花,堀内 進之介)

NMB48のセンターとして人気を博し、AKB48のシングル選抜メンバーにも選ばれた「りりぽん」こと須藤凜々花さん。2017年6月のAKB48総選挙で結婚を発表し、NMB48としての活動も終了している。

りりぽんは「哲学者タレント」としても有名で、ニーチェを「先輩」と称して哲学書まで刊行している。しかしニーチェといえば、結婚や「リア充」を否定していることで有名な哲学者である。ニーチェに心酔するりりぽんがなぜ結婚を選んだのか。そして結婚とはどういう意味をもつのか。

政治学者の堀内進之介さんの最新刊『人工知能時代を<善く生きる>技術』(集英社新書)刊行のタイミングで開催された二人の公開講座より、抜粋してお届けする。

哲学者ニーチェの「自由に生きる」とは

須藤 須藤凛々花です。哲学の講義をするのは2年ぶりです。そのときは、私の処女作である『人生を危険にさらせ!』(幻冬舎)という本の発売記念ということで政治社会学者の堀内進之介先生と講義をしたのですが、今回は、この『人生を危険にさらせ!』で掲げていた目標、「恋愛をする!」を無事⁉達成したので、今回は私が講師としてゲストの堀内進之介先生をお迎えしたいと思います。ゲストの堀内先生です!

堀内 本日はわざわざありがとうございます。

須藤 今日の講義はニーチェがテーマです。私が大好きな哲学者です。哲学界ではカリスマ的存在ですね。この間は、ハローキティとコラボをしていました(笑)。

ニーチェさんは、ドイツの哲学者で、有名なところでは「神は死んだ」という言葉を残しています。そんなニーチェさんが2つ悪いとした言葉があります。

ニヒリズムとルサンチマンです。

ニヒリズムは、救いがない状況で神を信じられない時代が到来して、生きている意味を見い出せなくなる。生きている意味なんてないんじゃないかと思って、楽なほうへ流されたり、何もしたくなくなるというのがニヒリズムです。

そんなとき、ニーチェさんは、「人生に意味はないんだよっ! 意味はないから、だから自由に生きれるんだよっ」って言ってくれるんですね、ハイ。それはまぁたしかに無責任で、突き放した言い方に聞こえるかもしれないですけど、自分の人生に責任を持てるのは自分だけだよということです。自分をちゃんと見つめなさいというメッセージを強く出してくれていると思っています。

受験のときは勉強以外のすべてはかどる

須藤 つぎのルサンチマンというのは嫉妬とか妬みとかなんですけど、ルサンチマンという言葉が書いてある本で、「なんであの子は結婚しちまったんだ」みたいな例文が出ていたんですね。まぁ、私も結婚しますけど。ルサンチマンっていうのは、自分の弱い心がマイナスに働くことです。何もかもうまくいかないから、明日世界が滅亡すればいいのにとか、みなさん思うことありませんか。試験日の前日とか、地球が滅亡すればいいのにって。

堀内 最近思いました? 受験のときとか。(注:りりぽんは今年大学を受験。残念ながら合格には至らなかった)

須藤 思いました! 受験のときは、勉強以外のすべてがはかどるなって思いました(笑)。

結婚をディスる理由

須藤 自分が明日どうしても失敗するんだったら、みんなも失敗すればいいとか。そういった道連れ精神とか、マイナスしか生まない考え方のことルサンチマンというのですが、ほんとにダメな嫉妬ですね。消化しきれない嫉妬。ニーチェさんは、それを克服しろと言っているんです。

でも、私はニーチェさんにもルサンチマンを感じることがあります。というのは、とにかく「リア充」をディスること。それから女子とか。でも、恋愛や芸術についてはいいと言っているんです。

ニーチェさんは、恋愛や芸術は、自分の生の肯定に強く貢献してくれると考えていて、すごくいいものとして考えていた。特に芸術だと、現実の生にあまりに乖離しているものではなく、暗くてカオスな現実が表現されているもののほうがいいと言っていました。

それをめっちゃ難しい言葉で、アポロ的なものとディオニソス的なものというふうに分けています。アポロ的なものは、すごく明るいけど、現実の悪いものを覆い隠そうとする芸術で、ディオニソス的なものというのは現実の不満や苦悩をそのまま出す芸術のことです。

まぁほんとに私もアイドルなのに、総選挙で「結婚します!」とか言ってカオスなものも、芸術としては現実の生に近いものを映していて、それはそれでいいものなのかなって……。あ、肯定しているわけじゃないですよ。

ニーチェさんは恋愛はいいと言っていましたが、結婚はとにかくディスるんですね。こういう言葉が残っています。「恋愛とは短期的愚行、そして結婚生活とはその短期的愚行にピリオドを打つ長期的愚行」。……素晴らしい名言を残しています(笑)。

結婚は面倒くさいけど

堀内 じゃあ、なんで須藤さんは結婚したんですか? 恋愛したいっていうのは知っていましたよ。出会った時の最初の質問は、「どうやって誰かを好きになるんですか」だったから。だいぶイカれてるなと思ったんですけど(笑)。どこの誰だか知りませんけど、ビビっときたわけなんでしょ。松田聖子風に言うと。

須藤 そうです(笑)。

堀内 ニーチェさんは結婚したかったと思うんです。でも変なヤツだったと思うんです。なので、フラれたわけです。結婚についての悪口は山ほど書いています。たとえば恋愛結婚についても、「誤謬を父として必要を母とする」とか、つまり「結婚とは勘違いの産物である」と。

それから、「まともな哲学者で結婚しているヤツは誰もいないぜ、たとえばヘーゲルとか……」って、順番に名前を挙げていったりして、自己正当化するんです。まさにこれがルサンチマンなんじゃないかと思うんですけど。

それで、ニーチェの哲学に触れるあなたにとっての結婚って何なのでしょうか?

須藤 うーん、結婚は、めんどくさいものだと思います! 今、まさに感じているところです。まず、いろいろお金がかかります。すごくかかる! 物件探しているんですけど、めちゃくちゃ大変で、手続きとか審査とか。結婚指輪も「高っ!」って思ったし。

受験するにも苗字が変わって、手続きもしなきゃいけないし、二人で生活するからたくさん気を遣うし、きっと家事もしなきゃだし。めんどくさいと思います。でもだからこそ、選びたいと思いました。なぜなら、哲学は楽なほうを行っちゃいけないから! 

堀内 なんか、「いいこと言った!」みたいな顔してますけど。「はー?」って感じですよね。でも、そんな真剣に結婚について考えたことあるんですか?

須藤 ないです、正直。結婚という制度に対しては、考えたことはないです。でも好きな人と向き合ってみると、結婚してみたいと思いました。

堀内 結婚もいろんな形がありますよね。事実婚も制度的な結婚も。苗字も変わらなきゃって言ってましたけど、それについては違和感ありませんか?

須藤 ないです!

堀内 どうして?

須藤 自分は、変わらないから。

堀内 表面のラベルは変わっても、関係ないと。なるほど。

須藤 しかもその一番上のラベルは好きな人のラベルだし、ラッキーみたいな。

堀内 なるほど。私は私として変わらないから、関係ないってことですね。

須藤 制度に反抗する方法って、その制度に則らないというよりは、その制度に全力でのっかって、その制度自体の欠陥を体現したほうがいいかなって。

堀内 なるほど、その辺りはちゃんとニーチェにつながってるんですね。ニーチェにとっては、制度にただ従うとか、逆に制度に反抗するということはあまり意味がなくて、制度の中で、自分のほうから主体的に変えていくということを重視していると思うんですね。

須藤 そうです! いったん引き受けるというか。その精神が好きです。

技術が夫婦のあり方を変える時代

堀内 それが、生を肯定するということなんです。ところで、この間、中田敦彦さんとテレビに出ていましたよね。その中で、中田さんが、グーグルのスケジュールを奥さんと共有している話が興味深かったです。スケジュールも把握して、かつGPSでお互いの位置情報も分かるから、絶対に不倫は起こりませんって言うんですね。

新たなテクノロジーによって、確かにいろんな問題が起こりにくくなったかもしれませんけど、要するに監視しているわけですよね。新しい技術が、夫婦のあり方まで変える。とても面白いと思いました。

一方で、あなたは結婚は面倒くさいと言う。面倒くさいから、あえてそこにもいきたいと。効率重視の背景には、信頼という基本的なベースがないのかもしれないし、基本的な信頼がベースにあると、こうした技術はいらないかもしれない。現代のテクノロジーが生活環境や人間関係をつくり直してしまっている部分があると思います。りりぽん自身は、効率重視な結婚についてはどう思っているんですか?

須藤 いやです、それは絶対にいや。好きな人を縛るのは絶対……浮気されたら悲しいけど、でも、私は好きな人にはぜったいに自由でいてほしい。なおかつ、自分と一緒にいることでさらに自由になってほしい。だから監視はぜったいにいやです。

私は、彼が自分を愛してくれているというところに信頼を置いているのではなくて、彼の判断に信頼を置いているので、彼が他の人を好きになっても、彼が好きになったのなら、彼の選択のセンスを私は好きだから、まぁ……仕方ないっ! 

家族は「帰る場所」

堀内 なるほど。人工知能の技術が進化して、社会はますます効率化へと向かっていますよね。SNSによって、他人の動向もすぐにわかる。新しい技術によって人間関係のあり方も変わってきている。

あなたは結婚宣言をした後の記者会見で、「恋愛禁止のルールで我慢できる恋愛は恋愛じゃない」と言いましたけど、このデジタル化の時代に、とことんアナログな道を選んでいる。それはある意味、「バカ」な選択かもしれない。でも、効率重視のスマートな生き方だけじゃなく、一方で、バカなままでもいられるっていうことが、いまの時代の「善き生き方」なんじゃないかなと思うんです。

須藤 そうですね! そういう生き方も「カッコいいよね」って、なるといい。

堀内 社会の仕組みをつくるのは、「便利かどうか」の上に、「カッコいい」「おしゃれ」「リッチ」という価値観に追う部分が大きいと思います。あえて不便を選ぶことが、社会的にカッコいいと認識される社会のほうが、ムダもなく、失敗もない、効率重視の社会よりもよっぽど豊かだと思う。

あなたは、そんな不便でめんどうな結婚を選んだわけだけど、彼と結婚したいというより、家族になりたいんじゃないのかな?

須藤 そうかも!

堀内 じゃぁ、家族って何ですか?

須藤 家族は、帰る場所。

堀内 帰る場所が欲しいですか? 帰る場所になりたいですか?

須藤 うーん、帰る場所は、以前はいっぱい持っておこうって思っていました。いろんな世界に、常に2、3個持っておこうって。でも今は、1つに決めることが自分への成長につながると思ったんです。それから、自分も帰る場所になるんだっていう覚悟が、最近できました。

堀内 最近ですか(笑)。ニーチェも地の部分で、帰る場所が欲しかったんだろうなと思うんですが、同時に帰る場所を持つのが怖かったような気もするんです。あなたも、もともと安住の場所を見つけることを望んでいなかったのでは。心境の変化があったのかな?

AKBか国立大学か

須藤 私は、お母さんと弟の3人で暮らしていて、中学生くらいから、お金持ちになってぜったいに親孝行したいって思っていました。お母さんは昼も夜もめいっぱい働いて、家事も全部して、それなのに家で勉強しかできない自分がくやしくて。でも勉強しないと何も返せないから、国立の大学に行ってエリートになる!という目標をずっと持っていました。

そんなとき、中学校で哲学の授業があって、それが楽しくて、哲学者になりたいと思いました。そこで哲学科についてパソコンで調べたら、就職率がクソ低くて(笑)。たしかにお金儲けには役に立たない学問だから、まぁしょうがないかと思っていました。

でも、高2の時に我慢できなくなって、外に出たくなったんです。勉強だけしている穀潰しにはなりたくないと思って。早くお金も稼ぎたいし、夢も叶えたい。夢を叶えるのに、お金のせいにはしたくなかったんです。それこそ親不孝だなって思ったんで。それで、AKBか国立大学かって真剣に悩みました。

AKBには握手会がある。ソクラテスは街の人といっぱい話して思想を高めていった。だから私もいろんな人としゃべる。握手会がある。で、AKB、お金も稼げる、と(笑)。オーディションを受けたら、大阪のグループに受かってしまい、いっちょ、大阪で稼いでくるわって、置手紙を残して、旅立っていったわけですね。

母親には、反対もされたし、ビンタもされました。味方でもあり、最大のアンチでもある家族ですけど、でもやっぱり帰る場所で。

でも好きな人ができたら、いろいろ変わって、家族に対して気づいていなかった思いとか、理解できなかった部分も理解できるようになりました。母親は恋多き女性ですけど、女としての生き方も共感できるようになったし。好きな人ができてからのほうが家族の大切さがよりわかったというか。今まであった居場所よりも、自分で見つけた居場所によって、さらに昔の自分も認識できるようになった部分があります。

堀内 今みたいな体験によって、だいぶ見方が変わるでしょう。僕は、哲学を無理矢理、養分にしなくてもいいと思っているんです。どんなことでも役立てなさいという哲学の先生もいますが、僕は、何でもかんでも取り込めばいいとは思わない。それから、いろんな方面にいい顔をする必要もない。右を向いているときに左は向けないわけですから。どっちを向くかはあなた自身が決めること。批判もいっぱいあるでしょうけど。

須藤 私はいろんな趣味がありまして、麻雀とかヒップホップとか。それでメディアに出させて頂くこともあるんですが、知識不足で批判されることもあります。そのときはつらいです。

でも、哲学のことで批判されるのは、うれしいです、逆に。自分の知らないことも知ることができるし、私の発言で皆さんの中に問いが生まれているということなので。堀内先生がおっしゃっていたことですが、「哲学とは、何かの問を立てるところに本当の部分があって、答えを出すことじゃない」と。だから、批判する皆さんも哲学しているということです。

これからもいろんな経験をして、かっこいい女性の哲学者になって、善き人生を送りたいと思います。なので、みなさんも善き人生が送れるように、祈っています! 何もできないけど(笑)。

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「男性・一人暮らし・お酒」の3つが驚くほど死を近づける

03.27 15:54 現代ビジネス

(文・西尾 元)

北島三郎さんの次男が亡くなった。一人暮らしで飲酒が好きだったという。「男性」「一人暮らし」「お酒」――この3つが揃うと「解剖されやすい」と言うのは、現役の法医学解剖医である西尾元・兵庫医科大学教授。この死をどう見ているのか。

「心不全」という病名は使わないほうがいい?

3月3日、歌手の北島三郎さんの次男、大野誠さんが、自宅で亡くなっているところを発見された。死後1週間くらい経っていた。大野さんは、51歳。まさに、働き盛りという年齢だった。

死因は、「心不全」となっている。この「心不全」という病名について、法医学では、できるだけ使わないほうがよいとされている。

人は亡くなる時、だれでも、心臓の機能が悪くなる。だれでも、心不全になる。なぜ、心不全になったのか、その原因を診断することが大事だ。

そのように、法医学は、教える。実際に、解剖しなければ、心不全の原因を詳しく調べることは難しい。大野さんが、解剖されたのかどうかはわからない。

大野さんは亡くなる時、一人だった。その時の状況はわからない。遺体が発見された時、おそらく、警察が遺体や部屋を調べただろう。警察は、解剖する必要があるかどうかを判断する。

おそらく、何かの病気で急に亡くなったに違いない。事件が関係していることはない。そう、警察は判断したのだと思う。

そのような場合、遺体が解剖されないこともある。遺族の感情もある。遺体を解剖してまで、死因を調べる必要があるのか。そう考える人は、実は多い。

解剖される遺体が増えている

法医学の現場では、今、解剖される遺体の数が増えている。

私の勤務する兵庫医科大学では、大学が創立された後の1974年には、解剖数は年間に40体ほどだった。それが、2015年には、321体になった。約40年間に、法医解剖の数は、約8倍になったことになる。

このように解剖が増えたことには、わけがある。

大野さんのように、亡くなった時、周りに人がいなければ、発見されるまでに時間がかかる。誰かが遺体を発見した時、なぜ亡くなったのかがわからない。

こうした遺体を、法医学では、「異状死体」と呼んでいる。異状死体が見つかった時、警察は必ずその遺体を調べることになっている。解剖する必要があると判断すると、私たちが解剖することになる。

日本では、今、独居者が増えている。

特に、高齢者で一人暮らしをしている人が増えている。内閣府の「平成28年高齢者の経済・生活環境に関する調査結果(全体版)」によると、1980年に、一人暮らしをしていたのは、男性で約19万人、女性で約69万人だった。

2010年には、男性約139万人、女性約341万人になったとしている。高齢者人口に占める割合は、男性で11%、女性で20%の人が、一人暮らしをしていることになる。

解剖が増えているのには、そういった事情が関係している。今後も、一人暮らしの高齢者の数は増加が見込まれている。

「独居」と「お酒を飲む」は一番関係が深い

北島三郎さんは、お酒は飲めないそうだが、大野さんは、かなり好きだったようだ。

肝臓の調子が悪く、体調を気にしていたと言われている。大野さんの死因に、悪かったという肝臓の状態が関係したのかどうかはわからない。

私の法医学教室で解剖された人を調べてみて、興味深いことがわかった。解剖する時には、亡くなった人について、様々の情報を警察から聞く。

独居だったのか、それともだれかと暮らしていたのか。何か病気になってはいなかったか。お酒を日頃から飲んでいたのか。仕事をしていたのか。亡くなった人の生活の状況を警察から聞いて、記録している。

「独居」という項目に、一番関係が深かったのは、「お酒を飲む」ということだった。

この結果が分かって、「ああ、そうなのか」と妙に納得してしまう。一人暮らしの寂しさに、酒を飲む。一人暮らしの人が、家でお酒を飲んでいる姿は思い描きやすい。

独居しているから、お酒の飲むようになるのか、それとも、お酒を飲むという習慣があるから、独居するようになるのか。今のところ、わかっていない。だが、それは、とても興味深い問題ではある。

一人暮らしをしている人が、お酒を飲むようになった理由には、いろいろある。家族と生活していたのだが、会社を解雇されて、その後離婚した。そういった人もいる。

一人暮らしを始めると、生活が乱れてくる。特に、男性が、そうなりやすい。衣食住という基本的な生活の仕方を男性は身につけていないことが多い。仕事ばかりしてきた男性が、何かの原因で、一人暮らしになると、途端に日常生活が難しくなる。

お酒を飲んだことが原因で亡くなった人を解剖すると、体が汚れていると感じることがある。こういった時、解剖される人は、たいてい男性だ。男性が一人暮らしを始めると、生活が乱れやすい。

独居しているか、それとも、だれかと同居しているのか、それぞれの生活様式をしている人の中で、病気で亡くなった人だけを集めてみた。

すると、亡くなった病気の内容が、独居者と同居者とで、違っていることがわかった。

独居者と同居者、最期の違い

2014年から2016年の3年間、独居者を調べてみた。

解剖した時、病死と分かった人は、98人いた。このうち、消化器系の病気で亡くなっている人が30人と、一番多かった。全体の31%を占めていた。

だれかと同居している人で、病死した人は90人いたが、消化器系の病気で亡くなっていたのは10人しかいない。全体の11%に過ぎない。

同居している人で、病死している原因として一番多かったのは、循環器系疾患だった。39人が亡くなっていた。全体の43%を占める。

独居者を解剖した時、死因が消化器疾患だったとわかることが多い。

消化器疾患の中では、肝硬変や食道静脈瘤の破裂で亡くなっている人が目立つ。こうした病気は、何年も前から、お酒を飲み続けているような人におこりやすい。

お酒を飲むということは、死因に関係しているように思われる。あくまで法医学で解剖された人の話なので、一般のお酒が好きな人に当てはまるのかどうかまではわからない。

だが、お酒を長年飲み続けると、いろいろな臓器が病気になることは、明らかになっている。

肝臓は、肝硬変になることがある。肝硬変になってしまうと、今のところ、治すことができない。

食べたものは消化されて、栄養分となる。血液にとけ込んで、まず、肝臓へと入っていくことになっている。

けれども、肝硬変になると、血液は、硬くなってしまった肝臓に入っていくことができない。肝臓の脇にある食道などの静脈に流れ込むことになる。

食道の静脈は、パンパンに腫れる。時には、破れて、出血を起こす。食道静脈瘤破裂という。お酒好きの人の死因として、知られている。

死後、見つかるまでにかかる時間

数年前の3月下旬だった。解剖したのは、50代の男性。

独身で、一人で暮らしをしていた。連絡がとれなくなった家族が部屋を訪ねてみると、男性は床に倒れていた。死後1週間は経っているようだった。

男性は、ウイルス性肝炎にかかっていて病院に通っていた。医師からは、お酒をやめるように言われていたのだが、それは難しかったようだ。家の中には、空きカンが残されていた。

解剖すると、肝臓は肝硬変になっていた。腸の中には、どす黒い色をした血液がたまっていた。死因は、「消化管出血による出血性ショック」とわかった。

男性の胃には、ブツブツとした黒い斑点がいくつもできていた。この斑点模様は、低体温症で亡くなった遺体に見られるとされている。低体温になるまでには、時間がかかる。

男性は出血で亡くなったのだが、出血してすぐに亡くなったわけではないことになる。男性は出血して動けなくなった。床に倒れている間に、気温が下がって、低体温になったのだろう。

男性は、死後1週間くらいして見つかった。一人暮らしの人が亡くなった時、遺体が見つかるまで時間がかかることが多い。

私たちが調べたところ、誰かと同居している人の場合、約8割の人は、死後24時間以内に発見される。

一方、一人暮らしの人では、死後24時間以内に発見される人は、約3割にとどまる。死後1週間から3ヵ月して見つかる割合が、約3割もある。

お酒を飲んで悪くなる臓器は、肝臓だけではない。脳にも、わるさをする。

大阪大学と国立がん研究センターが調べたところによると、ビールの大瓶を毎日一本以上飲む人は、月に1から3回、時々飲んでいる人に比べて、脳出血や脳梗塞に1.55倍かかりやすい。

毎日2本以上または日本酒2合以上飲んでいる人は、2.30倍となる。こうした人の中には、私たちのところで解剖される人もいる。

「解剖されやすい」人は誰か?

息子の急死を報告する北島三郎さんは、憔悴していた。子に先立たれる親の辛さが、表情に滲んでいた。

大野さんは結婚していなかった。最近は、生涯未婚率が上昇していて、未婚のままで、一人暮らしをしている人も多くなった。

大野さんの死は、他人ごとではない。だれでも、起こりうる死の状況といえる。

「男性」、「一人暮らし」、「お酒」とくれば、かなり危ない。法医解剖医からいうと、こういった因子を揃えている人は、「解剖されやすい」といってよい。

一人でこっそり亡くなったり、お酒を飲んで亡くなったりすることが悪いことだとは思わない。「そういった死に方でよい」という人もいる。

だが、そういった死を望まない人も多い。遺体が発見されるまで時間がかかるような死を迎えたくなければ、あらかじめ、何かの対策を考えておく必要がある。

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