1)人間は、ある事柄に対して、その事柄が自分にとって持つ意味に基づいて行為する。
2)そうした事柄の意味は、人間がその相手と執り行う社会的相互作用より導出され発生する。
3)こうした事柄の意味は、その人間が、自分が出くわした事柄に対処する際に用いる解釈の過程を通じて、操作されたり修正されたりする。
良く知られた、「シンボリック相互作用論の3つの基本的前提」である。シンボリック相互作用論の創始者である、ハーバート・ジョージ・ブルーマー(Blumer, Herbert George, 1900-87)が定式化したものである1)。
この前提が含意する詳しい内容については、別稿を参照いただくとして2)、ここでは、とりわけ第2の前提に着目して話を進めることにしたい。
この第2の前提が含意しているのは、われわれの日常生活を構成するさまざまな事柄の意味は--別言するならば、さまざまな事柄が“何であるのか”は--、その事柄にあらかじめ内在化されているものでも、また一個人によって主観的に付与されるものでもなく、さまざまな人々によって展開される社会的相互作用を通じた「定義の過程」の所産である、という論点である。ブルーマーによれば、「哲学における伝統的な『実在論』(realism)の立場」や「古典的心理学」(classical psychology)、「現代の心理学」(contemporary psychology)のいずれの立場とも異なり、シンボリック相互作用論では、「意味とは、人間間の相互作用の過程(process of interaction)〔=定義の過程〕から生じるものと考えられている。すなわち、ある人間にとってのある事柄の意味とは、他の人々がその事柄との関連においてその人に働きかける、そのやり方から生じてくるものと考えられている。他者の行為がその人にとっての事柄を定義するように作用するのである」3)。こうした定義という営みは、何らかの身体的動作(行動)を通じて行われることもあれば、それが“切りつめられた”(truncated)ものとしての言語を通じて行われることもある。社会的相互作用を通じたこうした定義という営みに参与する人々が複数存在している場合--というよりも、定義がそこにおいて行われている社会的相互作用を「さまざまな人々によって展開される社会的相互作用」と規定している以上、理論的にも現実的にも、人間が複数存在している場合しか想定し得ないが--、そうした定義は「集合的な定義」と呼ばれる4)。この「集合的な定義」という過程は、その過程に参与している個々人を、“相互に異質な存在である”と仮定するならば5)、「異なる意味付与の競合」という形を取ることになる6)。こうしたブルーマーの第2の前提の応用型として位置づけられるのが、今回訳出されたBlumer, H.G., 1971, Social Problems as Collective Behavior, Social Problems,18:298-306に他ならない7)。一般にこの論文は、ブルーマーがシンボリック相互作用論の観点から社会問題論・社会問題研究のあり方を提示したものである、と捉えられている8)。
ブルーマーによる上記の第2の前提を踏まえるならば、ある事柄(社会現象)が“社会問題であるのか”もしくは“社会問題ではないのか”もまた、その事柄に内在化されているものでも9)、一個人によって定められるものでもなく、さまざまな人々によって展開される社会的相互作用を通じた集合的な定義の過程の所産である、ということになる。上記のBlumer, 1971は、この仮説を展開しようとしたものである。
ブルーマーのこの論文は、その後、社会問題研究における「社会的構築主義」(social constructionism)という流れの重要な知的源泉として位置づけられることとなる10)。ここで「社会的構築主義」とは、M・B・スペクターとJ・I・キツセが1977年に公刊した『社会問題の構築』(Spector and Kitsuse, 1977)によって一つの到達点を迎えた社会問題研究の一大潮流を指し、その後その潮流は、我が国の社会学界にも輸入されている。我が国では、上記の『社会問題の構築』の邦訳書(マルジュ社、1990年)と、中河俊伸の『社会問題の社会学』(世界思想社、1999年)が、その輸入結果の代表作として挙げられる。ちなみに、草柳千早の『「曖昧な生きづらさ」と社会』(世界思想社、2004年)は、この潮流の延長線上に位置付けられるものと言えよう11)。
今世紀に入って、こうした流れを受けて、「社会的構築主義」的な発想12)をシンボリック相互作用論の側に引き戻そうとする流れが見受けられるようになった。主なものとして、海外ではメインズの論稿が13)、国内では、片桐雅隆の諸論稿14)が挙げられる。
片桐雅隆は、ブルーマーの理論化に代表されるシンボリック相互作用論を「主体主義的なもの」と位置づけ、ストラウス15)の理論化16)に代表されるシンボリック相互作用論を「構築主義的なもの」として捉え17)、後者のストラウス理論に依拠しつつ、「構築主義的」シンボリック相互行為論の展開を企図している。とはいえ、ここに訳出したBlumer, 1971は、「主体主義的なもの」という通俗的なブルーマー把握に対する一つの反論を提起し得る根拠になるものと言えよう。訳者の山口が、今回この論文の翻訳を公刊しようとした意図もまた、主としてこの点にあることを最後につけ加えておきたい18)。
注
1) ブルーマーのプロフィール、及び、ブルーマーによるシンボリック相互作用論それ自体の理論化については、拙稿(桑原、2000年abc;2001年;2003年;2005年;2006年a;2006年b)を参照されたい。
2) 桑原、2002年。
3) Blumer, 1969, pp.3-5=1991年、4-5頁.なお、ここで「心理学」とは、おそらくは「構成心理学」(structural psychology)のことを指しているものと思われる(桑原、2000年a、12頁)。
4) 後藤、1999年、101-110頁。
5) 「ブルーマーは、『対象』(object)に関する議論において、『ひとつの対象が異なる個人に対して異なる意味を持つことがあり得る』・…と述べ、それ故、『個人や集団は、たとえ同一の空間的な位置を占有し、そこで生活していたとしても、きわめて異なった環境を持っている可能性がある。いわば、人々は、たとえ隣り合って住んでいたとしても、異なった世界に住んでいることがあり得る』・…としている。すなわち、本論における前章〔=桑原、2000年a、9-39頁〕の議論を踏まえた上で、このブルーマーの言説を解釈するならば、相互作用に参与するであろう個々人は、互いに相手とは異なった『パースペクティブ』を持つという意味で異質な存在として、社会的相互作用に参与する可能性が高いということになる」(桑原、2000年a、43頁)。
6) 徳川、2002年、89頁。
7) 船津、1990年、参照。上記の訳文は、このBlumer, 1971の全訳である。訳文中、「 」で括られている箇所は原文において“ ”で括られている箇所を、“ ”で括られている箇所は原文においてイタリック体で記されている箇所を表している。また〔 〕は、訳者による補足のための挿入を表している。なお、本論の執筆にあたっては、翻訳を山口が、解説を桑原が担当した。
8) 船津、1990年、160頁;草柳、1997年、221-222頁。ちなみに、E・ナーデルマン(Nadelmann, 1990)は、ある特定の活動を禁じる国際的な諸規範の形成と維持のメカニズムを説明しようとする彼の論文の中で、ブルーマーのこの論文において提示された“社会問題過程の5段階モデル”を再構成し、その越境犯罪(国境を越える犯罪)への適用を試みている。
9) この立場に立つものとしてブルーマーが論敵扱いしているのが、社会問題に関する機能主義的研究、なかでも、R・K・マートンの社会問題論(Merton, 1966)である。
10) 福重、1999年、182頁。社会問題に関するこの立場の最大公約数的な定義については、次の引用が適切であろう。「社会問題は、なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動であると定義される。・・・・社会問題の理論の中心課題は、クレイム申し立て活動とそれに反応する活動の発生や性質、持続について説明することである」(Spector and Kitsuse, 1977=1990年、119頁)。なお福重によれば、目下この立場は、大別して「厳格派」「コンテクスト派」「ポストモダン派」の3派に分類することが出来る(福重、1999年、186頁)。
11) かつて筆者は、この点について概略的な報告を行った。「社会問題成立のメカニズム」、第94回鹿児島哲学会例会、於:鹿児島大学法文学部、2001年6月30日。
12) なお付言しておくならば、ここで「社会的構築主義」とは、先に述べた「社会問題研究における『社会的構築主義』」と同一のものではない。ここでいう「社会的構築主義」については、差し当たりV・バーが挙げる「4つの教義」(「自明の知識への批判的スタンス」/「歴史的及び文化的な特殊性」/「知識は社会過程によって支えられている」/「知識と社会的行為は相伴う」)及び「7つの特徴」(「反-本質主義」/「反-実在論」/「知識の歴史的及び文化的な特殊性」/「思考の前提条件としての言語」/「社会的行為の一形態としての言語」/「相互作用と社会的慣行への注目」/「過程への注目」)を参照されたい(Burr, 1995=1997、3-12頁)。
13) Maines, 2001.
14) 片桐、2001年a;2003年a;2003年b。
15) Strauss, Anselm Leonard(1916-96)。シカゴ学派第4世代に位置づけられるアメリカの社会学者で、シンボリック相互作用論確立の旗手の一人として挙げられている。
16) Strauss, 1959.
17) 片桐、2001年b、226-228頁。
18) なお付言しておくならば、筆者のこの見解は、何もストラウス理論の意義が、ブルーマー理論を超えるものではない--ブルーマー理論に解消されるものである--、ということを意味するものではない。確かにブルーマーは一貫して、種々の事柄の意味が、人々が行う定義の過程から生まれるものであることを強調している。その定義という営みは、先にも述べたように、「何らかの身体的動作(行動)を通じて行われることもあれば、それが“切りつめられた”(truncated)ものとしての言語を通じて行われることもある」。とはいえ、この「 」でくくった部分の記述は、桑原なりの、ブルーマーによる第2の前提の読み込みを表現したものであり、ブルーマー自身が明記していることではない。この「定義という営み」が言語を通じた「名付け」(naming)という形で行われる、というストラウスの着想は--この点については訳者の山口(2005年;2006年)が詳しい--、ブルーマーの理論化と相対立する見解なのではなく、むしろ、ブルーマーの理論化の延長線上に位置する、より洗練された着想として位置づけることが可能である、ということこそ我々は主張したいのである。
引用・言及文献
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桑原 司、2000年a、『社会過程の社会学――ハーバート・ブルーマーのシンボリック相互作用論における社会観再考――』、関西学院大学出版会BookPark。
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――――、2001年、「東北大学審査学位論文(博士)の要旨――シンボリック相互作用論序説(3)――」、『経済学論集』第54号、鹿児島大学経済学会〔注記:桑原、2001年の表題を公刊当初のものから現行(上記)のものへ変更した理由及び経緯については、次の文献を参照されたい。「編集後記」(『鹿児島大学総合情報処理センター 広報』No.16、鹿児島大学総合情報処理センター)138頁;桑原、2006年b、164頁〕。
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