履歴書に空白があってもいい
スウェーデン人の若者は、働くことへの意味を自分のなかで消化してから「本命の仕事」を探す。だから若者の多くは、高校を出てすぐには大学へ行かない。2016年のデータによれば、高校を卒業直後に大学に進学したのは全体の13.7%だ。
将来「本命の仕事」を見つけるために、まずは何を学ぶ必要があるのか、その答えがすぐに出せないのであれば、とりあえず働いてみる。そこから次の一歩が見え、心の準備が整ったら、大学に進んで、学び始める。そして、大学を出てからも、すぐには働かず、時間を置いてから社会人としてデビューすることも珍しくない。
社会がそういうインターバルを受け入れているところが日本とは根本的に違う。履歴書に空白期間があっても問題にならない国と、そうでない国では、社会の寛容度が大きく異なるのだ。スウェーデンには「現役」や「浪人」といった言葉は存在しない。
個人個人によって働き始める時期はまちまちなので、入社式というものも存在しない。入社後に、研修で同期が集められることもない(たぶん「同期」という概念もないのかもしれない)。
仕事をするうえで、自分が目指したい方向性は各自が自由に考え、研修プログラムも自分で組む。そのための費用がかかるのであれば上司と交渉をする。もし自分がやりたいことがその会社で実現できないのであれば、サッサと辞めて次のところへ移る。このように、働くにあたっては、どこまでも個人の自主・自律性が重んじられる社会になっている。
30歳で5つ目の会社
スウェーデンでは、たいていの場合は20代の中盤、人によっては後半で社会人デビューを果たし、職業人としてのキャリアが始まる。日本とは異なり、終身雇用が一般的でないこの国では、随時、自分自身のキャリアを修正していくことも珍しくない。私が現在働いている会社の同僚を例にとればわかりやすいので、彼らのケースを紹介しよう。
Gabriella Skoglund(31歳)は高校を卒業してからしばらく働いた後、大学の工学部へ進学。3年で学士の学位を取った段階で1年休学し、 マレーシア、タイ、シンガポール、ニューヨーク、パリ、どこの大学院へ進学すべきか、自分探しの旅へ出た。1年間じっくりと将来について考えたことで、大学院での2年間は充実したときを過ごすことができたとという。
そして、大学院で学んだ専門分野を活かし、スウェーデンの大手トラックメーカーSCANIAへ入社し、2年ほど勤めて現在の私と同じ会社へ。 最近はチームリーダーとして活躍している。
同僚のGabriella Skoglund(右)。FIKA(コーヒーブレイク)のときに聞く彼女の話はいつも面白い。
日本ではこういった女性は「バリキャリ総合職」などと形容されるが、スウェーデンではこうした女性がたくさん職場にいる。専業主婦が2%の国では、そもそも総合職と一般職のような垣根もないのだ。
彼女とはよくFIKA(コーヒーブレイク)をするが、心底仕事を楽しんでいるし、プライベートの話もいつも面白い。日本ではなかなかこういう女性に出会わなかったと思うと、自分の娘たちの将来にも期待が持てる。
30歳で5社を経験している同僚のRobin Westerlund
私の同僚であるエンジニアのRobin Westerlund(30歳)は、高校を出て工場のラインで半年働いてから、大学の建築学科へ入学。しかし肌に合わないと半年で機械工学科へスイッチし、23歳で卒業。現在の会社は5社目となる。
彼のように若いときから転職を重ねても、この国ではネガティブなイメージはない。逆に、さまざまな企業で経験を重ねることは、自分に本当に合った会社や職業が何なのかを探るための必要なプロセスだと考えられている。日本の終身雇用制度は、Robinに言わせると、「1社目が自分にとってベストな会社である確率なんてとんでもなく低いんじゃないか」とのことだ。
家族や恋人、友人と過ごす時間が最優先
会社は毎日16時半頃になると一気に人が減る。加えて人の出入りが激しいなかで、よくもこれで回るものだと最初は面食らっていたが、だんだんとその効率化された働き方にも慣れてきた。私も毎日遅くとも17時には帰宅し、家族で食卓を囲み、子供たちとお風呂に入り、寝かしつける。日本にいた頃よりも子供の成長には敏感になったと確実に言える。
契約書に書かれている職務を、規定時間にこなすのがスウェーデンでの労働の定義となっており、もちろん時々残業をすることもあるが、とにかく家族や恋人、友人と過ごす時間が最優先であり、これが社会全体の共通認識となっている。これを支える要素として最も重要なのが、先述した自主・自律性である。
私が日本で働いていたときと比べて、こちらでは裁量が各段に増えた。サイン欄が沢山あるような文書も存在しない。管理職だけが遅くまで会社に残るということもない。部下を信用し、上司もサッサと帰ってしまう。どんなに偉くなろうと、家族と過ごす時間は保証されている。
このように、スウェーデンでは個人の権利が保証されており、相互の理解のもとに社会が成り立っている。しかし、個人の自由を尊重するがゆえに、組織としては、日本と比べると統制は取れていない。例えば、行政手続きにやたらと時間を要するとか、電車が時間通りに来ないとか……。でも、これに文句を言うことは、役所の公務員や車掌に残業をさせ、家族と過ごす時間を取り上げることにつながる。
ちなみにスウェーデンには24時間営業の店などほとんど存在しない。日曜はスーパーとレストランぐらいしか営業しておらず、自動車屋も不動産屋も土曜日は短縮営業か休み、日曜は休みだ。つまり1人1人の権利を保証する代わりに、こういった「少しだけ不便な社会」を受け入れないといけないのだ。ここでは、個人の自由と社会の便利さはバーターの関係にある。
日本でもこのところ働き方改革が叫ばれているが、社会の速度の根本を見直さない限り、名ばかりの付け焼刃的な取組みとなっていくだろう。みんなが早く帰るようになれば、当然ながらそのぶん社会は不便になる。そしてそれを受け入れられるだけの広い心が必要となってくる。
いまの日本に必要なのは寛容な心を持つことと同時に、労働時間の減少をどう補うかの議論だ。女性の社会進出、AIを活用するなどアイデアは色々とあるはずだ。少子高齢化に加え、長時間労働でも有名な日本が、これらの課題をどう解決するのか、今後も注目を集めるところだ。
連載:スウェーデン移住エンジニアのライフ&ワーク
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吉澤 智哉