最後になりますが、若者論が我が国のメディアを大きく変えてしまったと思わざるを得ないことがあります。それは多くのメディアの「若者論化」とも呼ぶべき現象です。
かつて若者論では、若い世代は脳をはじめとする器質からして劣化している、若い世代を自衛隊に入れて鍛えろなどといった、科学的・学術的根拠や公式統計(もっとも、公式統計をそのまま信じるのも問題がありますが、少なくとも重要な指標であることは間違いないでしょう)に基づかない、ともすれば「暴論」と呼ぶべき議論が「持論」として無批判に受け入れられることがありました。
そのような印象論だけで社会や特定の社会階層、社会集団を語るという手法が、2010年代以降続々と現れているようになっています。2012年頃に起こった(それ自身ではなんの問題もなかった)ある芸能人の親族の生活保護の「不正受給」問題などはその典型と言えるでしょう。
また「敵」を過剰に大きく見せたり、過剰にバッシングしたりすることによって支持を集めるという方法も様々なところで見られるようになりました。
このような手法が広がったきっかけとして、2000年代終わり頃に、若者論や「ニート」論への反論の形で、上の世代や労働組合などを既得権益層としてバッシングし、一見「弱者」を装っている彼らこそが真の敵であるという論調を、一部のロスジェネ系の論客が張ったことが挙げられます。
そしてそのような流れは、ネット上で社会的に弱い立場の人に牙を剥くようになっています。
典型的なのが、2016年9月にあるフリーアナウンサーが言い放った、人工透析の患者は贅沢病である糖尿病(実際は「1型糖尿病」はもとより生活習慣病とも言われる「2型糖尿病」もすべてが生活習慣が原因とは限らないのですが)にかかっているので自己責任だ、という言説でしょう。
この発言は大きく採り上げられて問題視されましたが、本人は自分こそ正しいことを言っていると思っていて撤回するつもりはないようです。
インターネット上や論壇の至る所で、生活保護受給者、在日外国人、障碍者などに、このような狭い「正義」によるバッシングが向けられています。そしてこういったバッシングの広がりは、2016年7月に、神奈川県相模原市の障碍者養護施設における入所者の虐殺がその一端を示しています。
とにかくバッシングできればいい、という〈劣化言説の時代〉以降にメディアにおいて醸成されてきた態度が、どのような結果をもたらしているのか――。私たちはそれを、今一度考える必要がある。それが、若者論研究からの提言です。