冒頭から余談だが、僕の弟は上位0.1%に属する有名プロゲーマーだ。
誰もが知っている大手メディアから依頼が舞い込む次元で生きている。
彼は倉庫やコールセンターで地道に働きながら、好きなこと(ゲーム)を追求し、極め抜き、世に認められた。
プライベートのすべてを、ゲームが占拠していた。
いまは日本トップクラスの稼ぎを得ているが、たとえ1円も手に入らなかったとしても、無心でゲームをし続けているであろうことは必定である。
なぜなれば、ゲームが好きだから。
その延長線上にスポンサード契約があって、王者の称号があって、大金があった。
「好き」がすべてを凌駕する、それがエンタメ界――否、人間界なんだと思い知らされた。
人生、好きなことに没頭してなんぼだ。
バーチャルユーチューバーが完成した!
(コメント欄のちびっ子たちかわえ~なあ。BGMや効果音も購入。構成を考えたり編集の仕方を学んだり音を探したりアテレコに苦戦したりで、7分の動画に100時間くらい掛かってしまった。でも「フルスイング式自己満足」は究極の幸福であり悔いなし!)
『FaceRig Live2Dアバター』完全外注
FaceRigは、「WEBカメラに映る表情の動き」を読み取り、仮想キャラクターがそれをリアルタイムに反映してくれるというソフトウェアだ。
言わば、バーチャルユーチューバー(以下VTuberで統一)の入門キットである。
とはいえ、オリジナルキャラクターを用意したい場合、「テクスチャー、モデリング、パーツ分解、パラメータ設定」などと、IT音痴には耳慣れない言葉が殴り込んでくる。
デビューする前に引退したくなること不可避だ。
それゆえ、思考停止の喜びと引き替えに大金を支払うことにした。
いわゆる、生け贄召喚って奴だ。
青髪美少女VTuber・ピピピピピの裏側
(こちらは静止画ではない、動画だ。FaceRigというステージで動く青髪ちゃんの、尊きワンシーンの切り抜きである)
カゴの中の青い鳥よろしく、心へ幸福を運び込んでくれる魔術的かわいさ。
呼吸、髪揺れ、特殊表現(舌出し・魚出現・お着替え・ちょっきんちょっきんハサミ触覚)などなど、基礎ムーブから、お遊びモーションまでひととおり揃えた。
VTuber制作費と工程
費用は、ざっと50万円。
資金源は、親の会社の社内預金。
注文から完成までの大ざっぱなフローは、下記のごとく。
1.イラストレーター・くまのゆめ(@yumexxkuma)さんに、切れ目なく、青髪ちゃんのイラストを大量に描いていただき、僕の心を震わせる究極の1枚を選抜。
2.それをベースにし、差分ファイル(開き口、閉じ口、開き目、閉じ目、服装4種……など他多数)を続けて作成。
3.選び抜かれた標準モデルを、3Dデザイナー・まかかび(@Makakabi)さんの元へ送り込み、命の吹き込み依頼。
4.PCソフトウェア販売サイト・steamにて、「FaceRig」と「FaceRig Live2D Module」をDL購入。
5.FaceRigに青髪ちゃんを組み込むことで完成。
依頼メッセージに合計数万文字を費やし、極限の域を踏み越えるキュートさの実現を図った。
(VTuberデビューするに当たって、このわんぱく時代より少し痩せたよ)
お二方の尽力の甲斐あって、僕は札束を右から左に、どんぶらこどんぶらこと流すだけで済んだ。
まったく関係ないが、僕の故郷である北海道のとある村では、子犬や子猫が増えたら川に流してさようならをする残酷な風習があった。
VTuberを誕生させた理由
こないだ、大好きなおばあちゃんが認知症になった。
儚さが目の前で展開した。
思い出すらも一生ものじゃないんだ。
今この瞬間にしか確たるものはない。
そう強く思った。
一生を駆け抜けることに、一生を賭け続けることが大切なのだと気付いた。
(おばあちゃんの玄関。新聞とチラシの山崩れが発生。おおかた片付けたあとの写真。なぜだか、「どこのどいつが私の財産を盗んだ!?」という、しゃがれた怒声が響き渡っていた。認知症とは、野生への帰還のことを言うのかもしれない。本能的な感情だけが生き残っている)
散歩中、田舎のウシやブタを目にしていたら、「人体は、精神は……脳みそ、魂の家畜なんだろうな」と、ふと思い至った。
その瞬間、なぜだか分からないがVTuberを誕生させたくなった。
人生に疲れたとき、そこには美少女がいた
大学を3日でやめたときも、弟と妹が不登校になったときも、4年引きこもっていたときも、月40万円の仕送りが前触れなく停止したときも、三桁の借金にあえいでいたときも、ゲストハウスを転々としていたときも、ネカフェ難民になったときも、父親が裁判に掛けられたときも、ぶら下がり健康器具とクレモナロープを注文してしまったときも――
最初から最後まで僕を支えてくれたのは、逢坂大河、アリス、高坂桐乃、香風智乃、九条カレン、黒木智子、琴浦春香、汐留白亜、白鬼院凜々蝶、高倉陽毬、種島ぽぷら、堕天使サラサ、筒隠月子、藤和エリオ、中原岬、長野原みお、能美クドリャフカ、八九寺真宵、ハッカドール3号、羽瀬川小鳩、瑞鳥紫羽、宮内れんげ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールたち、美少女キャラクター(五十音順)だった。
(電波女と青春男の藤和エリオ。銀箔サイン、金箔サイン、声優・大亀あすか直筆サインは生活必需品)
この「由緒正しいお守り」は、いつも手元に置いてある。
エリオは、僕の名前であるピピピピピの由来にもなった、珠玉の名言を地球に流し込んでくれた。
同作品の主題歌・「Os-宇宙人」の一節、『こら不安定、バイトできない、会話できない、空見上げる』というところは、遠慮がちに見積もっても20万回は聴いた。
5年以上前、会社役員だったお父さんが、予期せぬタイミングで仕事を辞めてしまった。
ざっくばらんに言うなれば、会社を乗っ取られる事態が発生し、追い込みを掛けられるがごとく退社したのである。
そして、僕への仕送りは停止、貯金は皆無、家賃光熱費は払えず、1円にでもなるものはすべて売り払い、激安ゲストハウスへの引っ越し、日銭稼ぎでホストクラブ入店も薄給(月5万円)、消費者金融へ足を運ぶ、クレカのリボ払いに狂う、ネカフェ難民へ……、と真っ逆さまだった。
だから僕は、
『こら不安定、バイトできない、会話できない、空見上げる』
をしこたま耳にして、妄想の中の共感者と電波のごとく掴み所のない握手をして、荒ぶる心をすぅっーと静めていた。
(まともなゲストハウス。三畳の部屋に閉じこもり、中古パソコンの画面を睨み付けていた)
(窓なし違法建築物件。食器は紙皿と紙コップ。隣人に半グレや、ブス専門店と呼ばれる盛りの付いた黒人がいた。生命活動を失ったアル中のおっさんが、廊下で捨てられたように事切れていたこともあった。社会の病みと闇は、いつだって静かに悪化しているってことを学べた)
お金がなくて、でも仕事したくなくって、小説を読んでアニメを視聴して文章を書いて、「イヤだイヤだイヤだ」の循環思考の先で対人恐怖症みたいになって、紙コップの中で溺れる勢いで貧困飯をがっついていたあの頃。
一粒の涙が紙コップの底に落ちて、その液体は吸収され、姿をなくす。
そんな過程を眺めつつ、「底辺に落ちた存在は、すーっと消えてゆく定め」なんだと、右肩下がりに吐いた憂鬱な僕のため息を、美少女たちはいつも受け止めてくれた。
彼女ら天使の群れが、インターホンを押してくれて、「私の大切なゴミ虫!」「ピピピピピ殿、あなたは私の「プロジェクト」に大抜擢されました。「引きこもり」を直したければ……」と、僕をすくい上げる言葉をプレゼントしてくれた。
(マスターオブ引きこもりである主人公・佐藤達広は、「北海道出身、大学中退、22歳」という当時の僕とタメで、出身も境遇も同じゆえ、この作品を好きにならざるを得なかった。僕は高円寺北口にある3万円のアパートで、野ネズミと暮らしながら「日本引きこもり協会」へ入り浸っていた)
300万円以上の赤字YouTuberピピピピピ
前回の記事『3ヶ月で1000時間「ゲーム実況」をやった感想&機材紹介!YouTubeチャンネル登録者1000人超えた! - ピピピピピの爽やかな日記帳』でも書き記したとおり、ゲーム実況の機材に100万円使った。
(コンデンサーマイクを新調した。BLUEっていうメーカーで税込み42.984円だった。声のクリアな広がりに一驚した)
そして今回、VTuberデビューにあたって万札が50枚以上も卒業した。
それからもう一つ、遠くないうち、実家の1階にある僕の部屋にYAMAHAの防音室を設置しようと思っている。
リース契約も可能だが、中で有線LANケーブルを用いるための「コネクター付きパネル」は、新品出荷時にしか設置出来ないようで、おそらく現金一括払いする他ない。
社内預金から200万円ほど、取り出す必要が出てくる。
もしくは家賃10万円くらいの防音マンションを借りるか。
どちらにしても、大金が浮き世に吸い取られてゆく。
つまるところ、総額300万円クラスの赤字にはなりそうって訳だ。
損得抜きに金をぶっ込む幸せ
配る相手などいないのに、青髪ちゃん名刺も用意した。
デザインは外注、そして用紙は派手なラメ入りでキラキラしているゆえ、安くない金額が掛かった。
消費者としての人生、すこぶる幸せ
傍目から見れば僕のやることなすことは、「何勘違いしちゃってんだよ」と鼻で笑いたくなることかもしれない。
でも、真に幸せな消費というのは、他人の視線を度外視にしたものだと強く思う。
モノを買う瞬間、僕はこの地球上にただ一人なのだ。
創作の才能なきことの幸せ
30年間生きてきて、0を1にすることも、1を10にすることもままならない人間だと気づいた。
言い換えると、創作の才能がないということだ。
その昔、僕は創作ワナビーだった
それはそれは痛い痛い、出血多量の作家志望者であった。
10万円以上、辞書や資料を買い込んだ。
じめじめした部屋で、「精神を壊そう。自我を砕こう。頭が狂えば、世界の見え方が変わる。人生捨てよう。物語始めよう。それが僕に残された最初で最後の手段だ。病むってかっこいい」と中二病じみた意気込みを燃やして、ラノベ新人賞に10万文字くらいの小説を4回ほど送りつけた。
結果、4作ともすべて1次や2次で焼き払われた。
後日、送られて来た評価シートにはどれも、
異常な世界観を築くのは良いですが、せめて主人公だけでも、その世界から精神的に一歩引いた状態にするなど、バランス取りをしてください。
これでは、ツッコミのいない漫才にも等しく、物語の体裁を成していません。
と、灼熱のダメ出しが轟々とあった。
そんな風にすっだもんだありながら、年月が過ぎ去ってゆき、ふと気づくと「特別な人間になりたい」などという大それた不健康な情熱は消えてなくなった。
実践した結果、創作スキルが絶望的だと知った。
でも、人生丸ごと絶望的なわけではない。
消費者としてならば、人生をおもっきし楽しめる自信がある
(穏やかな安全基地で、スプラトゥーン2をプレイしながら、「りゅうおうのおしごと!」「ポプテピピック」「恋は雨上がりのように」などアニメを視聴するのは至高の時間。最高コンテンツに触れているとき、いやでも幸福感がバリ上がる。自らが特別な人間になって何かを世に打ち出さなくったって、すでに世界には優れた名作がいくらでも存在する!)
エンタメの主役は、創作者とも、消費者とも決まっていない。
自分自信で心ゆくまで追求すれば、それだけで万々歳な世界なのだ。
この記事にしてもそう。
こんな長々と、思いの丈を熱烈に語ったところで、ここに辿り着くよりずっとずっと以前に、大勢の人はブラウザバックしているだろう。
でも誰かが読んでくれるとか、反応してくれるとか、そんなことはお構いなしに書きたくてしょうがないから書く、そういう自己満足の熱意が人生にとって大切なんじゃないかなーと思えるようになった。