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「創価学会員だけの国」に住んでるわけじゃあるまいし

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2018年 4月 4日(水)16時48分52秒
  昭和54年には自分たちの両親がまだ出会ってもいなかったような
平成生まれのヤング男女や学生部相手に54年問題を語るのだから、
当時の政治や社会状況への考察も踏まえないと理解が深まらない。

それは取りも直さず、54年に先生を会長辞任に追い込んだ勢力がその後の日本社会を蝕み、亡国の淵に来ている現状を若者たちが認識することでもある。

新しい国作りを、そして新しい創価学会を築く担い手は、彼ら彼女らなのだから。

人を育てる意志のない、老醜を晒す身になってもいつまでも自分が「お子ちゃま」でいたい大馬鹿者は、
「外部」には理解不能の陳腐な政争劇に54年問題を貶めて、コップの中の嵐に一生見とれているがよい。。
 

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 4月 4日(水)16時06分0秒
  宗教界 国補助の研究に波紋 介入の影警戒 毎日新聞2018年4月4日
https://mainichi.jp/articles/20180404/k00/00m/040/228000c

国法と宗教団体 国家管理の方向は回避を 2018年1月19日付 中外日報(社説)
http://www.chugainippoh.co.jp/editorial/2018/0119.html
 

54年を語らず、政治ですかいな!

 投稿者:都乃虎  投稿日:2018年 4月 4日(水)15時13分31秒
  Sayちゃん、除名されたって聞いたけど、
どないなん?
グリグリと仲ええから、電話したけど無視されたし。
グリグリも、若いお弟子さんから無視されてるらしいけど、ガンバやで。
陰でシジミちゃんが応援してるし笑笑
友達の、河内平野とか、京都乃銀鬼とか、一人のSGIとかに、宜しゅうに。

PS
なんか、若いもんに電話で都乃虎って誰やって?
聞いたそうやな、アル中の鬼よ!
何白々しい電話しとるんや。
直接、京都乃虎に電話して来いよ!
怖いんか?
このヘタレが!
一生アル中で脅し恫喝しながら、チンピラしとけや。
 

あっちもコッチもアレもこれもヒドイ

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 4月 4日(水)15時11分25秒
  やっぱりアチコチお金の話ばかり・・・

http://6027.teacup.com/situation/bbs/81884

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

宮川日護さん。  第一次宗門事件の  渡邊住職は   秋谷原田学会をわかっていました?  電話の盗聴です

 投稿者:カラスの鳴き声様は  原田天魔派  投稿日:2018年 4月 4日(水)15時09分37秒
  秋谷原田邪教執行部は大悪魔です?


宮川日護さん。

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黒ニンニク
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宮川住職のFB更新されています。我が師 池田先生との思い出. 「 与其進也 不与其退也 」 #宮川住職 #創価学会
我が師 池田先生との思い出.
「 与其進也 不与其退也 」
其の進むに与する也。
其の退くに与せざる也。
平成2年の暮れ、
宗門事件が起こり、
平成4年2月、私を始め、
工藤住職、大橋住職等7名の僧侶は、大石寺より離山した。
その後、学会擁護の立場を取り、
私は全国各地、更にはアメリカ、ブラジルなどで、宗門研修、そして、脱講の戦いに入った。
寺院訪問法論数二百ヶ寺も、又、法華講を脱講させた人数二千人も、世界一の成果であり、
恐らく、地球の歴史上、私の成果を破る者は出ないであろう。
その頃、脱講先で、正信会と法論する事があった。
逃げ回るだけの、宗門の僧侶に比べ、一応、対論に応じる正信会僧侶の、負けは負けと認める潔さは尊敬に値すると感じた。
今だに、宗門僧侶が恐れを抱く大分県竹田市、伝法寺の浜中和道氏は、私が時間が取れずに行けなかった葬儀を依頼する間柄である。
当時の正信会議長の渡辺広済氏は、僧侶としては、先輩であり、会った事もなかったが、
日顕宗の暴走を止めたいとの思いから電話した。
気さくな僧侶で、
「 おー、宮川君か。知ってるよ。
だいぶ、激しくやってるそうだね。」
私が、
「 日顕の暴走に対して、正信会として手をうたないんですか?」と聞くと、
「 相談してみるか、」
等と対話が進んだ。
そして、最後には、私に、
「 今度遊びに、おいでよ。
寺汚ねぇけどさ。
女房も逃げちゃって。
裁判で金ないしな 」と、
飾り気なし。
偉いと思ったのは、
阪神淡路大震災の時、
法衣を着てバイクで死者の供養をして回ったそうである。
その後も、何度か連絡をして、
遂に、正信会として、「 日顕に退座要求を提出 」した。
ある時、渡辺広済氏が私に、
「 宮川さん、もう、俺に電話しない方が良いよ。」
「 学会は、全部つかんでるよ。
不穏分子として狙われてるよ。」
「 学会、余り、信じない方がいいよ 」と、忠告してきた。
当然、渡辺氏の言葉をそのまま信じる事は出来ない。
しかし、その後の、
平成10年(1998年).7月14日(火曜日).山口県の責任者である桜間氏より突然電話が入り、
「 先生より宮川さんに論語を通して御揮毫を頂きました。」との事。
同月18日( 土曜日 )に副会長の桜間さんが先生からの御品を届けてくれた。
写真集であった。
御宝前に、お供えしてお題目を唱え、謹んで包装を開いた。
そこには、先生の直筆で、
「 与其進也 不与其退也 」
と、揮毫して下さっていた。
内容を早速、 調べた。
「 其の進むに与(くみ )する也、
其の退くに与( くみ )せざる也 」
孔子の論語 述而第七の二十八
人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん
孔子の論語より、
漢文
互郷難與言、童子見、門人惑、子曰、與其進也、不與其退也、唯何甚、人潔己以進、與其潔也、不保其往也。
書き下し文
互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難(が)たし。童子(どうじ)見(まみ)ゆ。門人(もんじん)惑う。
子曰わく、其の進むに与(くみ)するなり。其の退くに与せざるなり。
唯だ、何ぞ甚(はなは)だしき。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん。其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。
大要は理解出来たが、深く師の真意知り難く只唱題を続けた。
改革同盟の会議の為に上京。
東京駅から本部の先生に御礼に向かう。
第一庶務の京藤局長から
「 宮川さん、
先生の思い分かりましたよね、」と。
「 敵の敵は味方ではない。
正信会は、先生が一番お苦しみになっていた時に先生を攻撃し、
先生の宝である会員さんを苦しめた輩です 」と。
先生は、全て、見通された上で、馬鹿な弟子が本流から離れないように見守っていて下さっているんだ。
反省懺悔の瞬間であった。
facebook.com/Yu..899035963631469
 

イエスマンが国を滅ぼす

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 4月 4日(水)12時59分30秒
  「G20 サミット事務局」の看板の文字。

河野太郎外相の直筆らしいが、初めて見た時「なんじゃ、こりゃ。」と思った。

稲田朋美前防衛相自筆の「内閣人事局」の看板もひどかったが、更にひどくなっている。

周りに「これはダメでしょう」と助言するような人がいなくなって、逆に「味のあるいい字ですね~」という風な、お世辞しか言わない人間ばかりになっている事が、容易に推察される。

稲田氏の「内閣人事局」の方は、変だけれど「まあ…まあまあ、まあまあ…。」というギリギリな感じだったが「サミット事務局」の方は全然ダメだ。

正直私は、小学生の落書きレベルと感じた。
アートな文字というジャンルにも入らない、ただの篆書体もどきに過ぎないと思う。
人目に晒してはいけないものだ。

稲田氏の看板程度で止めるべきだったのに、それを放置し更に増長させた結果、次のステージに進んでしまったのだ。

「ヘタでもいいから、自分達で書く」というのは、間違ってはいないのかも知れないが、あの看板を見て、「さあ、やろう!」という気になる人は少ないだろう。見る度に気が抜けるような看板など、無い方がマシだ。

物事には限度というものがあるのだが、その限度を見極められなくなっているアベ政権を、象徴するかの様な看板だ。

アベ内閣。今後ますます、変な方向に進んで行くに違いない。

そういうものなのだ。イエスマンばかりになって、反対意見というものが消えてしまうと、独裁制にしろ軍国主義にしろ、こういう風な馬鹿げたことが、ごく普通の事になって行くのだ。

その河野外相。

「北朝鮮が、新たな核実験に向けた準備と受け取れる動きをしている」と発言し、中国外務省から「足を引っ張ることのないように望む」と釘を刺された。(笑)(恥)

こんな発言をしているからダメなのだ。
「ごまめ・みそっかす政権」でとどまらず、遂に「仲間はずれ」になってしまったではないか。(失笑)


田崎スシロー氏や八代弁護士、自称皇族タレントの竹田氏等は、TBS系の番組でもよく見かける。

日テレやフジで安倍ヨイショをやるのは勝手だが(観ていないので)、TBSでそれをやられると結構目立つし、結構イラッとする。

TBSとはいえ、彼等は明らかに安倍政権擁護の立場からものを言っている事を、視聴者は認識しておかねばならない。決して中立などではない。

あの京大卒のクイズ芸人、ロザン宇治原氏や、ついでに北村弁護士も政権擁護派だ。
京大と言えば、かつては反権力の牙城と言われたものだが、もっと反骨心を持てよと言いたい。
人気落ちると思うぞ。

権力側に立ってしまえば、学んだ知識も何の役にも立たないし、むしろ害悪になるだけだ。


p.s. タケシ軍団の騒動が、創価学会で起きている事件とあまりに似ていて驚く。
       今創価学会で何が起きているのかが一目で分かる、非常に分かりやすいサンプルだ。
       池田先生=タケシ   ダーハラ=社長   と置き換えるだけで全てが解明される。(笑)


 

内外が勇気を見るか

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 4月 4日(水)12時50分5秒
  もちろん、宿坊の掲示板に投稿している
仲間なんだから元職員らを応援しようぜ
という論法では

創価学会員なんだから公明党を応援しようぜ
という論法とあまり違わない。

それぞれの信条はあって良いと思うし
それぞれの意見を出し合って
誤解や入れ込みすぎがあれば気づかせ合えばよいと思う。

さて、一つは
創価学会って独裁的な体質なんじゃないの?というのと
普通の政党と変わらなくなった(もちろん悪い意味で)
公明党の票ありきで学会員の活動は縛られているんじゃないの?というのは

内・外からして、切っても切れない関係にあり
池田先生がマスコミに対してした説明は
一体どうなっているの?ということだ。

「一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。
そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです。
心ある会員にしかられます。また離れていきます。
そこで、創価学会の主体性を明確にしておかないと、内部的にも納得を得られない」

「公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。」

この池田先生の毎日新聞インタビューは内外に対して
人間と人間との心の連帯の創価学会の主体性が保たれるか
しっかりと見張って、違う時には声を上げて下さい
という促しにもなっているんじゃないだろうか?

デモの映像に映る三色旗
公明の政策に反対するネット上の署名
本部の横暴に抗う元職員ら

本当に勇気を奮い起こしているのは
見ている人に伝播して勇気を奮い起こさせるのは

友人知人に公明票を総当たりしている人間たちなのか
これはおかしいと声を上げ行動している人たちなのか。

元職員らの勇気を異質と見るか同心と見るか
異体同心の同心を池田先生の心とするならば
池田先生の話した言葉の括りの内にその勇気が入るかどうかだ。

もちろん、情に流されたり
周囲の意見を鵜呑みにするだけでは
判断を間違い、騙される可能性もある。

もう一つは「情」をどう扱うか。
それは大切なものなのか、いらないものなのか。

元職員らには情が先立っている部分もあり
その情の報いとして足軽会なる実在しない派閥のための組織が
種々に問題を起こしたという情報として存在するのではないか。

それなら分かる気がする側も情である。

「話すことはない、給料出してるんだから職務をこなせ」
と言っているのに何でしつこく迫るの?という情

「話を聞いて下さい」と何度もお願いしているのに
どうして聞いてもらえないばかりか左遷や解雇をされるの?という情。

裁判という場ではそのレベルの組織の論理が通用するかもしれないが
立正安国論に始まり立正安国論に終わる日蓮仏法の上ではどうだろう?

青年訓
「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。
吾人等は政治を論じ教育を勘うる者ではないが、
世界の大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる
日蓮大聖人の教を奉じ、最高唯一の宗教の力によって人間革命を行い、
人世の苦を救って各個人の幸福境涯を建設し、
ひいては、楽土日本を現出せしめんことを希う者である。」

熱と力とは情熱のエネルギーだろう。
煩悩即菩提であり、エネルギーとしては同じで
ならば使い道であり、それが十界の別を示す。

我々は仏法者として、池田先生の弟子として
その質を高めていかなければならない。

それは徹して
対話をしていくことによってしかなされない。

対話を拒否されるというのならば
それでも黙るのではなく
一層大きな声で、叫んでいかなければならない。

人々に訴え、連帯して
悪しき体質を見抜いていかなければならない。

日蓮仏法なんだから。

師弟不二ARCHIVEより【池田先生の毎日新聞インタビュー】
http://sgi-shiteifuni.com/?p=7148
「宗教は人々の幸せと世の中の平和と繁栄を願うものです。政治が腐敗、堕落し、
危機的状況にある限り、異議申し立てをするのは、宗教者として当然の責務です。
政治への監視を庶民の目線で行うことは、非常に大切なことと思います」

http://sgi-shiteifuni.com/?p=7150
「ほぼ日本の1割に(会員数が)なりました。基盤が出来上がったと見ています。
当然指導者がいなければ、組織は正しい方向に動きません。とともに、皆に責任を持たせ、
青年を育てていかなければ、どんな団体であっても安定と発展、持続はできなくなるものです。
独裁など有り得ないし、時代遅れです。学会の運営は、役員会議・中央会議などを中心に、
民主的にみんなの意見を最大に尊重して行っています。会議も私があまり出ると皆が遠慮しては
いけないと思い、原則として出ないように心がけています」

「創価学会というと、すぐに公明党と見られがちです。その公明は自民と一緒になってます。
一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。
そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです。
心ある会員にしかられます。また離れていきます。
そこで、創価学会の主体性を明確にしておかないと、内部的にも納得を得られないと思って発言を
多くするようにしました。

私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。
もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰る。あくまでも人間です。人間のための、
人間による宗教活動を、私たちは進めていきます」
 

コンペー様、明日ですね…

 投稿者:mission  投稿日:2018年 4月 4日(水)12時42分5秒
  《ClearSky様》が3月16日に【2017年4月5日─池田先生と奥様が東京・小平市の創価学園と立川文化会館を訪問】について投稿して下さってましたね。
今まで気付かなかった私は、池田先生と奥様の行動に とても胸を打たれ、また38年が経っても池田先生と奥様にとって「四月五日」という日が、“抜けない刺”のようで…お二人の御心を察すると苦しかったです。

「四月五日」と二つの場所を訪問された大きな意味。
「私が辞めれば、事態は収まるんだな」
「時の流れは逆らえません」
このやり取りが、あの最高幹部達から言われた日であり、その場所が立川文化会館であったこと。
そして、山崎正友と宗門の僧侶への辞任の意向が伝えられた日。

 ~【以下《ClearSky様》の投稿より抜粋】~
4.24が「会長辞任の発表」の日とすれば
4.5は「会長辞任の決定」の日とも言えます。

第三代会長に就任する直前の1960年(S35年)春、四月五日の火曜日。
『牧口先生の悲願である創価の学舎には、最高の教育環境を整えてもらいたい』…戸田先生の遺言であった教育の理想郷を探すに当たって、私は具体的に?四つの条件を定めていた。
一、武蔵野の大地であること。
一、富士が見えること。
一、清流が流れていること。
一、都心から車で一時間ほどの距離であること。

眼前に洋々と開ける鷹の台の天地は、そのすべての希望に適っていた。
ここだ!ここに創価学園を建てるのだ。
私は、約一万坪の敷地の購入を、この日、この時、決意したのである。
当時は、あまりにも貧しい学会であった。資産は、わずかしかなかった。学校の設立など、誰一人として夢にも思わなかった。
しかし、私は妻に言った。
『これから、本を書いて書いて、書き続けるよ。その私の印税で、世界的な学園を必ずつくってみせるからね』
妻は、微笑みながら頷いた。
一陣の春風が梢を鳴らし、野鳥が勢いよく空へ飛び立った。

会長就任前に『万年の道を厳然と開くため』と、学園建設を決意された「四月五日」
恩師・戸田先生の精神を忘れ、反逆者の策謀の虜となった幹部によって、実質的に会長辞任が決定した「四月五日」
この二つの意味を持つ「四月五日」です。
 ~~引用おわり~~


※《コンペー様》改めての ご投稿ありがとうございました。



 

人生の座標から~

 投稿者:うーこ  投稿日:2018年 4月 4日(水)12時32分55秒
  すべての人に、自分でなければデキナイ、自分の使命がなければ生まれてきません。使命があるんだということを忘れない人は、強い。どんな悩みがあっても、負けない。悩みを全部希望へのエネルギーに変えていけるのです。





 

禿げ増し?査問除名はぁースピードで決める!?

 投稿者:やっちまった!  投稿日:2018年 4月 4日(水)12時09分45秒
  組織への疑問、公明党への批判を「密告、通報」で聞いたら、すぐに「反応」して、子分を使って「手を打ち」、まずは「孤立」するよう「村八分」するよう徹しています(爆
それが今の組織の現実。だから、みんな「沈黙」して「古い種類の人たち」の世界で「安全の軌道」に入るわけです。この世界には「共に悩む」姿はありません。
佐藤優先生が「沈黙」指導されているのですからね。
余計なことを言う(組織・公明党問題)から密告・通報されて組織の裏社会のように子分が村八分を企てる。

元職員三名が徐々に追いやられる時系列を学んでみてください。「共に悩む」も「対話」も「共に祈る」も「激励」も何一つ無かったではありませんか!職員でいきなりの遠離塔寺、対話拒否、査問、除名と冷酷・非道な対応をダーハラ学会がやっていたのですよ。これ、弁解の余地がありませんよね。

その前に解雇、除名になった職員は、「池田家と繋がりがある」と睨まれて、弓谷川ケダモノ職員たちが性犯罪を本部内でやっていた(女子職員のスカート内を隠し撮りして職場のパソコンに保存していた)ことをなさりつけられて問答無用の査問除名ですよ。もう犯罪者集団の巣窟の様相です。

先生のスピーチを勝手に語呂合わせのように短編引用しないで、もっと堂々と自らの意見を述べてはいかがでしょうかね(爆爆爆



「銭」・「遺産」・「悪業」は充分に相続できますね。
そして、
 

オール・トゥゲザー・ナウ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 4月 4日(水)11時50分13秒
編集済
  無冠さん、お久しぶりですね。お元気そうで良かった。
信濃町のネット対策チームの対策さんはお元気でしょうか。別に投稿しなければならないわけではないのですが……ただ、お元気でしたら、と思います。

“1,2,3,4 もう少しもらえる? 5,6,7,8,9,10 大好きだよ”
“A、B、C、D 友達をお茶に呼んでいい? E、F、G、H、I、J 大好きだよ”
“船を出せ 木を伐れ なわとびだ 僕を見て みんな一緒に みんな一緒に”
“黒、白、緑、赤、友達をベッドに誘っていい? ピンク、茶色、黄色、オレンジ色に青 大好きだよ”
“みんな一緒に みんな一緒に 船を出せ 木を伐れ なわとびだ 僕を見て”
“みんな一緒に みんな一緒に”
『オール・トゥゲザー・ナウ』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=KI24xiY-dXI
桜梅桃李!!!

 

#MeToo

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 4月 4日(水)11時28分49秒
  新感性さん、私に気を使って頂き、丁寧にありがとうございます。誠実には誠実で応えねば、と思いながらも、上手く整理できず、言葉に出来ないでいたのですが、挑戦してみたいと思います。私の方は正しく読み取れていないかも知れませんが、その場合はまたキャッチボールをさせて頂けたらと思います。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81934
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81909
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81584
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81307
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81935
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81938
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81941
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81944
まず、「便乗」という言葉ですが、概ね当たっていると思いますが、何か他に違う言葉があるなら「#MeToo」でしょうか。

多くの人が共通するであろう、「私の場合」をまず、少しお話ししたいと思います。
私はかねてより組織経営に疑問を持ち、折れそうなぐらいに首を傾げていました。お陰で肩こりが酷い。「本当にこれが創価学会か? 池田先生の?」と。しかし、それを上手く言語化できず、ただこのままでは学会も広布も危ういと思っていました。この意識が加速度的に増幅していったのですが、危険水域に達したのが2014年でした。

私の「入口」は「教義変更」でした。2015年8月に仕事が一区切りついた私は、あんな教義を教え広めていいのか迷い、「宿坊」に辿り着きました。そして「池田先生の重病」「教学部レポート&遠藤文書」「安保法問題」「本部・失効部の不正・汚染」そして、その本質「54年問題」を知り、「やっぱりか!?」と気づき、私の中の堤防が決壊しました。
2015年の夏は衝撃的でした。安保法制に反対する創価大学有志の会HP開設、そして元職員3名のブログ開設とショッキングなことが続きました。

私の「入口」は「教義変更」でした。が、学会組織の異常はそれだけではないと知りました。「入口」が人によっては「安保法問題」「本部・失効部の不正・汚染」と異なっていたでしょう。しかし、それぞれのゲートからスタジアムに入ると、グラウンドには、数多くの問題があることを知り、「ただ教義変更」だけを叫んでいられなくなりました。「あっちもこっちも病気」でした。「昭和54年原発の癌細胞」が至る所に転移していることを目の当たりにしたのでした。

富士宮の勇士たちの「入口」は「本部・失効部の不正・汚染」だったでしょうか。元職員3名もここが「入口」だったでしょう。ブログ開設の頃、安保法問題で池田先生からの発信が何もないことから、彼らもようやく「池田先生の重病」を知り、問題の同根である「昭和54年原発の癌細胞」に気づいたのでしょう。
そこで、元職員3名は転移による「安保法問題」や「教義変更」なる癌細胞も併せて斬る手術をサイレントアピールしたのだと思います。後付けと言えば後付けでしょうね。

そこに発端「入口」が違う者も混ざって規模が大きくなった。私などもそんな一人で、「便乗」と言われると、それは当たっていると思います。事実、私は元職員本人に「私はあなたたちを利用している」と本音を丸出しにしました。彼らは「元職員」であり、特殊なバックボーンを持っています。これが、私が彼らを利用する理由の一つです。

しかし、どちらかと言うと、ハリウッド女優らがセクハラ告発して始まり拡大した「#MeToo」に近いと思います。私は明らかに後発・後続です。一人の学会員さんらは「安保法問題」の先頭に、「一人立つ」をされたでしょう。中野らは「教義変更」の先頭に、富士宮らは「本部・失効部の不正・汚染」問題の先頭に立ったのでしょう。
私や似た人たちは、ハリウッド女優がセクハラ告発したようには賢くも勇敢でもなかった。しかしリードオフマンに刺激され激励され、立ち上がった「#MeToo」と思います。

確かに後発・後続の便乗#MeTooには、不純な動機を持つ者もいるでしょう。それによって先導するペースメーカーを狂わせることもあるでしょう。そのリスクを承知・覚悟で、今は進めるしかないのかと思います。(ただし、これは「清濁あわせ飲む」ことではない。)
創価新報にあるように、体制側がつけ入る隙もあるでしょう。限られた文字数だけで書かれるので、容易にイカサマされ、元職員らに分が悪いことも起きるでしょう。
それでも波を起こし続けて、時間をかけて「対話」して混ぜていくなかで、何か答えが見えて来るのではないか? と思います。

元職員らも「100%自分が正しいとは思っていない」と明言していますし、もちろん私も同様です。御書の「前車の覆るは後車の戒め」覚悟でトライ&エラーしながら、ジョン・レノン『イマジン』同様、「♪君は僕を夢見な奴だと言うだろう」けど「♪でも僕一人じゃないさ。いつか君も加われば世界はひとつになるんだ」と、今は信じて歩いています。
 

新感性様、気付くのが遅くなりました!

 投稿者:mission  投稿日:2018年 4月 4日(水)11時27分4秒
編集済
  >政治的事項をアピールの材料にした時系列を考えたら、その擁護の不整合は語るに落ちていませんか?<

三人さん達が本部職員だった頃に起こった諸問題は、確かに2002年頃からですが、blogを立ち上げた最初には「安保法制を容認する公明党」の問題を取り上げています。
◆2015年8月31日「~はじめに~」のblog
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-1.html?sp

初めて(三人だけで)本部前に立ったのが2015年12月21日、その時も「安保法制」についての“横断幕しか”掲げていません。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-18.html?sp

>「評価の資格」については貴方にとって気に入らない行動する者も、貴方にとっては物足りない行動をする者も、あるいは行動自体しない者も一様に有しています。むろん学会員でない方々も同様です。学会事項だから貴方の気に入る行動をする者のみが評価の資格があるという考えには到底ついていけません。
内外部へ対する御主観により論評すらも「資格なし!」として許さない姿勢は申し訳ないけどかの「闘争圏外!」を彷彿させる時代錯誤もはなはだしい御発想ではないでしょうか<

私は何から何まで「学会事項だから気に入る行動をする者のみが評価の資格があるという考え」という、思考の持ち主では決してありません。
『三人だけでsilent appealを始める』という、“誰でも出来る事では無い行動"について、後から評価し続けるのは如何なものか…と考えた次第です。

そして、新感性様が他の方への投稿に>やはり今のままでは政治問題を自らの私怨ないし私的事項にからめて<と仰ってましたが、silent appeal・三人さん達の座談会・政治デモ・宿坊やbotへの投稿・組織で声を挙げてる人達は、「公明党への不支持」or「対話なき処分をされた」or「現執行部への異議」…新感性様が仰る“私的事項”が、殆ど重なっていると思うのです。
その様な人達は「便乗」だから、異議申し立ては出来ないのでしょうか?
佐藤優曰く「沈黙すべき時」と…では無いですょね?
でしたら、三人さん達に起こった本部内の諸問題なども、全ての“根底”は(本部*執行部)一緒だと思います。

>いままで三人組のブログを読んだ限りでは、巷間の横領疑惑については時系列の上からもこの三人が発見し告発したものではなく、すでにどなたかが発見して告発したものを何番煎じかで叫んだものにすぎないのではないですか?<

私は今まで数ヵ所の転居先で、「幹部からの多部数強制」や「幹部自らの不正啓蒙」「適正で無い折伏と御安置」など、部員さん達が指摘しても“改めて貰え無い”からと相談され、詳細を調べた上で私が糺した事が何度もあります。
そんな私の言動も、新感性様の仰る「何番煎じ」になるのでしょうか?

【皆がおかしく思っても、それを口に出せないような特別な存在を作ってはならない。
悪を見ながら放っておいて戦わないと自分が悪と同じになってしまう】─池田先生
全ての会員に御指導されたのですから、「何番煎じ」でも改めて貰うまで意見しても私は良いと思います。

そして、三人さん達への「疑い」が多々おありでしたら、「私は会わない」と お決めにならずに、他の方が仰る様に一度お会いになって疑問をぶつけて、詳細を確認されてから「疑念」の投稿をされてはどうでしょうか?

私の投稿で、新感性様には「時代錯誤もはなはだしい御発想」と不愉快な気持ちにさせてしまった事は謝ります。申し訳ありませんでした。
けれども、「君子危うきに近寄らず」という言葉も気を付けられた方が宜しいかと…
“人格者”は自分のふるまいを慎み危険な事に関わりを持たない…という意味で記載されたと思いますが、「君子不近刑人」(君子は刑人に近付かず)という一節が元になった という説もあります。
三人さん達は「刑人?」 そして関わる人達は「人格者じゃ無い?」と言う事になりませんか?

三人さん達と共に 本部前での silent appeal に“馳せ参じた”人達って、私は『虎穴に入らざれば虎子を得ず』だと思っています。
新感性様、色々な御教示 ありがとうございました。



 

明日は、時流の日。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 4月 4日(水)11時14分36秒
  随筆新人間革命79 嵐の4.24より
昭和54年4月5日、立川文化会館での先生と最高幹部の場面。


ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。

「私が辞めれば、事態は収まるんだな」

 沈痛な空気が流れた。

 やがて、誰かが口を開いた。

「時の流れは逆らえません」


 沈黙が凍りついた。

 わが胸に、痛みが走った。

 ―たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。

 実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。

 また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。

 しかし、時流とはなんだ!

 問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。

 そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。

1999年4月27日、聖教新聞掲載の随筆。
これも、真実です。
 

商い  宗教企業家  原田稔  秋谷栄之助

 投稿者:大正義  投稿日:2018年 4月 4日(水)11時04分37秒
  創価学園 特別文化講座

      創立者 大詩人ダンテを語る 3


      使命の山を登りゆけ 負けじ魂 ここにあり!
      平和の人材光る学園城を
      ダンテ 正義が強ければ世界は善くなる

 一、万葉の里・交野(かたの)の天地に広がる、わが関西創価学園は、「蛍」が飛び交(か)うロマンの城です。

 私の提案に応えて、関西学園の友が情熱を傾けて育ててきた蛍(ほたる)が、最初に夜空に舞ったのは、29年前(1979年)の5月のことでした。

 この蛍をはじめ、東西の学園では、桜、蓮、鯉、白鳥など、さまざまな自然の命が大切に保護されています。

 関係者の皆様の尽力に心から感謝申し上げます。


      奇跡の連帯・蛍会

 一、私は、関西学園の女子同窓生の集いを「蛍会」と命名しました。

 現在、「蛍会」の友は約6,000人。

 美しき「誓い」と「励まし」で結ばれた「奇跡(きせき)の連帯」となりました。

 私は本当にうれしい。


  蛍会
   一人ももれなく
      幸光れ


 実はダンテの『神曲』にも、夕暮れ時、農夫が蛍を見つめる光景が詩情豊かに描(えが)かれています。

 きっとダンテも少年時代、フィレンツェの森に舞う蛍を見つめ、詩心(しごころ)を膨(ふく)らませたのでしょう。

 蛍は、平和と共生(きょうせい)の象徴(しょうちょう)でもあります。


 一、「世界は、そのうちに正義が最も有力であるときに、最も善(よ)く傾向づけられてある」(中山昌樹訳『ダンテ全集第8巻』日本図書センター)

 ダンテの獅子吼(ししく)です。

 この世界を、平和の方向へ、幸福の方向へ、繁栄(はんえい)の方向へ、調和の方向へと前進させていくためには、正義が厳然(げんぜん)たる力を持たねばならない。

 これがダンテの一つの結論であった。

 では、正義が力を持つためには、どうすればよいのか。

 それは、一人でも多く、力ある正義の人を育てることです。

 その使命を厳として担(にな)い立つ「教育の大城」こそ、わが創価学園なのです。


  幸福と
   平和の土台の
      学園城


      ミケランジェロもダンテに共感

 一、ダンテが心から愛した故郷フィレンツェは、ルネサンスの文化が花開いた「芸術の都(みやこ)」として世界的に有名です。

 光栄なことに、このフィレンツェ市から私は、意義深き「フィオリーノ金貨」と、最高栄誉の「平和の印章(いんしょう)」をお受けしています。

 ともに授章式は、フィレンツェ市の由緒(ゆいしょ)あるヴェッキオ宮殿(市庁舎)で行われました(1992年6月、2007年3月)。

 同宮殿内の「五百人広間」には、ルネサンスの大芸術家ミケランジェロが創作した凛々(りり)しき青年の彫像(ちょうぞう)「勝利」が設置されています。

 ミケランジェロも、200年前の先哲ダンテの文学に啓発(けいはつ)された一人です。

 熱血の彼は、横暴(おうぼう)な権力悪(けんりょくあく)を許さぬダンテの強き魂(たましい)に共感を抱(いだ)き、よく論じていたという。

 ミケランジェロの傑作(けっさく)である「最後の審判(しんぱん)」の壁画は、ダンテの『神曲』から影響を受けています。

 ダンテの文学は、ルネサンスの文化を発展させゆく大いなる原動力(げんどうりょく)ともなりました。


      哲人政治家ダンテの信念
      「政治はだれのために? すべては人民のために !!」

      2つ目の苦難

 一、ダンテが生きた当時のフィレンツェは、ヨーロッパで最も人口の多い都市の一つでした。

 「フィオリーノ金貨」が鋳造(ちゅうぞう)され、経済の中心としても、堂々(どうどう)たる興隆(こうりゅう)を誇(ほこ)っていた。

 そのフィレンツェの哲人政治家としてダンテが登場したのは、30歳の年です。

 そして、その5年後には、最高指導者の一人に選出されています。

 ダンテの胸には「正しき政治」「正義の社会」の理想が明確に思い描(えが)かれていました。

 「市民は執政官(しっせいかん)(政治家)達(たち)のためにでなしに、また人民の王のためでなくて、逆に、執政官達は市民のために、王は人民のために存在する」。(中山訳『ダンテ全集第8巻』同)と。

 為政者(いせいしゃ)のために人民がいるのではない。

 人民のために為政者がいるのだ。

 この「何のため」という一切の原点を見定(みさだ)めていたのが、ダンテです。

 だから強かった。


 一、ダンテは、古代ギリシャの大哲学者アリストテレスの英知を学びました。

 その言葉を通して厳然(げんぜん)と主張しています。

 「邪悪な政治の下(もと)にあっては善人は悪(あ)しき市民である」(同)と。

 悪い権力、悪い政治のもとでは、善人こそが悪人にされてしまうというのです。

 この狂った悲劇が、残念ながら、人間社会では際限(さいげん)なく繰(く)り返されてきました。

 そして、まったく同じ事態が、ダンテにも襲(おそ)いかかったのです。

 ダンテが最愛の人々との死別に続いて直面した、2つ目の苦難が、ここにありました。

 その過程を簡潔(かんけつ)に見ておきましょう。


      正しいからこそ迫害される
      卑劣な陰謀が悪の手口

      事実無根の罪

 一、絶大な権力を持った、時のローマ教皇(きょうこう)ボニファティウス8世らは、美しき都市フィレンツェを自(みずか)らの勢力下(せいりょおくか)に収めようと狙(ねら)っていました。

 この宗教権力者の一党は、自分に従うフィレンツェの勢力と結託(けったく)し、謀略(さくりゃく)をもって、フィレンツェを乗っ取ろうとしたのです。

 そして、彼らの攻撃の標的(ひょうてき)にされた一人が、ダンテであった。

 ダンテは、「わが故郷(こきょう)のために!」「愛する祖国の自治と独立のために!」と断固(だんこ)たる闘志を燃え上がらせて、故郷を支配しようとする勢力の動きに、頑強(がんきょう)に反対し、抵抗したからです。

 そこで、ダンテが公務でフィレンツェを離れている間に、権力を掌握(しょうあく)した政敵(せいてき)たちは「欠席裁判(けっせきさいばん)」を行った。

 そして事実無根(じじつむこん)の罪をでっち上げた。

 彼らは、「ダンテは公金(こうきん)を横領(おうりょう)した」「教皇庁(きょうこうちょう)に対する陰謀(いんぼう)を企(くわだ)てた」などという罪状(ざいうじょう)を並べ立てたといわれている。

 しかし、すべてが濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)であった。

 ダンテを陥(おとしい)れようとする「冤罪(えんざい)」であった。

 「陰謀を企てた」のは、ダンテを無き者にしようとする敵のほうだったのです。

 これが正義の人を陥(おとしい)れる手口(てぐち)です。

 仏典では、陰謀の悪人に対して、「確かな証人(しょうにん)」を出せ! もし証拠がないというならば、自分が犯(おか)した罪(つみ)をなすりつけようとしているのだ。糾明(きゅうめい)すれば分かることだ」と呵責(かしゃく)されています。


 一、ダンテは「国外追放(ついほう)」された。

 戻(もど)れば「火あぶり」にされるという。

 だれよりも、フィレンツェを愛し、フィレンツェのために戦い続けてきたダンテは、いわれなき罪人の汚名(おめい)を着(き)せられて、フィツンツェを追い出されました。

 そして56歳の死まで、二度と故郷の土を踏(ふ)むことなく、受難(じゅなん)の生涯を送ったのです。


      正義とは?

 一、ダンテは、苦難の嵐(あらし)の中で、人間の根本問題を真正面(ましょうめん)から見つめました。

 「なぜ、この世界では悪人(あくにん)がもてはやされ、わがもの顔(がお)で、のさばっているのか?」

 「一体、人の世に『正義』はあるのか?」

 「人道(じんどう)――人として歩む道は、どこにあるのか?」

 自分自身が迫害に遭(あ)ったからこそ、その思索(しさく)は計(はか)り知れないほど深まったのです。


 一、正義とは、何でしょうか。

 人間にとって、正しい道、正しい生き方とは、どのような生き方なのでしょうか。

 これは、本当に重要な問題です。また難しい問題です。

 例えば、第2次世界大戦中、日本では、戦争に反対すれば、「犯罪者」とされました。

 しかし、敗戦後には、戦争に反対した人が、「正義」と賞讃(しょうさん)される時代が来た。

 何が正しいのか。何が間違っているのか。真実は、どこにあるのか。

 表面的な世評(せひょう)などに流されては、あまりに愚(おろ)かであり、不幸です。

 物事の奥底(おうてい)を見抜いていく「英知の眼(め)」を磨(みが)いていかなければならないのです。


      民衆の側に立て

 一、かつて私は、東京校2期生の卒業のはなむけとして、次のように語りました。

 “ 皆さんには、正義の人になってもらいたい。具体的に言えば、悩(なや)める人、苦しんでいる人、不幸な人の味方(みかた)となってほしいのです ”

 “ 将来、どのような地位につこうとも、庶民(しょみん)の側(がわ)に立ち、人間生命の尊厳(そんげん)を守りゆく人であっていただきたい ” と。

 ダンテもまた、「権力(けんりょく)の側(がわ)」ではなく、「民衆(みんしゅう)の側」につきました。

 「人が苦しもうが、どうでもいい」「事を荒立(あらだ)てたくない」と思って静かにしていれば、弾圧(だんあつ)などされなかったでしょう。

 しかし、ダンテは、「人民のため」との信念を曲げなかった。わが正義に生きた。

 正義であるがゆえに、迫害(はくがい)される――。

 これが歴史です。これが現実です。

 ゆえに、重ねて申し上げたい。「正しい眼(め)」を磨(みが)き、「強い心」をつくっていかなければならないのです。


 一、私は、創価大学で、「迫害と人生」と題して講演を行ったことがあります。〈1981年(昭和56年)10月31日〉

 そこで私は、さまざまな中傷(ちゅうしょう)、迫害と戦った人物――菅原道真(すがわらの・みちざね)、屈原(くつ・げん)、ユゴーら東西の詩人、思想家ルソー、画家セザンヌらの生涯に言及(げんきゅう)しました。

 とくに、悪い政治権力と悪い宗教権力は、結託(けったく)して、正義の人を弾圧(だんあつ)する。

 創価教育の創始者である、牧口常三郎先生と戸田城聖先生を苦しめた迫害の構図も同じでした。

 お二人の不二(ふに)の弟子であるがゆえに、私も同じ難を受けてきました。しかし私は、「戸田大学」に学んだ師子(しし)です。

 ゆえに何があっても絶対に負けない。

 また私には、愛する青年たちがいます。学園生がいます。ゆえに何があろうとも必ず勝たねばならないのです。


      「学園生はどうするのですか?」

 一、私は、創価の友に贈った詩の中で次のように綴(つづ)りました。


 ある日 ある時
 ふと
 私は妻に漏(も)らした
 「嫉妬(しっと)うず巻く 日本を去ろう 世界が待(ま)っているから」

 その時 妻は 微笑(ほほえ)んで言った
 「あなたには 学園生がいます
  学園生は どうするのですか?
  きっと 寂(さび)しがりますよ」

 そうだ!
 そうだ 学園がある!
 未来の生命たる 学園生がいる!
 君たちのためなら 私は
 いかなる迫害も いかなる中傷(ちゅうしょう)も いかなる試練(しれん)も まったく眼中(がんちゅう)にない


 このように詩に詠(よ)んだ私の思いは、今も何ら変わることはありません。


      越えられない試練はない!

 一、30年前の夏、学園生の皆が、創大生とともに、「負けじ魂(だましい)ここにあり」というテーマを掲(かか)げて、私を迎えてくれたことがありました。

 〈1978年(昭和53年)7月14日の第11回栄光祭〉「『負けじ魂ここにあり』――何と素晴(すば)らしいテーマか」

 私は感動しました。

 その後、「負けじ魂」の精神を歌い上げる愛唱歌をつくろうと、学園生は話し合いを重ねたようです。

 その年の秋、皆でつくった歌詞を、私のもとに届けてくれました。

 ちょうど私は、錦秋(きんしゅう)の関西創価学園にいました。

 ここで歌詞を推敲し、1番から3番までが完成したのです。


  桜の舞いゆく 春の陽(ひ)に
  友とかけゆく この天地
  世紀を語る 笑顔には
  負けじ魂(だましい) かがやけり

  燃ゆる陽(ひ)ざしに 汗光り
  進め 我が君 この道を
  胸うつ響き 紅顔(こうがん)に
  負けじ魂 ここにあり

  烈風(れっぷう)りりしく 身にうけて
  未来の鼓動(こどう) この生命(いのち)
  喜び踊(おど)れ 丈夫(ますらお)は
  負けじ魂 我が胸に

 大いなる期待を込めて、4番の歌詞は、私がつくって贈りました。

  母よ 我が師よ 忘れまじ
  苦難とロマンを この我は
  いつか登らん 王者の山を
  負けじ魂 いつまでも


 皆さんは、前途に何が起ころうとも、決して焦(あせ)る必要もなければ、恐れる必要もない。

 「負けじ魂の人」には、乗り越えられない試練(しれん)など絶対にないのです。

 いつか登らん、王者の山を!――そう歯を食しばって、今は、耐(た)えに耐えて頑張(がんば)るのです。

 人生の最後に勝つ人が本当の勝利者です。

 私は、学園生とともに、あらゆる難を勝ち越くえて、一点の悔(く)いもない完勝の証(あか)しを、全世界に示し切ってきました。そのことは、皆さん方のお父さん、お母さんが、よくご存じの通りです。


 一、苦難と戦うダンテには、先達(さんだつ)というべき存在がいました。

 古代ローマの政治指導者であった哲学者ポエティウスです。

 彼は、正義のために断固(だんこ)として戦った。ゆえに俗悪(ぞくあく)な政治家たちから妬(ねた)まれ、憎(にく)まれた。そして、不当にも投獄(とうごく)され、処刑(しょけい)された。

 この哲人が獄中(ごくちゅう)で書き残した『哲学の慰(なぐさ)め』を、ダンテは、若き日から愛読していました。

 そこには、毅然(きぜん)たる正義の魂(たましい)の叫(さけ)びが刻(きざ)まれ、留(とど)められていました。

 「悪人どもがどんなにあばれても、賢者(けんじゃ)の額(ひたい)を飾(かざ)る月桂冠(げっけいかん)は、落ちることもしおれることもないでしょう」(渡辺義雄訳「哲学の慰め」、『世界古典文学全集26』所収、筑摩書房)

 知性の勝利の象徴である「月桂冠」は、いかなる悪口罵詈(あっくめり)にも、汚(けが)されることはない。

 否(いな)、非難されればされるほど、いやまして光り輝くのです。


      フィレンツェを追放されたダンテ
      わが故郷は世界! 善の勝利へ! 「神曲」執筆に挑む

      悪に反撃する強さを持て!

 一、祖国を追われたダンテは、多くのものを失いました。社会的地位。名声。財産。故郷……。

 しかし、すべてを奪(うば)われたのではなかった。

 どんな権力も、彼から奪えないものがあった。

 追放されたダンテは、「一番大切なもの」を握(にぎ)りしめていた。

 それは、「正義は我にもあり!」という燃えるような「信」です。

 そして、「正義がないというのなら、私が正義を明らかにするのだ!」という執念(しゅうねん)であったのではないだろうか。

 そのダンテが、全身全霊(ぜんしんぜんれい)を捧(ささ)げて取り組んだ作品が『神曲』だったのです。

 『神曲』をはじめ、ダンテの名著の多くは、20年間の亡命(ぼうめい)の時期に書かれたものです。そこには、力強い考察と言葉が、ほとばしっています。

 ダンテは「善(よ)き事に対して悪(あ)しき証言を為(な)すものは、誉(ほま)れでなくて汚辱(おじょく)を受くべきであろう」(中山訳『ダンテ全集第6巻』同。現代表記に改めた)と綴っています。

 彼は『神曲』の執筆によって、だれが見ても分かるように「正義の基準」を明確に打ち立て、悪い行いを次々と罰していきました。

 そして、自らを不当に陥(おとしい)れた卑怯者(ひきょうもの)たちに、自身の真価(しんか)を見せつけていったのです。

 正義なればこそ、悪に反撃(はんげき)する強さを持たねばならない。

 ダンテの有名な詩には、こうあります。

 「沈黙することは / その敵にわが身を結びつけるほどの卑(いや)しい / 下劣(げれつ)さである」(中山訳『ダンテ全集第4巻』同)

 このダンテの炎(ほのお)のペンは、乱世(らんせ)の中で人々が迷うことがないように、歩むべき正しい道を照(て)らしていきました。

 「善人が下賎(げせん)な侮蔑(ぶべつ)に置かれ、悪人が崇(あが)められ、高められた」「わたしは、悪(あ)しき路(みち)を辿(たど)りゆく人々にむかい、正しき径(みち)に向けられ得るよう、叫(さけ)ぼうと企(くわだ)てた」(中山訳・『ダンテ全集第6巻』同。現代表記に改めた)と。


      傲慢と戦い抜け

 一、亡命の間、ダンテのもとには、故郷フィレンツェから、「金銭を払(はら)う」などの屈辱的(くつじょくてき)な条件に従えば、帰国を許すとの提案がなされました。

 しかしダンテは断固(だんこ)、2度にわたって拒絶(きょぜつ)したという。

 「汚名(おめい)を被(こうむ)らされながら、汚名を被らしたものらに対して、おのが(=自分の)金銭を払(はら)うこと」は、「正義の宣伝者の思いもよらぬところ」(中山訳『ダンテ全集第8巻』同)であると。

 正義の人ダンテには、自(みずか)らを迫害した者たちの誘惑(ゆうわく)に負け、屈服(くっぷく)するような卑(いや)しい弱さは、微塵(みじん)もなかった。

 ダンテは語った。

 「太陽や屋の光を仰(あお)ぐことは私にはどこにいてもできるではないか。
 名誉を奪(うば)われた、屈辱的な恰好(かっこう)で、故国の前に、フィレンツェ市民の前に姿を現わさずとも、天下いたるところで甘美(かんび)な真理について冥想(めいそう)することは私にはできるではないか」(平川祐弘訳『神曲』河出書房新社の訳注から)

 彼はもはや、故郷に戻る、戻らないといった次元を超越(ちょうえつ)していました。

 この大宇宙のいずこにあろうとも、正義を貫(つらぬ)く自分自身に変わりはない。

 「故郷」を追放されたダンテは、「世界」をわが故郷としました。

 不当に迫害されたダンテは、大きく境涯(きょうがい)を広げ、自由自在の世界市民として飛翔(ひしょう)していったのです。

 ダンテが青春時代から深く学んでいた、大詩人ウェルギリウスの詩が思い出されます。

 「傲慢(ごうまん)な者とは最後まで戦い抜くことだ」(岡道男・高橋宏幸訳『アエネーイス』京都大学学術出版会)


  苦しくも
   勝利の春は
      君待たむ


      一流の人格の指導者はへこたれない 妬まない

      正邪を明らかに

 一、私が友情を結んできた多くの世界の一流の方々も、過酷(かこう)な迫害(はくぎ)に遭(あ)いながら、強い正義の信念で打ち勝ってこられました。

 “ 人類の頭脳 ” といわれるローマクラブの創立者、イタリアのペッチェイ博士は、凶悪(きょうあく)なファシズムに囚(とら)われ、拷問(ごうもん)されても、断じて同志を裏切(うらぎ)らなかった。

 南アフリカのマンデラ前大統領は、悪名高きアパルトヘイト(人種隔離政策)と戦い、実に27年半――1万日におよぶ獄中闘争に勝利された。

 アメリカの人権の母パークスさんは、不当な逮捕(たいほ)にも屈(くっ)せず、人種差別の撤廃(てっぱい)のために戦い続けた。

 ロシアの児童劇場の母サーツさんは、独裁者の粛清(しゅくせい)によって最愛の夫を殺され、自らもシベリアの収容所に囚(とら)われた。その極寒(ごっかん)の牢獄(ろうごく)の中で、子どもたちのための劇場の建設を決意されました。

 さらに、軍事政権と戦い、外国への亡命生活の中でも正義のペンの闘争を貫(つらぬ)いた、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁。

 多くの民衆の命を奪った軍事政権と戦い、残酷(ざんこく)な仕打(しう)ちに耐(た)え抜いた、アルゼンチンの人権の闘士エスキベル博士。

 中国の文豪・巴金(ぱ・きん)先生は、文化大革命の渦中(かちゅう)、「牛小屋」と呼ばれる監獄(かんごく)に入れられ、責(せ)め抜かれた。しかし、その獄中で、ダンテの『神曲』を筆写しながら、歯を食いしばって、一切を耐え忍(しの)ばれたのです。

 巴金先生の胸奥(きょうおう)には、ダンテのごとく、いつの日か正邪(せいじゃ)を必ず明らかにしてみせるとの闘魂(とうこん)が燃え上がっていた。そのことを、私は血涙(けつるい)を流す思いで、うかがったことがあります。


 一、皆、「自分との闘い」に勝った人です。たとえ悪口(あっこう)され、圧迫されても、何度でも立ち上がって、一生涯、挑戦し続けた人です。

 一流の人格の指導者は、決して「へこたれない」。また、「人を妬(ねた)まない」。

 前へ進む人、成長し続ける人には、他人を妬んでいる暇(ひま)などありません。人を嫉妬(しっと)するのは、自分が前に進んでいない証拠(しょうこ)です。成長していない証拠なのです。

 ダンテは、苦難をバネにして、「汝自身(なんじ じしん)」を大きく育てていきました。「わが道」を前へ前へ進んでいきました。

 きっとダンテは、「あの嫉妬深い悪人どものおかげで、わが使命の執筆ができるのだ!」と、敵を悠然(ゆうぜん)と見おろしながら、「大きな心」で前進していったに違いありません。


 一、大難に遭(あ)い、大難に勝つ正義の人生は、不滅の歴史を刻(きざ)み、人類から永遠の喝采(かっさい)を受ける。

 一方、正義の人を迫害した悪人どもは、永久に消えない汚名(おめい)を残すのである。

 わが学園生には、正義の「勝利の旗」を未来永遠に打ち立てゆく、「栄光の使命」があると申し上げたい。
 

世界のみんなといっしょに先生と異体同心で

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 4月 4日(水)10時58分13秒
編集済
 

http://imagine-happy-life.site/

 

原田天魔、原田谷川が 大悪党

 投稿者:神奈川  投稿日:2018年 4月 4日(水)10時50分3秒
  現代の提婆達多は誰か?
先生の声望を妬み、貶めようとする人
その人は教団の外ではなく、中にいる
そして、高位者
と先生は明確に教えて下さった

宿坊を「提婆達多」にしたい人達がいるようだが、宿坊は完全に「シロ」
何故ならば
先生を妬んでいない
先生を尊敬し、先生に教えて頂いた通りの信心、人生を歩もうと必死で挑戦している人達ばかりだから。


何処の 方面 副会長が 原田偽物会長天魔を

撃墜するか  楽しみ  創価の私物化は

許してはならない?  庶民  弱者の 味方が
 世界から無くなる
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、4月の「励まし週間」がスタートとのコトで、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 4月 4日(水)09時16分2秒
編集済
  おはようございます。春風のように友を包むとのコトで、4月の「励まし週間」スタート、誠にご苦労様で~す(笑)

やっと原田怪鳥様の行動が政教珍聞紙上を賑わし、原田怪鳥様におかれマスても、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~、まず原田怪鳥様、「励まし週間」は4月2日より始まっているのデスが、原田怪鳥様は3日からスタートデスかぁ~(笑)

3面に紹介されている池田先生の指針でも、「励ましはスピードで決まる」とあるのデスからぁ~、3日からは遅いんじゃないデスかぁ~(爆)


また、写真の御様子を拝見しても、ナニやら? クビ曲げて、真っ直ぐに立ててらっしゃいませんし、なにかヘンな写真デスねぇ~(笑)

「クビ曲がれば体斜めなり」を地でいってらっしゃるように見えるのデスが、原田怪鳥様、いかがデスかぁ~(大爆)

さらに左手に持ってらっしゃるのは、ナンでしょうかぁ~? もしかして、「噂のタブレット」デスかぁ~(爆)

「じ・き・で・し」なんデスからぁ~、せめて「御書」を片手に「訪問激励」して頂けマスようにお願いしまぁ~す(大爆)

やはり、写真局の方々を「排除」したのが効いてきてるのか? もう少し見栄えのイイ写真を掲載して頂きマスようにお願いしまぁ~す(笑)


また、今回は、谷川主任伏怪鳥様の「訪問激励」の御様子が掲載されてナイのはとっても残念でぇ~す(笑)

今回こそは、あぐらでニタニタなどではなく、真摯に対話している御様子が報道されると期待しておりマスたが、これまた残念でぇ~す(笑)


まあ、原田怪鳥様、随筆『桜の城』を絶版にしたクセに、創価大学を「桜の城」などと銘打ったり、

「4・2」の意義や追善法要の模様が、創価大学・女子短大の入学式よりも扱いが小さくしたりと、

「永遠の師匠」の扱いが、エラく小さいように感じられるのデスが、小生の思い過ごしでしょうかぁ~(笑)

また、訪問されたお宅の方の役職や、個人会場提供宅かどうかが書かれてませんが、これって、今はやりの「隠蔽」デスかぁ~(大爆)

どのようなお宅を訪問されたのかも重要なコトと思えマスので、ここらあたりも「公開」して頂けマスようにお願いしまぁ~す(笑)


ともあれ原田怪鳥様、「励まし週間」とやらはまだ続くのでしょうから、今後毎日のごとく原田怪鳥様のお元気な「訪問激励」の御様子が、

無役職の方のお宅や活動されていないお宅までいきわたり、珍聞紙上を賑わして頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)





 
 

新感性さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 4月 4日(水)09時15分25秒
  まぁ不愉快になるだろうなぁとは感じつつだったけどf^^;

ストレートに聞こうと思うけど
「御本尊様」をどう思う?

みんなは信仰の一環で元職員3名さんを見てるのだけど、そういう相違だと思うよ?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

ツイッターから。ちゃんと書いてよ、聖教新聞さん。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2018年 4月 4日(水)09時02分58秒
  今日の聖教新聞にはちゃんと「創価大学池田記念講堂」って正式名称が書いてありますね。

最近の聖教新聞はツイッターやら某掲示板に忖度しているのかな?(爆笑)

寸鉄は使い回しだとか、いい加減な仕事しているとか散々呟かれているからね(苦笑)

解っているんだったら最初からちゃんと書いてよ。
 

「便乗」と言われたくなければ ②

 投稿者:新感性  投稿日:2018年 4月 4日(水)08時15分34秒
編集済
  >元職員の三人さんは『正義』  投稿者:mission  投稿日:2018年 4月 4日(水)07時04分49秒
>初めて(2015.12.21) 本部前に立った時は、「たった三人だけ」で始めたんですょ。出来ますか?
>その頃から「安保法制」についての“横断幕”を掲げながらsilent appeal


政治的事項を従前からの主張にからめてきた時系列を考えたら、その擁護の不整合は
語るに落ちていませんか?

「便乗」と言われたくなければ  投稿者:新感性  投稿日:2018年 2月26日(月)23時51分45秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/80227

なおおっしゃる「評価の資格」については貴方にとって気に入らない行動する者も、貴方にとっては物足りない行動をする者も、あるいは行動自体しない者も一様に有しています。むろん学会員でない方々も同様です。学会事項だから貴方の気に入る行動をする者のみが評価の資格があるという考えには到底ついていけません。
内外部へ対する御主観により論評すらも「資格なし!」として許さない姿勢は申し訳ないけどかの「闘争圏外!」を彷彿させる時代錯誤もはなはだしい御発想ではないでしょうか。


横領告発も横からの便乗?  投稿者:新感性  投稿日:2018年 4月 3日(火)17時05分30秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/81941
 

羊たちの沈黙など、創価学会にはありえません

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 4月 4日(水)08時08分11秒
編集済
  黙っているのは、池田先生の創価学会員ではありません。
佐藤優さん、もっと創価学会を知ってから講演会を
やってください。”羊たちの沈黙など、創価学会にはありえません”
ライオンのように一人でも正義の声で吠えるのが
創価学会の会員です。
---------------------------------
 "また戸田先生は言われた。
 「広宣流布は、思想戦であり、言論戦だ。書きに書かねばならない、しゃべりにしゃべりまくらなければならない作業であり、大運動なのだ」と。
 どんどん書け。しゃべりにしゃべれ。黙っていてはいけない。言うべきことは、強く言い切っていけ。それでこそ、広宣流布は進むのだ、との戸田先生の厳命である。
 もちろん、聞くべきときは、きちんと聞かなければならない。
 そのうえで、青年ならば、邪悪を許さぬ、鋭い言論の力を持つべきだ。
 「一」言われたら、「十」言い返し、打ち返す「反撃力」を磨いていくのである。
 いわれない非難を受けて、黙って下を向いているような意気地なしの青年であってはいけない。
 おとなしくして、かしこまっていては損するだけである。
 相手の生命に叩き込むくらいの執念と勢いで、これでもかと反論することだ。真実を語ることだ。沈黙しないことだ。
 生命力に満ち満ちた私たちの力強い「声」――それが″広宣流布の弾丸″である。
 偏見や無理解の壁を破る″正義の大砲″である。
 わが信念を、わが正義を、どんな相手にも、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いていくのである。
 それが愉快で、楽しくてしかたがないという一人一人になっていってこそ、広宣流布は、一段と勢いを増して進んでいく。"

2017年7月19日付聖教新聞、2005年7月本部幹部会(抜粋)

https://www.ningenkakumei.com/%E6%97%A5%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A%E4%B8%80%E9%80%B1%E9%96%93/
---------------------------------


http://imagine-happy-life.site/

 

わが友に贈る 2018年4月4日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 4月 4日(水)07時22分37秒
  報恩感謝こそ
無限の勇気の源泉だ。
未来に羽ばたく
若き君よ 貴女よ
親孝行の青春道を!
 

元職員の三人さんは『正義』

 投稿者:mission  投稿日:2018年 4月 4日(水)07時04分49秒
編集済
  学会本部前のsilent appealについて色々な意見もあると思いますが、何かと懸念されている方は最初にblogを立ち上げた時からの想いに、全て目を通されても疑問があるのでしょうか?
私はsilent appealや座談会にも参加した事はありませんが、彼等の“勇気は凄い”と心から思えます。
◆2015年8月31日「~はじめに~」のblog
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-1.html?sp

初めて(2015.12.21) 本部前に立った時は、「たった三人だけ」で始めたんですょ。出来ますか?
その頃から「安保法制」についての“横断幕”を掲げながらsilent appeal。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-18.html?sp
後になってから評価する事は簡単ですが、彼等が執った“勇気を伴う行動”に匹敵する様な言動を持ち合わせている者のみに、“評価する資格”があると私は思っています。

一番初めのblog(2015.8.31)には、池田先生の理念や信念も↓
◆産経新聞─論説副委員長によるインタビュー記事掲載(2001年9月17~20日)
【憲法や集団的自衛権をめぐる国家主義的な方向には懸念せざるを得ない】
http://www.3colorflags.net/sintyaku/200109171.txt
◆毎日新聞─主筆と特別顧問によるインタビユー(2001年9月25日)
【私は絶対に第9条だけは変えてはいけないと思います】
https://blogs.yahoo.co.jp/human_revolution_1118/56726342.html
…なども含めて、様々な事について詳細に説明しています。

毅然として威風堂堂たる彼等に比べて、ダーハラ失効部はどうですか?
巨大な宗教法人の団体topでありながら国政の議員達とツルんで、創価三代が死守し続けてきた断固たる“姿勢と精神”を覆してるやないですか!
▲2008年6月─ 米大使に「自衛隊海外派遣については常態化を望んでいない」と発言した山口代表
▲2008年2月─国政問題なのに↑それより先に米大使へ「自衛隊の積極的な活動を求める」と、公明代表と異なる発言をした宗教団体のダーハラ怪鳥

《創価新報 青年と語る②》には、戸田先生の明言とし「学会や世間や会員達に迷惑を掛ける悪い人間は、容赦なく追放しても結構だ。除名志手も結構だ」とある(いつ何処での御指導?)
そして「学会は草創期以来 組織を攪乱する悪に対して厳格に対処してきた」と記載してるそうだ(怒)
(丹)や(弓)は どぉした!他にも“横領罪”紛い者が居てるやん。ちゃんと創価新報で説明してみなさいよ!

「敵」と見なした会員達には「対話なき粛清」で、自分達お仲間には やらかした悪行も問題視せず何処までも庇うんだからね。まるで、頭が足りない晋三坊っちゃまと一緒だわ。
「学会本部を中傷する」→創価三代が死守し続けてきた断固たる“姿勢と精神”を「継承」せず「違背」してるんやから「中傷」には当たらない。
「対話なき粛清」→もぉどのくらいに増えただろう…近年の「集団訴訟」の怖さを知らないのだろうか?

◆2017.6.18─学会本部前にてsilent appeal
https://youtu.be/-4u3XYEf-50
◆2018.2.11─学会本部前にてsilent appeal
https://youtu.be/jwsbzud-s78
回を重ねる度に増え続けていく様子に、関西からは少し遠くて躊躇してる私は、凄く「勇気」を貰えています!
あそこに馳せ参じる人達は「同一視される可能性」なんて、微塵も思わない「勇者」です。
私も今年中に、必ずsilent appealに行きたいと思っています。

【強き個人 強き人間・広島県記念勤行会】1989.10.15
─いかなる策謀、いかなる弾圧にも、絶対に屈しない。必ず反撃する。
自分の自由 信条を侵すものは決して許さない。一切をはじき返す。
そうした“強き個人”“強き人間”であっていただきたい。
つまり、不当な圧迫や言われなき中傷をされて、弱々しくなってしまうような人間では、偉大な幸福者にはなれない。
いかなる嵐の圧迫にも悠然と立ち向かい、切り返し、はね返し、笑顔で前に進む人には、幸福という勝利の旗がひるがえる─池田先生




 

mission様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 4月 4日(水)07時01分54秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/81957

>投稿して下さったスピーチを含め、2006年は本当に重要な御指導があったと感じています。
前年(2005年)4月、我が家の御本尊様に「僭聖増上慢には不服従を貫く」と誓った私にとって、強く残っているのが 2006年の新年を迎えた時の御指導です。<

ご投稿を読み、鳥肌が立つほど感動し、不思議な一致に驚いています。

実は3月31日に、100万遍唱題表が29枚になりました。
始めたのは2005年11月18日からです。
29枚の唱題表には、様々な走り書きがあり、自分にとっては日記のようなものです。

その1枚目の御記念にはこのようにあります。
「内外ともに悪と戦い、勝利する力を持つ!」と。

この誓願は、池田先生が『本門の戦いをする』と仰られたのがきっかけです。
そして当時、「これは一大事!池田先生の本門の指導を、未来に残さなければならない!!」と、聖教新聞のスピーチを保存し始めたのが、2006年新年からなのです。

2006年からの指導性は明確です。
池田先生は徹底して、幹部・議員・職員・男性幹部に潜む、内部の魔を見抜き、厳しく諫め、斬られてられています。
そして、婦人部と女子部を、徹底して励まし包み込み、大切にする指導をされたのです。

また、未来を託す青年部には『すべてを知ってもらわねばならない(普及版1、P.43)』と、池田先生ご自身の戸田先生との思い出や54年問題の史実を語られ、その中で真実の弟子とは何か、師弟について厳しく指導されたのです。

自分は、2006年1月からの指導を命に刻む思いで読み込みました。
保存した聖教新聞の各所には、赤線がひかれています。
その積み重ねを、2010年5月まで続けてきたのです。


>お言葉どおりに池田先生は、“次の50年を決定づける勝ち戦”の5年間を終えられ、指揮を執り続けて下さってた日常から、私達は”2010年6月“を迎える事になったのです。
“不服従”を誓った私の5年間も、まるで御本尊様が私の決意を試されるが如く、様々な“僭聖増上慢”の形を見せて下さいました。<

このご投稿に鳥肌が立ちました。
不思議ですが、この5年間は地元幹部の不正に次々と出会ったのです。

・女性をレイプした幹部
・会員を利用した商品販売
・会員の陣中見舞いを横領した幹部
・交通違反をもみ消した幹部
・幹部の金銭貸借
・会員を利用した詐欺・・・等々


師の言葉を命に刻み込み、内外の悪と戦い抜いた5年間。
この5年間で『虹と創価家族』の基底が出来上がったのかもしれませんね。

幸いにも、2006年1月から4月までのスピーチは、普及版として販売されています。
この『普及版池田大作全集 スピーチ2006年(1)(2)』は、一般会員でも容易に手に入ります。
一般会員を喚起するするなら、この書籍ほど武器になるものはありません。
この書籍を武器に、新しい戦いを始めようと思います。

mission様のご投稿は、池田先生に近づけます。
本当にありがたいです!
これからも宜しくお願い致します。
 

腐り堕ちた黒い権力の悪あがき

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 4月 4日(水)04時33分37秒
  もはや言語道断?実態見れば口での説明など不要!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/81919

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

おさらい(大事なコトは繰り返し・・・)

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 4月 4日(水)04時24分22秒
  いいかげん&うそ!ゴマカシは体質

http://6027.teacup.com/situation/bbs/81963

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

推薦図書

 投稿者:無冠  投稿日:2018年 4月 4日(水)04時00分51秒
  久しぶりの投稿です。
既にご存じとは思いますが、本掲示板の方々に、
「題目パワーでエネルギー転換 日蓮仏法3.0」を推奨いたします。
本書は、自然科学という切り口で、妙法に迫ろうとする試みがとても新鮮です。
より平易な「ことば」を用いて、分かりやすく表現され、
科学に精通していない私でも、とても興味深く読むことができました。
「信」を深め、唱題行実践の後押しになろうかと思います。
是非とも、ご一読を勧めさせて頂きます。

https://www.amazon.co.jp/dp/4802094027/ref=rdr_ext_tmb

 

宮川さんのFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2018年 4月 4日(水)03時46分48秒
  宮川さんの許可を得まして、Facebookの代理投稿をいたします。

-----------------------------------------

我が師 池田先生との思い出.

「 与其進也 不与其退也 」

其の進むに与する也。
其の退くに与せざる也。

平成2年の暮れ、
宗門事件が起こり、

平成4年2月、私を始め、
工藤住職、大橋住職等7名の僧侶は、大石寺より離山した。

その後、学会擁護の立場を取り、
私は全国各地、更にはアメリカ、ブラジルなどで、宗門研修、そして、脱講の戦いに入った。

寺院訪問法論数二百ヶ寺も、又、法華講を脱講させた人数二千人も、世界一の成果であり、

恐らく、地球の歴史上、私の成果を破る者は出ないであろう。

その頃、脱講先で、正信会と法論する事があった。

逃げ回るだけの、宗門の僧侶に比べ、一応、対論に応じる正信会僧侶の、負けは負けと認める潔さは尊敬に値すると感じた。

今だに、宗門僧侶が恐れを抱く大分県竹田市、伝法寺の浜中和道氏は、私が時間が取れずに行けなかった葬儀を依頼する間柄である。

当時の正信会議長の渡辺広済氏は、僧侶としては、先輩であり、会った事もなかったが、
日顕宗の暴走を止めたいとの思いから電話した。

気さくな僧侶で、
「 おー、宮川君か。知ってるよ。
だいぶ、激しくやってるそうだね。」

私が、
「 日顕の暴走に対して、正信会として手をうたないんですか?」と聞くと、

「 相談してみるか、」

等と対話が進んだ。

そして、最後には、私に、

「 今度遊びに、おいでよ。

寺汚ねぇけどさ。

女房も逃げちゃって。

裁判で金ないしな 」と、

飾り気なし。

偉いと思ったのは、

阪神淡路大震災の時、

法衣を着てバイクで死者の供養をして回ったそうである。

その後も、何度か連絡をして、

遂に、正信会として、「 日顕に退座要求を提出 」した。

ある時、渡辺広済氏が私に、

「 宮川さん、もう、俺に電話しない方が良いよ。」

「 学会は、全部つかんでるよ。

不穏分子として狙われてるよ。」

「 学会、余り、信じない方がいいよ 」と、忠告してきた。

当然、渡辺氏の言葉をそのまま信じる事は出来ない。

しかし、その後の、
平成10年(1998年).7月14日(火曜日).山口県の責任者である桜間氏より突然電話が入り、

「 先生より宮川さんに論語を通して御揮毫を頂きました。」との事。

同月18日( 土曜日 )に副会長の桜間さんが先生からの御品を届けてくれた。

写真集であった。

御宝前に、お供えしてお題目を唱え、謹んで包装を開いた。

そこには、先生の直筆で、

「 与其進也 不与其退也 」

と、揮毫して下さっていた。

内容を早速、 調べた。

「 其の進むに与(くみ )する也、

其の退くに与( くみ )せざる也 」

孔子の論語 述而第七の二十八

人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん
孔子の論語より、

漢文
互郷難與言、童子見、門人惑、子曰、與其進也、不與其退也、唯何甚、人潔己以進、與其潔也、不保其往也。

書き下し文
互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難(が)たし。童子(どうじ)見(まみ)ゆ。門人(もんじん)惑う。

子曰わく、其の進むに与(くみ)するなり。其の退くに与せざるなり。

唯だ、何ぞ甚(はなは)だしき。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん。其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。

大要は理解出来たが、深く師の真意知り難く只唱題を続けた。

改革同盟の会議の為に上京。

東京駅から本部の先生に御礼に向かう。

第一庶務の京藤局長から
「 宮川さん、
先生の思い分かりましたよね、」と。

「 敵の敵は味方ではない。

正信会は、先生が一番お苦しみになっていた時に先生を攻撃し、
先生の宝である会員さんを苦しめた輩です 」と。

先生は、全て、見通された上で、馬鹿な弟子が本流から離れないように見守っていて下さっているんだ。

反省懺悔の瞬間であった。
 

『桜の城』 滝山城址に立ちて 8

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 4月 4日(水)01時44分52秒
  『桜の城』
滝山城址に立ちて

わが親愛なる創価同窓と全国の学生部の諸君に贈る・・・8

創価同窓の友の活躍を知るとき

どれほど 胸が弾むことか

悲しい知らせを聞くとき

どれほど 胸を痛めることか


この思いは

創立者でなければ

絶対に わからない


私は

永遠に 諸君と共にいる!

私は

永遠に 諸君の味方である!


しばしのうちに

雲は 東から西へと流れ

林の陰影が

少し 濃くなっていた


踏みしめる

枯れ草の下には

大地から 若芽が萌し

見上げた木々の枝からは

小さな固い芽が

寒風に耐えながら

今か 今かと

春を待ちわびていた


凜として立つ

並木の凱旋門の向こうに

真っ赤な夕陽を浴びて

創大の本部棟が

悠然と そびえて見えた


春・・・

それは

西暦 二〇〇〇年の春

武蔵野の丘に

再び 麗らかな光が充ち

至るところ 緑は息吹き

落花紛々の桜花が 彩る


私は 春を待つ

それは

創価の学友が

二十一世紀の大空へ

舞いゆく時!

第三の千年のキャンパスに

新しい若き命を 迎える

胸躍る 開学三十周年の時!

そして

世界に 希望の輝きを送る春!


私は 待つ

ひたすら 待っている

君たちの成長を!

君たちの勝利を!

君たちの栄光を!

わが二十一世紀に立ち向かう

創大生の光る瞳を見つめつつ

二〇〇〇年 睦月








 

素晴らしき学会員

 投稿者:日蓮仏法3.0メール  投稿日:2018年 4月 4日(水)01時10分39秒
  日蓮仏法2.0様 ?投稿者:あの時と同じ ?投稿日:2018年 4月 3日(火)23時23分57秒

ご感想の投稿ありがとうございます。
そう言っていただいて、一番喜ぶのは女房のスザンネです。
特に日本の学会員は本当に親切で良い人ばかりで、大好きです。
その「創価学会の本来の姿」の意味、よく分かります。

女房も、私の親戚には念仏も真言も日蓮宗の信者もいますが、その人たちの醸し出す雰囲気で分かると。
それぞれ独特なエネルギーが顔や体から発散しているんですね。
日蓮系は明るく元気で、やる気満々。でも思いやりがあって温かい、と。

読了しましたら、アマゾンジャパンへの簡単な書評お願いします。
 

生涯広布さま

 投稿者:わたしの独り言  投稿日:2018年 4月 4日(水)00時43分36秒
編集済
  オッチョコチョイというのは、今まで私が受けていた生涯広布さまの印象のほんの一部です。

ていうか、私自身がオッチョコチョコチョイって感じですが。。。

生涯広布さまは、一本気な世界を翔ける良いおじいちゃんとの印象です。

グローバルな視点に立った投稿は宿坊にポジティブな影響を大きく与えていると思います。


さて例の件ですが、読み手の印象によっての違いではないでしょうか。

月の砂漠さんは、明確に反執行部的スタンスですね。

そのアプローチは身近な人たちを大切にするのが王道である、との主張で、

その上で、会員さん・民衆に悪影響が出るようなことになれば、執行部を糾弾する必要があるとはっきり言っています。

(私は現在、この必要性を強く感じます)

しかし、積極的に執行部の極悪を追及する実践が、現在の月の砂漠さんのメイン活動ではないようです。

ここら辺にかかわることの私の考えは時間のあるときに、太ちゃんに返信するかたちで投稿しようと思っていましたが、なかなか時間がとれません。

この件で私が危惧したのは、月の砂漠さんくらい物事をしっかり見てらっしゃる方で反執行部の立ち位置の人を、宿坊でむやみに攻撃すべきではないと感じたからです。

極悪執行部への叱責は最重要事項です。

一方、私が砂漠さんの投稿を読んで感じた印象は、「極悪への叱責」の重要性をボカシてしまうような内容ではありませんでした。

現在、色々な人が宿坊に投稿する内容のメインストリームは、極悪への糾弾となっています。

この点から見たとしても、私は月の砂漠さんの投稿が、この状況を覆す方向性を与えるような蟻の一穴になり得るとは思えませんでした。

私自身は、むしろ別角度の視点を月の砂漠さんより示して頂いたお陰で、思索の機会を頂き、とても良い触発を受けることができました。

個人的感想ですが、身の回りの部員さんたちに対する私の慈悲心は強くなり、それが故に極悪への怒りは増幅しました


時間がないので走り書きになってしまい申し訳ありません。

とりいそぎ失礼します。

http://

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2018年 4月 3日(火)23時41分55秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、虹様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
狂った幹部に査問、除名されたご家族が諸天に守られます様に
おやすみなさい
 

日蓮仏法2.0様

 投稿者:あの時と同じ  投稿日:2018年 4月 3日(火)23時23分57秒
  日蓮仏法2.0様

本日、やっと「題目パワーでエネルギー転換 日蓮仏法3.0」を入手しました。
前書きと第1章、その続きはざっと目を通しただけです。
第1章の「大聖人の足跡を訪ねて」を読むだけで、胸が熱くなりました。ご夫婦の日蓮大聖人と仏法への純真な求道心、また、千葉県の同志の方々に対する感謝のお気持ちからは、誠実で常識豊かなお人柄が伺えました。千葉での交流はまさに創価学会の本来の姿だと感じました。さらに、第11章の「エネルギーで活性化された水の結晶」では、題目の力が「水」でさえ現れる現象に驚きを禁じえませんでした。貴重な資料を分かりやすく掲載され、とても感動しました。前に書かれた「日蓮仏法2.0」に続き、たいへんな力作ですね。素晴らしい書籍に出会えたことに感謝し、お礼の気持ちをお伝えしたく、書き込みをしました。
 諸兄の中で、まだ読まれていない方には1日も早く読まれることをお勧めします。
 

埼玉やっぱり…

 投稿者:見込みない人びと  投稿日:2018年 4月 3日(火)22時59分30秒
  おかしいんですね。県男経由しないと本部とつながっちゃいけない空気が違和感でした。群馬も親分子分の人多いよね。先生が県長他所から連れて来て変えようとされたけど現場の親分子分、勘違いセクハラ議員とかはいなくならなかった。  

同盟題目は23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2018年 4月 3日(火)22時58分29秒
  池田先生と奥様のご健康とご長寿を確り祈りましょう。よろしくお願い致します。

闘病されている同志の皆様へ
医療関係者が諸天となり、より良い治療を受けられるようにお題目を送ります。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこ  投稿日:2018年 4月 3日(火)22時48分7秒
  人生や戦いには、前進するときもあれば、退いたりするときもあります。休んだ方がよいときもある。さまざまな変化があるものだ。目標達成のためには、さまざまな変化があってもかまわないのです。  

(無題)

 投稿者:dekahappy  投稿日:2018年 4月 3日(火)22時42分50秒
  螺髪様  レスありがとうございます。

「孤立とか、身勝手とかではなく、「個」が「個」として持った「全体」との「関係性」の中での存在ということになりますでしょうか。」

そうなんです。
もともと「関係性」の中の存在なんです。

先生は、
一人の人が全体なんだ。みんなこれがわからない。とお話されました。

様々なところから、自我(小我)の限定性を裏付ける論調、個と全体の関係性のことが出てきています・・・


難しいことではないんです。

行き詰まって悩んでいる友のところに足を運ぶ途中にお題目を唱え、寄り添い、話を聞くこと。

落ち着いてきたら、自他共の仏界を感じて語り合うこと。

その流れの中で、気付きがあり、環境が変わってくること。

先生がお手本を見せてくださり、
現場はやってきたことなんですから。

それと反対に、相手の話しをじっくり聞くこともせずコトバだけを押し付け、こと足れりの風潮をつくり、あとからもっともらしい小我の理屈をつける人に対して、悲しみをもって怒っているだけなんです。




 

昔ネコを助け今日は虫を助けた・・・

 投稿者:日本丸  投稿日:2018年 4月 3日(火)22時35分42秒
  改憲の夢?果たし歴史に名を残したい

などと言う腐った★外道~邪道(蛇道)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/77522

少しはオレや下を謙虚に見習え!

http://6027.teacup.com/situation/bbs/80609

 

池田先生の入信当初

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 4月 3日(火)21時52分56秒
編集済
  これだけ会員がいれば、同じことに関心がある人もいるのだな~と思いつつブログ記事を拝見しました
池田先生の入信当初をリアリティーに知る情報と感じたので紹介させて頂きます

(あまりに長いURLなのでリンクタグにて記事名のみ表示にします)
池田先生の入信時の心境 ( 宗教 ) - 「創価ルネサンスの思想」の旅 - Yahoo!ブログ
より、池田先生の話部分のいくつか引用し箇条書きします(戸田先生とのやりとり部分も含むところもあります)

●これから長い人生を生きていく上において、明日の命も分からない、一寸先は闇ではないか。君には10年、20年先の生活に確信はあるのか、と言われた。僕はあると威張ったよ。(笑)それから、青年時代はまだいいけれど、"光陰矢のごとし"と言うように、アッという間に白髪の老人になってしまうではないか。その時に自分は何のために人生を歩んできたか、何を目的として生きてきたか、と考えた時に、"我れ人生をあやまてり"と悲しんでも始まらないということを、君は考えないか」

●今は健康であるが、どういう宿命が自分の生命にせん在していて、いつ自動車にはねとばされたり、人に殺されたり、重病にかかったりするか分からないだろう。そういう宿命をどう打開するか、この信心以外に打開の道はありませんよ、と言われたんです」

●死ぬという問題をどう解決するか、と言われたことです」

●「フランスの有名な文豪ユゴーが云った言葉に、『人は生まれながらにして死刑囚の執行猶予をされたのと同じようなものだ』という言葉があります。死ぬということは、絶対なものです。この問題は、大臣になろうが、学者になろうが、絶対に解決できない問題です」

●「その生きていくという生活の根本問題、それからすぐに老人になって死んでいかなければならない人生の目的の問題、自分の宿業、宿命、死ぬという問題にっいて、全部解決できるのがこの信仰なんだよ、と言われたのです。私はなるほどなあと思ったんです」

●「私が信心をしたのは満18歳のときで、小学校の同僚で女の人から折伏されたんです」

●「青年はより高いものを求めていき給え、勉強し給えと言われて、いやだったが信心する気になったんです」

●「それが運命を変えちゃっていました。いま思えば本当に幸せだと思いますね。"やります"と返事をしたものの、一生涯若いのに題目はあげるなんて、いやだなあ一、と3日間ねられなかったよ」

●「やるならやる。やめるならいまのうちと腹をきめて、先輩のいわれる通りにやりました。『折伏をしろ』というから、私は自分の友だちを10人ぐらいよんだのです。信心してから間もなくのことですよ。一生懸命いいました。御本尊様の話を。

一度なんかは、会長先生がわざわざ私のおよびした会合に出てくださったこともありました。しかしだれも信心しないのですよ。一生懸命やってもね。みな友達がはなれちゃうんだよ。

私ひとりぼっちになっちゃって、これはえらいことをはじめてしまったと思っちゃった。だから、勤めに行くのでも、折伏をしてくれた家の前を通るのがいやだから、ずっと遠まわりして、帰りも遠まわりしていたんだ。別にだれも見ていないのだが,,,はじめはそんなものだ」

●「はじめの3年間というものは、いわれた通り、気違いみたいになって、一生懸命折伏をやりました」

●「御本尊様の話をしていくのが折伏だから、ちゃんと功徳が自分のところにもどってくるんですよ。ご飯を食べると同じように、当然、もう話をするのだという気持ちが大事だ思うのです」

●「私が信仰したのは22年8月24目で、ちょうど3年目の25年8月23日に、自分にとって最大の三障四魔があったんです」

●「その時、私も体が弱くて、随分やせていました。血タンはでてくるし、寝られないし、そのうえ家では信心に反対だ、親せきには行けないし・・・一体どうしようかと思った。

その時、私はどうか御本尊様、この仕事の苦しみからのがして下さいと、はじまったのです。それまでの3年間の信心なんて、なってない状態なんですよ」


※ここでいう「最大の三障四魔」は戸田先生の事業が失敗した時期
※全文はPDFで見れるとの記述ですが、どうやら現在はファイルがないようで見れませんでした

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

男子部はどこに行っちゃた?

 投稿者:生涯広布&一筋兄弟メール  投稿日:2018年 4月 3日(火)21時43分43秒
編集済
  mission様、いつも、素晴らしい適時の指導引用ありがとうございます。

以下引用します・・

第2総東京最高協議会(2006.1.4)】東京牧口記念会館─より抜粋

《悪を滅する強さを持て》

今年は、敢然と悪と戦う一年としたい。

なかんずく、結成五十周年を迎える男子部には

『次の学会を背負う一騎当千の指導者たれ!』と叫びたい。

(な~とも、はや~、で、その当時の男子部連中はどこにおるんじゃい・・?)

日蓮大聖人は、涅槃経の次の文を繰り返し引いておられる。

【もし仏法者が、法を破る者を見ながら そのまま放置して、

相手の非を厳しく責めず追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、

まさに知るべきである。この仏法者は、仏法のなかの怨敵である】(開目抄226㌻他)

本当の「善人」とは「悪と戦っている人」のことである。

仏法は、人間を不幸にする魔との「限りなき闘争」である。

悪を厳しく責めるのは、それが「正しい」ことだからである。

そして「正しい」ことは「強い」ことである。

強くなければ、正義を貫くことはできない。「正義」は「勇気」なのである─

・・引用終わり・・

「私の独り言さん」

これで、私がひどく責めた理由がわかるでしょう・

でも、どういうところが、オッチョコチョイなんでしょうかね~??

「愉快な・・」の間違いではないでしょうか(笑)

気になって、夜眠れません・・(ウソ)

教えてくださった方には賞金・・・・・・・あげません

(ホッホッホホホ・・ウっ、ゴホン・ゴホン、ゴッホン)
 

猿 キジさん 荒らし 妨害は止める。

 投稿者:ヤマタノオロチ  投稿日:2018年 4月 3日(火)21時40分11秒
  原田天魔邪教派が  暗躍して  団結  士気の   低落を

画策していますが  無理だよ~~

原田天魔  秋谷邪教  谷川374919は  裁判所

池田会長第一の乗っ取り野郎を  許してはならない。
 

35年54年から今 池田会長潰しは 計画的に 秋谷原田派が実行した

 投稿者:大工の源  投稿日:2018年 4月 3日(火)21時28分53秒
  信濃町除名解雇の元職員さまです

横浜三人組については、
いろいろな批判もありますが、私は、「純粋な思いの人達」だと観ています。
彼らが除名になった直接のきっかけは、職員の中村一郎支部長の超理不尽な会員へのいじめに抗議したことです。私はこの点は、三人組が完全に正しいと思っています。
(伏線として先行する事件も、三人組が正しいと思います。)
私は、三人組は、純粋すぎて「保身」を知らなかった。のだと思ってます。
ただ、私の違和感は、彼らは、氏家先生とか、佐野先生のように、安保反対を表明して解雇された訳ではないのに、
安保反対を掲げて(それ自体は正しいとしても)、サイレントアピールをしている。
解雇されたから、言えるようになった???のかもしれませが、、、すり替えにも見える点にあります。
教学的には、元に戻せ、という、分かりやすいけど、何も分かってないとしかいえない主張。
ということで、何かが違う、という違和感はあるのですが、
私は、横浜三人組は、純粋な人達だと思っています。
こちらも、直接お会いされ、誤解を解かれることをお薦めします。
 

原田教 を追撃しましょう!

 投稿者:大工の源  投稿日:2018年 4月 3日(火)20時59分27秒
  本部職員の方からの  情報があります

仲間内で  とにかく  原田天魔邪教クーデター野郎を  撃退しましょう!

目的は池田創価学会の復活です。





 

虹と創価家族 様へ

 投稿者:mission  投稿日:2018年 4月 3日(火)20時22分44秒
  投稿して下さったスピーチを含め、2006年は本当に重要な御指導があったと感じています。
前年(2005年)4月、我が家の御本尊様に「僭聖増上慢には不服従を貫く」と誓った私にとって、強く残っているのが 2006年の新年を迎えた時の御指導です。

学会創立75周年を終えた翌年 2006年1月、78歳を迎えられた池田先生が最初に御指導された言葉は、『輝く「学会創立八十周年」への五年間は、百年にも匹敵する。まことに大事な時である。
その最初の一年である今年は、まさしく次の五十年の勝ち戦を決定づける重要な一年であると、私は確信している』
そう仰られました。

お言葉どおりに池田先生は、“次の50年を決定づける勝ち戦”の5年間を終えられ、指揮を執り続けて下さってた日常から、私達は”2010年6月“を迎える事になったのです。
“不服従”を誓った私の5年間も、まるで御本尊様が私の決意を試されるが如く、様々な“僭聖増上慢”の形を見せて下さいました。

【第2総東京最高協議会(2006.1.4)】東京牧口記念会館─より抜粋
http://seesaawiki.jp/w/nyozegamon/lite/d/%C2%E82%C1%ED%C5%EC%B5%FE%BA%C7%B9%E2%B6%A8%B5%C4%B2%F1%A4%C7%A4%CE%A5%B9%A5%D4%A1%BC%A5%C1%282006.1.4%29

 《悪を滅する強さを持て》
─今、創価学会という偉大なる民衆の城が壮大に築きあげられた。この善なる民衆の連帯を絶対に、悪に乱されてはならない。
建設は死闘。破壊は一瞬である。悪が盛んになれば、善が滅びる。
不惜身命で悪と戦う勇者がいる限り、善は守られる。しかし、もしその精神が失われれば、崩壊は直ぐに始まってしまう。この事を、よくよく心に留めていただきたい。

学会利用、信心利用の醜い利己心の輩を許してはならない。また、皆がおかしく思っても、それを口に出せないような特別な存在を作ってはならない。
学会は、峻厳な師弟の精神に貫かれた、平等な同志の世界である。

悪に対しては、勇敢に声をあげることだ。徹して強く責めることだ。
臆病ではいけない。臆病はずるい。ずるいのは「悪」である。
悪を見ながら放っておいて戦わないと、自分が悪と同じになってしまう。積んできた福徳も消えてしまう。

今年は、敢然と悪と戦う一年としたい。
なかんずく、結成五十周年を迎える男子部には『次の学会を背負う一騎当千の指導者たれ!』と叫びたい。

日蓮大聖人は、涅槃経の次の文を繰り返し引いておられる。
【もし仏法者が、法を破る者を見ながら そのまま放置して、相手の非を厳しく責めず追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。この仏法者は、仏法のなかの怨敵である】(開目抄226㌻他)

本当の「善人」とは「悪と戦っている人」のことである。
仏法は、人間を不幸にする魔との「限りなき闘争」である。
悪を厳しく責めるのは、それが「正しい」ことだからである。そして「正しい」ことは「強い」ことである。
強くなければ、正義を貫くことはできない。「正義」は「勇気」なのである─

長くなりますが、他にも紹介させて下さい m(__)m
◆ともあれ、リーダーは生き生きとしていなければならない。そして、同志を苦しめる邪悪に対しては、徹して強く勇気の言論で戦っていくべきだ。指導者の一念が勝負を決する。
御聖訓にいわく。【大将軍よはければ・したがうものも・かひなし】(四条金吾殿女房御返事1135㌻)と。

◆日興上人は仰せである。
【この大聖人の法門は、師弟の道を正して成仏していくのである。師弟の道を少しでも誤ってしまえば、同じ法華経を持っていても無間地獄に堕ちてしまうのである】と。

◆私は十九歳から、戸田先生を師匠として仰ぎ、全生命を賭して、お仕え申し上げた。師を護り、師の建設された創価学会を世界的にするために、それはそれは全身全霊、死にものぐるいで戦いぬいた。
「先生、私が必ずやります。ご安心ください」こう言いきって、あらゆる闘争の指揮を執り、志とともに一切を勝ち越えてきた。
まっすぐに師弟に生きぬいた。まっすぐに師弟の約束を貫いた。私の人生は一点の後悔もない。

◆戦後 学会発展の途上において、事業(戸田先生)の大敗北として競い起こった。
多くの弟子たちは、偉大なる師匠を恩師でありながら軽んじていた。ある悪者は非難中傷した。
そして、ある恩知らずの弟子たちは難が来ると師匠を侮辱して、あざけり笑って去っていった。
その光景は、私の胸に焼きついて離れることはない。当時の理事長も、師である戸田先生を誹謗したのである。
多くの大恩を受けながら、畜生のごとき心をもって偉大な師匠の恩を仇で返した輩は、当然のことながら その最終章はあまりにも見苦しく、みじめであった。

『君よ、卑怯者になるな!傲慢になるな!恩知らずになるな!』これは、牧口先生、戸田先生以来の叫びであるのだ。
仏法は勝負である。師も勝った。弟子も勝った。師弟不二にして、永遠の勝利を私は築いた。
大聖人と同じ心をもって、広宣流布のために、不惜身命の者として、大勝利者として、その永遠の生命は続くのだ。
『池田門下生も、かくあれ!』と、私は叫んでおきたい。

◆妙法とは「不思議の法」である。絶対に無駄はない。すべてに意味がある。
ゆえに、何があろうとも、きれいな心、誠実な心で、師弟不二の仏法に徹しぬいた人間が勝つのだ。
邪道は滅ぶ。正しい道を歩みぬいた人が、最後は必ず勝利者となる。

◆本当に勇敢な人、訓練を受けきった人は謙虚なものだ。
すぐに傲り高ぶる。同志を見下す―それ自体が、その人間の愚かさを証明しているのである。
近代文学を代表する思想家・内村鑑三は述べている。
「世は誠実を以てのみ勝つことが出来ます。世に虚偽多しと雖も、虚偽を以て之に勝つることは出来ません。正義はやはり最後の勝利者であります」

◆誠実の人は美しい。好感が持てる。信頼できる。最後には勝つ。
学会も、一人一人が誠実の行動に徹してきたからこそ、ここまで発展した。
また、どこまでも一人を大切にしてきた。友の悩みに耳をかたむけ、あらゆることに迅速に手を打ってきた。
だからこそ学会の組織は、生き生きと躍動しているのである。

◆一切の勝利の源泉は「祈り」である。
【暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなり】
日寛上人の「観心本尊抄分段」には、こう厳然と記されている。
戸田先生も、よく言われた。『御本尊に願いきっていくことだ「一人」が大事だ。その一人の信心によって、皆が最後は幸せになっていける』
戸田先生は、ある時こう叫ばれた。『私は進むぞ!君も進め!永遠に前へ!』
この呼びかけにお応えして、私は常に「永遠の前進!」の気概で戦い続けている。

◆結びに一句を贈り、私の新年最初のスピーチとさせていただきたい。
  君もまた
    不動の信念
      不二の山
本年もよろしく!この一年 元気でいこう!張りきって進もう!
生ある限り戦おう!深き使命を持った皆さまである。一緒に戦おう!

※【まっすぐに師弟に生きぬいた。まっすぐに師弟の約束を貫いた。私の人生は一点の後悔もない】─池田先生
私も師匠である池田先生との約束を、貫き通す日々である事を今日 新たに決意しました。

池田先生の御指導は、永遠に私達を励まし続けて下さっています。
【生ある限り戦おう!深き使命を持った皆さまである。一緒に戦おう!】
今 居てる場所は、それぞれ違えども「宿坊の皆様」と同じ様に闘える「今」を感謝します。



 

池田先生の談話

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 4月 3日(火)20時09分43秒
  海外のメンバーとの懇談で、あるメンバーが『本当の功徳とは何ですか?』と
先生に質問した。

先生は他の人達に『何だと思う?』と考えを聞いた後、
(智恵等いろんな答えが出た)『一番の功徳は、人に現れる。

つまり自分の人間関係に出るんだ。私が大学もろくに出ていない身で
ありながら、世界中に素晴らしい友人がいて、学会を守る諸天善神に
なっているのが一番の功徳だ』といわれた。
 

創価三代会長の全集

 投稿者:tesuto  投稿日:2018年 4月 3日(火)20時02分36秒
編集済
  国立国会図書館には あると思いますが?・・・  

三代会長の精神の継承は大嘘

 投稿者:モンブラン  投稿日:2018年 4月 3日(火)19時34分15秒
  戸田城聖全集は絶版、牧口常三郎全集も入手困難、池田大作全集も150巻全巻揃えるのは、もはや困難になっている。三代会長の精神を、次の世代に継承するためには、採算度外視で、三代会長の著作を、誰でも入手できるようにしておくことは、至極当然のことと私は考える。

大学図書館の本をさがす CiNii books で三代会長の全集を検索してみた。

牧口常三郎全集 金沢大学・岐阜大学・南山大学・明治大学

戸田城聖全集  京都大学・拓殖大学・大東文化大学・東京大学・桜花女子大学・北海道大学・武蔵大学・立        正佼成会付属佼成図書館

池田大作全集  大阪大学・上越教育大学(以上全巻揃っていると思われる大学)
        沖縄県立芸術大学(9巻)

創価大学中央図書館では、牧口常三郎全集・戸田城聖全集の記載なし、池田大作全集では、第14巻の対談1冊のみ所蔵されていることになっている。

何かの間違いではないか、と思いたい。

もし、創価大学中央図書館に、三代会長の全集が揃っていないとすると、何らかの意図を感じざるを得ない。

三代会長の思想を学ぼうと真剣に考えている高校生は、創価大学以外の、全巻揃えている大学に進んだ方がよいかも?



 

高校に進めなかった娘が博士号

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2018年 4月 3日(火)19時33分19秒
  信じ続けた母の勝利!!「この子にも使命が!必ず広布の人材に!」

創価大通信教育部から学問の道志す【川崎市高津区】「お母さん、やったよ!博士号を取った
よ!」――娘から喜びの報告を受けた母は、三十数年に及ぶ数々の苦難が、すべて報われた気
がして、胸がいっぱいになった。母の名は、U・Hさん(68)=K平和支部、支部副婦人部
長。電話の声は、Uさんの二女・K子さん(34)=横浜市M支部、婦人部グループ長。悩み
多き思春期、K子さんは高校入学さえかなわず、本格的に勉強を始めたのは、創価大学の通信
教育部からだった。その彼女が、本年3月、日本社会事業大学大学院の博士後期課程を修了し
、社会福祉学博士の学位を取得したのだ。栄冠の陰には、生活と苦闘しながら、娘の成長を信
じ、見守り続けた、母の祈りがあった――。

パート1不信と恐怖が重なり

日本中が好景気に沸いていた、1970年(昭和45年)ごろのこと。今は亡き、Uさんの夫
は、宮崎で紳士服の小売店を営んでいた。一時は羽振りが良かったが、経営の見通しを誤り、
多額の負債を抱え込む。仕入れ先に雇われる立場となり、名古屋で、給与から返済を続ける生
活に陥った。住まいは店舗の2階。Uさんは、家事と1男2女の子育て、社員寮の賄いに加え
、仕立ての仕事にも追われた。過労がたたり、「労作狭心症」の診断を受けた。それでも“借
金を返すまでは”と、生活を切り詰め、身を粉にして働いた。夫妻は61年(昭和36年)に
入会していたが、Uさんが真剣に学会活動に励むようになったのは、名古屋時代からだった。
やがて、すべての返済を終え、心機一転、夫妻のふるさとである

宮崎へ戻った。夫は新たな事業を軌道に乗せたが、堅実な経営ができず、やがて家を空ける日
が増えた。Uさんの知らないところで借金を作り、揚げ句に執拗な取り立て屋が、自宅まで押
し寄せた。たまに帰宅したと思えば、Uさんとの間で口論が始まる。そんな両親の姿が、中学
生だったK子さんの心に、暗く、大きな影を落としていく。明るく、利発だったK子さんが、
次第に自宅に引きこもり、登校しなくなった。両親への不信感に、借金取りの恐怖感が重なり
、感情を表に出せなくなっていた。K子さんの兄はすでに大学へ、姉のT・Kさん(39)=
川崎市、G支部、地区婦人部長=は専門学校へ進学。二人とも東京に出ており、K子さんの疎
外感は、深まるばかりだった。

パート2人生の師にこたえたい

母として苦悩するUさんを、先輩幹部が激励。「母親のあなたが、心に春風が吹き抜けるよう
な境涯になれば、娘さんも必ず、学校に行くようになります」と。「今となっては“そうだっ
たんだなあ”と思えますが、あのころはもう、心の中は北風の、それも暴風でしたから、春風
なんて、とてもとても(笑い)」とUさん。その時は先輩の話を、すべて素直に受け入れられ
たわけではなかった。が、それでも、根底の祈りは揺るがなかった。それは“娘を広宣流布の
人材に育てたい!”との一点だった。Uさんには、忘れられない光景がある。それは名古屋か
ら宮崎に戻った翌年、78年夏のこと。宮崎平和会館を訪れた


池田会長(当時)の元へ、幼いK子さんを伴い、駆け付けた。「あの日、先生は、K子の頭を
なでながら、私たち親子を真心から激励してくださいました。以来、この子を広布の人材に育
て、師匠におこたえしていこうと、心に刻んできたのです」しかし、K子さんにとって、父に
振り回され、苦悩に沈む母は“不幸を絵にかいたような存在”としか見えず、母の願いとは裏
腹に“信心したって何も変わらない”と、心を閉ざしていた。「私がこんなに不幸なのは、お
母さんのせいだ!」と、目に涙をためながら、詰め寄る娘を前に、母の胸は痛んだ。K子さん
は、何とか中学を卒業できたものの、出席日数の不足や、家庭の経済力などの理由で、高校へ
の進学はかなわなかった。アルバイトの職探しでも、しばしば学歴が障害となり、現実社会の
厳しさに直面。貧血や過食症も重なり、希望の見えない日々が続いた。

パート3唱題の声が聞こえる

周囲の何気ない一言が、一人の人の生き方を変えることがある。先輩に誘われるまま、女子部
の会合に参加したK子さんは、入会間もない年上の女性から、肩をポンとたたかれ、「あんた
、何しよっとね?もっと頑張らんね?」と、気さくに声を掛けられた。“あっ、こんなふうに
はつらつと生きていける人になれたらいいな”と心が動き、“私も信心を頑張ってみよう”と
、素直に発心できた。ある日のこと。婦人部の活動から帰宅したUさんは、玄関で思わず立ち
すくんだ。部屋の中から、娘の唱題の声が聞こえてきたからだ。K子さんが回想する。「母は
部屋に入って来ず、しばらくすると玄関のほうからむせび泣く声が聞こえてきたんです。あの
時は“こんなにまで私のことを……”と、胸が熱くなりました」

唱題と活動に励むなか、K子さんが元来持っていた明るさや、前向きな性格が表れ始めた。角
膜の病気を患ったが、医師も驚く回復力で失明の危機を脱し、信仰への確信をいっそう深めた
。そして彼女は“創価大学の通信教育部で学ぼう”と決めた。同学部の特修生(現在の正科課
程入学資格取得)の制度の下、一定の単位を取得すれば、高校卒業と同等の資格を得て、通信
教育部に進めた。大学の図書館で中学校の参考書を開くことに、多少の恥じらいがあったが、
K子さんにとってはそれも避けて通れない道だった。女子部の先輩の激励を受け、懸命に唱題
を重ねながら、通信教育部を4年で卒業。いったん就職したが、向学の思いやみがたく、創大
大学院への進学を決意する。その受験勉強の渦中、東京にいたK子さんに、宮崎から思いも寄
らない知らせが舞い込んだ。父が末期がんで「余命1カ月」の宣告を受けたという連絡だった


パート4父と娘の心のきずな

Uさんと夫は、よりを戻し、再び同居していた。心の“しこり”が消えていたと言えば、うそ
になる。「でも、すべて自分の宿命ととらえ、信心で乗り越えようと、腹が決まったんです」
夫の看病をしながら、Uさんは、父と娘の“心のきずな”の修復を願っていた。一方、K子さ
んも唱題に励むなか、嫌悪感でいっぱいだった父に対し、不思議と愛慕の念がわき、病床の父
を見舞う気になった。心の垣根を取り払い、本音で語り合ったのは、何年ぶりのことだろう。
「お父さんは世法では負けたが、今になって、信心の素晴らしさが、少しは分かった気がする
。K子が広布の人材に育ってくれれば、もう何も思い残すことはない。大学院の試験、頑張る
んだよ」命を振り絞るような父の言葉に、K子さんの積年のわだかまりが、徐々に氷解してい
った。父は医師の予測よりさらに半年間、寿命を延ばし、94年

7月に他界した。K子さんの胸に、父親として最後で、たった一度の“宝の思い出”を残して
。K子さんの勉学に、拍車が掛かった。生活費を自分で稼いでいたため、アルバイトも欠かせ
ず、さらに女子地区リーダーとしての活動もやり抜いた。96年4月、母の祈りに支えられ、
努力が実って、創価大学大学院法学研究科への入学を果たした。その後、日本社会事業大学大
学院の博士後期課程へ。自らの体験を思い合わせ、“社会的に弱い立場の人たちのために、役
立つ研究を”と、社会福祉学を志した。そして本年3月。筆舌に尽くせぬ苦闘の歳月を経て、
K子さんは「社会福祉学」の博士号を受けた。「娘の学位記は、成長を祈り続けてきた、私に
いただけた“卒業証書”に思えてなりません」娘とともに授与式に参列したUさんの胸中は、
五月の青空のように、どこまでも晴れわたっていた。

取材後記○…食べる物にも事欠いていたころ、ある親せきから、「学会をやめてうちに来れば
、生活の面倒は全部見てあげる」と言われた。「その真心はうれしかったのですが、信心を捨
てようという考えは毛頭、ありませんでした」とUさん。誘惑、試練、悲哀……。あらゆる“
魔の働き”を打ち破ったその先に、人生の“勝利の凱歌”が待っていた。○…K子さんはこの
4月から、非常勤講師として創価大学の教壇に立ち、法学部の学生に「社会保障法」を講義し
ている。Uさんは「娘が学生の皆さんに分かりやすい授業をできるよう、毎日真剣に題目を送
っています」と。母の深い祈りには、“もうこれでいい”という際限はない。○…Uさんの自
宅に、ハイビスカスの鉢植えがある。宮崎で池田名誉会長から贈られた物で、Uさんが丹精込
めて育ててきた。そのハイビスカスの花言葉は「繊細な美」、そして「私はあなたを信じます
」。(晴)

「ここまで努力を続けてきた娘は、私の誇り」とUさん。「母がいたから頑張ってこら
れました」とK子さん。試練を勝ち越え、2人は“人生の春”を迎えた

2004年5月6日
 

と言う

 投稿者:  投稿日:2018年 4月 3日(火)19時30分2秒
  と言う内容の話は、

YouTubeで
小学生、中学生の友達が
見て話題に学校で話題に
なっているよ!
 

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