5100分de名著 法華経[新] 第1回「全てのいのちは平等である」[解][字] 2018.04.04
経典の王といわれる「法華経」。
誰もが平等に成仏できるという仏教思想の原点が説かれています。
成立の背景には釈尊がこの世を去ってから生じた仏教界の対立がありました。
「100分de名著」「法華経」。
経典に込められた平等思想から対立や差別を乗り越えるための智慧を読み解きます。
(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…伊集院さんこれまでこの番組では「般若心経」ですとか「維摩経」などお経を名著としていくつか取り上げてきましたが今回の名著はこちら。
これどんな事が書いてあるかご存じですか?もうホケキョ…ウグイスぐらいしかもう浮かばない。
大体毎回いろんなお経をここの番組では僕も教わってるはずなんですけどもちょっとずつ身になってるとは思うんですけど。
では今回も読み解いてまいりたいと思います。
指南役の先生をご紹介しましょう。
仏教思想研究家の植木雅俊さんです。
よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
仏教における男女平等思想を研究する植木雅俊さん。
サンスクリット語の原典を8年かけて現代語に翻訳。
今回は「法華経」を思想書として読み解きます。
「法華経」は聖徳太子の時代に仏教の伝来とともに日本に入ってきて日本文化に大きな影響をもたらしたわけですけれども今現代語訳に翻訳しようと思われたのは植木さんどうしてなんですか?数年前に明治学院大学でですね留学生のための日本文化論の講義をやってらっしゃる先生が急病で倒れられてそのピンチヒッターをやったんです。
日本人も単位がもらえるというので潜り込んでまして終わってからね…「今まで何と思ってたの?」と聞いたら…いやでもね僕その学生さんの気持ちすごい分かりますよ。
この番組で多少その「維摩経」とかお経に触れてなるほどそんな面白い話?って思ったんです。
そこには思想的な事だとか文学的な豊かな表現がいっぱいあるわけですよ。
「法華経」も読み解いて頂くとかなり面白い?…である事を期待してます。
いやいやいやいや。
まずはその「法華経」の基本情報から紹介したいと思います。
もともとサンスクリット語で書かれたものが鳩摩羅什の翻訳によって漢語に訳されその音読みが日本に伝わりました。
構成はこのようになっています。
そしてこの一番左側に書かれているこれが場所を表してるんですね。
まず霊鷲山というのはインドに実在する山ですね。
インドのビハール州高さが500〜600mぐらいでしょうか。
そんな高くないですね。
歩いて登れるぐらいですね。
だからこれは実際の地上ですね。
霊鷲山。
あ「虚空」って空中という意味ですか。
ここの世界では奇想天外な時空を超越した世界が展開されていくわけです。
内容に合わせた場所になっている。
それに見合った場所を選んだと。
サンスクリット原典と漢訳で比べてみますと章立てが特に後半ですね少し異なっています。
これはどういう事なんでしょうか?この白い色のところは後世に付け足されたという事です。
こっちの6つはですね現世利益とか神がかり的な利益だとかそういう事がいっぱい書かれてましてこれは恐らくインドの人たちはそういうのが好きなんですよ。
そういう人たちにこういうので導こうとしてこれが付け足されたと。
さあこういった付け足しがなぜ行われたのかというのを知るためにもですねまずはインド仏教史の概要をご紹介したいと思います。
仏教の始まりは…このころの仏教を原始仏教または初期仏教といいます。
釈尊が亡くなると教団は分裂し20の部派にまで広がります。
部派仏教の時代です。
その中で最も有力だった部派が「説一切有部」です。
権威主義的で資金も豊富。
後に「小乗仏教」と批判される部派です。
彼らは「菩」という概念を発明しました。
「覚りが確定した人」を意味するブッダとなる前の釈尊の事です。
その「菩」の意味を塗り替えるムーブメントが起きたのは紀元前後ころ。
「覚りを求める人は誰でも菩である」と説く大乗仏教が興ったのです。
この流れの中で小乗仏教を批判する経典「般若経」と「維摩経」が生まれました。
その後大乗も小乗も含めて全てを救う事を目指して編纂された経典が「法華経」なのです。
今のVTRにありましたようにその仏教は釈尊の入滅した後500年の間に大きく変容して権威主義的になったんですね。
その釈尊のもともとの教えから大きく変わったポイントを植木さんに5つ挙げて頂きました。
一番大きいのはこの1番2番3番だと思いますね。
まずは修行の困難さを強調するわけです。
原始仏教では「時間を要せずして得られる法」という言葉が何度も出てきます。
という事は時間が要らない。
この人生において得られると言ってたのが何回も何回も生まれ変わってきて修行をだんだんと上り詰めていってやっと悟れるというような話が出てくるわけです。
ところが小乗仏教の時代になると「私をゴータマなどと呼ぶ輩は激しい苦しみに遭うだろう」とかいう表現になってくるわけです。
お釈さんをですね神格化するわけです。
で今度は覚りを得られる人を限定するわけです。
じゃあ出家者は何なんだといえば…ある意味こう…階級というか…いうものを作るっていう事ですね。
だからもともとは平等思想だったんです。
はい。
それが権威主義的になってきて差別思想に塗り替わってしまうわけですね。
しかもこの4番目で仏弟子の範囲が狭められるんですけども十大弟子ってご存じですよね?「智慧第一」の舎利弗とかあれ全部男性で出家者ですね。
そうですね言われてみれば。
ところが原始仏典を読みますと女性の智慧第一もいるんですよ。
そうだったんですねえ。
はい。
そして「聖地信仰の隆盛」というのは?これはアショーカ王という方がお釈さんが誕生された悟られた涅槃されたという所をですね巡礼するんですね。
それが一つの信仰の形態としてなっていくわけですね。
これもたとえが罰当たりか分からないけどファンクラブを作りましょうみたいなところでいえばそのメインの人がいてみんな仲良くしてましょうという話だったんだけどここにある程度特別な幹部はこうでとかその外から応援する人はこうでってつけてってしかもその聖地信仰みんな巡った人はポイントがたまって…みたいにしていくとねそうするととてもうまく運営できたりとかある程度都合のいい動かし方はできるような気がする。
でもそれはもともとの考え方とは離れてきちゃうじゃないですか。
だからこそですねこれに対しておかしいんじゃないですか?という事を言う人が出てくるわけですね。
それが大乗仏教という事になります。
菩を小乗仏教ではお釈さんだけに限ってたのを…在家であれ女性であれ。
ただし大乗仏教は例外を設けたんですね。
それが「声聞」と「独覚」という2つですね。
この2種類は…この人たちはなぜ小乗と非難されたかというと小さな乗り物ですね小乗はね。
自分の事しか考えてない。
は〜。
もう僧院に籠もって朝から晩まで難しい理屈をこねてしかも民衆を見下してるというところがあったんでしょうね。
そういった在り方をですね大乗仏教と呼ぶ人たちがこういう言い方をするわけです。
「炒れる種子」。
炒るというのはフライパンで火にあぶる事ですよね?で植物の種をフライパンであぶりますともう芽出てこないでしょ?出ませんね。
それと同じように…完全否定されてるんだ。
そうですね。
でもちょっと考えてみると大乗仏教って「みんなが菩になれますよ」って言ってるその人たちが「この人たちはなれません」って言うのもちょっとおかしな話ですよね。
そうだね。
だから小乗仏教には小乗仏教の差別があり大乗仏教には大乗仏教の差別があったわけですね。
そういう意味ではどっちもどっちなんですよ。
小乗と大乗のその差別思想をいかに乗り越えるのかその課題をもって成立するのが「法華経」と考えれば理解しやすいかと思います。
なるほど。
さあではいよいよその「法華経」を読んでいきましょう。
まずは第1章「序品」です。
朗読は余貴美子さんです。
「法華経」は霊鷲山で釈尊が弟子たちに教えを説く場面から始まります。
全ての経典と同じく一番弟子の阿難による「私は釈尊からこのように聞きました」という言葉で「法華経」も始まります。
そしてこのあとそこに集っていた弟子や出家者の名前が続きます。
なんと現代語訳で4ページ半!そこには女性たちの名前もあります。
釈尊が教えを説いてから瞑想に入ると不思議な現象が次々と起こります。
「瑞相」というめでたい事が起こる前兆でした。
驚く参加者たちを代表してこの現象の意味を尋ねてきた弥勒菩に文殊師利菩は答えます。
ところが突然説きだして心の準備ができてないもんだからみんなポカーンとしてた。
「あっまだ早かった」というのでお釈様は瞑想に入られる。
で弥勒菩が「きっと文殊師利菩ならば過去にいろんな仏に仕えてきているから分かるに違いない」と。
で質問するんです。
あの「三人寄れば文殊の智慧」の文殊菩ですよね。
そうです。
そしたら「いや実は私はかつてこれと同じような事を何度も見てきた」と。
だからお釈様も今まさに「法華経」を説かれてるに違いないという事でそこにいた人たちの「法華経」を受け入れる準備をそこで作り上げるわけですよ。
何かもう物語のつかみとして相当面白いですよね。
しかもど頭でとにかくそのいろんな弟子の出家者の名前をわ〜って読む。
あれ多分聞いてる時に「自分みたい」。
例えば女の人は「あ女性もいるんだ」とか「こういう立場の人もいるんだ」となった時にこれから始まる事って私に関係あるって多分思うような気がしたり。
ただ僕の翻訳を読まれた人が「私挫折しました」と言ったんですよ。
まあでも長いですもんねそこはね。
意味が分かんないというので挫折しましたって言うから「そこはね読むところじゃありません」と。
例えば映画とか最後にほら美術担当誰々出演…。
スタッフロールみたいな。
あれみたいなもんですと。
だから参加者名簿ですこれは。
参加者名簿。
だからここは眺めりゃいいんです読むんじゃありませんと。
そういうわけでこれから「法華経」の教え始まるよとみんなが楽しみに心構えを持ったというところまで来たっていう事ですね。
その「序品」を受けて第2章「方便品」が始まります。
この「方便」というのはあの「嘘も方便」と言う時の方便と同じなんですが。
サンスクリット語ではこれは「ウパーヤ」というんですね。
だから「近くに行く事」という意味なんですよ。
例えばここNHKに来るにはですね例えばホームページを開きますと「アクセス」とありますね。
最短距離が書かれるでしょ?この方便というのもですねその人が覚りに到るための最短距離というか最善の手だて方策という意味なんです。
では「方便品」読んでまいりましょう。
釈尊は「皆には理解し難いだろう」と前置きしてから弟子の舎利弗に語ります。
釈尊が言う「乗り物」とは衆生を成仏に導く「教え」の譬えです。
「法華経」以前は声聞・独覚・菩のそれぞれに3種の乗り物「三乗」があると説かれていました。
しかし釈尊が本当に説きたいのはブッダに到るただ一つの教え「一仏乗」だけで三乗は「方便」だったと明かされるのです。
これまではブッダとなるための教えを乗り物に譬えてそれぞれ種類が違う3つの乗り物があるっていうふうに教えていたんですけれどもそれは実は方便だったっていうのが「法華経」編纂者たちの思いという事でよろしいでしょうか?はいそうですね。
余さんが読まれた中にですねこの声聞も独覚も理解できないとありました。
もうちょっと後半を読みますと理解できないという事の内容が明かされるわけです。
それは…例えば伊集院さんがね「あなたは無知だ」と言われたら否定されてますよね?そうですね。
ところが「あなたがどんなに優秀で才能ある人なのかという事について無知だ」と言われたら?何かちょっと褒められてるかも。
肯定でしょ?これは。
それと同じ論法が使われてるわけです。
同じ人間なんですよ。
平等なんですよ。
最初は「けなされてる」と思ってたんだけども「俺の事認めてたんだ」というふうに自信を持たせていくような…優れた教育者でもありますね。
だと思います。
さあでは続いて第三章の「譬喩品」です。
「方便品」ではある意味では理屈っぽい説明で誰でも成仏できる平等であるという事が説かれたわけです。
ところがそれを聞いて理解したのは智慧第一の舎利弗一人なんです。
何千人といる中で。
一人しか理解できなかったまだ。
それで舎利弗はですね「もっと分かりやすく説明してくれませんか」とお釈さんに頼んでやるわけです。
そしたらお釈さんがじゃあ譬え話でというのがこの「譬喩品」なんですね。
では第三章「譬喩品」読んでみましょう。
ある資産家の豪邸で子どもたちが遊んでいる時に火事が起きました。
そう言われても火事の恐ろしさを知らない子どもたちは遊びに夢中で逃げません。
資産家は考えました。
そうだ!日頃から欲しがっていたおもちゃで誘い出そう!お〜い!羊の車と鹿の車と牛の車をあげるから外に出るんだ!すると子どもたちは我先に飛び出してきました。
ところが資産家は本物の立派な牛の車を与えたのです。
釈尊はこの話でそれぞれが何の譬えだったのか説明します。
火事になった家は「苦しみに満ちた現実世界」。
遊びに夢中の子どもたちは「刹那主義的な生き方で輪廻を繰り返す衆生」。
資産家は如来。
おもちゃの車は鹿が声聞乗羊が独覚乗牛が菩乗。
そして本物の牛の車が仏へ到る唯一の教えである一仏乗なのです。
続けて釈尊は説きます。
すごい!ストンと腑に落ちる。
うまいでしょ?
(二人)はい。
改めてこの譬え話で釈尊が言いたかった事をこちらで教えて頂けますか?ブッダに到れるとしてるのは菩と一仏乗だけなんです。
ただですねこちらがブッダに到れるといってもここがおもちゃになってます。
それはですねこの2種類の人たちを差別してた。
その差別を残してるというところがまだ本物ではないという譬喩を込めてるわけですよ。
なるほど。
そうなんだ。
だから非常に手が込んでますねこの譬喩の譬え方がね。
だからやり方を間違ってるという否定もしてないしそれが大正解だとも言ってないわけじゃないですか。
頭ごなしに否定はしないんです。
否定をしないでそれを受け入れつつ更にもっとそこから高いところを目指させるというのが仏教ですね。
今本当に「お前は間違ってる」「お前が間違ってる」というので炎上する世の中じゃないですか。
はい。
そうするとこの「法華経」で出てきたみたいなお互い立てながらしかもお互い修正しながら共存できるみたいな。
ここをヒントに何か今にも役立つ事いっぱいあるような。
対立を融和に変えるような思想が「法華経」だろうと思いますね。
植木さん次回もよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いいたします。
(二人)ありがとうございました。
2018/04/04(水) 12:00〜12:25
NHKEテレ1大阪
100分de名著 法華経[新] 第1回「全てのいのちは平等である」[解][字]
法華経には、権威主義化した一部「部派仏教」と差別的側面を残す「大乗仏教」の対立を止揚し乗り越えようという新しい平等思想がこめられている。その思想の神髄に迫る。
詳細情報
番組内容
法華経が編さんされた当時は出家修行者が自らの悟りを目指す一部の「部派仏教」と広く民衆を救済しようという「大乗仏教」が厳しく対立していた時代。法華経にはそうした対立を止揚し乗り越えようという新しい思想がこめられている。一部の部派仏教が決して成仏できないとした在家信者や女性も、大乗仏教が決して悟りを得ることができないと断じた出家修行者も全て平等に仏になれるという平等思想を打ち出した法華経の神髄とは?
出演者
【講師】仏教思想研究家…植木雅俊,【司会】伊集院光,島津有理子,【朗読】余貴美子,【語り】三宅民夫,【声】仲井陽
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:18987(0x4A2B)