「ナチズム」対ファシズム、前者の見地での二篇
訳序
世界大戦以降、世界は徹底的な脱ナチ化を経験したが、それに匹敵するような冷戦後の脱ボル化は決して起こらなかった。いわゆる「文化的マルクス主義」(田中英道『日本にリベラリズムは必要ない』を見よ)に活力を与えているのがこの反枢軸思想である。したがって、いかなる右翼にとっても国民社会主義の再評価は一定の意義がある。
しかし、「ナチズム」――国民社会主義の蔑称――及びファシズムという言葉を乱用する人間が後を絶たない。特に左翼は約百年前にイタリア簒奪を阻まれた恨みで、敵がみなファシストに見える精神病を患っている。そして、彼ら左翼こそが歴史を語る。
我々は国民社会主義とファシズムを正しく理解しなければならない。なぜならば、それは現世界秩序の起源たる第二次世界大戦に関わるからである。その唯一正しい方法は、後付けと外様のレッテル張りをすべて懐疑し、その概念を当時の当事者の言語に即して再建することであろう。その手間を嫌うにせよ、おそらく最善の手がかりは現代の国民社会主義者やファシスト自身の言葉に耳を傾けることで得られる。
本稿では隔絶した二人の国社主義者が同じ主張に達する事例を目にすることができる。
戦中・戦後の自由主義者の大きな誤りは、「蹄鉄」や「共産ファシズム」、「赤褐色」に託けて、政敵を適切に格付けせず、すべて同一視してしまう怠惰さにあった。もはやこの知性の放蕩に耽る余裕はない。国民社会主義・ネオ国民主義(*)は現行社民体制の共産主義(「文化的マルクス主義」)政策よりはるかにマシであると、すべての右翼が認めるべきときが来ている。
*ネオ国民主義(neo-nationalism):二〇一〇年中葉の欧米の移民受け入れ政策を機に発生した反移民イデオロギーの総称。
第一篇 ウィリアム・ピアス博士、国民社会主義とファシズムの違いについて
アドルフ・ヒトラーの国民社会主義はもっと一般的に定義される「ファシズム」の類型や変種であるという観念はマルクス主義のプロパガンダと分析の主要生産物である。実際、マルクス主義者はこの虚偽の主張する際、国社を自認する者の思考を汚染するほどカン高くしつこかった。(事例:ベニート・ムッソリーニとアドルフ・ヒトラー、一九四一年において)
一九七〇年の頃、ウィリアム・L・ピアス博士は「国民社会主義者のための一問一答」というコラムでこの論点に取り組んだ。このコラムが掲載されたのは『ホワイト・パワー:白い革命のニュースペーパー』であり、これは国民社会主義白人党の大量流通タブロイドであった。(ピアス博士はこの号の「共同編集者」としてリストに載っている。)
問:リベラル〔左翼リベラル〕はしばしば国民社会主義者を「ファシスト」と呼びます。彼らのこの習慣は正しいのですか?
答:リベラルは「ファシスト」というレッテルを、彼らが嫌悪したり危険とみなしたりする理念の誰に対しても――保守主義者に対してさえ――貼り付けます。特定のイデオロギーの信奉者に限らず、彼らはこの用語を侮辱語として使う傾向があります。そうして、どんな政敵に対しても「ファシスト」というレッテルで侮辱することに正当性を感じているのでしょう。
問:えっ、では国民社会主義者が「ファシスト」を自称するのは適切ですか?
答:決して適切ではありません。我々がこの用語を使うときは、事実上つねに、ベニート・ムッソリーニがイタリアで創始した統治システムに関する特定の社会政治学説の信奉者――大文字のFでのファシスト(Fascist)――を指しています。
リベラルにとって重要には見えないようですが、国民社会主義とファシズムには深い違いがあります。
問:しかしわたしはファシズムも国民社会主義も高度に集権化した権威主義的で強度に国民主義的な形態の政府であり、活動の仕方にはわずかな違いしかないと思っていましたが。
答:あなたはリベラルが著した教科書を多く読みすぎました。確かにファシスト国家と国民社会主義運動は権威主義的ですし、どちらも強い社会的基盤をもちます。しかも、アドフル・ヒトラーの国民社会主義政府とムッソリーニのファシスト政府はどちらも集権化した全国的な基盤において国民的社会的刷新の綱領のほぼすべてを経営しました。どちらの政府も計り知れないほど大衆的な熱狂を生み、これが公共の膨大なデモンストレーションとセレブレーションに現れました。これらすべてが見かけ上の類似に寄与しました。しかし二つのシステムの違いは決してわずかではありません!
問:それらの違いの幾つかは何ですか?
答:本当に根本的な違いは両システムの下での国家と人種の役割にあります。
ムッソリーニの言葉では、
ファシストの国家の着想は総括的である。その外には人間的または精神的な価値は存在できない、いわんやどんな実質的価値をや。かく理解され、ファシズムとは全体主義的であり、ファシスト国家――全価値の総合兼単位――は人民の全生命を解釈し、開発し、強化する……。それは国家を生成する国民ではない……それはむしろ、人民に意志を、ゆえに実質的生命を授けながら、国民を生成する国家である……。ファシストの着想では、国家は絶対者であり、その前では諸個人と諸集団は相対者である……。
かたわら国民社会主義者にとっては、最も重要なのは我々の人種であり、国家ではありません。アドルフ・ヒトラーが『我が闘争』に記すとおり、
国家は目的への手段である。その目的は物理的及び精神的に類似した被造物の共同体の維持と前進にある……。この目的に尽くさぬ国家は出来損ないの怪奇体である。(II:2)
この態度の基本的な違いには多くの重要な帰結があります。たとえば、ファシズムの下では国家の責任を受け入れるかぎり、人種的素性にかかわらず誰もが市民でありえます。かたわら、国民社会主義の下では人種的共同体のメンバーシップが市民の第一要件です。(WHITE POWER: The Newspaper of White Revolution, number 11, January-February 1970, p. 5)
ジェームズ・ハーティングのコメント
ピアス博士が討論した理論的考察を別としても、ファシズムは歴史的には人種とユダヤ問題の枢要な論点で悪名高いほど弱腰だった。これはムッソリーニの原典とオズワルド・モズレーのもののような盗品の両方に当てはまる。
一九一四年から一九三五年まで、ムッソリーニの愛人兼腹心、政治的顧問は裕福なイタリア系ユダヤ人知識人マルゲリータ・サルファッティであった。彼女はこの期間に疑問の余地なくファシスト学説と政策へ影響しており、おそらく国民社会主義とヒトラー運動に対するドゥーチェの初期の敵意の原因である。
ファシスト政策のもっと公的な例はイタリア人による一九三五年のエチオピア侵入と征服である。この行為は国民社会主義の立場からは絶対的に正当化不可能である。他の批判をすべて措いても、数千万人のエチオピア人をムッソリーニのネオ・ローマ帝国に持ち帰ることの結末はイタリア人の血筋の破滅的な人種汚染であっただろう。最も強行な反混血法を定めても、ネグロ遺伝子は時経るほどイタリア人の遺伝子プールに流れ込み、そこからアーリア人ヨーロッパ全土に迷い込むだろう。
わたしは人種とユダヤ人に対する態度と政策がファシズムの第二次受肉の期間に、一九四四年~四五年のイタリア社会共和国で、顕著に良くなったことには気づいている。ファシストはドイツ人からの直接間接の圧力の下で、ヒトラー派新秩序に与するよう努力した。しかしそれは少なすぎたし遅すぎた。
ファシスト運動の外縁で、ユリウス・エヴォラ男爵(1898-1974)はファシズムに人種のイデオロギッシュな基盤を設けようと努めたが、彼の努力は要件を満たさなかった。エヴォラの理論は国民社会主義の科学的生物学的レイシャリズムとは相容れない「精神的」レイシャリズムに基づいていた。エヴォラの理論はハインリヒ・ヒムラーの指示でSSにより調査され、非国社であるとして公式に拒絶された。
ファシズムをもっと広く定義して一九三〇年代と四〇年代の平行諸運動をすべて「小文字のf」ファシスト(fascists)に包含したがる運動が幾つかあることは知っている。スペインのファランヘ主義者、ハンガリーの矢十字運動、ルーマニアの大天使ミカエル軍、ノルウェーのヴィドクン・クヴィスリングの国民連合。その皮相的な類似にもかかわらず、これらの運動はそれぞれイデオロギー上では互いに判明であった――そして、ヒトラーの運動とは程遠かった。各国は各自の国民復興を、各国の独特の歴史的経験と当座の政治的必要に基づいて生産した。それらの運動が一九四五年以前の世界で存在するためにどんな正当化をもっていたにせよ、それらは二十一世紀においては無である。というのも、二十一世紀に我々の運動が前進する道を敷いたのはただ国際的汎アーリア人ヒトラー運動だけだからである。
ピアス博士の運動キャリアについての注記――ウィリアム・ピアスの運動キャリアは三つの期間に分けられる。
前期:一九六〇年代初期から一九六七年のリンカーン・ロックウェル暗殺まで。この期間において、彼はロックウェル司令官の顧問として尽くし、『国民社会主義世界』の初めの複数号を生産したが、それ以外の彼の活動関与は最小限度であった。
中期:一九六八年から一九七〇年まで、ピアス博士は自ら党員であり指導的な幹部であった国民社会主義白人党と書記長を務めた国民社会主義者世界同盟で活発な役割を演じた。
後期:一九七〇年の国社白人党と世界国社同盟からの離脱についで、彼は『国民青年同盟』を引き継いで作り直し、後に『国民同盟』と名付け直した。この長く生産的な運動関与の期間において、四冊の作品を著し、長大な『アメリカ反体制派の声』を放送し、数えきれない演説をうって、無数の記事と詳論、社説を書いた。
彼はアメリカ・ナチ党と国社白人党を支持した初めの二つの期間において、自らを国民社会主義者であると公然と同定しており、彼の著作物は明示的に国社であった。第三の期間においてはもはや公然とは自らを国社に同定しなかったが、彼の書くこと、彼の言うこと、彼の成すことはすべて、明示的にではなくとも、暗に国民社会主義者であった。
ピアスが一九六六年に『国民社会主義世界』で著した内容と二〇〇二年に『アメリカ反体制派の声』で放送した内容にイデオロギー上の不連続性はない。むしろ、彼の言葉はアメリカ・ナチ党への関与の始まりから彼の生涯の終わりまで継ぎ目のない全体を構成している。わたしはウィリアム・ピアスが生産したすべてを、いつ生産されたかにかかわらず、アメリカ国民社会主義の重要な統合的部分であると考えている。
第二篇 国民社会主義とファシズム
「ヒトラーは精神の船、半神であり、もっとうまく言えば、神話である……ムッソリーニは人だ」―カール・ユング
国民社会主義とファシズムの唯一の関係はどちらも資本主義共産主義二分論への対抗であることにすぎなかったし、これが彼らの政治的同盟を説明するのだが、国民社会主義ドイツとファシスト・イタリアの枢軸側の繋がりは(ヒトラーの思考への主な影響源はムッソリーニであったと笑止千万にも主張するイタリア人プロパガンダとともに)国民社会主義とはファシズムの分家、あるいはファシズムの特殊なブランドであるという通俗的な誤着想に至った。反シオニズムは本来はファシスト・イデオロギーの部分ではなく、国民社会主義ドイツの台頭の後で同盟を固めるために付け加えられたにすぎなかったことは注目に値する。また、第二次世界大戦が終盤に向かうにつれて、国社ド労党(国民社会主義ドイツ労働者党)はファ国党(ファシスト国民党)に対し、後者がシオニスト連合と手を取って彼らの敗戦に寄与していたと考えて明確に感情を害していたことも注目した方がいい。
「根はファシズムの過剰評価に遡る。ヒトラーは第一次世界大戦の全く幻滅ものの経験に気づかず、少なくとも一九四三年まで、ムッソリーニの意志はイタリア人民を仕立て直すこと、人民を新たな水準に引き上げることであろうと確信していたようであった」―アルフレート・ローゼンベルク
にもかかわらず、国民社会主義をリバタリアンなど小さな政府提唱者により容易に却下可能な総称的ファシスト藁人形に調整するため、シオニスト・エージェントはこの合成を第二次世界大戦後にも押し付けてきた(国民社会主義者を「ファシスト」と侮辱しながら。我々はこれをまったく受け入れない)。現在のファシストがかった陣営とリバタリアンがかった陣営の間に新しい敵対的二分法を形成することで、国民社会主義はこの討論からは政治的に離れており、イデオロギー上でははるか上を行っていると気づくことが重要である。
権力への意志(対)自由への意志
「かくも多くの憎悪者が考えていそうなこととは対照的にも、ファシズム自体は国民社会主義ではなかった。それは政治的――及び経済的――システムであり、政治以上の信条ではなかった。それは実践的な当座の――期限付きの――意義の運動を鼓吹したのであり、宇宙的な範囲のものではなかった」―サヴィトリ・デヴィ
我々はファシズムで、社会を団結させエネルギーを加えるために、経済とメディアその他の国民的機構に対し公然と国家主義を使用する独裁制を意味する。それは棒の束は一本の棒よりはるかに壊れにくいという意味での結束での強さの原理を寿ぐ古代ローマのファスケスに象徴される。実際、ファシズムの好例はムッソリーニのイタリアではなく古代ローマ自体であるに違いないという、ルドルフ・ヘスが触れたとおりの強い議論が提出されうる。いわく「辛いとき、ローマ人は若く有能な指導者に全権力を与えた――ローマ人は統治するとは何かを知っていたのだ! 彼らは『人が歴史を作る』ことを知っていた」。ムッソリーニのイタリアはムッソリーニ以前には深く分断されていた社会を急速に纏め上げるこのローマの象徴の復活というわけで現代世界でのファシズムの良い例である。とはいえ、「ファシズムは民主制への道中の独裁制である」という彼の言葉を考え合わせるに、ムッソリーニは根本的な水準では民主制に反対しなかったことが注目されねばならない。北朝鮮のチュチェ(「主体」、統合主義の意)は自称こそせざれ現在実行中のファシスト体制の好例である。それでもやはり、ファシスト(特にそう自称する者)は定義ゆえその考え方において本質的にローマ的である。
かくて、アンティファ/主流派メディアのレッテル張りとは対照的にも、統一ではなく民族的か宗教的かの線に沿って社会の分断を創造する人種主義極右諸集団は、ちっとも正真正銘のファシストではなく、むしろその真逆である。それらは棒を多くの束に分けて、すべての棒が壊れるまで一方の束で他方の束を叩き付ける。我々は彼らを擬似ファシストであると、真正ファシストとは逆であると言う方がいい、ちょうどネオナチ主義が真正国民社会主義とは逆であるがごとし。ムッソリーニが言ったことを――「生物学的に純粋な人種が今日まで存在を現しているとわたしに信じさせるものはないだろう……人種の譫妄は国民の誇りには必要ない」と言う極右はいない。ローマ人の考え方に共鳴するのがムッソリーニの見解である。かたわら、極右の見解はローマ文明ではなく西洋文明から来るのであり、ゆえに、極右としてはアラゴンのフェルナンド二世とカスティーリャのイサベル二世の人種主義者/イスラム嫌悪者の紋章学に因んでファランヘ主義者を自称する方がまだ正確であろう。(ファランヘ主義はフランシスコ・フランコ(ユダヤ人)治世下のスペインのイデオロギーであった。公然たる親ユダヤ人だったフランコと初めて会ったあと、ヒトラーはもう一度フランコと会うくらいなら同じ量の時間を歯医者に歯を引っこ抜かれるために費やした方がまだマシだろうとムッソリーニに語った。ムッソリーニはちっともイスラム嫌悪者ではなかった。彼はイスラム教徒をファ国党に加えるのみならず、参加を促すため特別にAML(リクトルのイスラム教徒協会)を設けた。そのようなものとして、我々は擬似ファシストからファスケス――統合の象徴――を取り戻すための真正(すなわち、非人種主義的、非イスラム嫌悪的)ファシストのありとあらゆる努力を支持する。それはちょうど、我々真正国民社会主義者がネオナチからスワスティカ――高貴の象徴――を取り戻しているのと同じ在り方である。
ローマ人は人種主義者ではなかった、ゆえにファシストも人種主義者ではないはずだ。
ファシスト国民党は決して人種主義者ではなかった。事実、軍役の見返りの市民権はアウグストゥスが始めて実施したローマ政策であり、ムッソリーニはコピーしたにすぎない。
これがファシズムである。この理念を嫌う者は「ファシスト」ではなくファランヒストを自称した方がいい。
かたわら、国民社会主義をファシズムの一種と言うのは菜食主義を料理の一種と言うのも同然である。その言明は技術的には間違いではないが、原因より結果に焦点を当てることで知性的には治安妨害の罪である。ファシズムと国民社会主義の鍵たる相違を理解する最も単純な仕方はそのレトリックの本質を検分することである。
ファシズム:我々が一丸となれば、望むがままにどんな目標でも達成する権力を得るだろう。(「他人が歴史を書いている間、我々が手を拱くままなのは屈辱的である。誰が勝つかは大した問題ではない。人民を偉大にするには彼らを戦闘に送る必要がある。たとえそれが酷い仕打ちであってもだ。これこそわたしがすることである」――ベニート・ムッソリーニ)
国民社会主義:これが我々の目標である。これを達成する唯一の方法は一丸となることだ。(「彼らは果たすべき使命があるという感情に鼓吹されるのであり、我々は彼らをあまり扇動しない方がいい」――アドルフ・ヒトラー)
ファシズムは最初に目標を特定しない。そうせず、――恣意的な目標を成し遂げるための国民権力の形での――参加の見返りを個人に約束する。ムッソリーニの最も有名なスローガン、「国家の中にすべてあり、国家の外に何もなし、国家に抗する者はなし」は、他のすべてを国家への積極的か消極的な影響により測定するが、国家それ自体の価値を測定できるような固定的な目標を何も差し出さない。言い換えれば、権力それ自体がファシズムの精神的動機付けであり、ファシスト国民の業績はつねにその権力を自分や他人に誇示する単なる軽率さとなる。かたわら、国民社会主義は権力とは厳密には目標――搾取の終わり――を成し遂げるための手段であると言い張りこれが最初に具体化され、しかる後に他のすべてが収束する焦点を設ける。たとえば、ファシストは政治一般と戦争特殊を性格作りの最善の方法の一つであると考え、ゆえにその経験上の価値のためにそれらに参加することに喜びを感じる。かたわら、国民社会主義者はそれらを不幸な負担であると考え、ゆえにそれらに対して純粋に義務感から、純粋に敵を倒す目的からアプローチする。ヒトラーいわく、「戦争指導者とはわたしがわたし自身の意志に反することである。わたしの心を軍事問題に適用するとしたら、それは差し当たりわたしよりうまくそれをやれる者が誰もいないと知るからである」。国民社会主義は個人的参加を栄光ではなく義務として動機付ける。国民社会主義は熟達ではなく高貴を価値付ける。我々の効能(効果)は統一での強さであるかもしれないが、我々の大義(原因)は高貴での統一である。
鍵十字が肝であり、武器は道具にすぎない。
ファシズムは、その指導者が国民を強く保つかぎり、その国民が存在する目的について実際には(指導者含め)誰も知らないか気にしないでも、完全に成功であることができる。これは国民社会主義には当てはまらず、目的への忠誠が最優先である。したがって実践的にはファシストは単なる国家主義者な栄光漁りであり、かたわら国民社会主義者は真正のイデオロギー戦士である。幾人かのファシストは間違って国民社会主義者を自称する。それらが起こる理由は普通、ファシストのパースペクティブで、彼らが国民社会主義ドイツの秩序と効率性に感銘を受けるからである(ヒトラーが記述したとおり、「新帝国にはたった一つの軍、一つのSS、一つの行政しかないという事実は並々ならぬ権力効果を生み出すだろう」)。逆は起こらない。真正国民社会主義者をファシストと呼ぶことは、我々が単なる道具としてではなく目標としての強さに動機付けられていると示唆することであり、侮辱である。
「『時の』人はまったくイデオロギーをもたないか、まったくもっていないふりをする、あるいは彼らは『時を越え』るか『時に逆ら』う信仰に仕えるふりをして、彼ら自身の目的のために後者を食い物にする(神の名において自分のために戦う偽者クリスチャン全員と同じであり、自分を権力へと動かすつもりでしかないのにスワスティカの旗の下で戦う偽者国民社会主義者全員と同じである)」―サヴィトリ・デヴィ
混乱の一部はファシストと国民社会主義者の両者が「物質主義」を批判するところを、この言葉が各陣営で異なる使い方をされていることに気づかぬまま、傍観者が見ることから生じている。ファシスト(と多くの正統派ユダヤ人)は「物質主義」で単に消費者生産物を意味するにすぎず、これが行き過ぎると諸個人の権力動機を散らしてしまう。国民社会主義者は「物質主義」で、単なる消費者生産物ではなく、ファシスト(と多くのユダヤ人)が崇拝する権力動機それ自体を言っている! 我々の眼では、国民権力のために消費者生産物を手放すファシストは消費主義者であると同様に物質主義者であり、単なる集団主義者にすぎない。
そのイデオロギー上の劣等性にもかかわらず、その独裁的政府形態の優位のためであれ、ファシスト国民はもっと有意義な何かへと急速に発達する可能性をもっている。たとえば、宗教が外的目的を埋め合わせ、国民がその宗教を真剣に追求するに足るものと受け取る(ベルギーのための「キリスト教社会主義」イデオロギーとされるレクシスム実験に導いた、レオン・ドグレルのクリストゥス・レークス〔キリスト王〕概念のような)場合や、あるいはその指導者が時を経るごとに国民社会主義に転向する場合である。これを念頭におけば、我々は一般的にはいかなる国においても随時のファシスト指導部の政治的見解に同意しないときでさえ民主主義国家よりファシスト国家を選好すべきである。それは少なくとも問題を――大衆のためよりはむしろ――指導者のための勝利に、我々のイデオロギーに単純化する。
「文化が政府下の要素であったと言えるのはローマ帝国だけである」―アドルフ・ヒトラー
我々は国民社会主義者として共通の実践的目標のために、ファシスト指導が合理的で尊敬に足るパーソナリティーであるかぎりは真正ファシストとの同盟に心を開かなければならない(すなわち、反シオニズムのために。「考えてみよ、ローマ人はユダヤ人が所持する最も神聖な物をあえて没収した。彼らの神殿に積み上げられた黄金を!」―アドルフ・ヒトラー)。かたわら、人を腐敗させる権力と壮大さの誘惑は決して過小評価されてはならないので、国民社会主義者は自身がファシストに堕落することを警戒しなければならない。これは国民社会主義ドイツが十分に直視し続けられなかった一つの挑戦である。我々は反シオニストとして、シオニスト・エージェントがどこであれ国民社会主義に対する可能ファシズムを、ファシズムに対する擬似ファシズムを促進し、彼らが「ファシズム」と呼ぶが実際には擬似ファシズムである広い旗の下で互いの区別を混乱させて、そのような運動を支配しシオニスト・アジェンダに仕える目的で、独裁制運動に浸透するためにありとあらゆることを成してくるだろうと予想する。
超人(対)敵破壊者
「快楽」といわゆる「栄光」への欲望……は野蛮人の印である」―デイヴィッド・マイアット
想定の上でのニーチェとヒトラーのイデオロギッシュな結合は一九三三年のニーチェ文庫でのヒトラーの紛らわしい写真以外に根拠をもたないが、彼はそこに率先して訪れたわけではなく、エリザベート・フェルスター(国社ド労党の資金提供者)の強要で尋ねたのだった。ヒトラーが国民社会主義をニーチェに鼓吹されたものと考えた証拠はない。対照的にも、彼はハンス・シェムのような人たちとの私的な会話で、国民社会主義をニーチェ起源と仄めかそうと試みたトゥーレ協会の会員を非難した。ヒトラー自身の言葉で、「わたしはこういうことを繰り返しはっきりと禁じてきた! すべてのくだらない『こと』が起こった。至祭だのヨルムンガルドだの、ドイツの先史から掘り返してきた、くだらないものが! それから彼らは十五歳の少年たちと一緒にニーチェを読んで、支離滅裂な引用句を使いながら、超人の図を描いて少年を言い含める――『これがお前だ……あるいは、これこそお前が成りつつあるものだ』と」。事実、ヒトラーの主な哲学的影響源は疑いなくショーペンハウアーであり、彼はその本を第一次世界大戦期の兵士として自ら研究したし、後に自称ショーペンハウアーの弟子なるディートリヒ・エッカートの下で再び研究を行った。アルフレート・ローゼンベルクは彼らの私的研究集団の日々を振り返る。「わたしがときどき彼に会いに朝訪ねると、彼は階段でわたしに会うや、その場でわたしに彼の最近の努力を語っていた……また、エッカートは彼の愛しのショーペンハウアーのまたもう一つの美しい一節に出くわしたのだろう、その場でわたしに読むよう言ってきた」。ヒトラーの他の大影響源はワーグナー(彼自身、偶然ではなしに、ショーペンハウアーの弟子)であり、彼は次のとおり言うほどであった。「国民社会主義を理解したい者は誰であれまずワーグナーを知るべきだ」。対照的にも、ニーチェのワーグナーとショーペンハウアーの両者についての意見は否定的であった。(「精神病の一種としてワーグナーとショーペンハウアーを見る無駄な努力が成されてきた。もっと科学的に、両者が代表するものを一種の退廃であるとすることで、計り知れぬほど本質的な洞察が得られるだろう」―フリードリヒ・ニーチェ)したがって、国民社会主義にとりニーチェ主義であることは不可能である。ニーチェ主義な政治的イデオロギーがあるとすれば、それはファシズムである。
ファシズムは内的には超人の概念とよく適合するし、ファシストがその政治的見解に加えてこの理念に魅了されることはありふれている。対照的にも(そしてシオニスト学会の主張にかかわらず)、国民社会主義は、一貫してアーリア人ミュトスに付き合うものであり、敵破壊者(アルハット……阿羅漢)の古代概念ともっと適合する。この二つの違いは、超人は(字義的には「人」の条件を「超える」ことでの)期待上の条件への前進であり、それをトランスヒューマニズムの精神的形態とするのに対して、敵破壊者は(字義的にはこの条件を腐敗させた「敵」を「破壊する」ことでの)本源的条件への復帰である。それゆえ前者は非アーリア人の無限増加の精神性に基づき、かたや後者はアーリア人の本来的高貴さの精神性に基づく。
「名声は勝ち取るべき何かである。名誉は失ってはならぬ何かである」―アルトゥル・ショーペンハウアー
ファシストは主な人間的二分法を主人と奴隷と見て、彼らは主人たらんと欲する。対照的にも、国民社会主義者は主人と奴隷を同じものの二つの側面であると考える。すなわち、野蛮人の二面であると。国民社会主義者は異なる人的二分法をみる――野蛮人と騎士だ。彼らは騎士たらんと欲する――虐げられる者みなの擁護者、虐げる者みなを破滅させる者。野蛮人は精神的奴隷であり、いかに強かろうと主人になってのける者はいない。なぜならば彼は高貴さ[1]を欠くからである。ただ騎士だけが真に自由[2]である。
「ニーチェのツァラトゥストラ。わたしはすぐに作品全体を吸収しようとしたが、何かわたしとは相容れないものが突っかかった。後で気づいたが、それは完全であるよちはむしろ頑迷であるように思われる、極度に病的な、芝居じみてすらいる要素であった」―アルフレート・ローゼンベルク
パリの判断
「組織は必要悪にすぎない。それはせいぜい一定の目的に達するための手段にすぎない。それが目的それ自体になるとき、最悪の事態が起こる」―アドルフ・ヒトラー
神話学において、女神ヘーラーとアテーナー、アプロディーテーはパリの至上美の評言をめぐって争い、アプロディーテーが判定を受けた。ここでの要点はパリが間違った選択を行ったことではない。我々は政治的革命家としてすでにアプロディーテー――純粋に私的な性質の満足感を表象する――が間違った選択であったことを知っている。三者間コンテストの要点は、間違った選択肢が二つあることを我々に警告する。
「ここでは彼自身の名前でさえ正しいのがよく分かる。ユングいわくドイツ語の『フロイト』は快楽を意味する。そしてフロイトは彼の理論を性的快楽に集中した。『アドラー』はドイツ語では猛禽類であり、彼の心理学説はその基盤を権力本能に置いた。『ユング』は若さであり、この偉大な学者はその教えの中心に永遠の若さの船首を立てて、再誕を据えた。彼の家では銘板を読むことができる――『我々は若かった。我々は永遠の若さを象徴化する』彼はこれを知っていた」―ミゲル・セラノ
我々としてはファシズムを国民社会主義と混同する者はまさにヘーラー(パリの支配者を世界で最も強力な王国にする者)の贈り物とアテーナー(パリを戦いで不敗にする者)のそれの違いを理解しない者であると思う。月並みな解釈はそれを軍事的覇業の保証が政治的覇業の保証で時代後れになることと推論させるが、これは国民の生存をかけて戦う国民の兵士が存在することを決め込んでいる。国民は超越的目的のために戦うのでないかぎり生存する理由をもたないと理解することでしかアテーナーの贈り物は実際には意味をなさない。
明らかに、ヘーラーの贈り物とアテーナーの贈り物は異なる種類の人々を魅了するだろう。我々はこの分裂がファシストと国民社会主義者の分裂に対して見事に相関すると予想する。偶然にも、アレースとヘーパイストス(ヘーラーの息子)が技術にかけてアテーナーと重なりながら高貴な性格の完全に欠如していることは先に討論されたファシズムと国民社会主義の皮相的な類似と直接繋がっており、願わくはこの二つを混同することの大なる危険をさらに強調したいものである。
選ぶべき第二の機会は近い将来に近づいているだろう。もしも我々が過ちを繰り返すならば、我々が第三の機会を得るまでどれほど待たねばならないか見当もつなかい。
原典
James Harting, “William Pierce on the Difference between National Socialism and Fascism,” National Vanguard, http://nationalvanguard.org/2015/06/dr-william-pierce-on-the-difference-between-national-socialism-and-fascism/ white biocentrism, http://whitebiocentrism.com/viewtopic.php?f=25&t=525
“National Socialism and Fascism,” Aryainism: United through Nobility, http://aryanism.net/politics/national-socialism-and-fascism/,