大音楽家のヨハン・セバスティアン・バッハとゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが誕生して今年は333年になる。神聖ローマ帝国を構成するドイツで生まれた2人の生涯は対照的だった。バッハが教会音楽家に徹しドイツにとどまったのに対して、ヘンデルはイタリアでオペラを学び、英国に帰化して音楽を大衆に広めた。産業革命を前にしたグレート・ブリテンの吸引力の大きさを示している。いま欧州は英国の欧州連合(EU)離脱で地図が塗り替えられようとしている。金融機関を中心に、英国からドイツなど欧州大陸への移転が相次いでいる。BREXITで、「英国の時代」は終わるのだろうか。
時代の節目で誕生
バッハとヘンデルが生まれた1685年は「欧州の時代」が動き出した節目と位置付けられる。神聖ローマ帝国を舞台とした宗教戦争「30年戦争」が終わり、1648年ウエストファリア条約が締結される。ドイツは諸侯の領邦主権が確立し、300以上の領邦に解体される。戦争による荒廃で、ドイツは近代化が遅れる。そのなかでプロイセンの軍国主義が台頭する。
神聖ローマ帝国は形骸化し、欧州各国は主権国家として条約に参加し、主権国家体制ができあがる。ウエストファリア体制である。まだアジアが世界の国内総生産(GDP)のなかで6割を占めていたが、「欧州の時代」が見え始めていた。英国を中心に産業革命への予兆があった。
ちなみに、日本では徳川5代将軍が生類憐みの令を出していた時代である。
>寛容さを失ったグレート・ブリテン
堪忍袋の緒が切れたという所でしょう。
シェンゲン協定の危険さが判っていたから受け入れなかったのでは?
良くも悪くも諸刃の剣。
陸続きのヨーロッパ諸国と比べて壁が造りやすいのでそうした。
陸続きなら制限してもメキシコとアメリカのように移動してしまうので認めたようなもの。
ガラパゴスとか恐竜とかいうように、ユーロ単一の弊害も今見えているだろう?
EUの運用がアメリカにおける州のように、日本の県のようには出来なかった。
色々違いすぎたのに一緒の通貨とか協定に無理があっただけのこと。
それこそEU運営がEU加盟国の事を満遍なく平等にみていなかったからこその現状。
EU側に寛容さが足りなかったと見る事は出来ないのか?
>EUのために加盟国として何をするかより英国のためにEUをどう利用するかしか考えてこなかった。
この英国をEU加盟国の各国それぞれに当てはめて成立すると思う。
まあ、優先順位的に普通は他国が自国を優先する事はない。
他国を蹴落とすような仕打ちでなければまず妥当な所であろう。
そこで、EU離脱はその蹴落とす行為かどうかで判断すべき。
EU自身の各種問題が片付くまでは離脱の判断を失敗と片付けるのは早計。
日英でブロック構築を試みる方向にするのも悪くないだろう(2018/04/03 14:56)