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ギロチン

2018-04-04

善良な市民時代の宇野常寛さんを改めて振り返ってみるAdd Star

当ブログ記事がきっかけで、宇野さんと左派の間でプチ炎上バトル状態になっているけど、でも宇野さんの過去を知らない人は多いと思うので、ここで少し振り返ってみよう。


惑星開発委員会時代

宇野さんのルーツは、彼が学生時代に開設していたテキストサイト惑星開発委員会」にあるんだけど、この頃から既に“違いの分かるオサレサブカルっぽいオタク目線から、深夜アニメやらドラマ、マンガなどをレビューする、今のキャラを確立していたように思う。Internet Archiveで少しその残骸が見れるんだけど*1、学生時代のキモオタ友人をネタにした「オタク黒歴史」、サブカルクリエイターや、言論人を纏めた「惑星開発大辞典」とか、富野由悠季の小説にスポットを当てた「富野小説黒歴史」など、今読んでも微笑ましい記事が残っている。しかし「ビョーキのオトコノコ」みたいな言い回しや、“違いの分かるオサレオタク目線からキモオタにマウンティングしていくスタイルなどは、浅羽通明大月隆寛に代表される『別冊宝島』系保守や、宮台真司からの影響を伺わせる。


ヘルシー女子大生

大学卒業以後、暫くは、はてなダイアリーで「ヘルシー女子大生」として暗躍するのだが、その頃は、社会派叩きや、セカイ系叩きなど、中二病いじりの先駆け的なネタや、北田暁大さんへのウザ絡みなどをしていたようだ。一応、Internet Archiveに少し残骸が残っているが*2、ほとんど消えているので詳しくは分からない。ちなみに、北田さんからは「はてなダイアリー斎藤美奈子」と評されていたらしい。まあ、シロクマ先生みたいな、オタクオタクコンプレックスを煽ってマウンティングする、はてな的スタイルは、ヘルシー女子大生時代の宇野さんによって、確立されたフォーマットであるといえよう。


第二次惑星開発委員会

その後、アニメや映画、ドラマなどのレビューと、同人活動を中心とした、第二次惑星開発委員会を立ち上げることになる*3。この時代は、惑星開発委員会ヘルシー女子大生からのスタンスをさらに深化させて、「大学生よ、サークル貴族を目指せ!」*4、「善良な市民のサークルクラッシュ人間学」*5林原めぐみと結婚したい嫌韓キモオタを、宇野さんがプロデュースする願望小説『高田馬場探偵局』*6などの脱オタク指南ネタや、エヴァンゲリオン的なトラウマからの克服を語った「「アニキ」が死んだ世界で、どう生きていくか?~『天元突破グレンラガン』第11話によせて」*7など、キモオタ実存問題により踏み込んでいくことになる。例えば、この「トリエント公会議*8などのように、当時のオタクは今以上に、自分のサブカルヒエラルキーが、そのまま人生や恋愛とか社会的ステータスなどに、直結するんじゃないかというオブセッションにとらわれていたと思う。


だが、当時から宇野さんの論法に対する批判はあった。例えば、第二次惑星開発委員会のメインライターであった転叫院氏は、「宇野さんの言論は、自分より下のオタクサブカルコンプレックスを逆なでしてマウントすることでしか成立しないのではないか?」*9という内容の声明を自サイトで発表する形で、宇野さんと決別している。しかし、宇野さんが、どこまでオタクの恋愛コンプレックスコミュニケーションに本気だったのか、疑わしいところがあるけど。


ゼロ年代の想像力』そして東浩紀とのタッグ時代

そして、デビュー作『ゼロ年代の想像力』(以下、ゼロ想)の出版と、同人誌『PLANETS』の成功によってキモオタだけでなく、映画秘宝系などのサブカル中年にも舌鋒を向けていき、例えば、ジュンク堂のイベントで「秘■のルサンチマン中年を皆■せ!!」という色紙を送って、逆に中原昌也から、宇野さんと洋泉社の間で起こった顛末を暴露されるという、ちょっとした事件があった*10

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また“東浩紀批判者”というポジションのまま、東浩紀に接近。震災直前まで東浩紀の子分というポジションが続く。以下の動画を見れば、当時の宇野さんと東浩紀の関係が伺えるだろう。

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荻上チキ東浩紀がガチケンカしているラジオ

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ゼロ年代の想像力』上梓と、東浩紀とタッグを組んだ頃には、善良な市民から今の宇野常寛へと変貌しつつあった。そして、東浩紀北田暁大を中心に編集された思想誌『思想地図』への寄稿、大学のシンポジウムへの参加などを経て、徐々に論客としての足場を固めていく。しかし、2010年まではギリギリ、(アニメを見るオタクなどの)サブカル的な実存を語ることが、そのまま、大文字の政治と社会の問題に直結しているかのように振る舞えていたと思う。


東浩紀との決別~震災以後

しかし、東浩紀との関係もそう長くは続かず、東浩紀が立ち上げた「コンテクチュアズ」(ゲンロンの前進)への参加見送りや、内輪向けに制作されたショートフィルムを巡ってトラブルが生じ、最終的に決裂することとなる。

そのショートフィルム。東浩紀と宇野さんがBL関係という、今だったら大炎上しそうな内容↓

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そして、決裂直後のタイミングで、東日本大震災福島第一原発事故が起こるわけだが、震災直後の混乱の中、宇野さんは、震災原発には触れずに、モノポリーで遊んでいる様子をツイッターに上げていたのを、東浩紀に強く批判されたことで、二人の決裂はより決定的なものになる。その後は、NHK Eテレ『日本のジレンマ』への出演や、AKB評論などを機に、気鋭の若手論客として急速にメジャー化していく。


善良な市民の遺産

ここまでざっと概要を示せば、宇野さんのスタートは、オタクサブカル、自分にも内在するサブカル的なコンプレックス自意識を、外部に向けて煽ることから始まったのが分かるだろう。彼の目線は「自分探し左翼」といったように、常に相手に内在する自意識に向けられる。だから、自分にもそれが跳ね返ってこないように「キモオタの痛々しさを理解してそれを制御できているオタク」という、捻じくれた中立主義気取りのポジションに座っている必要があるわけなのだが。しかし、それってキクマコ先生とか、「ワタシ左翼だけど自民に投票した~♪」みたいなその場しのぎのたぶらかしや、またネトウヨの普通の日本人アピール的なものにも繋がる態度でもあると思う。


まあしかし、相手に内在するコンプレックス自意識を煽ることでしか、政治を見通せないのは、何も宇野さんに限らず、そこら辺の冷笑系ツイッタラーにも共通していることである。その手の、メタポジションを多用しているような手合が、総じてネオリベウヨまたオルタナ右翼化しているのは、興味深いけどね。無論、宇野さんにその責任があるわけじゃないが、けどそういう己をメタポジションに置いて俯瞰する手法の雛形を確立させた一人であるには違いない。そして、それは今日の日本的文系リベラルオタクの、重要なアイデンティティの核になっているんじゃないかという気がする。


余談

ぶっちゃけ、書こうか迷ったけど、今に繋がるサブカル批評の原型はどういったものだったのかを、知らない人に知らせる必要はあるかなと思ったので、ある種の情報共有として、書いてみました。しかし、オタクサブカルが、自分のサブカル実存のことだけを呑気に考えられていた(本当はよくなかったのだが)牧歌的な時代もあったんだよな。

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