ファシスト国家を扱う対抗戦略

Gary North, “Rival Strategies for Dealing With the Fascist State” August 04, 2017, Gary North’s Specific Answers.

ミルトン・フリードマンはつねに福祉国家をわずかばかり聞き分け良くしようとしたかった。

彼は教育をわずかばかり非国家主義にしようとしたかった。彼はバウチャーを提言した。想定の上では、これは親の選択を広げるものだった。そのスキームは初めからイカレていた。そんなものを採用する学区はなかった。それは、政治的に言えば、ファンタジー経済学だった。それはこのファシスト・システムの効率性をわずかばかり増やし、その威圧感をわずかばかり減らすように設計されていた。それは決して教育の自由を復古するための真剣な提言ではなかった。

それはつねに、納税者から教育官僚に金を移転するために金を盗むことを含んでいた。そのシステムを正当とすることはできない。それは初日から窃盗である。窃盗に基づくシステムを自由に好意的な何かにすることはできない。

わたしは初めからこう言っていた。わたしはこれを一九七六年に記した。フリードマンは一九九三年まで反応しなかった。しかしわたしは彼に答えさせた。それはここ〔ロン・ポール・カリキュラム〕[1]に投稿されている。

我々は教育システムを直すためにバウチャーを必要としない。我々は利潤追求教育やフリー・オンライン教育を必要とする。我々は教育の連邦ローンを必要としない。我々はこの化け物を破産のタールピットに沈めなければならない。

フリードマンがその全生涯を、ファシスト国家をわずかばかり効率的にするスキームの考案に費やした。

彼は所得税額控除の大推進者だった。それは単にまたもう一つの福祉の形だった。

我々は決して福祉国家をわずかばかり効率的にしようと試みるべきではない。我々はの目標はこの化け物を全公衆の見地において死なせてやること、貶めることでなければならない。

我々はこのメディケアをもっと効率的にする必要がない。我々はこれを全公衆の見地で破産させてやる必要がある。我々はそれが破産してゆく理由を人々に告げるべきである。我々はそれが改革できないことを示すべきである。我々は彼らがそれに依存しなくなることを伝えるべきである。とりわけ、我々はそれを直すべきではない。それを直すためにできることはいずれもただファシスト国家を延命しているにすぎない。

我々はフリードマンのアプローチを持て余している。彼が推薦したものを政治家が採用するのはいつもこのシステムを悪化させるときでしかなかった。

変動相場制はこのシステムを悪化させた。金本位制の廃止はこのシステムを悪化させた。

フリードマンがファシスト国家をもっと軽い重荷にする方法を推薦するとき、彼は悉く自由を裏切った。彼は全生涯をこれに費やした。彼は所得税を気安くしたかったので、彼は所得税の源泉徴収に正当化を与えた。結果、源泉徴収が始まる前と比べて、公衆は政府に四倍支払うことになった。

ファシスト国家と戦う方法は、それがそもそも道徳的に腐敗していると示すことであり、その腐敗をわずかばかり軽くする試みはいずれもこの化け物に生命維持を施しているにすぎない。できるだけ早くくたばらせてやろう。

その財源を殺ぐのはすべて良い考えである。それを辱めるのはすべて良い考えである。

ロスバードは正しかった。福祉国家は改革できない。それをちょっとばかりうまくやるための勧告はいずれも自由に逆らって働く。彼のフリードマン査定はこうだ。

しかし、フリードマンが最も有害な影響を及ぼしているのは、六十年経ってもルートヴィヒ・フォン・ミーゼスのミクロとマクロを統合する業績に無知なままの経済学者によって浅はかにもマクロから分け隔てられたミクロの領域である。我々は、フリードマンは迫り来る破滅的な最低所得保障と源泉徴収制度の両方に深い責任があることを知った。同時に、フリードマンが貨幣供給――市場経済の枢要部――に対する国家の絶対的統制を要求していることを知った。政府がほとんど偶然から発作的に貨幣供給の増加を停止したとき(ニクソンが一九六九年後半に数ヶ月したときのように)、ミルトン・フリードマンはいつでもそこで、インフレーションの旗印を掲げてきた。我々が彼を見るとき、ミルトン・フリードマンはいつでも、自由のための法案でなければリバイアサン国家を削るための計画でもなく、国家の権力をもっと効率的にし、根っこのところでは、もっと恐ろしいものにするための方策を提案していることを知る。

リバタリアン運動はあまりにも長い間、自分はその仲間か盟友であると主張する者たちの見解について、区別を怠り、あるいは差別せず、真理を錯誤から判別するための厳密な研究を行わない、知的に怠惰な道を流してきた。それはまるで、一言二言「フリーダム」のことを呟くジョーカーが回ってきたら、そのどれもが自動的に、一つの、おっきな、リバタリアン・ファミリーの一員として抱き入れられてしまうかのようなものだ。我々の運動が影響力を増すにつれて、この知的怠惰という贅沢に耽る余裕はなくなってゆく。ミルトン・フリードマンをありのままに同定するときが来ているのだ。歯に衣着せず、国家主義者を国家主義者と呼べ。[2]

[1] https://www.ronpaulcurriculum.com/public/9097.cfm

[2] https://www.lewrockwell.com/2016/02/murray-n-rothbard/total-demolition-milton-friedman