|
宮川さんの許可を得まして、Facebookの代理投稿をいたします。
-----------------------------------------
我が師 池田先生との思い出.
「 与其進也 不与其退也 」
其の進むに与する也。
其の退くに与せざる也。
平成2年の暮れ、
宗門事件が起こり、
平成4年2月、私を始め、
工藤住職、大橋住職等7名の僧侶は、大石寺より離山した。
その後、学会擁護の立場を取り、
私は全国各地、更にはアメリカ、ブラジルなどで、宗門研修、そして、脱講の戦いに入った。
寺院訪問法論数二百ヶ寺も、又、法華講を脱講させた人数二千人も、世界一の成果であり、
恐らく、地球の歴史上、私の成果を破る者は出ないであろう。
その頃、脱講先で、正信会と法論する事があった。
逃げ回るだけの、宗門の僧侶に比べ、一応、対論に応じる正信会僧侶の、負けは負けと認める潔さは尊敬に値すると感じた。
今だに、宗門僧侶が恐れを抱く大分県竹田市、伝法寺の浜中和道氏は、私が時間が取れずに行けなかった葬儀を依頼する間柄である。
当時の正信会議長の渡辺広済氏は、僧侶としては、先輩であり、会った事もなかったが、
日顕宗の暴走を止めたいとの思いから電話した。
気さくな僧侶で、
「 おー、宮川君か。知ってるよ。
だいぶ、激しくやってるそうだね。」
私が、
「 日顕の暴走に対して、正信会として手をうたないんですか?」と聞くと、
「 相談してみるか、」
等と対話が進んだ。
そして、最後には、私に、
「 今度遊びに、おいでよ。
寺汚ねぇけどさ。
女房も逃げちゃって。
裁判で金ないしな 」と、
飾り気なし。
偉いと思ったのは、
阪神淡路大震災の時、
法衣を着てバイクで死者の供養をして回ったそうである。
その後も、何度か連絡をして、
遂に、正信会として、「 日顕に退座要求を提出 」した。
ある時、渡辺広済氏が私に、
「 宮川さん、もう、俺に電話しない方が良いよ。」
「 学会は、全部つかんでるよ。
不穏分子として狙われてるよ。」
「 学会、余り、信じない方がいいよ 」と、忠告してきた。
当然、渡辺氏の言葉をそのまま信じる事は出来ない。
しかし、その後の、
平成10年(1998年).7月14日(火曜日).山口県の責任者である桜間氏より突然電話が入り、
「 先生より宮川さんに論語を通して御揮毫を頂きました。」との事。
同月18日( 土曜日 )に副会長の桜間さんが先生からの御品を届けてくれた。
写真集であった。
御宝前に、お供えしてお題目を唱え、謹んで包装を開いた。
そこには、先生の直筆で、
「 与其進也 不与其退也 」
と、揮毫して下さっていた。
内容を早速、 調べた。
「 其の進むに与(くみ )する也、
其の退くに与( くみ )せざる也 」
孔子の論語 述而第七の二十八
人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん
孔子の論語より、
漢文
互郷難與言、童子見、門人惑、子曰、與其進也、不與其退也、唯何甚、人潔己以進、與其潔也、不保其往也。
書き下し文
互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難(が)たし。童子(どうじ)見(まみ)ゆ。門人(もんじん)惑う。
子曰わく、其の進むに与(くみ)するなり。其の退くに与せざるなり。
唯だ、何ぞ甚(はなは)だしき。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与みせん。其の往(おう)を保(ほ)せざるなり。
大要は理解出来たが、深く師の真意知り難く只唱題を続けた。
改革同盟の会議の為に上京。
東京駅から本部の先生に御礼に向かう。
第一庶務の京藤局長から
「 宮川さん、
先生の思い分かりましたよね、」と。
「 敵の敵は味方ではない。
正信会は、先生が一番お苦しみになっていた時に先生を攻撃し、
先生の宝である会員さんを苦しめた輩です 」と。
先生は、全て、見通された上で、馬鹿な弟子が本流から離れないように見守っていて下さっているんだ。
反省懺悔の瞬間であった。
|
|