自著二編:「差別語の擁護」と「日本における右と左の語彙についての覚書」

わたしは差別を、特に左翼差別を提唱しています。本二編はその動機付けに役立つでしょう。

前編「差別語の擁護」では、いまやタブーと化した差別語を保守する意向が励まされます。後編「本における右と左の語彙についての覚書」では左翼それ自体が被差別イデオロギーである(べき)ことを論じます。

差別語の擁護

差別(discrimination)は絶対悪であるようだ。一部の人は「差別」と「区別」は違うと言い返したが、予想どおり、無駄であった。何が差別であり何が差別ではないか決定するのは政治であり、政治はつねに恣意的である。

「差別語」は絶対悪である。人種的や民族的、性別的、職業的、宗教的など、ありとあらゆる差別の言葉が、「問題発言」、「不適切な表現」であり、政治的に正しくない(politically incorrect)とされる。

いや、許される差別が少しだけ残っていた。白人を差別することは(特に学界では)強く奨励されている。白人異性愛成人男性を逆差別することは正当な報復(アファーマティブ・アクション)であり、西洋諸国では単なる奨励のみならず法的に強制さえされている。そして、資本家・経営者を差別する法律は全世界で強硬に、非常に徹底的に施行されている。これらは正当な差別であるか、あるいはまったく差別ではないらしい……。

さて、差別とは法律上の権利の不平等を意味する。それはしばしばアメリカ合衆国黒人奴隷制を連想させるが、必ずしも奴隷差別を指さない。子供は判断力を欠いているから不完全な参政権しか与えられない。これは差別である。女性は共産主義を促進する傾向があると考えられて十九世紀まで参政権を否定されていた(ekklesiazousai)。差別である。外国人(七十億人)が日本(一億人)で民主的に参政していいはずはない。差別である。これらの差別は明らかに正しい。特に最後の例はチベット型のジェノサイドと言われており、これを防ぐために国が作られ、国の政治が行われ、政治的な不平等が定められる。差別と不平等は政治体の本質である。

これらの差別と不平等は社会的には偏見(prejudice)として継承される。人は生まれながらにして偏見を備えており、その種の偏見はバイアスと言われる。さらに、人は育つにつれて、この世の人々がさまざまに分類されうることを理解し、自分自身の政治体に貢献する人々と、そうではなく単に政治体に寄生する人々、むしろ内部から政治体を掘り崩し、食い破り、破壊する傾向がある人々の階級の別を把握する。これらは概して、良し悪しにかかわらず、正しいかと間違いかなどこれっぽっちも関係なく、偏見であると(左翼により)言われている。

左翼に耳を貸す者は自分自身と自分の家族の人生を台無しにしてきた。これ自体は周知の事実である。しかしなぜか? なぜならば、左翼とは判断力の剥奪だからである。

あなたの先祖と先人は物事の良し悪しを判断した。彼らは悪いものごとを軽蔑した。詩的な天才が見事な侮辱語を発明した。これが人々の経験に合致して広まった。(ゆえに:差別語の階級間非対称性。)彼らの判断力のおかげで、わたしたちはそこそこうまく生きることができる。彼らの差別語のおかげで、わたしたちは不完全ながら不可欠な知恵を継承できる。わたしたちはそこから始めるか――先例に一定の信用を貸すか――それとも彼らを否認して歴史の始まりからやり直すか、選ばなければならない。

彼ら先人の知恵、予めの判断(pre-judice)はわたしの目の前のものごとに直接適用できるわけではないが、それは良い基準である。わたしたちは先人から不完全な基準を受け継ぎ、自分自身の状況に適用して、ちょっとだけ実例豊かになった不完全な基準を子孫に譲り渡す。

左翼はそれを否定する。

差別主義者め! すべての文化は等しい!(西洋の文化に命を支えられながら)

差別主義者め! すべての言語は等しい!(言語相対主義を説明できる既存言語で)

差別主義者め! すべての人種は等しい!(白人同士の結婚だけは否定しつつ)

差別主義者め! すべての民族は等しい!(IQ95以下では産業が持続できないが)

差別主義者め! すべての職業は等しい!(では身内を売春やガレー船へ)

差別主義者め! すべての性別は等しい!(最も深い違いがそこに)

差別主義者め! すべての性愛は等しい!(ホモの乱交とHIV率、破滅願望は?)

温故知新は差別に関しては否定される。しかし平等を信じる者は人生を台無しにする。それは結局は、無階級社会(「共産主義」)を信じることだからである。共産主義は明のそれも暗のそれも悉く失敗する。

よくある反論は、我々は行き過ぎた差別や暴力的な差別に反対しているのだ、というものだ。へえ? それではあなたの努力での左翼内の自浄作用に期待しつつ、わたしの話に戻ろう。

差別を受け継ぐ最も強力な手段は、それを単なる信念(左翼語で「偏見」、「迷信」)から知識(左翼語で「疑似科学」)へと高めることである。しかしこれは差別意識(階級間不平等の関心)の後から来る。

差別意識そのものを育むための手段は侮辱であり、それが様式化された差別語である。もしもあなたに守るべきものがあるならば、もしもあなたが実際的な知恵の世代間継承者でありたいならば、あなたは差別語を継承しなければならない。

公然と濫用せよと言っているわけではない。礼儀と作法を守れ――守らぬ者を厳しく差別せよ。卑語は使うな、差別語を使え。個々の事例に即し、厳格な人選の下、適切な機会に使用せよ。

日本における右と左の語彙についての覚書

 エリック・フォン・クーネルト=レディンの『左翼再考』とノルベルト・ボッビオの『右と左』を読むに、右翼が貴族主義と自由主義[1]、保守主義を示し、[2]左翼が民主主義と社会主義、共産主義を含むのは偶然ではないようだ。西洋文化においては、聖書言語から議会政治まで、右は正しさを、左は不吉さを共示していた。

しかしながら、平安時代の日本では、同じ高さの職掌を左右に分けるとき、左の司が上、右はその下に配られた。左大臣は右大臣より尊かった。これは文化相対主義者が決定的な意味を見出している何かである――これで話は終わりだ、とでも言わんばかりに。遠い昔の潰れた王朝の役職名がすべてなのだろう。『太平記』で右が尊い扱いを受けたことは、彼らのほぼ全員が端的に軽視する。

それでは、日本語――日本文化全体[3]の結晶――における右と左の共示を調べてみよう。日本人の感覚としては、物事は右から来て左へ抜けるようだ。貯まらぬ金の流れは「右から左」へ、聞き流される声は「右の耳から左の耳」へ。とかく「右へ倣え」。

信頼できる部下は右腕(みぎうで)、右の腕(みぎのうで)である。大切な本は座右(ざゆう)の書という。左す(ひだりす)、左にす(ひだりにす)は蔑ろにするを意味する。結局、人類の多くは右利きであり、右勝手(みぎがって)なのである。左利き――ギッチョ、ヒダリギッチョは頻りに矯正を求められた。左勝手(ひだりがって)、左構え(ひだりがまえ)とは、逆勝手(ぎゃくがって、さかがって)、非勝手(ひがって)の同義語である。「不亦左乎」は「不都合ではないか」と訳される。良いものごとは多数派の利き手の側に有るのが秩序正しい。

右手が巧みに動くから、着物は右から身に着けるようになった。(この話題では帯の締め方と乳の遣り方も忘れてはならない。『衣服令』は余計なお世話であった)。左前(ひだりまえ)は死んだ人の着方であり、きわめて不吉とされる。準じて、凶事に用いる書状は左封じ(ひだりふうじ)にされる。中国では左前――左衽――は夷狄の着方と考えられた。かくて日本では不躾な夷膳(えびすぜん)がまた左膳(ひだりぜん)とも言われる。経済的な落ち目――究極的には食い扶持の喪失、飢え死を意味する――も戯れで左前と言われる。[4]あえて不器用な手で扇を煽る左団扇(ひだりうちわ)、左扇(ひだりおうぎ)――イメージの上では、あぐらをかいてふんぞり返りながら、右手は頬杖をついている――は経済的な余裕を仄めかす。

文明と道具が発達した北半球では、太陽は東に沈み、影は右に回る。ゆえに時計は右巻きである。紐を巻きつけるとき右腕は自ずと右回りに動く。正常な進行に逆らう左巻き(ひだりまき)は、「知能が足りないこと。頭がおかしいこと。また、その人」(大辞林)と定義される。左様(ひだりざま)は正しい道に反するさまを意味する。左縄(ひだりなわ)は役に立たないことを例える。こちらが右と言えば左と言うのは天邪鬼だ。かつてのモロコシの言葉、漢語では、地位や官位を下げることは左遷(させん)という。右を正しく尊いとしたからだ。漢語の左道(さとう、さどう)とサンクスリット語のヴァーママールガ(左の道)は邪道を意味した。今のモロコシ語では、right(ライト)は右、権利、正しさを意味し、かたやleft(レフト)は弱い、弱々しいの意のlyftに由来する。古代ローマ帝国以来、ラテン語圏ではsinister(シニスター)は不吉を仄めかす。よしや否定的な共示をもたずとも、左文字(ひだりもじ)、左弓(ひだりゆみ)、左打ち(ひだりうち)――左が普通とは逆であること、異常性を仄めかすことに変わりはない。

横書きでの左書き(ひだりがき)が常態化したのは西洋化に伴ってのことだ。漢語圏では右上からものを記すことに因み、初めから、もとよりの意では「右より」(みぎより)という。大和言葉では普通、右と左(みぎとひだり)や右左(みぎひだり)の順に読む。あえて左右(ひだりみぎ)と読むとき、それは「左と右の位置が逆になること」(大辞林、強調付加)を仄めかす。左右(さゆう)は「左右に託す」などと、「みぎともひだりとも態度をはっきりさせないこと」(同上)を仄めかす。はっきりさせるとき、最も優れた人より「右に出る者はいない」。

左右は、一見すると単なる相対的な観念にすぎないかのように誤解されがちである。しかし、これ以上に根深く不平等と優劣尊卑を孕む概念はそうそうない。狩りのとき命を左右するのは武器を持つ手であった。手とは、あるいはアリストテレスが述べたとおり、道具の道具である。あるいはカントが触れたとおり、方位と直観の象徴である。道具としての手が現象のすべてを秩序付けるのであり、秩序付けられた物事にはすべて、象徴としての手が――右と左が刻印される。

経験的に、人は利き手をもつ。左右の設計はしばしば所与の技術水準での効用と発展性を制限する。たとえば、日本では自動車は右ハンドルであり、運転しながら左手でギアを操作しなければならない。一九八〇年代にマニュアル車に乗って上下左右に曲がりくねった狭い高速道路で時速100kmを出しつつ左手でギアを操作しながら追い越しを試みていたのは実に狂気の沙汰であった。左右の無関心(平等)はしばしば死に直結する。

人類全体の約九割が恒常的に右利きである。この経験はどんなテロルとポリコレでも曲げることができない。それだけではない。動物も利き手をもつ。ゴリラやチンパンジーは右利きが多く、オランウータンは左利きが多い。犬と猫はおろか、魚や虫にも、右利きと左利きがある。この経験を消すことはできない。動物の左右非対称性に最も強く関連する遺伝子はPCSK6だと考えられており、これが利き手にも関連しているようだ。人が右利きがちなのは右手を制御する左脳が発達しているからだと考えられている。左脳はブローカ野とウェルニッケ野など言語中枢が収まっている。人類の右利き傾向の原因は言語機能の発達に求められるかもしれない。そしたら、左右の不平等、いわば右尊左卑の否認は、究極的には全人類の失語化でしか成し遂げることができないだろう。文明化――言語的・物質的な秩序付け――が進むほど、言語の帰結として、左右の不平等は明徴にされる。右と左の価値はいわば文明普遍的なのである。

上の理論的考察が先の語彙的叙述にも適用される。日本の文明化過程における意味論的な発達は、はっきりと右尊左卑の認識を示していたようだ。左翼相対主義者は否認するが――テロルとポリコレによって。

わたしとしては、「右翼」もよし。しかし他の日本語も大切にしたい。わたしの心は決して左右開きではなく、右勝手に開かれる。わたしより尊い人、優れた人は、わたしより右にいる。最も優れた人より右に出る者はいない。かたわら、彼ら左翼(源流ジャコバン、極左ボリシェヴィキから左の中では極右のナチ・ファッショまで、今の左翼の代表格たるサヨリベとその派生、ネオコン)のイデオロギーはいずれも、歴史と名前が示すとおり、左前――致命的に不吉――である(ジャコバン、ボリシェヴィキ、ナチ・ファッショ、サヨリベ・ネオコンはすべてジェノサイドに従事した)。彼らは左巻き(「知能が足りない」、「頭がおかしい」)か左様(「邪悪」)であり、一般的には左縄(「役に立たない」)、ついでに言えば典型的に左膳(「無礼」)である。

わたしとしては、左する(自動詞、「左傾化している」)者ほど左にする(他動詞、「蔑ろにする」)つもりである。この持論は明らかに右翼的であり、差別主義的・反平等主義的である。わたしは他が等しくば左利きより右利きの方が優れているとまで言い含めている。ああそうだ、右と左は平等ではない。右と左の間には差別がある。この差別は事実的であり、事実に基づく価値がある。正しい事実認識に則って正しい価値評価を下す者は右に寄る――上に立つ。

右翼と左翼の概念は、フランス諸革命での左翼の楯突き――下からの反抗――によって生まれた。フランス革命、あるいはフランス政治革命(一七八九~九九年)では、王政派と立憲王政派が議会の右翼に座した。共和派と民主派が左翼に座した。しかし、王政派を打倒し、立憲王政派フイヤンの自由主義を否定して、革命を乗っ取ったジャコバンにより、平等元年が始まった。極左ではバブーフら平等派がすべての横並びと横倒しを要求していた。それから約五十年後の二月革命、あるいは「この革命は政治的のみならず社会〔主義〕的でもなければならない」のフランス社会革命(一八四八年)、いわゆる「社会共和国」(マルクス)までには、右翼とは概ね保守主義者と自由主義者、正統主義者を指すようになった。フランス右翼は「秩序、財産、宗教」の秩序党に集まり、スペイン右翼は「秩序の人」と呼ばれた。かたや左翼には凡そ社会主義者と共産主義者、共和主義者が含まれた。[5]これが古典的な右翼と左翼である。この第二の革命以来、右翼――自由主義者と保守主義者、貴族政の支持者――は敗北に敗北を重ねることになった。この二つの革命以降、左翼は政府を通して社会のすべてを横取りし、社会のすべてに横槍を入れ始めた。言い換えれば、秩序(差別と格付け)を犠牲に、平等(無差別と無関心)が勝利したのだった。ヨーロッパでは、教皇、司祭、君主、貴族、平民の縦社会は失われた。日本では第二次大戦敗戦により、皇族、華族、士族、平民の階級が失われた。

かくて右は消えた。現行の政体はすべて社会民主制であり、現代の「右翼」は概して左翼の分家である。「右翼」という言葉が汚されるのは避けられなかった。杉田元議員の素晴らしい作品『なぜ私は左翼と戦うのか』は、好意的ながら「タイトルは過激だが」と題されたレビューをアマゾンで受けた。「右翼」一般がオドロオドロしく暴力的な反社会的勢力か何かと想定される。それは皇族や華族、士族でなければ、彼ら上級市民の支配を受け入れるつもりの平民でもない。低い階層を這いずる匿名多数の大衆。それは知性的でも道徳的でもなく、馬鹿で感傷的、憎しみに満ちた、自分のことしか考えない人物。左翼に管理され、治療されなければならない存在。低学歴で低所得な右翼が、高学歴で高所得な左翼に楯突くのだ、と。

そのような横紙破りは、右と左の語彙をリフレッシュした自由主義者・保守主義者・貴族主義者にとっては、左様な左翼の左膳で左縄な左巻きにすぎまい。

自らを政治的に表現する人はみな、スペクトルのどこかに飛び込まなければならない。左右スペクトルの否認[6]は象牙の塔や泡沫クラブでしか機能しない。既存のスペクトル上のイデオロギーがどれほど不完全で、どれほど納得いかなかろうとも、そこから始めなければならないのである。そのとき、わたしが社会主義者、共産主義者、民主主義者の間に――左に定着することはできないだろう。フランス革命にせよリバタリアン運動にせよ、当初こそ左とともに始まった自由主義は、すべて右(秩序)へと流れていったのだった。

自由は右である。


[1] ここで考えられているのはイデオロギーだが、イデオローグとしては古典時代の代表的自由主義者――バンジャマン・コンスタン、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、ド・トクヴィル、フランソワ・ギゾ、フランシス・マルティネス・デ・ラ・ロサス、フアン・ドノソ・コルテス、アクトン卿、ギュスターヴ・ド・モリナリ、ウィームス伯爵フランシス・チャータリス、ヴィルフレド・パレート、アルバート・ジェイ・ノックなど。自ずと例外もある――ジャン=バティスト・セー、バスティア、リチャード・コブデン、後期グラッドストン卿など。しかしセーの産業主義と民主主義などの左翼的な要素は悉く社会主義に歓迎されており、自由主義を自由主義たらしめる本質とは言えない。ジョン・ロックは彼ら十九世紀人から遡及される自由主義者にすぎず、革命以前の人物であるから、左右スペクトルは直接には適用されない。ベンサムとJ・S・ミルはあくまで急進主義者(社会主義者)であり、自由主義者ではない。

[2] 右翼がつねに一致団結していたと言っているわけではない。かたやアンソニー・ルドヴィチまでの優れた保守主義者は自由主義を――しばしば適切に――非難してきた。かたやマリー・ロスバードまでの優れた自由主義者は保守主義を――またも、しばしば適切に――攻撃してきた。それでもなお彼らは右翼であった。

[3] 日本の「伝統文化といわれるものの大半は、中世寺社に起源を持つ」(伊藤正敏『寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民』10ページ)。また関連する指針のために、折口信夫『神道に現れた民族論理』を見よ――わたし自身はそれに従うには管見にすぎたが――いわく、

日本人の物の考へ方が、永久性を持つ様になつたのは、勿論、文章が出来てからであるが、今日の処で、最古い文章だ、と思はれるのは、祝詞の型をつくつた、呪詞であつて、其が、日本人の思考の法則を、種々に展開させて来てゐるのである。私は此意味で、凡日本民族の古代生活を知らうと思ふ者は、文芸家でも、宗教家でも、又倫理学者・歴史家でも皆、呪詞の研究から出発せねばならぬ、と思ふ。

[4] 実際、クーネルト=レディンは右の優越の文明普遍性を示すために日本語のhidarimaeに言及する。

[5] ゆえに共和派自由主義者は行き過ぎていると、「超自由主義者」(« ultralibéraux »)と呼ばれて非難された。

[6] ノーラン・チャートのような二次元的拡張もしかり。