Fashion

"黒"を更新する新世代「ノワール ケイ ニノミヤ」二宮啓に川久保玲が託したもの

 トレードマークはモヒカン。カメラを向けると「自分の顔は知らない方がロマンチックじゃないですか」と冗談を言いながら二宮啓は照れた表情を浮かべる。「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」で4年間、29歳で「ノワール ケイ ニノミヤ(noir kei ninomiya)」を立ち上げ、ブランドはすでに5年を迎える。2018年はモンクレールの新プロジェクトに起用され、パリで本格的なショーを開くなど新しい「黒」の価値を更新する二宮啓とkei ninomiya。進み続けるクリエイションの先とルーツを探った。

 

コム デ ギャルソン最年少デザイナー二宮啓とは何者か

 九州の大分に生まれた二宮啓は18歳で上京し、青山学院大学の文学部に進学する。「当時はファッションを仕事にするとは思いもせずに、興味のあった文学の道に進もうと進路を決めた感じがします。ただその後、自分で服をどうしても作りたくなり、技術を習得するためにパターンの勉強を始めました。何か"取っ掛かり"が欲しかったんでしょうね」と学業の傍、夜間学校に通い始めた。

 卒業する頃には「もっとファッションの勉強を深めたい」と思うようになり、アントワープ王立芸術アカデミーへと進学する。「どう表現するかを学ぶ場でした。プレゼン方法や、自分のイメージをどう表現するかといった方法を学びました。表現することに重きを置いた学校で、当時は『新しいとは何か』という問いの答えを日々探し求めていたような気がします」。アントワープの地で学び2年、卒業せずに帰国した。もう1つは、社会に出て実践していきたいという気持ちが大きくなったからだという。そうして大学を辞めることを決めて帰国した夏休みに受けたのがコム デ ギャルソンの入社試験だった。

antwarp-20131019_002.jpg

 「『いつから来れるのか』との問いに『すぐにでも』と答えたら、9月からの入社になった」。高校生の頃に通っていた地元大分のショップでコム デ ギャルソンの服と出会い、ブランドと川久保玲を知ったという二宮。配属先に指定されたブランドはコム デ ギャルソンで、それから「ノワール ケイ ニノミヤ」を立ち上げるまでの4年間、パタンナーとして川久保の元で服作りを行ってきた。社会に出たいと願った二宮だが「ただただ、大変でした」とその4年間を振り返る。「限られた時間の中で結果を出すということ。そして、前例のないものを求めてきた川久保に対して、アイデアをどう提案しコレクションにしていくのかという過程も。ショーの日程は決まっているので最後の最後まで、チームで結果を出すためにクリエイションと向き合い続けることは、想像以上のことでした」そういったプレッシャーを重ねて作ったコレクションの数々は、どれも記憶に残っているという。

黒いコレクションの誕生

 「何か新しいことをやりましょう」。川久保玲にそう声をかけられ、「強くて美しい色」と二宮が捉える黒をコンセプトにすること、ブランド名にフランス語で黒を意味する"ノワール"を付けることを川久保とのディスカッションの中で決定し、デビューはそのシーズンの同社展示会の片隅にラックを並べた。ネームタグは付いておらず、訪れたプレス関係者に半ばゲリラ的に披露されたようなものだった。翌シーズンには国内ではトレーディーングミュージアム・コム デ ギャルソン、海外ではトレーディング ミュージアム・コム デ ギャルソンとドーバー ストリート マーケットの世界3店舗のみというエクスクルーシブな販路でブランドとしてのスタートを切る。コム デ ギャルソンの新ブランドデビューは「ガンリュウ(GANRYU)」以来4年ぶりのこととなった。

dover-ginza-renewal-20150725_092.jpg

DOVER STREET MARKET GINZAには単独スペースを出店

 
 「よく新ブランドのデザイナーになった時の感想を聞かれますが、暗中模索の中で始まったことだったのでスタート地点はなく、仕事をしていくうちにブランドになっていったという感じでした。ただ、ブランドを率いる弊社デザイナーがどれだけの思いで仕事に取り組んでいるかを身に染みて理解しているので、その立場に立つには大きな責任が伴うという思いでしたね。とは言え、自分が一緒に働いたことがあるデザイナーは川久保なのでその姿勢しか本当のところは知りません。だから自分は自分なりに川久保から学んだことを活かしながら、『ノワール』として何ができるかを模索しながら取り組んでいくことを決めました」。

 レーザーカット技術を駆使したデビューコレクションからシーズンを重ねるうちに、型数も増え「ノワール ケイ ニノミヤ」らしさが徐々に形成されていった。黒のみのコレクションには時折それを引き立てる白や赤が差し込まれ、高度な技術を用いたクリエイションはブランドの要となる。レーザーカットに始まり、超音波、プリント技術などあらゆる服に最先端技術やアプローチが詰め込まれているが、中でも、チェーンやリング、ハトメで繋ぐといった糸を使わない製法は、デビューから数シーズンにわたり取り入れられてきた。「新しいものを作るのであれば、新しい方法、新しいやり方で作らないと新しいものにはならない。(縫製をしない技法は)服作りの基本的な方法であるミシンを使わずに作ったらどうかという考えから始まったシリーズです。決して最新のテクノロジーに焦点を当てるのではなく、あくまでも新しい切り口、新しい方法で従来の考え方とは違うものづくりを行う先に、新しい表現があるのではないかと思っています」。

1N8A7907.jpg

 「コム デ ギャルソンは長い歴史を持ち、常に新しいことに挑戦し続け進化してきたブランドです。もちろん過去に川久保が使ったことがある技術や素材もあるかもしれませんが、このブランドで取り組むことに関しては我々スタートでコム デ ギャルソンにはない新しい方法を探そうと思っています」。そうして作られる服に技術の主張を感じることはあるが、それは決して押し付けがましくはなく、強くエレガントだ。コム デ ギャルソンらしいと言う人もいるが「着やすい」と言う人も多く、コム デ ギャルソンのブランドの中では少女ではなく最も"女性"を感じさせる。「特定の女性像は持ちません。コレクションを見る人に委ねたい」、そう二宮も語っている。

川久保玲がノワールに託すもの

 2015-16年秋冬シーズンからはパリのヴァンドーム広場に構えるオフィスの一室でプレスや関係者を招いてコレクションを発表し、翌日からはコム デ ギャルソンの他のブランドと一緒に展示会を行なっている。数十名の席が用意されたフロアショーには「コレット(colette)」ディレクターのサラ・アンドルマンら海外の著名バイヤーやジャーナリストらが訪れるなどし、年々海外ビジネスも顕著に伸び、評価を上げてきた。そんな中、2018年に入りすぐに「ノワール ケイ ニノミヤ」に2つの大きなスポットが当たった。

noirkeininomiya_20170320.jpg

 1つ目は「モンクレール ジーニアス(MONCLER GENIUS)」のクリエイターとして抜擢されたことだ。世界から8人のデザイナーを起用して展開されるモンクレールの一大プロジェクトで、日本からは藤原ヒロシと二宮の2名。屋外に掲出された凍った8名の並ぶヴィジュアルに、モヒカン姿のシルエットがあった。ブランドにとって他社との協業は初。「モンクレール独自のダウンに対する技術やノウハウをノワールのアプローチに落とし込むとどうなるのか。一つの挑戦としてやってみるのも面白いんじゃないかと思った」と挑んだコレクションは、ノワールならではのレーザーカットや独自の縫製アプローチを落とし込んだもちろん黒だけのコレクションだった。

 その約1週間後には、二宮はパリで発表する自身の2018-19年秋冬コレクションに追われていた。今回はオフィスの1フロアから屋外へと会場を移し、その広さに比例するようにゲストの数も増え、2018-19年秋冬シーズンのパリファッションウィークの目玉の一つとして注目を浴びていた。会場はFACULTE DE PHARMACIE。ここ数シーズン"花"をモチーフに広げられてきた「ノワール ケイ ニノミヤ」のクリエイションを進化させ、花に対して前衛的な取り組みを続けるフラワーアーティストの東信をヘアに迎えて立体的な世界観へと昇華した。

cdg_20180328001.jpg

 「これはいつも心がけていることでもありますが、今までにはない表現をという思いが自分の中に強くありました。服は結局ギリギリまで詰めたので、東信さんとは先にイメージを共有して、パリに入ってからモデルに実際に服を着せて2人で方向性を探りました。服は服で、花は花で、互いが均衡を取るのではなく、強いもの同士が互いにぶつかることで生まれる強さを見せたかったんです」と初のショーを振り返る。「関わった人が増え、支えてもらった分だけ得たものは大きかったです。同時に、もっと新しいものを見せたいという気持ちがあります。反省点もたくさん見えましたから、次に向けて改善できたら」と二宮はすでに次のコレクションを見据えている。

 ノワール ケイ ニノミヤが誕生して5年。「常に新しいものをつくって、毎回昇華していきたい」それが二宮が今目指すデザイナーの姿だ。二宮に川久保について聞いてみると「必要以上は話さない方です。その姿勢を見習いたいといつも思っています」と返ってきた。黒を拡張し続けるこのブランドは、これからどう進化していくのか。「黒の可能性に止まらず、服の可能性を広げたい。クリエイションの精度をしっかりとあげていかないといけない。そうすればもっと新しいことが表現できるはず」。その真摯な34歳の姿勢に、川久保が託したものが宿っている。そして川久保もまた、彼から新しいものが生まれるのを密かに楽しみにしているのではないだろうか。