閉じる
閉じる
×
・俺が過去に求めた「勝ち意識」
僕が純粋に「勝ち」を求めていた時代の話をします。自分は、過去に「VCで連携を取る連隊」を1から作り上げたことが2度あります。
1回目はこのゲームの初期です。RAKEの創設ですね。その時は連隊という概念はなく、ただ強い仲間を集めていたら…S鯖で1、2を争う人材が揃いました。
作戦が多少弱くても連携と個人のプレイヤースキルで勝ちを奪ってました。それが、初期のRAKEだった訳です。規模としては2小隊以下と指揮官ですね。
TEXが入隊してからは、歩兵力だけでなく作戦能力も生まれて更に強くなりました。主な部隊員は…TEX ちっぷちゃん シギント おーいお茶 そうるー デコイ あたし少佐 Foxbat 等。
2回目は、RAKEの人材が反RAKEに流れてしまい、連邦軍をプレイする人間が僕を含めて数人しか居なくなった時ですね。
その頃はニコ生の放送合わせで金ピカ戦場vs佐官が発生する時代でした。僕は放送合わせに負けるのが悔しかったんですよね。
でも、もう旧RAKEの人材は連邦に残っていなかったのです。
そんな状況で轢き殺されて文句を言いながらゲームをするくらいなら「全力で戦えばいいじゃないか」と、ティルフィンガーと二人で仲間を集め始めました。それが今のRAKEの始まりです。
初期のRAKEと同じく2小隊と指揮官を目指してましたが、2小隊以下では圧倒的な歩兵差を付けられた時に勝ち目がなく2~3小隊と指揮官という形で収まりました。
最初は負けては反省会、勝っては反省会の繰り返しでした。朝までティル君と話し合うことなんてザラでした。
本気で連隊をやっていた時の生活リズムは、14~20時まで連隊。休憩。ガチ局地が21時~23時。2時間睡眠。2時~朝方まで連隊。昼まで睡眠⇒14~20時まで連隊~のループでした。
そんなこんなで、色々な部隊の勝ち意識が高い人間を集め、個人のプレイヤースキルより・・・どこまで勝ち意識を持っているか、という基準で人を集めました。
レーダーの完全な管理(これは基本)や指揮合わせと作戦の考案、そしてエース小隊(強い人間の遊撃隊)による重要拠点奪取等、様々な作戦を考案しました。防衛小隊、攻撃小隊などを分担したこともあります。
そんな中で、自分はMS戦や凸が得意だったにも関わらず、連隊では「支援機体」に乗りレーダーを巻き、ただひたすらに防衛し、VCで指示を出していたのです。
それが、僕の勝ち意識だったのでしょう。
個人で全力で勝ちにいくのは勿論のこと、連隊の中でも率先して僻地レーダーをまき、ポイントにならない作業を繰り返した訳です。
これは自分だけではありません。ティル君には指揮官を押し付けましたし、コアなメンツには連隊員集めや僻地レーダーをやってもらいました。
結果は実り・・・このゲームが始まってから、恐らく「最強」と言っても過言ではない連隊を作り上げたと思ってます。
様々な連隊がある中で・・・大規模100連勝等を達成しましたし、毎日何時間もプレイしても一週間で1~3回負ける程度で、勝率で言えば95%以上あったと思います。
今だから言えますが・・・こっそりとニコ生の放送にも合わせましたよ。・・・どの連隊放送でも倒せる自信がありましたから、そりゃ力試しをしたくもなります。
しかし、この行為は連隊放送をやっている人間の「放送」を潰してしまう可能性がありました。勝つ為に集まってる人間を倒しにいく訳ですから勝ち続ければ潰れるでしょう。
そこで、自分は連隊長としてルールを取り決めました。一つの放送に粘着しないこと、一度合わせたらそれで終わり。
例外として逆合わせで粘着したことがあるのは、RAKEという部隊に対して生主が暴言を吐いた時だけですね。
そりゃ、こっちが1小隊でやっている時に勝っただけで「雑魚」や「また逃げるんだろ」なんて言われたらやりたくもなりますよ。
これは仕方のないことです。それでも・・・数戦やって勝ちが続けば粘着はやめましたよ。
これがまぁ・・・今のRAKEの始まりな訳です。そして、後藤清がガンダムオンラインの大規模でやってきたことです。
自分の過去について、良かった悪かったという話は置いておいて「自分の中では全力でやりきった」という思いはあります。
今の勝ち意識の薄い自分というのは・・・
本当はやりたくないこと(支援での僻地レーダー・寝る時間や局地に費やしたい時間を削って連隊長として行動)を、義務感や責任感でプレイし続けた成れの果てじゃないかと思ってます。
局地編 大会編
TOPページに戻る
僕が純粋に「勝ち」を求めていた時代の話をします。自分は、過去に「VCで連携を取る連隊」を1から作り上げたことが2度あります。
1回目はこのゲームの初期です。RAKEの創設ですね。その時は連隊という概念はなく、ただ強い仲間を集めていたら…S鯖で1、2を争う人材が揃いました。
作戦が多少弱くても連携と個人のプレイヤースキルで勝ちを奪ってました。それが、初期のRAKEだった訳です。規模としては2小隊以下と指揮官ですね。
TEXが入隊してからは、歩兵力だけでなく作戦能力も生まれて更に強くなりました。主な部隊員は…TEX ちっぷちゃん シギント おーいお茶 そうるー デコイ あたし少佐 Foxbat 等。
2回目は、RAKEの人材が反RAKEに流れてしまい、連邦軍をプレイする人間が僕を含めて数人しか居なくなった時ですね。
その頃はニコ生の放送合わせで金ピカ戦場vs佐官が発生する時代でした。僕は放送合わせに負けるのが悔しかったんですよね。
でも、もう旧RAKEの人材は連邦に残っていなかったのです。
そんな状況で轢き殺されて文句を言いながらゲームをするくらいなら「全力で戦えばいいじゃないか」と、ティルフィンガーと二人で仲間を集め始めました。それが今のRAKEの始まりです。
初期のRAKEと同じく2小隊と指揮官を目指してましたが、2小隊以下では圧倒的な歩兵差を付けられた時に勝ち目がなく2~3小隊と指揮官という形で収まりました。
最初は負けては反省会、勝っては反省会の繰り返しでした。朝までティル君と話し合うことなんてザラでした。
本気で連隊をやっていた時の生活リズムは、14~20時まで連隊。休憩。ガチ局地が21時~23時。2時間睡眠。2時~朝方まで連隊。昼まで睡眠⇒14~20時まで連隊~のループでした。
そんなこんなで、色々な部隊の勝ち意識が高い人間を集め、個人のプレイヤースキルより・・・どこまで勝ち意識を持っているか、という基準で人を集めました。
レーダーの完全な管理(これは基本)や指揮合わせと作戦の考案、そしてエース小隊(強い人間の遊撃隊)による重要拠点奪取等、様々な作戦を考案しました。防衛小隊、攻撃小隊などを分担したこともあります。
そんな中で、自分はMS戦や凸が得意だったにも関わらず、連隊では「支援機体」に乗りレーダーを巻き、ただひたすらに防衛し、VCで指示を出していたのです。
それが、僕の勝ち意識だったのでしょう。
個人で全力で勝ちにいくのは勿論のこと、連隊の中でも率先して僻地レーダーをまき、ポイントにならない作業を繰り返した訳です。
これは自分だけではありません。ティル君には指揮官を押し付けましたし、コアなメンツには連隊員集めや僻地レーダーをやってもらいました。
結果は実り・・・このゲームが始まってから、恐らく「最強」と言っても過言ではない連隊を作り上げたと思ってます。
様々な連隊がある中で・・・大規模100連勝等を達成しましたし、毎日何時間もプレイしても一週間で1~3回負ける程度で、勝率で言えば95%以上あったと思います。
今だから言えますが・・・こっそりとニコ生の放送にも合わせましたよ。・・・どの連隊放送でも倒せる自信がありましたから、そりゃ力試しをしたくもなります。
しかし、この行為は連隊放送をやっている人間の「放送」を潰してしまう可能性がありました。勝つ為に集まってる人間を倒しにいく訳ですから勝ち続ければ潰れるでしょう。
そこで、自分は連隊長としてルールを取り決めました。一つの放送に粘着しないこと、一度合わせたらそれで終わり。
例外として逆合わせで粘着したことがあるのは、RAKEという部隊に対して生主が暴言を吐いた時だけですね。
そりゃ、こっちが1小隊でやっている時に勝っただけで「雑魚」や「また逃げるんだろ」なんて言われたらやりたくもなりますよ。
これは仕方のないことです。それでも・・・数戦やって勝ちが続けば粘着はやめましたよ。
これがまぁ・・・今のRAKEの始まりな訳です。そして、後藤清がガンダムオンラインの大規模でやってきたことです。
自分の過去について、良かった悪かったという話は置いておいて「自分の中では全力でやりきった」という思いはあります。
今の勝ち意識の薄い自分というのは・・・
本当はやりたくないこと(支援での僻地レーダー・寝る時間や局地に費やしたい時間を削って連隊長として行動)を、義務感や責任感でプレイし続けた成れの果てじゃないかと思ってます。
局地編 大会編
TOPページに戻る
広告