「いじめる側は本能に従っているだけ」
学校でのいじめを減らす方策の1つとして、子供たちへの予防教育がある。適切な予防教育が行われれば、いじめの発生数を減少させたり、もし発生した場合でも早期に発見・対処し、環境を含めた改善を行える可能性が高まる。文部科学省の「いじめの防止等のための基本的な方針」でも、予防教育は「学校が実施すべき施策」の1つにあげられている。
一方で、その出発点で失敗するケースも後を絶たない。
ある小学校で、DVD教材を使ったいじめ予防教育を行ったときのことだ。DVDのストーリーの中で、会員制交流サイト(SNS)のアイコンを自分の顔写真にした少女が、クラスメイトに勝手にアイコラ(編集部注:顔写真と別人のヌード写真などを組み合わせた合成写真)を作られ、それを拡散されるいじめを受けたという話が出てきた。
ストーリーの核心にあたるこの部分で、クラスの担任教師は「誰の行為が一番悪いと思いますか?」と生徒たちに訊(き)いた。「アイコラを作ったクラスメイト」か、「それを面白がって拡散したクラスメイト」が悪いという意見が多数だろうと、担任は予想していた。
だがこのクラスでは、生徒たちの大半が「最初に自分の顔写真をSNSに掲載した子」が悪いと答えたのだ。「なぜ?」と問う担任に生徒たちが返したのは、「意図しない使われ方をするかもというところまで考えが及ばなかった、本人の責任」という理屈だった。
ここで質問を変えたり、世の中のアイコラ写真問題を取り上げたりすれば、話の流れを変えられたかもしれない。だがこの担任教師は、授業の進行に気を取られるあまり、事前の想定を超えた展開に気が動転し、そこからどう話を進めればいいのかわからなくなってしまった。