大統領の対メディア戦争―トランプではなく、リンカーンの

大統領の対メディア戦争、トーマス・ディロレンツォ著 

Thomas DiLorenzo, “A President’s War on the Media,” (July 8, 2017), LewRockwell.com, https://lewrockwell.com/2017/07/thomas-dilorenzo/presidents-war-media/ 

CNNは「ロシア共謀」ストーリーのフェイク・ニュースをまたもう一つ撤回するよう強いられて、嘘がばれたときにすべての左翼がすることをした――被害者のふりだ。トランプ大統領のフェイク・ニュース呼び出し――これでCNNはフェイクを認めたわけだが――は、アメリカの言論の自由への攻撃であったと主張して被害者ぶっている。なのでCNNによると、フェイク「ニュース」を発表するのは自由言論であり、真理を指摘するのは自由言論への攻撃である。

CNNは国民の自由言論の保護者であると力説するために、ワシントンDCの「ニュージアム」(“Newseum”)の壁に刻まれた銘をツイートすることで、このネットワークは独立記念日に大統領を嘲ろうと試みた。彼らはどうやらこれが大統領への致命的一撃になるだろうと思っていたようだ。というのも、その引用は国家の神、エイブ〔ラハム〕・リンカーンからだったからである。「人民に事実を知らせよう、それで国は安全になるだろう」と、推定の上ではエイブが言ったことになっている。ああそうかい、ウラジミール・プーチンは個人的にドナルド・トランプを魅了し、彼を満州候補〔Manchurian candidate。共産主義に洗脳された候補者〕に変えて、当選を確保するためにアメリカ合衆国の選挙機構を不正に操ったのだと、彼らに「知らせよう」。ヒラリー・クリントンが本当の大統領なんだと知らせれば、彼らは「安全」になるだろう。

CNNにとっては生憎だが、リンカーンの引用は更なるフェイク・ニュースである。なぜならば、幾人もの研究者が証明し、『フェデラリスト』[1]ウェブサイトが報告するとおり、その引用それ自体がフェイクであるから。CNNと「ニュージアム」がこのフェイク・リンカーン引用文をそのモットーとして引き合いに出すことのいかに自ずと起こったことか――そして相応しいことか。リンカーンはメディアに関して僭主にして独裁者であって、南部独立妨害戦争期に北部で三百以上の反対派新聞を廃刊し、その編集者と所有者をデュー・プロセスなしで投獄した。かつて出版の自由の敵としてこれほど巨大な存在であった大統領は他に存在しない。

歴史家ディーン・スプラーグDean Spragueは『リンカーン下の自由』Freedom Under Lincolnの「抑圧の政策」と題された章で、リンカーンの北部での「反戦新聞破壊プログラム」の「第一歩」は「ニューヨークのプレスに猿轡を嵌めることで始めなければならなかった」(p. 142)。ニューヨークの新聞は「国民の大部分を支配していた」、すなわち、そのニュースを報告し社説を述べる際に、他の多くの新聞はニューヨークの指導に従っていた。『商業新聞』The Journal of Commerceはニューヨークの新聞の中で最も影響力が強く、一八六一年もの早期にこの戦争への反対意見を述べていた百以上の北部新聞紙リストを出版していた。

当時の新聞紙のほぼすべては郵送されていたので、リンカーン政権は郵政公社に反対派新聞の配達を止めるよう命じた。彼らは結局、新聞を売り続けていた編集者たちを逮捕し始めた(デュー・プロセスなしで。なぜならば人身保護礼状は非合法的に停止していたからだ)。『ニューヨーク・フリーマンズ・ジャーナル』New York Freeman’s Journalの編集者ジェームズ・マクマスターズJames McMastersは新聞と自由言論の擁護にかけて特に英雄的であった。したがって、(ニューヨークからの)国務大臣ウィリアム・スワードは連邦保安官に「〔マクマスターズ〕を逮捕してフォート・ラファイェットにぶち込め」ち命じた。ニューヨーク湾のフォート・ラファイェットは当時、リンカーン政権の政治批判者が集められて投獄されるグラークとして使われていた。

そのような抑圧は他の新聞の多くに教訓を与えた。リンカーン政権を批判してみろ、お前もフォート・ラファイェットに引きずっていかれるぞ。したがってスプラーグが記すとおり、ニューヨークの新聞は「一八六一年九月の最後まで沈黙していた」(p. 149)。しかしそのときニューヨーク州以外、ロングアイランドからカナダとの国境まで、リンカーン政権の批判を始めた他の新聞があった。彼らはすぐに、リンカーンのメディア腰巾着スワードから同じ扱いを受け、沈黙した。そのとき、「〔反対派新聞編集者〕逮捕狂はすぐニューヨーク州外部に広がった。ペンシルベニアが大なる被害を蒙った」(p. 151)。

北部での自由言論に対するリンカーンの一八六一年「夏の怒り」を記述するもう一つの本が歴史家ジェフリー・マンバーJeffrey Manberとニール・ダールストロームNeil Dahlstromの『リンカーンの怒り―獰猛な群集、輝ける悪党、大統領の出版破壊の使命』Lincoln’s Wrath: Fierce Mobs, Brilliant Scoundrels and a President’s Mission to Destroy the Pressである。この夏の間、「リンカーン周辺の共和党員は反体制派の声を体系的にシャットダウンした反戦新聞の編集者と著述家は膨大な処罰に服した。幾人かはタール羽の刑に処せられ、幾人かは連邦刑務所に投獄され、裁判もせず一度に数ヶ月換金された。他の幾人かは意見を変えて、政府活動の賞賛のみを出版するよう強要された。(p 2)。

こうして、国家はリンカーンによって「憲法が踏み躙られた怒り」をあえて表明する「忘れられた世代の編集者と著述家、出版者」を除去するフェイクの歴史を捏造することができるようになった。これらの男たちは「忠実な反対をいずれもシャットダウンするリンカーンの本意」に怒り狂った(強調追加)。同時に、リンカーンと共和党に捏造されたこの戦争のフェイク歴史にセメントを塗るため、親リンカーン派新聞は租税収入から助成金を受けた

リンカーンは彼が個人的に好むとおりに憲法を再定義する「権利」をもっていると信じており、形式的な修正過程に苛立っていた。「反逆」は憲法第三条第三節ではアメリカ合衆国United States(連合諸州)に対する戦争開始、またはそれらtheir(諸州)の敵を援助し慰安すること「としか」定義されない。「それら」(“their”)という言葉がここでは最も重要である。というのも、それは「合衆国」“United States”(「連合諸州」)が複数であること、すなわち連合国confederacyを結成するために連合した個々の州を意味するからである。反逆とは個々の自由で独立した州に対する戦争開始である。もちろん、これこそまさに、リンカーンがやったことである――南部の諸州に対する戦争の開始だ。彼は反逆を、そうではなく、彼自身と彼の政策へのいかなる批判をも意味するよう再定義することを選んだ。これこそは、政府政策の批判者の容疑がかかった数百人もの新聞編集者、所有者、数千人もの他の北部市民の大量逮捕の基盤であった。

このすべてが理由で、リンカーンの言葉はワシントンDCのフェイク・ニュース「ニュージアム」の壁に文字通り刻み込まれるのが、全面的に適切である。

[1] http://thefederalist.com/2017/07/05/cnn-just-published-a-fake-quote-from-abraham-lincoln/