撮影=吉田尚弘
2014年に巻き起こった『STAP細胞』騒動で渦中の人となった小保方晴子氏。当時、国立研究開発法人(騒動当時は独立行政法人)理化学研究所に所属していた彼女をユニットリーダーに据えた研究グループは、STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)の研究結果について科学雑誌「ネイチャー」に発表。新たな万能細胞として大きな注目を集めた。同時に、祖母の割烹着を着用して研究に励む小保方氏をメディアは「リケジョの星」として大々的に持ち上げていた。ところがこの研究データに重大な問題が見つかり、STAP細胞の存在自体が疑問視されることとなる。論文には著作権侵害行為など多数の不正も確認された。さらに検証実験の中間報告を前にして、小保方氏の指導役であった理研・笹井芳樹副センター長(52)が自殺。最終的に、論文のプロトコルでSTAP細胞の再現実験が成功することはなく、このSTAP細胞は同年末の理研の報告書では、ES細胞由来であると結論づけられた。
一方、小保方氏は騒動後の会見で「STAP細胞はあります!」と叫んで以降、表舞台から姿を消した。2016年1月、騒動について綴った手記『あの日』(講談社)を上梓したのちも、依然として表舞台に現れることはなかったが、3月27日発売の「婦人公論」(中央公論新社)に写真付きのインタビュー記事が掲載されたことが大きな話題を呼んでいる。このタイミングで、同誌2017年新年号から連載していた小保方氏の手記が『小保方晴子日記──「あの日」からの記録』として同社から出版された。
現在最も世間の注目をさらっているのは、美しく激変した小保方氏のビジュアルである。「婦人公論」に掲載されている篠山紀信撮影の近影が、STAP細胞騒動当時とあまりにもかけ離れているからだ。面長でつぶらな瞳が印象的だったが、2パターンある近影はいずれも目元が驚くほどパッチリと大きくなっていることは確かに驚きではある。騒動当時も人を惹きつける謎めいた華があったが、さらに印象は強まった。グッチのワンピースなどハイブランドを着用していることもさらに話題を呼んでいる。スタイリングのクレジットは誌面にないため(ヘアメイクはプロのクレジットがある)、自前の衣装なのだろう。
このビジュアル、特に顔立ちの変化については整形を疑う声や「STAP細胞で若返った」というギャグがネット上で盛り上がっている。声も多く聞かれSTAP細胞騒動と同様に謎を呼び物議を醸している。割烹着時代の小保方氏と同一人物と判断することは困難なレベルに達しているが、プロのメイクの賜物であるとか、痩せたのだろうとか、整形以外にも人の顔が変わって見える要素はあるのでなんとも言えない。しかし顔は変わっても、彼女自身はこの4年間で何も変わっていないのではないか。『小保方晴子日記』は、は、タイトル通り、理研を退職してから現在までの小保方氏の“日記”であり、騒動後の彼女がどのような状況に置かれ何を思い、どう生きていたかが克明に綴られている。そこから浮かび上がってくるのは、瀬戸内寂聴が言うところの「ピュア」で「イノセント」な、つまり子供じみた弱々しい女性の姿だった。
ダイエットと頻繁な「敵味方」認定
日記なのであるから、ごくプライベートな内容になるのは当然だし、弱さや脆さが赤裸々に綴られることはおかしくもない。彼女が自殺者まで出したあの騒動の当事者であるということを除けば、「仕事で打ちのめされて病んでる女子」の日記のようでもあるし、「ダイエットや友人関係に悩む女子高校生」のようですらある。彼女自身の内面について深く掘り下げようとする記述はなく、誰がこう言ってた、ああ言ってた、何を食べてしまった、痩せたい、綺麗になりたい、頭が痛い、眠れない、味方だと思ってたのに、傷ついた、優しくしてもらいたい、そんな記述ばかりが断片的に並んでいる。
まず全体を通して小保方氏が綴っているのは自身の食欲についてである。食べ物のことに分量が7割割かれていると言っても過言ではない。冒頭では、食欲が湧かず食べることができない日や、食べ物を口に入れても味がしないという日も多い。それだけに、美味しく食事ができることの喜びはひとしおで「コンビニで買ったレーズンパンが異様に美味しく感じた」と特別なことのように記している様子から、いかに彼女が特殊な状況に置かれていたかを察することができる。気を取り直そうとパンやクッキーを焼くが、さらに美味しいものを作ろうと工夫を凝らす様子には、かつての研究者としての彼女の姿を想像することもできる。
精神的に不安定な時期であり、精神科の薬や睡眠薬による影響と思しき体調不良の記述も多々見られる。睡眠時に見た夢の記録も食べ物の次に多い。通院だけでは足りず入院していた時期もある。こうした状況下だからか、もともとそうだったのかはわからないが、小保方氏は自分の周りの人間を「敵か味方」いずれかに分類する傾向が見られる。例えば入院中、小保方氏への告発状が受理されたことを主治医が伝えにくるくだりがあるが「主治医は自分から知らせたほうが私のショックは少ないと思ったのかもしれない。でも精神科医が入院中の患者を落ち込ませに病院にきて、そのまま出て行くなんて。残された私はどうしたらいいのだろう。」と疑問視し、翌日の日記でも「告発状云々よりも昨日の主治医の様子へのモヤモヤが強い。」と不信感をあらわにしている。
理研でのSTAP細胞騒動は「ネイチャー」に掲載された論文についてだけでなく、小保方氏が早稲田大学在学中に執筆した博士論文にも疑惑の目が向けられることとなった。そのため、小保方氏は当時の論文を訂正し再提出することになったのだが、その対応を行った指導教官と主査についても辛辣な表現が目につく。騒動後のファーストコンタクトで、厳しい状況であることが伝えられるとともに「大変だったね」とねぎらいの言葉をかけた指導教官らに対し「今回の再指導は形だけで、私が行う修正作業は今ここにいる先生たちが指導した形跡を残すためだけのものになるということ(中略)もう一度先生たちの顔を見て、私の博士論文の修正はこの目の前にいる先生たちが責任を回避するのに十分な言い訳を与えるための作業だな、と思った」と最初から悲観的だったことを綴る。当時のあの騒動の中、この立場に置かれ、入院先にまで会いに来てくれた指導教官たちだったが、そうした状況は全く無視で敵認定している。「あの状況下だから、他人を思いやれなくても仕方ない」と、そこまで小保方氏に同情を寄せる気にももちろんなれない。100%の愛情を彼女が分かりやすい形で注ぎ、全面的に擁護・肯定する人物以外は、小保方氏は「味方」としないのではないだろうか。
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