4月4日は「子守唄の日」である。子供をあやす言葉「よしよし」にちなみ、2016年NPO法人・日本子守唄協会によって定められた。
子守唄と聞けば、ほとんどのひとが「ねんねんころりよ、おころりよ」の曲を思い出すにちがいない。
子守唄は各地で歌われるので、地域や世代ごとにバラバラであっていいはずだ。それなのに、なぜ「ねんねんころりよ」だけが飛び抜けて有名になっているのだろうか。
その背景には、戦時下の音楽教育が関係している。1941年に発行された国民学校芸能科音楽教科書『ウタノホン 上』(国定教科書)に、「ねんねんころりよ」の歌が「子守歌」として収録されたのである。
たしかに、それ以前にも「子守歌」のベースになった子守唄は全国各地に存在した。その起源は江戸時代にさかのぼるとされる。
だが、「子守歌」は全国統一の教材として整えられたため、地域ごとの差異が考慮されなかった。またピアノを用いることで、無伴奏という本来の伝統から切り離されて「西洋化」してしまった。
このように統一・西洋化された「子守歌」は、どこでも使いやすい。戦後も1958年に音楽の共通教材に指定され、今日にいたっている。
教科書で権威づけられたこともあり、CDやテレビなどのメディアで再生産されるのももっぱらこの歌だ。
「子守唄」は、現行の「小学校学習指導要領」では「子もり歌(日本古謡)」とされており、その起源から一般に「江戸子守唄」とも呼ばれるが、現在の形で定着したのはさほど古くないのである。
振り返れば、戦前・戦中の子守唄と名のつく曲はもっと多種多様だった。
1934年には、東海林太郎が歌う「赤城の子守唄」(佐藤惣之助作詞、竹岡信幸作曲)が大ヒットした。
そして1937年7月に日中戦争がはじまると、軍国調の子守唄(いわば愛国子守唄)まで大量生産された。
百聞は一見にしかずなので、もっとも先鋭的な愛国子守唄の例をご紹介しよう。
「軍国子守歌」(伊藤松雄作詞、深海善次作曲、1937年)は、そうしたもののひとつである。
父が出征し、残された母が幼い子供をあやす。これは愛国子守唄の典型的なストーリーだ。
はじまりはいかにも悲しげだが、厳しい検閲があった時代のこと、当然ながらここで話は終わらない。