電子マネーと一緒に必ず財布を持ち歩く理由

どうして電子マネーではなく現金を使うのか?みたいな記事を見かけた。
もう何周目だよ、という感じではあるが実際理由はいろいろとある。
ちなみに自分の場合、メインはアップルウォッチでSuica払い。

だが財布は常に持ち歩いてる。
財布を持たず電子マネーだけ出歩くのは、まずありえない。



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読み取り端末

以前、池袋で働いていたころ。
昼飯を食おうと財布は置いて、チャージしたアップルウォッチと多少の荷物だけで昼飯に出た。
ふと、思いついてかなり以前に行ったことのあったサンシャイン通り脇のカレー屋に入ることに。

席について無愛想なカタコトの店員に注文。
そこで気づいた。
インド人?(ネパールの人が多いって話ですが)のカレー屋にSuica払いの端末があるわけない。
財布を置いてきたせいで現金もない。
これは注文をキャンセルしたほうがいいのでは……と思ったのだが、持ってきたカバンを漁ってカードを見つけ、その場を乗り切った。
店頭に読み取り端末がなければ支払えない電子マネーは支払先の環境によるのだから心許ない。

アップルウォッチにカードを登録しておけば?という意見もあるだろうが、インド人がiPadとSquareリーダーを出したときはカード登録しなくてよかったとしみじみ思った(登録するとカードは使えなくなる)。
当然だがSquareでアップルウオッチのカード情報は読み取れない。

知っておきたい電子マネーと仮想通貨 (マイナビ新書)

スーパーマーケットに多いが、Suica払い自体ができない店舗も多い。
だから結局クレカを持つか現金を持つかという話になる。
だがクレカも「Masterは使えますけどJCBはダメですよ」なんてパターンもある。
だから現金最強って話になる。

今は高層ビルの某企業で働いているが、社内の自販機は半分くらい電子マネーが使えない。
現金オンリー。
電子マネーで買うなら一度ビルから出てビル下のドラッグストアかコンビニにいかなきゃあならない。

そのために薄いハンモックウォレットを買ってある。
無理やり薄くしてある分、癖のある財布だが慣れれば使いやすい。
何より軽くて、持ち歩いてもストレスがない。

ちなみに池袋西武の地下にあるセブン系の店舗はSuicaが使えない。
nanacoだけだそうだ。
他の店だと現金だけってところもある。

さらにSuicaは公共料金や税金などが支払えない。iTunesカードすら買えない。
nanacoでは支払えるらしいが、そのためにnanaco作ったんでは一元管理でもなんでもない。
引き落としとか現金とか。
電子マネーって一元管理できて便利ですねーなんてどこの話だよ、この規格乱立は。

安定感

Suicaのアプリだが、時折チャージに失敗することがある。
支払いの段になって、「このカードは使えません」と表示され慌てたこともある。
仕方ないので財布を取り出し現金で払う。

原因不明で突然使えなくなる。
その場で使えなければ意味がないのだから、「しばらくしたら直る」「通信環境が良ければ」では困る。
ある程度の確率で不安定さを孕んでいるのでは、電子マネーに完全に依存するというのは厳しい。

中国で電子マネー決済が普及したのはカメラでバーコードを読み取るという決済のシンプルさが大きな要素。
カメラの読み取り機能ならガラケーでもスマフォでも対応できる。
特定ハードに関する依存が少ないからこそ決済として普及した。

SuicaにしろEdyにしろnanacoにしろ今普及している電子マネーは、多くがハードウェアに依存する。

現金崇拝

投資バカの思考法
Posted with Amakuri
藤野 英人
SBクリエイティブ

さらに日本は、バブルのトラウマなのか、失われた10年のせいか、現金崇拝というか貯金信仰みたいなものも強い。
実際、使う予定もないプールしてある金ならこの景気なのだし日経連動型のファンドにでも投資する方がよほどいいと思うのだが、目減りするくらいなら貯めておく方がいいと考えるのが日本の標準的な思考法らしい。
このブログを読んでいる何割くらいが投資をしているだろう??

投資はしないのにパチンコを打ち、宝くじには並ぶ人が多いんだから、思考が謎すぎる気もするが、その辺は所ジョージのCMなんかが影響してる気がしなくもない。

投資や投機と言えばホリエモンや村上ファンド、仮想通貨と言えば億り人やコインチェックやネム盗難の狂騒。
情報商材界隈の人々が仮想通貨のトップランナーになっている現状を見ても、日本版meetooが持つはずだった本来の意義をグダグダにしてしまったはあちゅうに近いものを感じる。

仮想通貨で一攫千金でウハウハ、規制がないからと平然とインサイダーを吐露するような人々が仮想通貨界隈の看板になっている実際が、仮想通貨に対する抵抗感として働いているような気がしてならない。
出川だの、ローラだの。
「好感度の高いおバカなタレントでも仮想通貨はできるから投資素人でもやってみてよ」って露骨な狙いが透けて見えるが、FXよりヤバイよヤバイよの仮想通貨に自己責任で取引させるためのCMがアレって、おま(ry

日々勤める市井の人々が、ニュースなどを通じ投資に関して目や耳にする情報の印象はどう考えても悪い。
さらに仮想通貨に至ってはなおさら。


だからみんな口を揃えて現金を使い、残った金は貯金をする。
かくて金は社会を廻らず、日本の景気回復だけがひたすら遅れ続ける足枷のついたアベノミクス。

現金の力

宮崎学「突破者」にあるが、バブルの時代、宮崎は地上げのために紙袋いっぱいの札束を持ち歩いていたそうだ。
なかなか土地を売ろうとしない地権者を前に、テーブルを挟み座る。
目の前に紙袋の中から札束のブロックを積み上げて行くと、頑なに土地を売ろうとしなかった相手も首を縦に振るようになるのだそうだ。

小切手や銀行の残高は単なる数字でしかない。
目の前にモノとして積み上げられて、初めて金とその数字がリアルに結びついて感じられるようになる。

だから地上げには現金を使う。
政治家でも裏工作には現金(実弾)を使う。
もちろん現金は跡がつかないからでもあるが、◯◯万円振り込んだ、なんてのよりよほど価値を生々しく感じるし、イメージではない物としての貨幣には大量になればそれだけの圧力がある。

現金で支払うというのは目の前で金が減って行くことと同意。
一万円札を崩したくないから我慢しよう、ということだってある。
だが電子マネーではそういう感覚は希薄になる。
使った額を管理はしやすいが「金を使う行為」を管理するには実感が伴わず向いていない。
ついつい使い過ぎてしまう。

電子書籍だってそうだ。
紙の本なら部屋のそこここに積読が積もって行くからセーブが効く。
しかし電子マネーにはそれがない。
金を使う感覚が希薄だから、ついついコミック全巻買ってしまう。

ディストピア

電子マネーが今以上に普及するには、少なくともどの店でも間違いなく確実に使える電子マネーが存在したり、その導入がもっと手軽でなければならない。
誰もがアップルウオッチを持ち歩いているわけでもなく、電車に乗らないならSuicaだってPASMOだって持っていないかもしれない。
だから未だに切符は売られ続けている。
スマフォでないかもしれない、クレカがないかもしれない、導入も誰にでも手軽に使えると言えるほど容易とは言えない。
中国で電子マネーが普及したのは現金への不信感だけではなく、中共による監視社会への道程だからでしかない。


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中国では顔認証だけで支払いすることができる店舗もある。
便利さと個人情報はトレードオフ。
共産党は、人民をデータで管理し統制することだって始めるかもしれない。
だがそんなディストピアに住むのが必ずしも不快とは限らない。
どこで何を買ったか、何をしたかが監視されていても、それらの行為によって高く格付けされ、受けられる社会サービスが向上するかもしれない。
現金も電子マネーすら必要なく、自分の顔だけで認識され支払いされる社会。
伊藤計劃が「ハーモニー」で描いた未来社会だって、ごく普通に生きるには快適だろう。


日本ではなかなか電子マネー決済が普及しないがそれはそれでいい気がする。
技術を向上させ、市場規模が適正に広がる方が資本主義社会としてよほど健全だろう。
仮想通貨だって一気に広がったせいで決済手段としてではなく、単なる濡れ手に粟の投機商品としてしか認識されなくなってしまった。


規格が乱立し、ソフトウェアはまだ不安定、端末の普及もまだ足りない現状。
この現状で「電子マネー使わないなんて信じられない!」なんてそれこそ勝手な奢りとしか思えない。