イラクに派遣された陸上自衛隊の日報が見つかってから防衛相への報告までに二カ月半以上かかった。当初、見つけられなかったことも問題だ。文民統制をも危うくしかねない重大な事態である。
当時の防衛相、事務次官、陸上幕僚長が辞任するに至った南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報隠蔽(いんぺい)を、重大事と受け止めていなかったのではないか。ずさんな文書管理である。
二〇〇四~〇六年に人道復興支援でイラクに派遣されていた陸自部隊の活動に関する日報が防衛省内に保管されていた。昨年二月、当時の稲田朋美防衛相が国会で「残っていないことを確認した」と答弁していたものだ。
問題は二つ。第一は当初なぜ見つけられなかったのか、である。
稲田氏の答弁当時、南スーダン派遣部隊が作成した日報の開示遅れが隠蔽と批判され、国会ではイラク派遣部隊についても日報の所在を確認する質問が出ていた。
陸自は自衛隊の予算や活動を決める国会の質問を軽視し、十分な調査をしなかったのではないか。それは、国会の文民統制(シビリアンコントロール)を危うくする規律違反にほかならない。
第二は自衛隊を統括する防衛相への報告の遅れだ。陸上幕僚監部の衛生部と陸自の研究本部は今年一月、日報の存在を陸幕総務課に報告したが、統合幕僚監部には約一カ月後の二月二十七日、小野寺五典防衛相にはさらに一カ月後の三月三十一日の報告だった。
なぜ、これほどまでに遅れたのか。小野寺氏は確認作業に時間がかかったと説明したが、それで済むという話ではあるまい。
イラクへは自衛隊初の「戦時派遣」である。宿営地にロケット弾が着弾したことも明らかになっている。自衛隊の派遣や活動継続が妥当だったかどうかは、現地で実際に何があったのかを明らかにした上で、検証することが必要だ。
南スーダンの日報では陸幕や内局の幹部による組織的隠蔽が認定された。イラクの日報が当初、見つからなかったり、発見の報告が遅れた背景に、隠蔽を許す組織の体質があるのだとしたら根が深く、繰り返されかねない。
世界でも有数の火力を備える実力組織である自衛隊の活動は、可能な限り情報を開示し、国民の理解や支持を得ることが前提だ。昨年来の日報をめぐる問題は国民の信頼を著しく損ねた。隠蔽が再発しかねない組織の体質を一掃しなければ、信頼回復は望めまい。
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