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学会崩壊の理由

「反」創価学会

「創価学会崩壊X DAY」という言葉が、ネットやアンダーグラウンドで飛び交っています。「反学会者達」にとっては非常に魅力的な言葉で、一般人にとっても頭に残り易いキャッチコピィです。自分のブログの「噂話」に入れてみると、何となくエレガントさが増す様にも思えてきます。

それらの創作話を「信じたい」という人が中心となって、熱烈な「崩壊」ファングループが作られているようです。

「学会X DAY」とは、池田先生が亡くなると,その時点から創価学会と公明党の組織解体が始まる,と言う「お噺(はなし)」です。解体の「理由」や「原因」は、それぞれのブログ・サイトで、如何にもと言う情け無い下手なSF染みた「三文話」が様々に綴(つづ)られています。
個人的にはこれらの話の数々は、今一つ二つ三つ四つ…納得出来ない処があります。

先生の死が、何故学会崩壊の原因になるのでしょうか?
船頭の居なくなった船は沈没する…と言う話を大袈裟にしているだけなんでしょうか?
それとも、崩壊して欲しいという希望的観測の想いを込めてのお伽(とぎ)噺なのでしょうか…?カリスマがどうのこうのと、あれこれ書いているブログもありますし……。
全て何ともはやの、理解不能的屁理屈記事にしか感じられません。
感情論の話は,それはそれで一つの記事の在り方ではありますけど、それだけを根本にした「崩壊原因・理由」は、結局感情話,下馬評以外の何物でもありません。
でも、最近「安保」問題での公明党の在り方の記事を読んで、ふとその理由が納得出来た気がしました。つまりアンチ連の、学会が崩壊して欲しいという積極的な理由が,垣間見えたような気がしたのです。

学会に関する、政治と宗教の問題は昔から腐る程ありました。今更ここで「政教一致・不一致」の話をする積もりはありません。そんな話の結論は、2千年前の神代の時代に全て解決している問題です。(未だに、そんな創世神話を真剣に語り継いでいる、アンデッドな人間も多く存在してはいますが…)
…まあともかく、「崩壊」問題の中心は、「安保と公明党」問題に尽きるようです。
公明党の奥には勿論「創価学会の政治支援」問題が存在しています。学界のトップ(池田先生)が亡くなった場合、公明党への学会からの支援が極減(でなければ,皆無になる)します。加えて「平和の党」のイメージ汚濁から、「学会崩壊」「公明党崩壊」の同時的な連鎖崩壊が起こる…と彼等は考えているようです。「風が吹くと桶屋が儲かる」式の都市伝説は、彼等にとってはとても魅力的な、若しかして決定的な学会への攻撃材料となるはずだ…と期待を膨らませる訳です。
彼等「創価学会崩壊希望者達」からすると、どうしても学会と公明党の関係が気になります。「政教分離原則」攻撃も巧い具合な効果も出ていませんし、「もうすぐ」学会崩壊するんだ、とは騒いではいるものの、当の創価学会は、SGIを含めて未だに元気一杯で付けいる隙を見せません…。何とかならないものかと見つけたものが,この「安保問題」。平和の党のスローガンで生き残っている「宗教政治集団・公明党」が、何と言う武力容認の決断をしてしまったのか!!やはりこれは、学会崩壊が間近の緊急サインだ…と言う周りくどい話のようなのです。
「棚ぼた・桶屋儲かる」的なこの様な状況は,多分数万年に一度の学会攻撃のチャンスです。逃してはアンチ創価学会の沽券(こけん)に関わります。怒濤(どとう)の如くの創価学会崩壊噺が色取り取りのネオンサインの如くに煌(きら)めいている理由が、上述の話だったようです…。

私は政治に関して、ほぼド素人です。公明党や安保等に関しても、真面な筋を追っての話をする知識を持っていません。でも、「個人的な感想」は書くことが出来ます。
宗教的な話は、今更…ですから、安保法案への「意見・感想」を中心に書いてみます。間違っていることや勘違いも、多々あるとは思います。若し、そう言うものに気付きましたら,御意見をお願いします。

重複しますが一応話を纏(まと)めたものを記して,それから説明を加えていきます。

『「安保」を推し進めると、平和の党であった公明党の基本理念が消滅してしまう。支援組織の学会員はそれを原因に公明党から離れていく。また、池田先生の死により更にその動きが加速されて、批判・反動エネルギーが学会内部へ向けられていく。結果、学会の組織解体、公明党離反が進み、数年後には,創価学会そして支援を受けていた公明党は消滅してしまう…』

…と言う「大河物語」になる様です。NHKで放映すると、毎回数十%越えの視聴率を稼げそうな,そんな物語になりそうです。

問題の核心の一つは、「安保法案」の継続云々。「平和の党」である公明党は安保には絶対反対すべきだ、と言う、好意的に取れば,反対する人々は公明党にそれだけ期待している、という事も言えそうな意見です。
しかし、平和の党だとしても、やはり公明党は現実の政治に関わる政治団体です。ネット上や言葉上で展開する「空想上の政治組織」ではありません。現実の政治を,現実にどう動かすかという非常にシビアなものです。
政治は「妥協の産物」だと言われますが、「理想の行為」をいくらやろうとしても反対勢力は必ず出てきます。政治は、それら反対組織の考えとの摺り合わせの結果の産物なんだと思います。

憲法9条問題は取り敢えず置いておきます。
若し、安保法案を破棄すると,現実の日本は一体どうなるのでしょうか…。
アメリカの軍事力は世界一です。次に中国やソ連が控えています。中国やソ連は日本に対してあまり良い感情は持っていないのが現実です。北朝鮮も決して常識的な国だとも言えそうにない国ですし,韓国も日本に対しては苦々しい思いを持っています。日本が裸の状態でその中に放り込まれて、さて、何が出来るのでしょうか?
これは文字通り現実の話になります。
自己(自国)防衛は世界的に認められているものです。外部交戦権は問題外としても、そうなったら日本は独自の軍事力を持つしかなくなります。きれい事はいくらでも叫べますが、軍隊も何もない国がその状態で一体何が出来るのでしょうか?
核を打たれました…征服されました…ごめんなさい…。では済まない話です。

さて、アメリカの軍事支援も無い状態の日本が、本気で武力を持とうとした場合どうなるでしょうか?
大騒ぎをする国が色々出てきそうです。現在の安保状態から比べると、遙かに大きな問題をアジア全体に投げかけてしまいます。歴史的に考えれば常識の話です。
学会は信心の団体です。その団体が応援する公明党は政治の団体です。政治は話合いで事を決める組織です。話合いは上述した妥協の状態を作り出すものです。4割嫌でも6割正しいと思えば,その方向に行くべきものなのです。それが平和を作り出すものであれば,それをすべきものなのです。
また別の問題として、自分が入れた公党に対しては、最後の最後まで応援すべきものです。途中あれこれの気に入らないことが起こったとしても,応援は続け,信じていくべきものだと,私はそう思っています。気に入らなかったら,次の選挙で落としてしまえばそれでいいわけです。それまではどんなに不満でも信じ切るべきです。

次に疑問に思うのが、『先生が亡くなる』→『学会が崩壊に向かう』の図式がよく分かりません…。
この理屈が正しいのであれば、戸田先生逝去の時点でとっくに学会は消滅しているはずです。
トップの不在で組織が混乱するという話はよくあるにしても、それがそのまま創価学会に適応出来るかどうかは疑問です。何故なら,学会程「人材」を大事にしている組織は他にないからです。
三代会長は各々時代の人です。天性の人材だと言う事も出来ますが、現時点でも同じ意味での「人材」は学会に存在します。ホンの一時的には混乱は起こるでしょうけど、そのあとは新しい,そして別の学会の時代が始まることは間違いありません。
アンチ連の話す崩壊の屁理屈は,創価学会には全く成り立ちません。それらの言は、学会の事を余りにも知らない人の話だと言わざるを得ないのです。「学会は崩壊して欲しいと自分は思っている」という意見であるなら,それに対しての反論も成り立つでしょうけど、唯ひたすら「崩壊は間近」という言葉を発するだけで,真面な理由も何も書いていないブログが世の中には多すぎます。

二つの話を書きました。問題は,これらの話がどうして学会や公明党の崩壊の話と結びつくのか、これが私にとっての不可思議そのものなのです。

若し御意見がありましたら,内容の瑕疵や説明不足の補足も含めて、コメント頂けると嬉しいです。

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学会崩壊の理由” への1件のコメント
  1. うるとらまん より:

    安保については不満ありますが賛成です。公明党は踏ん張ったと思います。
    不満なのは沖縄を犠牲にして成り立つ法案であることです。
    先生は基地のない島、平和な島、東洋のハワイ沖縄にと叫ばれました。
    その思いが人間革命執筆を沖縄から始めました。
    話が長くなるので簡単に言いますが公明党の尽力により東洋のハワイ沖縄は実現し
    観光客数はハワイを超え、国内屈指の観光立県になりました。
    しかし、沖縄は依然として基地の島です。安保はアメリカに基地を提供することです。
    どこの県も米軍基地を受け入れるところはありません。
    しかし、沖縄だけは県民の思いは無視されます。
    沖縄公明党は基地撤去を訴えますが中央公明党は自民党と歩調を合わせています。
    利権絡みの自民党、反対だけの野党では沖縄は基地の島であり続けます。
    公明党に期待していますが具体的には、何一つ進展ないのが辛いです。

    • monlingen より:

      うるとらまんさんへ

      沖縄自身の「軍事施設圧迫」の問題点も昔から議論されていて,まだまだ出口の見えない状態が続いています。

      完全撤退はともかく、沖縄の地理的な優位性から考えると、本州等に施設分散は余り良い方向では無い事も確か。かと言って、日本の「軍隊」が代わりに引き継ぐ,と言う話はより厳しい世界世論の騒動を引き起こします。
      常識的な日本人の中で、この「現実」を考えてみたことの無い人は、多分いないのではないかと思います。でも、考えた途端に答えが全く見つからないことに気付いて、そこで思考停止に陥り、その後思考停止のまま生きて行く…と言う感じなのかも知れません。
      「軍事施設分散配置」をするにしても、受け入れ地域の許諾が必要な訳ですので、さて、受け入れをスムーズにする県なり市が、果たして本当に存在するのかどうかも問題でしょう。言葉上ではなんでも話せますから…。

      平和という状態を作り続けることは、考えている程簡易なものでは無いようです。学会はその事を「現実」としてやり続けています。でも、平和行動の表層からからは何も見えて来ません。本気で見ようとしないと学会からの体の良い「スローガン」だけが聞こえるだけに感じます。
      平和行動の本気さを一人でも理解して貰える活動が、学会活動の一つの在り方なんでしょう。

      平和が目に見える形で沖縄に現れれば、軍事施設も消えていくのかも知れません…。

      • うるとらまん より:

        沖縄に米軍基地が集中するのは地理的要因とは関係ありません。
        以前は内地が九割、沖縄一割の比率でした。
        しかし、内地での米軍基地撤去運動が激化し、閉鎖、もしくは
        日本国憲法のない米軍統治の沖縄に機関銃を突きつけブルトーザーで村を破壊して基地は移転してきました。
        そのことに対して、内地の人は沖縄100万、内地一億、日本の繁栄と平和のために沖縄の犠牲はやむを得ないとの考え方が多かったです。
        沖縄を犠牲にして内地は平和と繁栄しました。
        沖縄も内地のように平和と繁栄が欲しいと思うのは許されないようです。

        • monlingen より:

          うるとらまんさんへ

          非常に身勝手な,しかも傲慢な言い方になると自分でも認識しますが…。

          基地の「ある・なし」と、自分自身の「幸福」とは別物として考える事も,若しかして可能かも知れません。
          米軍基地も自衛隊基地も,更には原子力発電所も何もない場所に居ればそのまま幸せか,と問われると,少々の疑問もでてきそうです。学会での「幸福」の定義からすると、如何なる場所、どんな状況でも幸せに生き切っていくことが信心の一つの在り方だと強弁すると、形は歪かも知れませんが,「幸福」というものの存在形態もそこにも見いだせるのかも知れません。
          当然こう言う考え方は、沖縄問題を「他人事」としてしか考えていない,と非難されることは受け入れる前提ですけど…。

          理想型として全日本、全世界が何もないことも一つの平和の在り方でしょうが、現実に沿って考えてみると、こう言う複雑怪奇な問題も、学会の信心の一つの答えの「形」として考えてみるべき事も可能なのかもしれません。

          • うるとらまん より:

            沖縄県民としての立場で言えば安保は日本全体で公平に引き受けて欲しいです。
            戦後70年余り、沖縄が安保の負担を強いられ、いつまで負担しなければならないのか、辛いです。
            学会員としての立場としては、先生の思い、平和象徴の沖縄への思いを実現したいです。
            自民党沖縄選出衆参両議員全員が国の圧力に屈し、辺野古基地反対を撤回しました。しかし、沖縄公明党は屈しませんでした。
            それは人間革命を沖縄で執筆開始された先生の思い、平和象徴の沖縄建設への誓いを支持者および沖縄公明党議員が堅持しているからです。
            虐げられる沖縄の宿命転換していくことが私達の使命です。

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