マスコミでも、研究の分野でも、行政や政策の分野でも、戦後一貫して「核家族化」が進行してきたかのように言われることが少なくない。
とりわけ子どもの問題が語られる際には、「近年の都市化、核家族化、少子化によって……」というフレーズが、まるで常套句のように使われる。
核家族化によって家庭の「教育力」や「教育機能」が低下したとも言われる。それゆえ、少年犯罪も、不登校も、いじめも、児童虐待も、つまり、子どもにかかわるあらゆる問題の背景には、核家族化があるかのように考えられている。
核家族化によって、子どもと接したことのない親や、子育ての仕方がわからない親が増えている。
核家族では祖父母の協力が得られず、母親の負担が大きい。母子密着や育児不安に陥りやすい。過保護・過干渉になりやすい。しつけがちゃんとできない。
核家族は親族や地域社会から孤立した閉鎖的な家族である。こうしたストーリーができあがっているからである。
だが、子どもの種々の問題と核家族化との因果関係が明らかになっているわけではない。そのため、たとえば何か事件や問題が起ったとき、多くの人は「核家族で育ったからだ」などとは考えない。
にもかかわらず、なぜか核家族化は、子どもにとってよくないものとされている。そのこと自体、おかしなことではないだろうか。
それ以前に、実はそもそも核家族化自体、自明なことではない。「核家族化が進行している」というとき、核家族率がどれだけ上昇したなどというデータが示されることはほとんどない。
その点、必ず合計特殊出生率の数値が挙げられる少子化とは対照的だ。それほど核家族化は自明のこととされてきたからだろうが、それによって、子どもの問題が安易に核家族化のせいにされているように思えてならない。
ここで核家族(化)には問題がないと言いたいわけではない。だが、核家族は不当に低く評価されている。このことは、頑張って子育てをしている現在の父親や母親を不当にネガティブに評価することにもなるのではないだろうか。
そこで、今回は核家族に関し、「核家族化はいつどのように進展してきたか」について考えてみたいと思う。