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【社説】

道徳の教科化 心を枠にはめぬよう

 これまで教科外の領域とされてきた道徳が今春から小学校で、来春からは中学校で正式な教科となる。国が定めた価値観が押し付けられないか気がかりだ。子どもの自由に考える心を尊重したい。

 道徳の教科化を警戒する声はいまだに根強くある。なぜか。

 かつて、教育勅語に基づく修身科を核とした軍国主義教育が、戦争に国民を駆り立てる役割を果たしたからだ。国が指定した価値観を注入するというやり方での道徳教育は危うい。それが歴史の教訓だった。

 戦後七十年余。再び徳目主義による道徳教育が強められた。

 「節度、節制」「感謝」「家族愛」といった徳目の価値を検定教科書で学ばせ、その成果を評価して通知表などに記述する。愛国心をはじめ、教育勅語でうたわれたほぼ全ての徳目が含まれている。

 子どもの道徳性を高める学びは大切だ。しかし、国が望ましいとする人物像に照らして成長ぶりを見取り、評価しては、国にとって都合の良い国民性ばかりが育まれることになるのではないか。

 道徳の教科化は、二〇一一年に大津市で起きた男子中学生のいじめ自殺が契機になったとされる。

 一七年度の全国学力・学習状況調査では、小学六年生、中学三年生のいずれも九割以上は「いじめは、どんな理由があってもいけないこと」と答えている。それなのに、後を絶たないのはなぜか。

 徳目の価値を説き、子どもの心のありようを規制しても実効が上がるとは思われない。心の問題として捉えさせるあまり、いじめの背景に潜んでいるかもしれない家庭や学校、社会の矛盾がかえって覆い隠されては困る。

 道徳教育の強化により、社会的課題に対する批判精神を欠き、現状を安易に追認、順応するだけの子どもが増える事態を恐れる。

 国は「考え、議論する道徳」を掲げて、そうした懸念を否定している。物事を多面的、多角的に考え、主体的に行動する基盤となる道徳性を養うという。

 だが、学ぶべき価値観が決められていては、議論する意味合いは薄れるだろう。評価を気にする子どもは、本音と建前を使い分けて振る舞うかもしれない。

 国語や算数などの教科とは異なり、道徳は科学ではない。道徳性とは本来、具体的な暮らしや人間関係を通して備わるものではないか。抽象的で画一的な徳目にこだわらず、個々の子どもの実情や境遇を踏まえた教育を望みたい。

 

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