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2月23日(金)

 業務連絡。村井理子さん、おさい先生が「ぎゅうぎゅう焼き」すっごいファンで、ウチでもいつも食べてます。ウチの晩ごはん、5割ぐらいの確率でぎゅうぎゅう焼きです。おさい先生の実家にもひろがってます。簡単でおいしくて野菜も摂れてすばらしいです。いまふうの言い方でいうと「マジ卍尊い無理」です。
 きのうユニクロで買った靴下をはく。1足300円なのに、新品の靴下ってめっちゃ気持ち良い。ツルツルと足が入って、中がふかふかしてる。そして清潔な感じがする。
 顔を洗ったり、歯を磨いたり、風呂に入ったり、部屋を掃除したりするだけで、なんでこんなに気持ちがいいんだろうと思う。
 そんなに毎日徹底的に掃除するタイプじゃないですが。関係ないですが、たまに徹底的に掃除するタイプのひとがいますが、だいたい怒りっぽいような気がする。違うかな。
 さんざんいろんなところで言ってる話なんだけど、むかし風邪ひいたときに、おさい先生に何でもいいから何か食べやすいもの買ってきてって頼んだら、バナナとまるごとバナナ買ってきた。ぜんぶバナナやん。という話をふと思いだした。
 しかしあれももう20年ぐらい前の話なんだな。
 今日は某所のコワーキングスペースで仕事。『はじめての沖縄』、沖縄戦の章を仕上げる。語りを読み返すのがとても辛かった。
 夜、きなこの写真を見て泣く。

ウチのぎゅうぎゅう焼は私のリクエストにより肉多めです

 

2月28日(水)

 25日の日曜日は福井へ。福井県立図書館で宮下奈都さんとトークイベント。行きのサンダーバードでゲロゲロに酔った。福井市へは三度めだろうか。報道されている通り雪がすごかった。大阪に住んでいると雪が降るだけでテンションあがるぐらいうれしいことなんだけど、これぐらい積もると雪も立派な災害だ。
 街はずれにある豪華な県立図書館へ。トークは200名以上来て超満席でした、みなさまありがとうございました。ほとんどが地元人気作家の宮下奈都さんのファンだった。
 宮下さん、お会いするの3回めぐらいかな。いつお話ししても、とても知的で真面目で誠実で、ちょっと意地悪なところがあって、ほんとにチャーミングな方だと思う。大矢靖之さん(私と宮下さんをつなげてくれた張本人)、福井県立大の理論物理学者の中村匡さんとお食事。そのあとひとりで飲み直し。雪に埋もれた日曜夜の片町はほとんどの店が閉まってたけど、唯一開いてたショットバーがあって、とても良いお店でした。ついつい飲みすぎてしまった。Lotusっていう店です。
 で、実はその2日ぐらい前から脇の下のリンパ節が腫れてて、左耳も中耳炎っぽくなってたので、なんかばいきん入ったんかなと思ってたら、大阪に帰ってきたとたん下痢嘔吐発熱でダウン。対談と打ち合わせが入ってたんですが、休ませていただいた。
 そのままいまもまだ寝ている。おはぎがうれしそうにずっと一緒のベッドで寝てるんだけどほんとうに邪魔だ。寝返りも打てない。病気のときぐらいひとりでゆっくり寝かせてほしい。えへへへ。
 感染性胃腸炎だったら(自分が)大変だと、私が使ったトイレをおさい先生がこまめに塩素消毒している。自分がばいきん扱いされた気分だ。
 今朝起きたら、おはぎの食べ残しが皿がつるつるになるまできれいに食べられていた。あら珍しい、と思ったら、外に通じる一階の猫ドアが開けっぱなしになっていた。そとの猫が入ってきて、勝手に食べて帰っていったらしい。
 野良猫や外猫は病気を持っていることがあるので、おはぎにうつったらいけないと、おさい先生がお皿をキッチンハイターで消毒していた。
 ふと見ると、私がおかゆを食べたあとの茶碗も、一緒に消毒されていた。
 野良猫扱いか。
 夕方からマシになってきたので、這いずるようにして仕事を再開。いくつかメール、沖縄社会学会の段取り。

3月1日(木)

 冷蔵庫の扉に、牛乳、豆乳、飲むヨーグルト、パックの甘酒が並んでいて、全部白いなと思った。
 胃腸炎はだいぶ回復したけど、こんどは中耳炎がひどくなってきた。ぜったい何かのばいきんがいるはずだ。やはりハイターで消毒されてもしかたなかったのか。
 耳に水が入ったようになり、とても不快で仕事ができないので、近所の耳鼻科に行ってきた。
 延々と、いろいろ検査した結果、診断は「聴力がとても良いです」だった。
 「ありがとうございます」と言って、抗生剤だけもらって帰ってきた。
 なんだったんだろう。
 確定申告の日。領収書と源泉徴収票・支払調書の仕分けだけで1日が暮れてしまった。こういう仕事をおさいと二人でしているときは絶対にけんかになる。
 まあしかし体調わるい。もう寝たい(18時半)

3月3日(土)

 立命館大学先端研の同僚で、先端研を設立された渡辺公三先生の「偲ぶ会」だった。平服でお越しください、と書いてあったのだが、さすがにジーパンとダウンはまずいだろうと思い、いちおうグレーのパンツとグレーのジャケットと黒のタートルを着て、俺って大人だなあと思って会場に行ったら、みんな普通に喪服だった。
 渡辺先生についてはここで詳しく書く必要もないと思う。若いときに、先生が翻訳されたレヴィ=ストロースの『やきもち焼きの土器つくり』を夢中になって読んだ記憶がある。
 私が先端研に入ることが決まり、研究室の鍵をもらいにいったとき、斜め向かい側の渡辺先生の研究室に明かりがついていたので、一言だけご挨拶をした。先生はにこにこと笑って、あ、どうも、よろしくお願いしますと言われた。
 お歳からいえばすでにご定年されていたのだが、退職せずに立命館大学の副学長という重責を担われていたので、短い間だったが、私も同僚として接することができた。ほんとうに、いつもにこにこしておられた記憶しかない。
 亡くなるほんの一週間ほど前に、渡辺先生とすこしだけお話した。研究室と教室のあいだの細い路地を歩いていたとき、とてもよい天気で、高い空の上を飛ぶ小さな白い飛行機に見とれて上を向いていたら、突然話しかけられ、びっくりしてしまった。
 『現代思想』の特集、読みましたよ。
 あ、ありがとうございます。光栄です。
 そして、とてももったいない、ありがたいお言葉で、私の仕事を褒めてくださった。その言葉はここには書かない。
 その次の週に、研究科長からお知らせのメールが来た。
 いつも教授会で、定年も過ぎたし、副学長の仕事が終わったら、私はイチ院生として先端研に入って、勉強しなおしたいです、と冗談を言っておられた。みんなも、入試が受かるといいですねと、冗談で返していたが、ほんとうにご自身が作られた先端研を心から愛しておられたと思う。だから、リタイア後に院生として先端研に入りたいというのは、あながち冗談でもなかったのかもしれない。
 国際的な研究者であるにもかかわらず、いつもにこにこと、温厚で実直で生真面目で、ユーモアを忘れずに、優しく温かい態度で人に接しておられた。先端研というユニークな研究科を設立し、全学の研究部長から、最後は副学長まで務められたのは、必然的ななりゆきだっただろう。個人的にはあまりお話する機会はなかったけれども、あの路上でいただいたもったいないお言葉は、私のこの先の人生のなかで、もっとも大切な言葉になったと思う。

3月5日(月)

 昨日から那覇に来ている。沖縄戦体験者の方の聞き取りである。すでにいろんなことがある。
 確定申告の作業が間に合わなかったので、結局自宅から領収書の束とUSBテンキーを持ってきた。那覇のホテルで領収書の集計である。何が悲しくて……。

3月13日(火)

 沖縄調査中。いろんなことがありすぎて書けない。ほんとうにいろんなことがある。
 ちなみにずっと風邪をひいている。3月に沖縄に来ると必ず風邪をひく。福井からなんか調子わるいねえ。
 原稿を追いかけて担当の編集者さんが沖縄まで来られた。とりあえず沖縄でいちばん美味いローストビーフを召し上がっていただいた。港川のピザハウスの本店だが、「ピザハウス」というとなんかすっっごいジャンクフードみたいだけど、沖縄っぽい、とても素敵な大人のレストランです。大好き。そのあと宜野湾のカフェ(Cafe Unizon)でいろいろ打ち合わせ。日程が切羽詰まりすぎていて、自分でも笑う。
 沖縄に来てから大学の事務的な仕事をすべて放ったらかしにしていて、めちゃめちゃ叱られたので、反省してホテルで事務仕事。

 
 
出張中に2時間だけ時間を取って、写ルンですを持って写真を撮ってきた。那覇の泊港と前島周辺です。その他の写真はこちらにあります。「那覇、港、曇り/sociologbook

 

3月16日(金)

 結果報告。「ランボー(怒ってない)」がいちばんいいね付いた。Twitterのルールがよくわからない。
 きのう那覇から大阪に帰ってきてから風邪がますます悪化し、一晩中咳き込んでいた。気管支炎か喘息か肺炎か。
 ホワイトデーの日に、那覇のパレットくもじのゴディバにおっさんがめっちゃ並んでた。部下のOLさんにお返しをするんだろうか。みんな大変だ。
 今日は前任校の龍谷大学で、1クラスだけ残っていた私のゼミの卒業式。みんなおめでとう!
 懐かしい元同僚とも会って楽しかった。それにしても改めて滋賀県は遠かった。よく11年間も通ったな、と思う。このキャンパスも、もう来ることないやろなあと思って、帰りに写真撮ってきた。

3月17日(土)

 昼間、洗濯ものを干していたら、消防車のサイレンが聞こえてきたので、近所で火事かなと思って屋上に出てみたら、となりの家の屋上で、おばあちゃんが体操してた。
 咳止め薬を飲み続けてたら胃が荒れて食事ができなくなって、血糖値が下がっていたのか、社会学会をあげて俺を追放しようとしているのではないか、俺を(社会学だけに)社会的に抹殺しようとしているのではないかとわりと本気で思ってたのだが、ミントのど飴三つ食べたら治った。さあ原稿書くか。
 しかし原稿を書いてばっかり人生で、ぜんぜん本も論文も読めてない。いま企画が溜まってる出版物をはやく片付けてゆっくり本を読みたい。

3月19日(月)

 よりみちパンセという伝説的なシリーズがあって、若いころよく読んでたのだが、そのシリーズが再開することになり、その復活第一弾として私の本を出すことになった。タイトルは『はじめての沖縄』です。
 その原稿が、ほんとうにギリギリになって、やっと仕上がった。2月から3月にかけて、カレンダーで「缶詰の日」というのをあらかじめ決めて、山積みになっているほかの仕事をぜんぶほったらかして(すみません)、このふた月ほど、これにかかりきりになっていた。
 土曜日から日曜日にかけてほぼ完成して、日曜(昨日)の夜にもういちど最初から通読して最終的なチェックをおこなった。細かいところをかなり書き換えた。
 今朝も早く起きて最終チェックを継続。11時ごろに原稿の入ったパソコンを持って家を出て、京都の職場まで行って、会議に出席。行く途中の電車でも原稿を書いていた。会議が終わって速攻で阪急電車に乗って、また車内で原稿。
 とつぜん水無瀬の駅で電車が止まる。たったいま、隣の上牧駅で人身事故が発生しました。電車は大幅に遅れるみこみです、というアナウンス。すぐにiPhoneのGoogleマップで検索すると、幸いなことに近くにJR島本駅がある。水無瀬の駅を飛びでて、小雨のなか島本駅に向かう。すぐに普通電車が来て、座れたので、原稿を書く。
 もう少しというところで大阪駅に着く。腹が減っていたので駅構内のカレー屋「ピッコロ」に飛び込んで、パソコンを開きながらハヤシライスを注文。20秒ほどでハヤシライスを食べ終わる頃に、ついに原稿が完成。その場でiPhoneのテザリングをつかってファイルを編集さんに送信。
 そのままの勢いでピッコロを飛び出るとダッシュで帰宅。すぐさまウッドベースをケースに入れて、譜面、iPad(譜面表示用)、シールド(コード)、レコーダーなどをばさばさっとケースのポケットに突っこむと、ドラマーの弦牧潔くんからメッセージ「すみません10分遅れます」。
 助かった10分寝れる! ダッシュで3階の寝室に行ってベッドに飛びこみ、きっかり10分ぐっすり寝る。弦牧くんの車が到着、雨のなかベースを積み込んで、関目のライブハウス「ブラウニー」へ。平野達也トリオの演奏である。
 お客さんもたくさん来てくれて、トランペッターであるマスターや、たまたま来ていたボーカルの方の飛び入りもあり、とても楽しいライブになりました。
 終わってビールを1杯だけ飲んで、また弦牧くんに送ってもらって帰宅、ベッドまで這うようにして行く。
 今日はおさい先生もひどい風邪をひいて、おでこにカラカラに乾いた冷えピタを貼ったままずっと寝ていた。朝から書斎に閉じこもって原稿書いて、そのあと京都の職場まで会議に行って、帰ってきてからライブに向かうまで20分間ぐらいしかなくて、ライブが終わって遅い時間に帰ってきたらおさい先生はもうベッドのなかに埋もれていて、今日はおさい先生の顔もおはぎ先生の顔もほとんど見ていない。
 しかし人身事故って自殺かな。当たり前の話だけど、電車が止まることはもう日常の一部になっていて、「あ、どうしよう、他に移動の方法あるかな」ぐらいにしか思わなくなっている。だからといって毎回毎回、深刻に捉える必要もないんだけど、それでもやっぱりちょっとは、「ああ誰か亡くなったのかな」ぐらいは思うようにしたい。

3月20日(火)

 原稿も書いたしライブも終わったし、おさい先生はあいかわらず風邪だし(私もだが)、というわけで、今日はスーパー家事家事デーにした。大量の洗い物して、洗濯物たたんで、1階から3階まで掃除機かけて、お昼ご飯つくって(豚のロースト、温野菜、青梗菜のみそしる)、お風呂入れて、お風呂入って、残り湯で洗濯して、トイレットペーパーやらコーヒーやらカビキラーやら買い出しに行ってたら夜になった。おさい先生のリクエストで、晩ご飯は出前ピザ。いうてる間に対談の原稿が届いて目を通したりしていた。
 カビキラー、失敗した。詰め替えボトルを買ってきたんだけど、家に帰ったらスプレーがなかった。前のボトル、空になったときに、スプレーごと捨ててたんだった。もういちどスプレー付きのやつを買ってこないといけない。
 咳が止まらない。もう1ヶ月風邪ひいてる。
 ところで、いま仕事のあいまに「Amazonプライムで無料のクズみたいなゴミ映画を我慢して見る会」をひとりで主催している。意外に面白い映画があったりして、意外に楽しい。でも大半はほんとうにゴミみたいな映画で、実は世の中で作られている圧倒的多数の映画はゴミみたいなやつで、ふだん私みたいな映画に疎いものが見ているメジャーな作品というものは、ほんとうにごく一部なのだなと思う。そういうくだらない映画を、仕事の合間に15分ずつ観たりしている。楽しい。