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価値とは誰もが「よい」と承認すべきもの
前々回と前回の本欄で「仕事と人生に自分としてどう取り組むかという大テーマ」に触れた。本稿はその続きである。
前回書いた通り、自分の人生のためにやりたいことがあり、それと仕事が対立した場合、3通りの姿勢が考えられる。顧客第一仕事第一、それとは反対の自分第一人生第一、そして両者の中間、仕事と人生の均衡をとる、である。
「顧客第一仕事第一にすべし、という言う意見や感想は見当たらなかった」と前回書いた。ここで冒頭の問いに戻る。顧客第一仕事第一を強いられたらどうしたらよいのか。強いられなくても顧客第一仕事第一にせざるを得ない状況に追い込まれたらどうしたらよいのか。
「仕事と人生の均衡をとる」ことなど不可能、ひたすら仕事をするしかない。しかもその苦労はおそらく報われない。そう分かっているのに「やれ」と命じられた。命じられなくても「やるしかない」状況に追い込まれた。顧客第一仕事第一に切り替えて苦境に入るのか。自分第一人生第一を貫き、その仕事から遠ざかるのか。どちらかしかない。
重大な決断を下すにあたって「価値観に従う」という言い方がある。前回、前々回の拙文に対する読者の意見や感想を拝見していると価値観という言葉が散見された。気になったのは価値観の意味である。
読者の反応を読むと大抵の場合、個人として何に価値を置くか、という意味で使われていた。自分の家族や自分の健康に価値を置く人は失敗プロジェクト入りを拒否することになる。
何かひっかかる。広辞苑を開き、「価値観」を引いてみた。「個人もしくは集団の持つ価値評価の判断」とある。個人だけではなく集団が持つ場合もある。
「価値」とは何か。また広辞苑を引くと「物事の役に立つ性質・程度」「『よい』と言われる性質」と出ており、後者について「人間の好悪の対象になる性質」「個人の好悪とは無関係に誰もが『よい』として承認すべきもの。真善美など」と書いてあった。
価値観と聞くと筆者は「誰もが『よい』として承認すべきもの」という「集団の持つ価値評価」のことを思い浮かべる。本稿では価値観をその意味で使っていく。
ぎりぎりで腹をくくった人に敬意を
火中の栗を拾い、玉砕必至のプロジェクトに加わり、できる限りの努力をする。それを筆者は「誰もが『よい』として承認すべき」価値だと考える。ぎりぎりのところでそうせざるを得ないと腹をくくり、自分第一人生第一をあえて捨てると決め、行動した人に敬意を払いたい。
例えば先に紹介した、失敗プロジェクトの後始末をしたSEの決断と行動に筆者は頭を垂れる。ただし当人にそう言ったことはまだない。
誤解のないように念のため付け加えると「顧客第一仕事第一」に徹し、滅私奉公せよと言っているわけではない。決断は個々人がすることである。
自分を優先して失敗プロジェクトへの関わりを避けたとしたらどうか。「誰もが『よい』として承認すべき」こととは言えないと思う。
次のような価値観があると言われても同意できない。「失敗プロジェクトがあったとしても顧客か会社か誰かが対処するだろうから関わらないのが一番。何とかしろと言われたら逃げたほうがよい。命あっての物種だ」。
また誤解のないように念のため付け加えると人にはそれぞれ事情がある。自分第一人生第一の道を選んだ人を非難するつもりはない。
「史上最悪のプロジェクト」から学ぶ
引き受けて現場に赴けば死ぬしかない苛酷なプロジェクトに入り、職務を全うした先人に関するコラムを2006年から2008年にかけて日経xTECHの前身であるTech-On!に書いた。先人とは太平洋戦争で硫黄島の守備に就いた2万人強の兵士と彼らを指揮した栗林忠道中将である。
史上最悪のプロジェクトと言える硫黄島の戦いで“プロジェクトマネジャー”を務めた栗林中将は当時の日本軍幹部にしては珍しいほど合理的に考えられる人物で、与えられた条件下でとれる最も効果的な新戦術を編み出した。
合理的な計画を立てられても実行できるとは限らない。何が何でもやり抜く敢闘精神が求められる。硫黄島の守備にあたった2万人強の兵士に栗林中将は厳しい要請を出し、兵士達はそれに応えた。
栗林中将は合理的な思考と何としても日本を守るという気概を合わせ持っていた。同様の二面性を硫黄島に攻め込んだ米国海兵隊も備えていた。
『アメリカ海兵隊式経営』(デビッド・フリードマン著、ダイヤモンド社)によると海兵隊の価値観は7つある。「常に忠実であれ」「相互依存」「犠牲」「忍耐」「自信」「任務への信頼」「高潔さ」である。
海兵隊という軍隊、そして「忠実」「犠牲」「忍耐」などという言葉に拒否反応を示す読者がおられるかもしれない。だが、国防という大きな目的のために時には犠牲を覚悟する価値観があるからこそ徹底して合理的に戦略や戦術を考えることができる。その点は硫黄島で対峙した栗林中将も同じであった。