先月、
長宗我部友親氏の「絶家」を読みました
思いがけず、
その中に「伊達騒動」が出てきたので
その真実が知りたくなり、図書館で借りて読んでみました
江戸の三大お家騒動の一つ「伊達騒動」
中心人物とされるのは、原田甲斐という人物
・歌舞伎の「伽羅先代萩 めいぼくせんだいはぎ」では、悪臣(仁木弾正)
・山本周五郎の「樅ノ木は残った」では、仙台藩の窮地を救った忠臣
一体、どちらが実像に近いのか?
結局、読んでも全然わかりませんでした~💦
と言うより、
一方には善人であっても、他方から見たら悪人
立場によって見え方が違い、
研究者でもハッキリとした結論は出せない様子
そもそもこの騒動は、
「谷地紛争」という土地の境界争いに端を発している
伊達安芸と伊達式部 の二人の間の領地争い
一度は収まったものの
安芸が、お家事情を幕府に提訴すると言う暴挙に出た事から、再燃
藩祖政宗公の時代に始まった、治水・灌漑・新田開発事業は
二代忠宗、三代綱宗へと引き継がれ、四代綱村の代に頂点に達し
開発され広げられていく「田」を知行として、
藩祖時代からの一門重臣や、譜代家臣などに分け与えられる
当時、その家臣の数が膨大になっており
知行を与えられた者は、それが多いとか少ないとか・・・
古参とか新参とか、新参でも家柄が良いとか悪いとか・・・
うんぬんかんぬん
幕府の普請要請による金銭問題もあり
伊達の一族郎党入り乱れての喧々諤々から
仙台藩の中の革新派(兵部・甲斐)と保守派(安芸)とが対立
「忠臣蔵」の松の廊下よろしく、ついに刃傷事件に発展してしまった
安芸が起こした訴訟(谷地配分)から、
一転して、
伊達兵部らによる仙台藩の警察政治、藩政全般へと拡大された問題に、
判断を下すために開かれた裁決の場で、それは起きた
訴えを起こした 伊達安芸
それに
仙台藩の三奉行(家老)である
原田甲斐・柴田外記・古内志摩 の四人が集められ
一人ひとり順に呼び出されて尋問された
二度目に呼び出されたとき
甲斐が安芸に脇差で二回切りつけた
脇差を抜くも安芸は絶命
外記と志摩は甲斐を追って切り付け、外記も傷を負う
甲斐は大老酒井の家来に討ち取られ、外記もその夜死亡
志摩だけが生き残った
幕府の大老酒井は、
甲斐悪逆、安芸忠臣の形で収め、
伊達家はお咎め無し とした
藩内は、兵部らの警察的な政治への反発が強く、
幕府の審問開始以来、兵部側の甲斐は不利な立場に立たされ
奉行として責任を一人で負い、心労を重ねた結果、
安芸一人を亡きものにすれば…との思いから事に及んだ
と言われている
死後、甲斐が埋葬された増上寺の中の良源院に
原田家の墓の印の樅ノ木があるそうで
山本周五郎の「樅ノ木は残った」の書名は、そこからきたらしい
いずれにしても
歌舞伎の「伽羅先代萩 めいぼくせんだいはぎ」も
山本周五郎の「樅ノ木は残った」も
見る者聴くものを楽しませるために脚色された、フィクションでした
・・・・・
あれっ?
何か似てる!
「 真の首謀者が影に隠れて、官僚が罪を擦り付けられる 」 と言うこの構図
後世では
「モリカケ騒動」なんて、全く偽の犯人が仕立て上げられ、
勧善懲悪の戯作になってしまうのではないだろうか?
いやいや、ダメだよー!
江戸時代じゃないんだから、
真相はキチンと究明して貰わねば!
これはノンフィクションなんだから!
検察の皆さま 、ガムバってくだされー!
ところで、
山本周五郎の「樅ノ木は残った」の舞台になった
やっと満開になったようです
はやく見に行かねば!
もの凄く綺麗です!
そう言えば
最寄の船岡駅に植えられた樅ノ木が枯れてしまって、
新聞の一面に「樅ノ木は枯れた!」と載ったのを憶えてる⤵
本日もご訪問下さり有難うございます