それにより救命が失敗して神聖な土俵上に市長の死体が横たわるということになればもっと土俵は穢されることになるわけだ。このあたりに人間の習性としてよく見られるいつものアレみたいなものがあると思っている。いったん何らかの理論に基づいて規則を制定したとき、理論というのはあっさり忘れ去られてしまい、ただただ規則を厳格に適用することだけを考えてしまう。
死、経血、出産は穢れであるという理論をきちんと理解していれば、女が土俵に上がって救命するほうがまだなんぼかマシであるという判断がすぐに下されるはずだ。しかし、それは出来なかった。彼らは伝統を承継していないという事実を最も恥じなければならない。
仮に救命が成功しても、神聖な土俵上に女性が入ってしまったら、すべてが台無しなんですよ。 だいたい、市長なんて一人や二人亡くなったって、次の市長を決めたらいいだけじゃない...