新着Pick
2509Picks
シェアする
Pick
Pick に失敗しました

人気 Picker
これまでエリートといえば、固定された地位という印象でした。しかし、変化が突然にやってくる時代、自分の周囲の環境が永遠に続くというのは幻想でしかありません。

今どこにいるかよりも、次にどう成長するのか? 子どもも大人も持続的に成長するーーそんな「ニューエリート」こそが求められています。

幸い、テクノロジーの進化により学びのハードルは下がっています。学習ログも残り、学歴より学習歴が問われる時代、我々はどう学び、働くか。一週間にわたり、考察していきたいと思います。よろしくお願い致します!
学歴とかホント関係ないんですよね。学習歴も履歴でほぼわかります。Newspicksのリアリティショー見てても思いましたけど、ピッチってその人のバックグランドや考え方、姿勢、熱意、聡明さを俯瞰できますよね。今までの学習の成果物が2分間のピッチと質疑応答なんだと思います。
何を学んで来たかではなく、何を出せるかが重要です。学歴も学習歴も外に出さなければ意味がありません。
VUCAの世界であるからこそ最も必要なスキルは相手を動かすことのできるコミュニケーション力であると思います。そして出せる人がニューエリートになっていくのだろうと考えると、教育はただインプットするだけではダメで、発表する場所も合わせて提供することが必要なのだと考えます。
私の同級生で、普段の大学院の課程と並行してCourseraで機械学習とかを勉強して、修了証書をLinkedInに上げてくる人が結構います。「学習歴社会」の一つの表れかなぁという気がします。

アートの必要性のところは、(NPではおなじみ)リンダグラットンの授業でもすごく強調されてました。これからのビジネスパーソンは「T型」、すなわち幅広ーい知識と、深ーい専門性が必要。でもそれだけではだめで、「足が2本のT」(πみたいな)を目指すべし、と。
そして2本のうちの1つはアートだとGood、2つの専門性がお互いを高めあう相乗効果があると。何かわかる気がしました。
H.Dソローが「森の生活」で言ったように、ライフではないものを排除(put to rout all that was not life)していけば、ワークはライフと一致し、クリスト&ジャンヌ=クロードのようにライフとワークはすなわちプロジェクトになるのだと思います。

「エリート」の定義は、農耕社会においては税を納める農民に対する徴収する側、つまり広い意味での支配層とそこにぶら下がる搾取層ですが、石油時代となった近現代においては、成長が永続化する事で「資本」の力が拡大し、さらに大量消費・製造に伴って、リスクを取らない中間層が拡大し、「エリート」の定義も広がっていきました。そのエリートを象徴する記号が、教養であり、過剰な装飾であり、限られた意味での「文化」だと思います。

しかし、資本成長の2つの源泉だった資源採掘コストがべき分布で上がって、さらに人口密度が高くなり出生率が下がっていくと、次第に拡大したエリートにより国家財政が維持できなくなり、エリート内の競争が激化します。この特集の新旧エリートの分断もそうですか、税制改正で年収850万円以上の所得税増税も同じ流れにあると思います。

エリート内の対立軸は様々です。過去の既得権にたとえジリ貧でもすがるタイプもいれば、より流動的な生き方を選び、自由競争の中で勝ち負けに分かれる道を選ぶ人も出てきています。

本来支配層とは、過去(の先祖等)の英雄的な行動や、自身の試験合格の実績などを背景に、意志決定権の自由度を、戦争やクーデター、経営難等による没落のリスクと引き換えに得ていると言えますが、近年ではデジタル化によって、目に見えづらい金融化が生活の隅々まで浸透したことで、リスクを自分以外に押し付けた上で高い利益を取るポジショニングが可能となっており(タレフの言う「非英雄」)、金銭的にはこちらが結果的に「勝ち組」でしょう。

自由な生き方を尊ぶことと、安全保障の枠組みとして国家をどのように維持するのかという問題は、常にミクロ-マクロの合成の誤謬パラドクスがあるので最適解はありませんが、社会の構造が大きく変化して、従来の価値観が通用しなくなることだけは確かでしょうね。
>旬なスキルを持っていることがエンジニアには求められる。
> 「何ができるようになるか」「どのように学ぶか」が加わることで、「学び」と「アウトプット」がより近接した実践的な学習

新規事業を検討する際も、1ヶ月前のテクノロジーの前提が変わり、それによってビジネスモデル自体が揺らぐことさえある。いかにスピード感と柔軟性を持ってテクノロジーに向き合えるかはすごくむすがしいと感じます。だからこそアウトプットを重視して、体験から学んでいかなくてはとも思います。

今年もスピード感と柔軟性を持ったテックベンチャーの方々との協業を目指す3ヶ月が始まります。
http://www.nomuraholdings.com/jp/news/nr/holdings/20180316/20180316.pdf
また、面白そうな特集が始まりましたね。
News Picksらしいというか。

大きな産業の変化とともに初頭〜高等教育も変化を求められているということは当然ですが、やっぱり自分ごと化しないといけないと思っているので、リカレント教育(大人の学び)をどう自ら作っていくかですね。
結局、特に日本ではまだまだかなり気合い入れないとリンダグラッドンがLIFE SHIFTやWORK SHIFTで言うような、一旦現状の職能をリセットして新しいステージに入るための学びを得られないと思っています。

人生100年時代に備えないとなぁ。
多分もうちょっと早く死ぬと思うけど笑
フリーランス的に、あるいは野良犬的に仕事をしているとここで言われている「ニューエリート」的な仕事の仕方にほぼ必然的になりますが、
それをもって新しい働き方3.0と思ってしまうのはちょっと危険かなと自戒します。「多くの人が注目し始めたら終わりの兆候」
しかし、成果がまだまだなので、もうちょっと成果を出して人目のない森の奥の奥のほうへ移動しようと思います。
>「技術的にはすでに、ブロックチェーン技術を使って、個人の学習履歴を蓄積することが可能です。そうなると、今後は『学歴社会』ではなく、その人は何を学んで何ができるかを証明する『学習歴社会』になる」と言う。
ふむふむ。新時代のインターンシップのアイデアを思いついたぞ。
人生よりも社会と一体化した働き方が求められる、ということで個人的には「ワーク・アズ・ソーシャル」と言う方が近い感覚があります。
復興や地域活性化の現場は、年々異なる社会課題にさらされていて、学習していかにサバイブするかが問われています。確かに、大手企業に守られて変化できない働き方の方が長い意味では難しいように思います。
その意味では、海士町が特集でも取り上げられているのが楽しみです。
この連載について
ロボットやAIなどの技術革新により経済構造が大きく変化する中、学校は依然、社会と隔離されたまま。学校教育は相変わらず知識の詰め込み主義で、忍耐や協調ばかりが強調されている。 しかし、マニュアル主義の「旧エリート」に、新時代の価値は作れるのか。先行き不透明の時代、必要になるのは、自ら課題を設定し、問題解決する力を持つ「ニューエリート」の存在だ。 では、持続的に成長するニューエリートを創る教育とは? 学校教育から大人の学び直しまで、新時代を生き抜く学びのあり方を追求する。
Google LLC(グーグル)は、インターネット関連のサービスと製品に特化したアメリカの多国籍テクノロジー企業である。検索エンジン、オンライン広告、クラウドコンピューティング、ソフトウェア、ハードウェア関連の事業がある。 ウィキペディア
Facebook(フェイスブック、FB)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州メンローパークに本社を置くFacebook, Inc.が運営する世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である。Facebookという名前は、アメリカ合衆国の一部の大学が学生間の交流を促すために入学した年に提供している本の通称である「Face book」に由来している。 ウィキペディア
時価総額
49.3 兆円

業績