ロスバード~彼には最良のリバタリアン教育者たちがいた
This article is part of a series of occasional posts which will explore the immense treasure trove of unpublished papers, lectures, memos, correspondence, and notes in the Rothbard Archives at the Mises Institute.
Joseph T. Salerno, Rothbard: There Are the Best Libertarian Educators, [https://mises.org/blog/rothbard-these-are-best-libertarian-educators] [https://lewrockwell.com/2017/05/joseph-salerno/best-libertarian-educators/]
一九六一年、ウィリアム・ヴォルカー基金、後のヒューメイン・スタディーズ研究所の創立者兼所長、F・A・ハーパーは、「わたしたちの時代の傑出したリバタリアン教育者」をリストにするよう頼んだ。ロスバードは一九六一年七月九日付けの手紙で答えた。
ロスバードは「教育」(“education”)という用語で「公式の学校教育はもちろん非公式の影響」(“informal influences as well as formal schooling”)を意味するよう解釈し、他の著名な候補を却下しつつ、傑出した七人と「限界的」な二人の教育者を同定した。ロスバードのリストを理解するためには、彼らの「リバタリアン」の定義はもちろん、ロスバードが「教育者」という用語で意味したことをしっかりと念頭に置かなければならない。ハーパーが要求しロスバードが編集したのは、偉大な作品で自由の科学的基盤に寄与した経済学者の、あるいはもっと広く、社会科学者のリストではなかった。彼はむしろ、自由の科学を研究すべくその出版物、教え、活動で他人を鼓吹した人々を同定しようとしたのである。しかも、ハーパーとロスバードはアナルコ資本主義の主唱者だったのに、ロスバードのリストはその望みが無国家社会であるか否かにかかわらず、古めかしいアドホックな古典的レッセフェール処方箋を超えて自由に基づいた社会を厳格かつ整合的に追求する方向に動いていった人々に開かれていた。
ロスバードは彼にとっての重要性の順に議論を進めていったように思われる。彼は初めにF・A・ハーパー自身を挙げ、彼を「わたしの知り合いの断然最も重要なリバタリアン教育者」と特徴付けた。ロスバードはハーパーがコーネルでポール・ポイロット(Paul Poirot)とアイヴァン・ビアリー(Ivan Bierly)、W・M・カーティス(W. M. Curtiss)らを教育しながら「リバタリアン生徒たちの印象深い中核」を開発する際の影響力を引用した。また、ハーパーがリバタリアンな若者を経済教育基金(FEE)に結びつけることで開発する際に特に効率的であったことを書き留めた。ロスバードにとって最も重要だったのは、いわく、ハーパが「FEEにおいて昔ながらのレッセフェールから純粋な100%リバタリアニズムへの運動、リバタリアン思想全史において最も重要なものになるよう確実に運命付けられている運動の、指導者であったこと」だ。
ロスバードのリストではフランク・チョドロフが次に来る。なぜならば彼もまた「その純金の小さな雑誌『アナリシス』の毎ページを通してリバタリアンで個人主義者な見解を若い人々に熱心に解説」していたからだ。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、彼の両著作、特に『ヒューマン・アクション』と、彼のニューヨーク・セミナーの影響力ゆえ、ロスバードが選んだ三番目の人物である。ロスバードにとって、「ミーゼスの『ヒューマン・アクション』……は整合的で統合された経済思想の、経済を超えた思想のシステムの比類なき啓示でした」。ミーゼスはセミナーで、「丸々とした知性システムと長い経験」を生徒たちに分け与え、彼らが示した学術的生産性のあらゆる兆候を励ました。ロスバードは「この国のリバタリアンのほぼ全員がハーパーかミーゼスの弟子であると言っても差し支えない」と考えた。
ロスバードはアルバート・ジェイ・ノックをリストに挙げた。彼がチョドロフ含む「右翼ジョージストの弟子集団」を設けたからだけではなく、「彼の著作物(『我々の敵、国家』、『余計者の記憶』)はフランク・ナイトらの五十冊に匹敵する壮大なリバタリアン作品です。というのも、それらは国家の本性を核心へと率直に切り込んでいますから」。ノックの作品に並んで、H・L・メンケンの作品も「歯に政府の衣着せぬ『ユニークな自由化の』影響」を及ぼした。
早期リバタリアン活動家ローレン・「レッド」・ミラーはウィリアム・ヴォルカー(William Volker)とピア・グッドリッチ(Pierre Goodrich)、ヘンリー・ウィーヴァー(Henry Weaver)、ハーバート・C・コーネル(Herbert C. Cornuelle)のようなビジネス界の大物をリバタリアン大義へと実に上出来に転向させた。ロスバードはローズ・ライン・ワイルダーとイザベル・パターソンをその影響力ある著作物、特に後者の『機械の神』ゆえにリストした。ジェームズ・M・ロジャーズは「世評によれば彼がリバタリアン理念の産業人員教育で多大な個人的成功を収めたことと、イリノイ州ロックフォードをリバタリアン理念が充満した共同体に変えたこと」ゆえリストに挙がった。
さて、我々はロスバードのリスト上の「限界包含」、F・A・ハイエクとミルトン・フリードマンに及ぶ。ハイエクは限界的とリストされた。「最善の諸大学で三十年間教育に携わりながら、彼は一人も――そう、一人も――ハイエク派といえる人物を開発しなかったという、ハイエクへの実に厳しい告発」をもって見られるからである。また、ロスバードはハイエクを「彼をちょっとでもリストに入れるべきか疑わしいと思われるほど純粋派リバタリアニズムからは程遠い」と考えていた。ロスバードは「彼の生徒への冷淡さと無関心に沿った強硬さの欠如が彼の弟子開発の失敗を説明する」という興味深い憶測を加えた。結局、ロスバードはハイエクをして、「確かにわたしたちの時代の準リバタリアン(quasi-libertarian)なベストセラーである『隷属への道』で幅広い公衆に与えた大きな影響ゆえ、「二軍」、あるいは「限界」リスト」に含めた。
さて、ロスバードがハイエクを限界に格下げしたことは文脈を抑えなければならない。ロスバードが構成していたのが上述の意味での傑出したリバタリアン教育者のリストであったことを思い出そう。ロスバードは『人間、経済、及び国家』で、ハイエクが一九三〇年代の経済著述で敷いた基礎の上に資本と景気循環の理論を開発しながら、ハイエクを経済学者として大いに尊敬した。実際、ハイエクのノーベル賞受賞の祝いの記事では、ロスバードはハイエクを「偉大なオーストリア派自由市場経済学者」と言及し、彼を「世界で最も著名な自由市場経済学者、自由社会の提唱者」に格付けた。
ロスバード・リスト上の第二の、最後の「限界包含」はミルトン・フリードマンである。ロスバードいわく、フリードマンは「その知能の力と生徒への鋭い関心により『若い方のシカゴ学派』の長老になっており、この学派は立派な団結心があって、今なされている最善の経済著述を有している」。にもかかわらず、フリードマンは「傑出した」リバタリアン教育者には格付けされない。なぜならば、シカゴ学派とフリードマンは狭く定義された領域でしかリバタリアンではないからである。一九六一年のノートでは、シカゴ学派経済学の多くの部分とは相当の不同意があったとはいえ、ロスバードはフリードマンを経済学者として、広い解釈でのリバタリアン運動の効果的な教育者としては尊敬していた。一九六三年、ロスバードのフリードマン査定は後のポストで議論されるであろう理由により変化し始めた。
かくてロスバードはハーパーに「八人〔ママ。九人〕の『一軍』(‘first stringers’)と二人の限界教育者のリスト」を提出した。ロスバードは幾人かの傑出した名の包含の不足を説明しにかかった。ロスバードはルフェーヴルのフリーダム・スクールがどんな影響をもっていたか判断できなかったから、アナルコ=リバタリアン、ロバート・ルフェーヴルを含めなかった。「純粋派リバタリアン」新聞『フリーダム・ニュースペーパーズ』チェーンの所有者兼出版者R・C・ホイルズを含める「誘惑に駆られました」が、かかる新聞の影響力を知らなかった。また、フランク・ナイトも含まれない。なぜならばロスバードにとって、ナイトは「我々の境内の外に座らなければならないほどあまりにもリバタリアンから遠く離れています(フリードマンやハイエクよりかなり程遠い)」からである。影響力の強いシカゴ学派経済学者ヘンリー・サイモンズは、ミーゼスの元生徒フリッツ・マハループとゴットフリート・ハーバラーが「〔相当の極〕左に傾いていた」のと同じように「ナイトよりリバタリアンではない」と拒絶に尽きた。アイン・ランドは「とても影響力がある」にせよ、その影響は「専ら無知で狂信的なカルトを築く方に」向いていたから却下された。
ロスバードは手紙を締め括るにあたって傑出したリバタリアン教育者リストの全員かほぼ全員を判別する「諸要素」を考えた。三重だった。ロスバードは第一に、面白おかしくもコメントもせず、「知能」を挙げる。第二の要素はやや驚かしい。「生徒への愛と主題への情熱を含む、最も広い〔意味での〕愛」だ。傑出したリバタリアン教育者の第三属性は、ロスバードいわく、「その立場が『過激』であることへの本意」であった。彼は過激派の定義的特徴をもっと愛しい「穏健派」と比較することで同定する。ロスバードいわく、「『穏健派』、非過激主義者はほぼつねに、真に影響力がある『実際的』な人物であるとみなされる、という事実にもかかわらず、……まさにどんな真の影響力もないからこそ、真理に向けて人々を解放するよりむしろ、愛おしい誤りで人々を慰めるばかりだからこそ、『穏健派』は万人に歓迎されるにすぎません」。
彼のリバタリアンなメンター、ハーパー宛のこの手紙と同じように、ロスバードの数千の覚書と手紙の最もカジュアルなものでさえ、新しく刺激的な理念と洞察に満ちたきらめくスタイルで書かれている。我々はこのシリーズの後のポストで、ロスバードのウィットと洞察、比類なき学説をもっと多くシェアすることを楽しみにしている。
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