シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

私は自分が中年になったことを発見し、驚いたのです

 


 
 こんにちは、Tanishiさん。若者ではなくなった境地に言及を繰り返しているシロクマです。
 
 せっかくご質問いただいたので、なぜ、「自分が中年になったこと」に盛んに言及しているのか、書いてみます。
 
 まず、単純な理由として『「若者」をやめて、「大人」を始める』を出版したからってのはありますよね。自分が書いた本を少しでも遠くまで届かせるべく、関連事項をブログに書くのは有意味なことだ思います。このタイプの書籍を作成する場合には、一冊の書籍の余剰生産物として「余りモノ:がたくさん発生しますから、それらのリサイクルとしてブログ記事に仕立て直すのも効率的です。
 
 しかし、そもそも、若者以後であるところの中年期や壮年期の境地について私が書きたい第一の理由は、それが驚きにみちた転回だったこと、やっとその転回に馴染んできたことによるかと思います。
 
 数年前に『「若作りうつ」社会』を作っていた頃の私は、まだ思春期心性や若者的な気持ちが残存していて、中年になった実感も、大人としてすべきことも、定着しきっていませんでした。知識としては中年期の発達課題や心境変化を知っているけれども、自分自身がまだ変わりきっておらず、中途半端な状態だったと言えます。
 
 ところが40代に入ってしばらく経ち、その間、麻布テーラーさんの「ぼくらのクローゼット」という中年を見据えた企画に参加させていただいたりするうちに、いよいよ心境が変わってきました。自分の心身に残っていた若者成分が抜けて、やっと自分が中年のおじさんになったという手応えを感じるようになったんですよね。
 
 それが無かったら、たとえば『四十才、夢から醒めて、逃げ場無し - シロクマの屑籠』などは書けなかったことでしょう。
 
 初めて小学校に入った時、自分や周囲に第二次性徴が始まっている時って、当惑や驚きがありませんでしたか。そこまでではないにせよ、私は、自分の身体と心理的布置が中年に向かっていく時に当惑や驚きがありました。と同時に、この、新たに獲得した中年ボディと、これから20年近く続くであろう新しい境地に、関心を持つようになったのです。あれもこれも変わっていくのを真面目に眺めてみたら、これは、面白がってみたほうが良さそうだぞと思えてならなかったのです。
 
 しかも、変わっていくのは自分だけではない。周りも同じです。それこそ、はてなダイアリーやはてなブログをやっていた同世代の人々もどんどん変わっていく。しかも、これまでの人生経験からみて、変化を面白がって眺めていられるのは多分今だけなんです。5年後の私は中年になった自分についてこんなに熱意を込めて語ることなんてできない。きっと中年に慣れてしまうから。慣れて間もない今のほうが、特に若者時代との違いを意識しながら書き残すには向いているだろうと私は推定しています。
 
 この変化をゲームに喩えるなら、横スクロールのシューティングゲームをやっていて、途中で高速スクロールが始まるぐらいの変化じゃないかなぁ……と思っています。
 
 子育ては、「自分が勇者ではなくなったドラクエ」でしょうか。若者時代は、まさに自分自身が人生の冒険の主役だったけれども、子育てという要素が入ると「勝手に冒険していく勇者をメタ視点から眺め、サポートする」シミュレーションゲームっぽい要素が入ってきて、人生のゲーム観に新しい視点が加わりました。これ、嫌いな人は嫌いだと思うし、好きになる確率を高くするためにはフラグを立てる必要もあるので万人に勧められるものではないのですけれども。
 
 ブログや書籍って、自分の年齢や立場で書ける時にしか書けないものがあるように思います。もともと私はライフサイクルやライフコースに関心があるほうですが、そんな私でも、今書き綴っていることを5年後に同じように書くのはきっと不可能なので、こんな具合に、今は伸び伸びと書いています。いつまでも、同じことを、同じように書くことはできないのだとしたら、今を、今として精一杯生きて、書くのがブロガー道ってものではないでしょうか。おじさんになった北極のシロクマからは、以上です。