面会を求め、東京拘置所を訪れた帰りの車内で(撮影:堀潤氏)

写真拡大

「ストップがかけられなかった」

前回もお伝えしたように、この記事は、父の無罪を訴えたり、釈放を求めたりするものではありません。ただ、父が、父だけの知る事件の真実を語る必要が、まだあるのではないかと思っているということ、「詐病」とされ、治療もされないまま放置されている父に対して、本当に公正・中立な裁判が行われたのかという疑問を、綴りました。

また、娘としては、とても耐えがたいことですが、父が事実を語り、適正な裁判を受けた上で、それでも死刑判決がくだるならば、法治国家の国民として、受け入れざるを得ないと覚悟していることも。

今回は、その父の「訴訟能力」についての問題から、お話を始めたいと思います。前回もご紹介しましたが、父の裁判で裁判長をつとめた阿部文洋氏は、父に対して訴訟能力がある旨、述べていたことをお伝えしました。

この「訴訟能力」という言葉は、「被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力」(最高裁平成7年2月28日決定)を意味するとされます。簡単にいうと、裁判を受ける能力ということになるでしょう。訴訟能力がない場合、わたしたちは裁判を受けることができません。

刑事訴訟法第314条は、「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない」と規定しています。ここでいう「心神喪失」とは、訴訟能力を欠く状態を言います。被告人が治療を受け快復すれば、訴訟能力も回復しますので、停止していた公判が再開されることになります。

面会を求め、東京拘置所を訪れた帰りの車内で(撮影:堀潤氏)

一審の裁判中、弁護団は父の病気を理由として、公判停止を申し立てることもできました。弁護団は父の精神鑑定をするかについて検討はしたようですが、結局、行っていません。

その理由について、安田先生は、2018年3月7日の「宮台真司とジョー横溝の深堀TVch_ニコ生」に出演され、以下のように語っておられます。

<第一審では精神鑑定をしませんでした。精神鑑定をやってしまうと、精神の問題ですべて実行行為をくくられてしまうので、弁護人は精神の問題は一番最後にやる、というのがいつも弁護人の考え。事実が大切だと。

精神の問題は責任問題ですから、まずやったかやらないか、何をやったかと。それが違法なのか合法なのか。最後にその責任を本人に問えるのかどうか。その一番最後の場面なんですね。一番はじめに責任をもってきてしまうと、この人は何をやったのか、という部分が曖昧にされてしまうんです。ですから、刑事弁護人は、精神的な問題は一番最後におくと。

ただ、裁判で何が行われているか、何を行っているかが理解できない限り、その人は適切に防御することはできないわけです。それがどんどんどんどんなくなっていくわけです。どっかでストップをかけなきゃならなかったわけです。しかし、ストップをかけるタイミングがなかなか難しくて、ストップをかけられないままで物事が進行してしまった>

壊れたままの父に、死刑判決

他にも、当時の弁護人に精神鑑定をためらわせる要素がありました。

一つは弁護人たちも父と面会ができなかったため、父が本当に病気であるのか否か、判断がつきづらかったこと。二つ目は、マスコミや裁判所が父を「詐病」と扱い、社会もそう受け取っている中で、「麻原彰晃」に対する公正な精神鑑定が行われることが期待できなかったことです。

それが杞憂でなかったことは、はからずも、父の控訴審で明らかになりました。

2004年2月27日、父は死刑判決を受けました。

この日、裁判を傍聴していた映画監督の森達也氏は、『A3』(集英社文庫)で以下のように書いています。

<「で。どうですか。初めての傍聴の感想は」
「……どう見ても正常な状態とは思えないのだけれど」
 曖昧にうなずきながら、記者は少しだけ遠い目になった。二本目のタバコに火をつけながら、「もうダメでしょうね」とつぶやいた。僕は訊いた。
「詐病の可能性は?」
「英語や訳の分からないことをしゃべりだしたときは、その可能性を言う人も確かにいたけれど……あれはもう詐病のレベルじゃないですね」>

日本の刑事裁判は、特殊な犯罪を除き、原則三審制を取っています。一審、控訴審、上告審の三審制です。とはいえ、自動的に一審から控訴審へ行くわけではありません。控訴してはじめて、控訴審に継続します。

父の場合、父本人の意思を確認することはできないまま、一審の弁護団が即日控訴しました。一審の弁護団は、職責を果たし、一斉に辞任されました。

会うまでは、わたしも「詐病」と思っていた

ここで、わたし自身のことをお話しさせてください。父が逮捕されたあとも、わたしはいつか父と会い、話をすることを希望に生きてきました。

耳に入ってくる情報は、父が「詐病」というものばかりでしたから、わたしもまた、父が本当は元気で、病気のふりをしているだけなのだと信じて疑いませんでした。

控訴審の弁護人の接見禁止の一部解除の申し立てにより、わたしが父と9年ぶりの接見をすることができたのは、2004年9月17日のことです。父との再会に大きな希望を抱いていたわたしは、絶望の淵に突き落とされました。父と話せない、父から何も聞けない。父が本当に病気だという現実を突き付けられたのです。

父は完全に壊れきっていました。目の前に娘がいることにも気づきません。もちろん、名前を呼んでくれることなどありません。おむつをはめられ、車椅子の上で一人別の世界にいました。

わたしが大きな音を出し、面会室にいた弁護人や刑務官がびくっと体を震わせても、父には何の反応もありません。ときどき苦しそうにけいれんを起こすだけです。助けてあげたいけれど、私は何もできません。

何よりつらかったのは、そんな父を、父が病気で苦しみ、徐々に壊れて行ったあいだ、わたし自身が「詐病」だという情報を信じていたことです。父を心配することなく生きてきた自分が、許せませんでした。

面会時の様子を描いたスケッチ。顔の皮がむけ、あごのまわりにはカピカピの皮膚がはりついて、霜が降りたかのようになっていた(撮影:堀潤氏)

精神科医6名が拘禁反応と診断。しかし…

こうした状況を受けて、弁護人は専門家の判断を仰ぐため、裁判所や検察官からの依頼で精神鑑定の経験が豊富だった精神科医の先生に、父との接見を依頼しました。先生は、父が拘禁反応による昏迷の状態にあり、訴訟能力がないこと、治療により、ある程度の回復の可能性があるとする意見書を書きました。

2005年7月29日、弁護人はこの意見書を添付し、公判停止手続きの申し立てを行いました。

8月19日――東京高裁は、公判手続きの申し立てに対し、「職権発動せず」という決定を出します。それだけではありません。東京高裁は「訴訟能力を有するとの判断は揺るがない」と断定した上で、「慎重を期して、事実取り調べの規定に基づき、鑑定の形式により精神医学の専門家から被告人の訴訟能力の有無について意見を徴することを考えている」としました。判断が揺るがないのに、意見を徴するという裁判所の主張は、明らかに矛盾していると思います。この内容はメディアにも公表されました。

8月22日、弁護人は「鑑定の形式」について、刑事訴訟法上の規定に基づき、公開の法廷での宣誓、鑑定人尋問等を求める書面を裁判所に提出しました。

ところが後日、弁護人が知ったのは、「鑑定人」が弁護人に内密で選ばれたこと、宣誓は非公開で行われ、鑑定人尋問さえ行われない、という事実でした。また鑑定人に対して、どのような鑑定をするかということについての弁護人の意見聴取もなされていません。弁護人は裁判所に抗議しましたが、受け入れられませんでした。

裁判所のやり方に危機感を抱いた弁護人は、他の高名な精神科医の先生方にも父との面接を依頼しました。時系列が前後する部分もありますが、合計7名の精神科医が父と面接をして意見書を作成されています。

うち6名の先生は、父の症状は「拘禁反応」だと述べ、拘禁反応とは判断されなかった先生も、拘禁反応かどうかを確定するために検査すべきだとおっしゃっています。また、5名の先生が父は「昏迷状態」にあると診断をしています。

「昏迷」とは、意識障害のレベルを指し、昏睡の一歩手前、外的刺激に反応ができなくなる状態だといわれています。

しかし、治らないものではなく、5名のうち4名の精神科医は、父が要治療の状態にあると診断しました。先生によっては、数ヵ月から半年で治るとおっしゃっています。残る1名の先生も、拘禁反応は治療が可能であると指摘されています。

突然の「控訴棄却」

裁判所に選任された西山詮医師は、父に訴訟能力ありとする「鑑定書」を書き上げました。これは要約すると、物を握ったから訴訟能力ありとするもので、内容としてほとんど理解のできないものでした。

西山医師は、心理検査は不可能と思われたので実施しなかったと明記し、父との意思疎通は1回も図れていません。西山医師は、自由に父と会うことができる立場にありましたが、実際に父と会ったのは3回で、その時間も長くなかったようです。

また、西山氏は、首を左に向け、上体を硬くしてビクビク、ビクビクと震わせる一種の発作があり、付き添いの職員3人が、不安そうに「あら、あら、あら」と小声で叫んだが、発作は数秒で終わったと、父がけいれん様発作を起こすところも目撃しています。しかし、原因を究明しようとはしていません。

この「西山鑑定」は、父を診断した精神科医の先生方から、厳しい批判をされています。例えば、野田正彰先生は、

「鑑定主文すら、このような曖昧、意味不明な概念の結合でできあがっており、このような鑑定主文に基づいて裁判所が訴訟能力の有無について判断することは到底できない」(「『麻原死刑』でOKか?」ユビキタ・スタジオ 2006年4月発行)

とおっしゃっています。精神科医で作家の加賀乙彦先生は、

「西山鑑定では物を言う能力が失われたことを示唆する証拠はないと書いていますが、彼が松本智津夫を診察したのは3回だけで、その間に松本智津夫が語ったのは、痛いとか簡単な言葉4つだけでした。あとは言語的コミュニケーションが全くできていない。それなのにどうして訴訟能力があると結論づけるのか、全く論理が通っていません」(『創』2006年5月号)

また、既に他界されていますが、当時まだお元気だった秋元波留夫先生は、

「言葉や動作が示されなければ偽痴呆性という診断はできないはずなんですね。(中略)だからこれは診断の誤りですね」(『創』2006年5月号)

と、それぞれおっしゃっています。

控訴審係属後、弁護人は裁判所から、控訴趣意書という書類を提出するように命じられていました。しかし弁護人は、父に訴訟能力がなく、本人の意思すら確認できない状況で、控訴趣意書を出すことはできないと、事情を説明していました。父が裁判を続けたいのかどうかさえ、弁護人にうかがい知るすべがない状態で、当事者を無視して裁判を行うことはできません。

このとき弁護人は、裁判所から「鑑定結果が出るまでは、控訴棄却決定をすることはない」と約束されていました。裁判所とのやり取りでは、ここでいう「鑑定結果」とは、西山氏の「鑑定書」が出るまでではなく、その「鑑定書」に対する弁護側の反論まで含まれていました。

弁護側は「2006年3月28日に控訴趣意書を提出する」と裁判所に連絡をしました。しかし、その前日の27日、裁判所は突如として控訴を棄却します。理由は、控訴趣意書が提出されなかったから、というものでした。

父は治療を受けられず、一言もしゃべれないまま、控訴審という大切な裁判の機会さえ失ってしまったのです。控訴審で公判が行われなかったので、最高裁での審理も行われませんでした。

37年ぶり「裁判所からの懲戒請求」の意味

控訴審の弁護人は、マスコミから、裁判所から、社会から、そして同業者であるはずの弁護士から、控訴趣意書を出すという弁護人の義務を果たさなかったと、あたかも控訴棄却が弁護人の責任であるかのように責め立てられました。

裁判所はこれに追い打ちをかけるように、刑事訴訟規則303条に基づき、訴訟の迅速な進行を妨げたとして、17年ぶり(「朝日新聞」2006年9月25日夕刊)に、日本弁護士連合会(日弁連)に対する弁護人への処置請求を行いました。

さらに、この請求が日弁連によって「不適当」と判断されると、今度は37年ぶりとなった懲戒請求を行っています。懲戒請求は、弁護士法第58条に規定されており、「懲戒の事由がある」と思う人がいれば、誰でも請求できるものです。社会的にも、おそらくは歴史的にも重大であるはずの「麻原裁判」を、一審だけで終わらせてしまった責任を、弁護人に取らせようとしたのでしょうか。

そもそも、東京高裁が憲法や刑事訴訟法を守り、手続きにのっとって父に対処していたなら、控訴趣意書の提出の問題はそもそも生じなかったと、わたしは思います。

弁護人は力を尽くしました。「麻原彰晃」という「絶対悪」に対する逆風――裁判など不要だという風潮も含め――が吹く中、7名もの精神科医を探し出し、父との面接や裁判所に提出する書類の作成をお願いし、父が公判停止を必要とする心神喪失の状態であることを、客観的にも明らかにしようとしました。

朝方まで、幾度も書類の作成をされていました。一般的には支援団体が主催する集会を、支援団体がないため自ら準備して開き、麻原裁判の問題点を社会に訴えようともされました。裁判所と打合せがあるたび、記者会見も開かれました。父との面会にも、娘のわたしたちよりも多く通い、意思疎通を試みられました。

弁護人は日弁連に人権救済の申立を行い、日弁連は2007年11月6日、東京拘置所長あてに、「勧告書」を出しています。

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/hr_case/data/071106_2.pdf

この勧告書では、父に対し「適切な医療措置を速やかに実施」するよう求めています。また、必要最小限の精神科的治療すら実施していないと、東京拘置所を批判しています。

控訴審の主任弁護人を務めてくださった松下明夫先生は、弁護士としてはまだまだ働き盛りの、50代で亡くなりました。わたしには、法を無視した「麻原裁判」や、その後の懲戒請求でかけられた負担が、先生のお命を縮めてしまったのではないかと、思えてなりません。

大きく暖かく、父だけでなくわたしや姉や弟のことまで実の子どものように見守ってくださり、お話しているだけで安心できる方でした。申し訳なく、同時に心から感謝しています。

裁判は終わった。でも真相は闇の中

こうして、父の裁判は終わりました。

父が病気でしゃべれない間に、父の共犯者とされる方たちは、「事件は麻原の指示だった」「麻原に逆らったら殺されると思った」「マインドコントロールされていた」と父が事件の「首謀者」であると次々に証言しました。でも、それが本当のことかどうかは、別問題です。

刑事事件では、自分の罪を軽く見せるために、虚偽の供述で他人を陥れたり、共犯者に自分の罪をかぶせたりといったことがよくあるそうです。自分の責任が軽くなれば、本来なら実刑のところが執行猶予付きの判決になったり、本来は首謀者で死刑となるところが、手伝っただけとして無期懲役や有期刑になったりするからです。

裁判所に対して、自分の罪は軽いことをどれだけアピールするかによって、自分の将来が変わると言っても過言ではありません。実際、地下鉄サリン事件で起訴された人たちの中でも、責任を他の人に転嫁することが行われています。

しかも、世間が首謀者と考えている父は何も語れません。「指示された。逆らえなかった」と言えば責任軽くなり、社会からの批判が減るという誘惑に勝てる人は、どのくらいいるでしょうか。わたしには、とても自信がありません。

オウム裁判で重要な役割を果たした人がいます。井上嘉浩氏です。複数の方が井上氏に罪を着せられた、責任を押しつけられたと感じています。2017年12月に、最高裁の5名の裁判官全員一致で無罪が確定した菊地直子氏も、井上氏の証言により、有罪にされかけた一人です。

地下鉄サリン事件に関して、父の有罪の根拠となったのは、井上氏が語った「リムジン謀議」といわれるものです。会合からの帰路、教団幹部が乗ったリムジンの中で、父が地下鉄にサリンをまくことを指示したというのです。

このときリムジンに乗っていた他の同乗者は、井上氏の証言を否定しています。もし仮に「謀議」が存在したならば、このとき父と話をしていた、他の同乗者も地下鉄サリン事件で有罪になっていなければなりませんが、起訴さえされなかった方たちがいます。それでも裁判所は、井上氏の証言を「信用できる」として、父を有罪にしました。

ところが、です。2013年5月にNHKが放送した「未解決事件 File.02」で紹介された井上氏の手紙では、「リムジン謀議」が否定されていたのです。

番組では、<実は、リムジンでは、たとえサリンで攻めても強制捜査は避けられないという点で終わったのです>と書かれた井上氏の手紙が映し出されていました。根拠となった証言をした本人が否定しているのに、一体なぜ、父は地下鉄サリン事件で有罪のままなのでしょうか。

いわゆるオウム裁判が始まったとき、教団で「科学技術省大臣」をつとめていた村井秀夫氏は亡くなっていました。村井氏の刺殺事件も未だに大きな謎ですが、捜査機関の村井氏に対する対応もまた、謎に包まれています。

父の一審の弁護団長だった渡辺脩先生は、村井氏に対する捜査機関の動きについて、以下のように書かれています。

<麻原裁判を闘ってみて明らかになってきているのは、この村井秀夫の存在の大きさである。つまり、村井は一連の「オウム事件」のほとんどすべてに関与し、実質的にも最高指揮官であったとみられるのだが、警察は彼に対する捜査・証拠収集を全然行っていないのか、または証拠を全部隠して法廷には何も出されていないのか、いずれにしても不思議な事実である>(渡辺脩著『麻原を死刑にして、それで済むのか?』三五館2004年3月)

弁護団はまた、父と村井氏のつながり――村井氏が本当に「父の指示を伝えた」のか否かを、検察は立証できず、しようと努力もしなかったと批判しました。父が本当に村井氏を通して「指示」を出したかどうかを知っているのは、今となっては父だけです。

30年以上前の、ある日の光景。膝に抱かれているのが麗華さん(提供:松本麗華氏)

オウム裁判は、肝心の「主役」である父の証言が得られないまま、終結してしまいました。2018年2月16日付の東京新聞には、加賀乙彦先生の言葉として「(昏迷状態の)四人は精神科病院に移したら治った。(麻原死刑囚も)場所を移して治療すれば、三日で治ることもあるかもしれない」と書かれていました。

たった3日で治ることもあるかもしれない父に対し、なぜかたくなに治療を拒否したのか。なぜ控訴趣意書が提出される1日前に控訴を棄却したのか。なぜオウム事件の重要人物である村井氏に関する捜査をしなかったのか。なぜ法廷で村井氏に触れようとしなかったのか。多くの謎は、残されたままなのです。

裁判は終結したかもしれません。でも、これほど重大な事件の真相は、本当に解明されたといえるのでしょうか。「絶対悪」とみなされている父を裁き、事件を「終結させる」ことばかりが重視されてしまったのではないのでしょうか。

そんな疑問を、少しでも持っていただけないか――。それがいま、わたしがお伝えしたいことなのです。