2018-03-29
テン年代サブカル批評系ネオリベラリズム概論
日本でリベラルとカテゴライズされる人種の大多数は、試験で良い点数を取るのが生きがいだったみたいな、わりかし大人しめの従順なタイプで、そういう人種の生真面目さが、ネオリベやネトウヨ的なものに振れて、ネット言論や世の中を息苦しくしているような気がする。
例えば、とある典型的なサブカル文系ツイッタラーのツイートを再掲してみよう。↓
度々引用させて頂き申し訳ないが、しかし、このツイートって、現代日本の言論空間を覆っている不自由さ、実存的不安、自我を見事に表現した傑作だと思う。まず、「左派」を自負しながら「自民党に投票」し、「クラスのスクールカースト上位」だったけど「オタク文化に理解がある」と、言い訳がましいアピールをしている時点で、暑苦しいというか、薄ら寒々しいものを感じさせるけど、でも、この人に限らずある種の知的クラスタって、自分が、いつ底辺に蹴落とされるかわからない恐怖心だとか、血で血を洗う、仁義なきネオリベ・バトルロワイヤリズムを、内面化せざるえなかった世代なんだろうなとは思う。無論、この人のせいだけでなく、そうした言論や風潮を煽ってきた言論人の責任もデカイが。
だけど、こういうタイプほど、異様に日常系っぽい雰囲気と多幸感を強調してくるのが、また不気味でもあるのだけど。例えば、古市憲寿や、宇野常寛のような言論詐欺師の内面が、本気で日常系的な多幸感で満たされていると思っている人はむしろ少数で、連中ほど他人を弱肉強食のサヴァイヴァル・バトルの谷底に投げ込んできた者はいないだろう。そもそも「日常系」というコンセプトって、宇野や古市が出処なわけだが、そのこと自体、彼らの言う日常が、ネオリベ・バトルロワイヤリズムへのアンチテーゼではなく、逆に、それをマッチポンプ式に煽る延長線上の概念でしかないことの証だと思う。
その、他人をネオリベ・バトルロワイヤルのリングに蹴落とし、片方では、そこから切断された場所で日常系っぽい多幸感を煽るギャップが気持ち悪いんだけど、それがそのまま「左翼だけど」「自民党に投票した」的な、オルタナ右翼性に直結しているのも薄気味悪い。ようするに、ゼロ年代以降のサブカル評論というのは、総じていかに権力や権威にこっそりと忍び寄って一体化・追従するか、というものでしかなかったと思う。例えば、宇野常寛とかが、野党も叩けば与党も叩くのは、別に公平な態度からではなく、相手に片手落ちだと言わせないためのポーズでしかない。でなくとも、ネットを観察していれば、宇野や東浩紀だけでなく、そのフォロワー的なサブカル批評連中の政治的心情が、与党、それもネトウヨ的なものにより近いのは、いくら相手がそれを隠し通そうとも、誰の目からも察せられるものだ。
まあ、そのネトウヨ化した権力の庇護の下での「日常」という「母性のディストピア」は、結果的に、森友学園事件が発覚した時点から、今日の改竄事件まで、それを大した問題じゃないと言い切る、数多のサブカル系言論人とその劣化コピーを量産してきたように思う。一応、宇野氏はそのサブカル言論人の中では、政治感覚的にはマシな方とフォローを入れておくけど(宇野氏を例に出し過ぎたので)、だけど、それに比較的近いような、バランサーを自称する知識人たちが、バランサーになりえず権力と一体化してしまったことが、今回の件で色々と明確になったんじゃないかと思う。
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