2018-04-01

23から自分探し

からこの時間まだダラダラビールを飲みながら過ごす休日

すべきこともやりたいこともない、ここ最近は何事にも無関心で彼女電話するくらいしか予定がない休日が続く。

こうなったのは多分仕事のせいで、そろそろ入社して1年が経つがどうにもこの仕事があっていないと感じている。

残業が多いわけでもない、休みが取れないわけでもない、給料もそこそこだけど、どうやら仕事があっていない。

そもそもこの会社に決めたにも「この仕事社会貢献自己実現!」ってわけでもなく安定してそうだったから、

それなりの企業内定をもらった。

1年経って結局この会社では生きる気力が見つからないと気づいたときクルーエージェント登録をした。

例によって面談を行いヒアリングされたわけだけど、次の業界は?何がしたいの?の問いに答えられない。

あれ、、、俺は何になりたいんだっけ。

振り返れば就活時期からだったっけ。まわりが就活をし始めた流れに乗ってなんとなーく大学就職課に通い始めESを練った。

大学はそれなりの規模で就活解禁からの3週間は大学企業が来た。

就職からの教えに従って様々な業界を見たけれどどれもパッとしない。

説明を聞き受ける業界を悩むだけで時間が過ぎていった3月末、焦った自分社会的存在意義説いていたある会社説明

納得し業界を決めてしまった。

就活宗教だ、いか自分企業が素晴らしいか説明学生を募る、嘘ギリギリの謳い文句

無知だった自分適当業界を決めたし、面接では準備していた原稿を元にペラペラ話したら大体受かった。

それほど倍率の高くない業界だったしね。

でもある面接アイスブレイク的な質問で「なんでこの大学にしたの?」と聞かれた。あれ、、、なんでだっけ。


「せめてMARCH以上だな」と親に言われたのが高2のとき

その時から僕の目標MARCH合格になりその数カ月後に部活をやめ、同時期に部活をやめた友人と図書館に篭った。

平均8時間/日、多いときは10時間くらいだろうか。

ただでさえ高校猛勉強して入った自分にとって勉強は得意ではなかったから量でカバーしようとした、

今思えば効率が悪すぎるけど。この時の目標大学合格だけで、それ以外のことには目もくれなかったし、

辛い時は2ch受験スレなんか見たりして自分を奮い立たせて継続していた。

ただその時の熱量は本当の自己実現ではなかったんだ。当時の自分には大学に入ってあの先生のもとであの学問を学びたい、

社会をどうしたいなんて考えたことがなかった。


親を失望させたくない、親の世間体を守らなきゃ、親が喜ぶ顔を見たい。


自分のためではなくて全部親のためだったんだ。遡ってもそう、

自分がしたくてやったことが思い出したくても思い出せない。

思い出すのは親に勧められて始めたことが多いし、

しろ自分がやりたかたことを言うと否定され気づけば別のことをやらされていた。

サッカーだってそうだ、僕は野球がやりたかった。父親の影響で野球はよく見ていたし、

井端の下敷きを使うくらいには中日が好きだった。

でもサッカーをやれば母親が喜んでくれた。



そう、僕は何も自分で考えていなかった。

進学まで親に従い、満足する顔を見るための頑張りだった。

大学合格目標がなくなった、親のために入ることが目的だった大学では適当に授業とサークルバイトで過ごした。

大学3年も冬に差しかると就活が始まった。あれ、、、、自分がしたいことってなんだっけ。


親のために入った大学、焦って適当に選んだ会社、そこに合わない自分


今になってようやく自分人生を歩んでいなかったことに気付かされる。

俺は何がしたいんだろう、何が好きなんだろう、何者なんだろう。

生きがいもやりがいも何もない、そんな23の春、明日から社会人2年目らしいよ。


23歳、実質5歳くらいだぜ!!!明日も頑張って死なねぇように生き抜こう!!!

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