組織には心理的安全性が必要だと言われる。それはなぜなのだろうか。今回は「失敗」を中心に考えてみる。
失敗と成長
人には失敗はつきもの。そして、大きな失敗も小さな失敗も含めて、うまくいかないことは成長のチャンスだ。
そんな失敗を糾弾し、その人の次のチャンスを潰してしまう組織というのは、当然その人の可能性を奪う。その人の可能性を奪うということは、組織の可能性も奪ってしまう。と考えると、組織には失敗に対しては寛容性が必要が必要だということになる。
とはいえ、失敗だらけで成功が無かったとしたら、会社として成立するだろうか?そんなことはない。では、失敗の寛容性とはなんだろうか。
失敗の寛容性とは
この2点だと考えている。
- 個人として「自分で失敗を失敗だと言える」
- 組織として「失敗を失敗だと言いやすい」
個人として「自分で失敗を失敗だと言える」
その人が自分で「これは失敗である」と言えると、それは恥の意識が薄れ、失敗を受け入れられている。失敗を受け入れられていると、次のアクションにつなげることができる。周りに助けを求めることもできる。
自分で「これは失敗である」と言えてないと、受け入れられていなかったり、他人のせいにしてしまっている可能性がある。そうすると、その人は自覚をしてないわけだから、成長することができない。
つまり、自分に対して失敗への寛容性が必要だ。
組織として「失敗を失敗だと言いやすい」
個人が「これは失敗である」と言える人だとしても、組織がそれを許さなければ言うことはできない。一度の失敗でダメな人であると烙印を押され、チャンスを失うような組織でも失敗であると言えなくなる。
同時に、組織単位でも、組織の課題や上手くいかないことについて言えることが大切だ。言えていれば見えるようになって、解決していくことができる。それが組織の成長になる。
つまり、組織として失敗だと言いやすい環境、という寛容性が必要だ。
心理的安全性=失敗を受け入れ成長し続けている
失敗は成長のためだ。それがしやすい環境と人が揃うと、組織がどんどん成長する。そのために失敗の寛容性が必要となる。失敗の寛容性とは個人としても組織としても「失敗をさらけ出せる」ということである。さらけ出せていると、失敗を受け入れやすくなる。失敗を受け入れていると、次の成長の行動に移すことができる。
そう考えると、個人も組織も「失敗を受け入れ、成長し続けられている環境」というのが、「心理的安全性がある環境」なのではないか。
心理的安全性がある環境は、極楽な環境わけではない
変化が激しく、答えが見えない環境が増えてきているので、大なり小なり失敗から学び成長し続けないと、成功に近づくことは難しい。いかに、それが許される環境を作れるか。そして、人と組織が成長し続けられるか。
そのために、心理的安全性が必要となる。
とはいえ、それは単純に働きやすい極楽な環境であるわけではない。その分、失敗を受け入れた上で変化と成長を求められる。実はそれはある意味とても厳しい環境だ。
どんな環境を選ぶかは人それぞれだが、成長をするというのは万人にとっての喜びの一つであると思うので、私はそういう環境を作っていきたいし、身を置きたいと思っている。